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日本 その2.5






 尉仇台・仇台(いきゅうだい・くだい・くで etc)さんがつくった国だから、その頃の倭の国じゃ「百済」を「くだら」と訓だのは判ってもらえたかどうか判らんけんども、「百済」と言う国はどうやら幾つか有ったのねんな~。少なくとも2つ、多ければ4つ有ったとねん。

 でもこれは歴史的にみると全然不思議なことではないのねんよ。それこそ「えっ!?・・徐福さんは何と~!?」で書いた「斉」っちゅう中国の国もね・・興ったり滅んだりしてるのねん。徐芾さんが日本に来る前には滅んどるけんども、また再興されて・・滅んでを繰り返してるし、「魏」の国だってそう・・アジアの国じゃぁ全く珍しくないのねん。

 ただ、その2つ(以上)の国が時代を被って存在してるもんでね・・周りから見ると、もしくは時代が下がってから古書を読むと、

百済っちゅう一つの国のこと

と勘違いしてしまうのねんな~。だから、「くだら」と言った場合は基本、

仇台百済のこと

と分けて考えんとね・・いかんのねん。


 それにね・・今までは何とか誤魔化しつつ書いておったのねんけんども、

「倭」

は、

「い」

と読んだらしいのねん。日本語が判る日本人はどうしても「わ」と読みたくなってしまうけんども、ここは「い」と・・読まんといかんのねんな~。


 「あたらしいこじき」には、「倭」を「イ」と読み、その者たちを「イチ」と言った・・と書いてあるけんどもね・・これは、

「夷家」

「彝家」

で「イチ」・・なのねんな~。「家」は今の中国の言葉で「ちゃ」・・だから「いち」なのねん。


 だいたい、中国では北や東の方角にいる異人・異族を

夷(イ)

と読んだのねん・・。日本だと「えびす・えぶす」でんな~・・。「征大将軍」なんてのも中国から輸入された言葉なんでっしゃろな~。誠意大将軍は・・違うのねんよ~・・ふるっ!


040715云南彝族毕摩 望传统文化代代相传 from Eacast Media on Vimeo.



 ところでね・・もし上のビデオが見えんようならご面倒でも、

https://vimeo.com/124310435

をコピーペーストしてご覧いただきたいのねん。中国のビデオなのねん。

 これがね~・・結構凄くてね・・。ど~見ても日本人でね、・・・ビデオの最初のうちなんぞ、何をしゃべってるか、全く判らんのにね・・

「日本語に聞こえてくる!」

のねんよ。

 顔もね・・日本人そっくり、頭は武士のように月代(さかやき)に剃っててね・・ちょんまげを結ってるビモさんもいるみたいだし~。で、ど~もこの方は・・

「彝族(イぞく)」

の方らしいのねん。中国は福建省を中心にいるらしい・・


イ族(イぞく、彝族, 拼音: Yízú)
は中国の少数民族の一つ。2010年の第6次全国人口普査統計では人口は8,714,393人で、中国政府が公認する56の民族の中で7番目に多い。

名称
 彼ら自身は「ノス」と呼ぶ。もとは「夷族」と表記されたが、清朝時代に、自らも漢民族ではない支配階層の満州人が蛮族を意味する呼称を嫌い、同じ音に「彝」の字をあてた。彝は「祭器」転じて「道徳」などを意味する雅字。「ロロ族」という呼称もあり、かつては自称であったが現在は蔑称。「ロロ」とは、イ族自身が先祖崇拝のために持つ小さな竹編み。当て字の「玀猓」では、部首にけものへんを付け加えるなど、多分に蔑視的な要素を含んでいる。

歴史
 イ族は中国西部の古羌の子孫である。古羌は、チベット族、納西族、羌族の先祖でもあるといわれる。イ族は南東チベットから四川を通り雲南省に移住してきており、現在では雲南に最も多く居住している。南詔王国を建国した烏蛮族が先祖だと言われている。

 精霊信仰を行い、ビモという司祭が先導する。道教や仏教の影響も多く受けている。雲南省にはイスラム教を信仰するイ族の集団もある。ただしそれらは、イスラム教を信仰するイ族なのか、イ語を話しイ族の文化に属する回族なのかは、明確には分別できない。

 雲南北西部と四川に住むイ族の多くは複雑な奴隷制度をもっており、人は黒イ(貴族)と白イ(平民)に分けられていた。白イと他民族(主に漢民族)は奴隷として扱われたが、白イは自分の土地を耕すことを許され、自分の奴隷を所有し、時には自由を買い取ることもあった。
by Wiki



 それにね・・ビデオの中頃に出てくる「古い本」の文字をみて欲しいのねんな~。何とね・・漢字じゃなくて、


「ホツマツタエのオシテ文字かハングルか?」

 みたいなね~・・読めそうで読めない、「イ族文字」らしいのねんよ~・・。


 そしてね・・実はこのおじさんは世襲の「畢摩(びも)」っちゅう「シャーマン」なのねん!・・「ビモ」でっせ~?・・しかも「イ族」!占いや祭祀を司るようなのねんよ~・・。


 倭(イ)にもそんなお方がいらしたよね~?・・そう、


「さよちゃん卑弥呼」

でんがな~・・。

 さよちゃん卑弥呼は鬼道に仕え、衆人を惑わせたと・・言われてるのねんが、イ族の「ビモ」さんも鬼道のシャーマンなのねん!

「卑弥(呼)」 =「毕摩・畢摩」

っちゅうね~・・式が成り立つと思えんかの~・・。さらには、

「卑弥(弓呼)」=「卑弥(呼)」 =「毕摩・畢摩」

ちゅうね~・・。

 だから、「さよちゃん卑弥呼」は、「さよちゃんびもこ」と読んだのかもしらんよね~・・。


20160724.jpg


 因みに、この文字は「びも」さんにしか読めん神聖文字だったんだと・・。それも世襲でね・・各部族に居るそうでね・・。それに、

「スーニー(蘇尼)」

と呼ばれる「びも」さんに似たようなシャーマンのお方もいらしてね・・こちらは世襲じゃなくて突然変異。病気が治らんでそのまま山に籠っていると、神様の言葉を通訳できるようになるらしいのねんよ~。

 こんなビデオを見てるとね~・・・ある昔話が蘇ってくるのねん。・・そう、14代の仲哀天皇さん・・でんがな~・・

 筑紫の香椎(かしい)の宮に熊襲を討とうとね・・いたときに、天皇さんが琴を弾くと神功皇后さんが神懸かりになってね・・。

「海の向こうに新羅と言う金銀財宝がたっぷりある国があるからお前にやろう」

とお告げが有ったのねん・・・が、天皇さんは、

「・・んなもん、知らんがな~・・」

とね・・無視してしもうたのねん。

 審神者(さにわ)役の武内宿禰(たけしうちのすくね)さんがね・・

「(神の仰せですから)オオキミ、琴を弾かれませ」

と、言ったのねんが、渋々従った天皇さんはね・・突然、崩御されてしまった・・っちゅう話しでんがな~・・。まぁ、熊襲の矢に当たって亡くなられたっちゅう話しもあるけんどもね~・・。でも、「びもさん」が、日本の侍さんみたいな頭で琴を弾いて、鬼道に仕えるなんぞを見るとね~・・重なるのよねん。


 でね・・さっきのビデオもそうだしね、イ族の方々のお写真をネットで検索したりすると、ま~これがね・・

「もし日本にいたら日本人としか思わんだろねん!」

としか見えん方が実に多いのねんよ。むしろ今の日本人の方がね・・国際色豊かに思える・・。


「あ~・・この人、漢人っぽいな~・・」

とか、

「この人は南方系かな~・・」

とかね・・感じてしまう・・。


 でねでね・・先の「斉」の国からいらした斉王さんの子孫もね~・・羌族が出身なのねんで、イ族の血統らしいのねんな~・・。今の中国は漢人が中心で、他の多数の民族を支配してるけんどもね。

 だから倭の国は、元々列島に住んでいた縄文人と、大陸や南方から押し寄せた難民たちが混血して出来た国だと言えるし、

「・・そんなこと言われんでも判っとるがな~・・」

「・・だけんども、仔細がよ~判らんのよねん~」

ちゅうことなのねん。


 まぁ、それでもね・・斉王さんも列島に住む者の一員になった・・そして「倭(イ)」は「彝(イ)」と無関係じゃぁ無いっちゅことが判ると思うのねんな~。

 おひまがあったらぜひね~・・「イ族」「彝族」でネット検索してみてほしいのねん・・ちゅうところでね・・今回は「説明に終始」してしもうてすまんの~・・「」を説明するにはもう少し掛かりそうなのねん・・「あれ」を説明するには「それ」を説明せんといかんし、「それ」を言うには「これ」も言わんといかんのんで~・・パニックなのねんな~・・。

 じゃぁまたね~!アディオ~ス!

日本 その2






 ま~ね~・・古代の日本のことを言うっちゅうことは、その周りの国のことまで調査せんと何も言えんっちゅうことになるし、その年代にはどんな状況だったかとか、それまでのそれらの国々の歴史も理解せんといかんっちゅうことなのんで、ファシレのおじさんにはめっちゃ荷が重いどころが、

「・・んなもん、無理だっちゅ~の!」

と放っぽりだすのが正常な精神を持った正しい人間には必要で寛容なことなのねんな~。昨今は現実と非現実が良く判らんよ~になってきてるよ~な気がするのねん。ま、ファシレのおじさんだけじゃなくてね。世の人、みんな・・でんがな~。

 大体にして、何が真実だったかなんてね・・改竄しなけりゃ対面が保てんどころか、自分の国を亡ぼすことにも繋がってしまうのねんから、どっちかっちゅうと、

「嘘も方便!」

ちゅうことでね・・生き残る方法を選んだのでっしゃろな~・・。ま~・・今も変わらんのでっしゃろけんども、それに慣れてしまってね・・結局は民を裏切ることにつながって、その王たちも滅んでしまったのねんな~・・。

 倭や日本の場合は君(キミ)、臣(オミ)、民(タミ)っちゅう感じでね~・・もっと遡れば耳(ミミ)がトップだったのでっしゃろがの~・・。


 倭の歴史の中では何故か「百済」と言う国がね・・非常に関わってくるのんで、まんずはココを何とかせんとね・・日本が「にほん」「にっぽん」になったかも明らかにならんのよねん。

 そもそもね・・

「百済」と書いて「くたら」と読む

なんぞはね・・

「東京」と書いて「フランス」と読む
は違うにせよ、

「出雲郷」と書いて「あだがえ」と読む


のと同じに近いと思わへん?


 ど~やったってね~・・「くたら・くだら」とは読めんだしょ~・・。まぁね・・何度も今まで書いとるもんで、目に蛸が住み着いとるかもしらんばってんね~。

 韓国語じゃぁ「ぺくちぇ」と読むらしいし、古代のその「百済」でもそれに近い発音だったと思われるのんが、倭・日本では何故か「くたら」と読んだのねんな~。

 これはね・・「旧多羅(くたら)」・・昔の多羅っちゅうことでね・・多羅っちゅうのんは伽耶諸国の一つでね・・倭人の国だったと言われとるけん、多羅の国が百済になったっちゅうことを言いたいのでっしゃろな~・・ふ~mm~ん・・クダラね~・・本当にそ~なんかの~・・。多羅が百済になったとしたら、多羅は無くなっちゃうんじゃないのかの~・・。

 百済っちゅう国はね・・扶余人(ふよじん)がつくった国と言われててね。高句麗と祖を同じくするっちゅうことになってるのねんな~。でもね・・実はこの百済については・・

「何が本当で嘘なのか、百済についてはほぼ何も判ってない!」

のねんよ・・。

History_of_Korea_(Goguryeo)_476_jp.png

 上の図を見てもね・・高句麗の北に有った「扶余国」がね・・「百済(ぺくちぇ)」になったっちゅうのんが、一般的な理解とされとるのねんが、

「それは・・嘘!」

 ま・・全くつながりは無かったとまでは言わんけんどもね・・扶余国(北扶余)が百済になったっちゅうことは無いっちゅうことでんな・・。

 そもそもね・・百済は660年・・いや、662年には完全に滅び、高句麗も668年に滅亡しとるのんでね・・半島には新羅しか残らんかったのねん。その新羅も935年には滅んでしまうのねんな~。

 百済三書(くだらさんしょ)と言ってね・・、『百済記(くだらき)』『百済新撰(くだらしんせん)』『百済本記(くだらほんき)』っちゅう百済の歴史を書き残した書が有ったのねんけんど、今は残って無いのねん・・。これもね・・白村江の戦いで百済が滅び、日本に移住した者によって書かれたらしいのねんで・・日本書紀に引用されとる部分でしか判らんのねんな~。

 あとはね・・「三国史記」って言うてね・・三国時代(新羅・高句麗・百済)から統一新羅末期に渡って書かれた書が有るのねんが、

「1145年に完成」

っちゅうね・・ど~もならん・・そんなに時が経ってしまえばもう忘れられてしまってたかもしれんし、情報が錯綜する中での完成やからね・・書いてあることがすべて正しいとも言えずね・・紀元前18年建国なんぞはね・・有り得んしね~・・だから、

「百済のことは何も判らん!」


のが正解なのねん。

 だから、

「何で くだら なの?」

っちゅうのんも判らんのねんな~。



「尉仇台(いきゅうだい・いきゅうたい)」

っちゅうお方が扶余国にいらしてね・・。高句麗の北の扶余でんな~。でも北扶余は西暦494年に、東扶余っちゅう国も410年頃には滅んどるのねん。でもこれは「扶余国」の話なのねんで~・・。

 一方、百済の方はね・・

 百済は4世紀中頃に国際舞台に登場する(『晋書』「慕容載記」)。それ以前の歴史は同時代資料では明らかでない。

 建国時期が書かれている『三国史記』(1143年執筆)では紀元前18年建国になっており、韓国・北朝鮮の国定教科書ではこれを引用している。歴史的な建国時期に関しては、三国史記の記述自体に対する疑いもあるため、韓国でも紀元前1世紀説から紀元後3世紀説までさまざまな説がある。またその当時に書かれた中国・倭等の文献と後年になって書かれた三国史記の内容には隔たりがある。

 通説では『三国志』に見える馬韓諸国のなかの伯済国が前身だと考えられているが詳細は不明である。
by WIKI


 ちゅうことでね・・紀元前から国は有った・・とされてるけんども、何か良く判らんと・・でも「扶余族」だと・・言うことなのねんが・・


「扶余国(王)と百済(王)は途中で入れ替わった?」

可能性が有るのねんよ。もしくはね・・伝わった情報が錯綜してしまい、扶余国と百済が混じってしまった・・もしくはね・・百済が扶余を仮冒した・・とかね~。

 百済の王様のね・・代々続いているはずなのねんが、ど~も途中で「ワヤ」になっとってね・・。兄弟なのにね・・兄の三代も後に王様になってたりするのねん。100年近く離れてしまえば、理解しろって言われてもね、そりゃぁ無理っちゅうことでんねんな~。

 でね・・

 唐会要百済伝には

「百濟者、本扶餘之別種、當馬韓之故地。其後有仇台者、為高麗所破、以百家濟海


(百済とは、本は扶余の別種で、馬韓の故地にあたる。 その後裔に仇台なる者がおり、高句麗に国を破られ、百家で海を渡った。因って百済と号する

とあり、百済の支配層は扶余族だったと見られている。百済の建国神話は系譜の上で扶余とつながりがあり、26代聖王が538年に泗沘に遷都した後に国号を「南扶余」としたこともそれは窺える。
by Wiki



 そ・・つまりは、「尉仇台」と「仇台」は同一人物かどうかはハッキリせんが・・「尉」は位の可能性が有るもんでね・・

「仇台( く たい )の国だから 仇(ク) 台(タイ) 羅(ラ)」


なのねんな~。


 ま、百家で海を渡ったとされてるけんども、高句麗を抜けるために半島の南部まで海を渡った・・とも言えるしね、もしくはね・・

「列島まで海を渡った!」

とも考えられなくは無いのねんよ・・。証拠は無いけんどもね~。でもね・・だからこそ、仇台のことを良く知っていたからこそ、

「百済=仇台羅」


「久太良(くたら)」と訓だのねん。古代の日本語は清音で濁らんけんね~。

 今でもね・・大阪にも奈良にも「百済」の名の付いた史跡は残ってるのねん・・。川も有れば寺も町もね・・有るのねん。白村江の戦いの後に出来た可能性も無くは無いけんどもね・・何せ天皇さんが・・いや、ま、それはまたその時に書こうと思うのねん。

 だから、少なくとも・・

「百済と日本はお互いのことを充分理解していた」

ので有り、だから百済が滅んだ時に国を再興しようと半島まで大群を送ったので有り、その結果として敗戦し、日本と言う国名に変更せざるを得なくなった・・と言えるのねんな~。


 大体ね、百家で海を渡ったところで、上陸すればね・・そこにも「君臣民」はいるのねんから、そこでひと悶着以上有ってしかるべきだしょ?

 だから、そのひと悶着が記録に残ってないか?っちゅうことが重要でんがな~・・。



 ま、もう1回くらい「百済」を説明せんといかんかな~?・・とは思うけんど、ど~しよね~・・。えらい大変なのねんが・・

で、

「㶱」

は、判ったかな~?・・

 今回はちと緩くてすまんの~・・ユルユルのダルダルでんがな~・・でもまた書くのんでね~・・お楽しみに~・・ばっはっは~い

日本 その1






ファシレのおじさんも生まれたこの国は、名前を「日本」と言うらしいのねんが、どうやらね・・

「にっぽん」

と言う発音が正式らしくてね・・でも、

「にほん」

と読んでも正解だと・・しかも、外国では、

「Japan(じゃぱん)」

と呼ばれるらしく、

「ヤーパン」
「ハーポン」

とかでも呼ばれてるっちゅう・・


「ん?~・・何じゃそりゃ~!」

と誰も思わんよ~なのが、よう判らんのねんな~。ファシレのおじさんは、まだ若い頃は不思議じゃったけん・・。それも、まだ鼻水垂らしてた子供の頃はね・・旗日(祝日)になると、近所の家もファシレの家もね・・「日の丸」の旗を立ててね・・お祝いの意を表したと思うのねんが、普段は、

「日本(にほん)」

と言ってるくせに、何かあるとね・・

「日本(にっぽん)万歳~!」

とかね・・

「ガンバレ!にっぽん!」

みたいにね・・オリンピックなんぞで声援を送ってるのが不思議じゃったのねんな~。


「・・・にほん か にっぽん か・・ハッキリせんかい~!」

てなもんや三度笠・・なのねん。

 おまけに外人さんにゃ~・・

「ジャップ!」

とか

「ヘイ!ジャパニーズ!」

とか呼ばれてね~・・。

「ジャニーズじゃね~し・・」

とは思わんかったが、

「わてはジャパニーズじゃ無くて日本人だす~!」

とね・・言いたかったのねんな~・・。ま~・・最近はそんなことさえ忘れてしまったよ~な感じでね・・。旗日に旗も出さんし、そもそも旗を立てる場所が無い!・・ま~ファシレもそ~だけんども、右でも左でも中道でも無い多くの日本人にとっちゃ~、あんまり関係無いのかもしらんね~。

 そんな中、天皇陛下も生前退位を希望されてね・・・まぁ、ど~オチを付けられるのか、楽しみでもあるけんども・・でもね・・

 昭和天皇さんが人間宣言をされたんだから・・辞めたいっちゅうもんを辞めさせないっちゅうのんは日本国憲法の精神に反するんじゃないかの~・・・

 ま~・・天皇さんは生きてる間に退位出来んことに、明治時代からなっちゃってるからの~・・でもそこんとこ、何とか~!誰だって歳は取るし、そ~なりゃ身体もガタガタになるのじゃけん・・考えてやってちょ~よ・・


 でね・・そんな日本だけんどもね・・じゃぁ、

「・・何で我が国は日本と名乗ってるのん?」

っちゅうような疑問は湧かんかの?

 まぁ、通り一遍の答えなら、小学生でも知ってるかもしれんけんども、本当の理由なんぞは中々判らんだっしゃろ?

 昔々、その昔、「倭と言う国が有って、その響きが良く無いことから、また、日の出る国だから、自ら日本と名乗った」みたいにね・・中国の古い本に書かれとるのねんで、それをそのまんま信じとるのねんな~。つまり、

「倭(わ、い、やまと)」----->「日本(やまと、にほん、にっぽん)」

 細かいことを言うとね・・もっとその中間が有ったと言われとるけんど、ま~、そんなもんで充分なのねん。ど~せ、そんなことから本当のことなんぞは判りゃ~せんのねんで~。


 ま、ただしね・・「日本」と自らが名乗った時期はね・・西暦で700年よりもちいとばかり前位の頃らしい・・のねんが、ま~・・そんなんは全てこの、

「西暦700年頃」


に集中してるのねんな~。


 そう、天武天皇さんが崩れられて、皇后だった持統さんが天皇になられて、不比等ちゃんが出っ張ってきた頃・・そう・・

「白村江の戦いの敗戦後」

のことなのねんな~。


 ま、これだけは言えるのは、

「白村江の戦いで唐に盾突いたのは倭で有って日本では無いのよん!」

ち、言いたかったのねんよ。だから、倭を「やまと」と呼び、大倭を「やまと」、日本も「やまと」と読んで「日本」に改名したのねん。言っちゃえば、

「倭を継いでるよ~で実は継いでないよ~で・・」


っちゅうテイを見せたかったのねんな~。やるわよねん!・・不比等ちゃん!

 じゃぁ、なんで日本っちゅう名前にしたのかっちゅう疑問はまんだそのまんま・・残るのねん・・。そ~でっしゃろ?・・まぁ、ここには不比等ちゃんの出自が大きく絡んで来るところなんで・・。

 でもね・・ファシレのおじさん自身はね・・間違い無いとは思っとるけんども、それを確かめようとしても、結局なんの証拠も出てこんのよん。すっげ~調べたのねん・・1年以上もねん・・でも確証が無いのねんな~。なので・・

「やっぱ、書くのや~めた!」


なんちって・・。







 昔ね・・伽耶(かや)とかね・・任那(みまな)とか言われる韓半島の地域が有ってね~・・まぁ、知っとるお方も多いだろ~けんどもね~・・そこには小さな国が沢山あったのねんな~。

 あ~・・ちなみにその中にね・・「安羅伽耶(あらかや)」ちゅう倭人の国が有ったのねんが~・・面白いのねんよ~・・

この漢字、何て読むか判るかのん?

「出雲郷」


 そう、出雲地方に有る町、「いずもご~」でんな~・・・


「んな訳、有ったかえ!?」


そ~!

「安羅伽耶」

ってね・・読むのねん。



正確には

「あだかえ」

と訛るらしいのねんが、地元の方はさらに訛って~、

「あだがえ」


と発音してるらしいのねんな~・・。ね~・・不思議だしょ~?

「東京と書いてフランスと読む・・」

みたいなもんでっしゃろの~・・。

 ま~西暦560年頃、新羅に伽耶が滅亡させられた後、日本に伽耶の倭人たちが避難して来たのねんな~。

 ずっと向こう(伽耶)にいた倭人もいれば、列島から伽耶に渡った倭人も居ったもんでね・・まぁ、出戻りでんな~・・。でも紀はね・・結構その辺はしっかり分けて書き残していたりはするのねんよ。今は関係無いので書かんけんどもね・・。


 でね・・その滅んだね・・小国の中にね・・

「日本が有った!」

のねんな。

「任那の日本県邑」

でんな・・。

 ま、お隣の韓国じゃぁ、任那(任那日本府・・みまなやまとのみこともち)の存在自体すら絶対に認めたく無いらしくてね・・ゴタゴタはしとるけんど、日本府は有ったかどうかは紀にしか残っとらんばってん、ちゃんと「任那(みまな)」に付いちゃ、中国の古書までもが残しとるのんでね・・少なくとも、

「任那自体が存在しなかったことには出来ん」

のねんな・・。諦めなはれ、韓国の方々・・。是々非々で行かんと遺憾のねん。仏像だってね、盗んだと分かったものはいったん返すのが常識。その上でね・・ちゃんと調査なり、交渉なりをするのが世の常識でんがな・・。盗人の手を借りて入手したもんをその国家や盗んだ本人のもんにしたらね・・世の人に何と思われるかは誰でも判る・・いや、他国の領域に平然と島を造っちゃって、ルールなどは問答無用の人たちもおるからの~・・先行きが心配なのねんな~。義も礼を欠きっぱなしの力技で孔子、孟子、荀子の国とは思えんよの~・・って、そんな君子たちの子孫が日本人でもあるんだけんどもね~。ま、日本人も、義も礼も欠けてきてるかもしれんの~・・。

で・・ここからが本番。


 だけんども・・時間がね~っす!・・まぁ、また次回書くのんでね・・申し訳無いのんで、ヒントだけ、出しておくのねんな~。






 こんな字、有るのねんな~・・知らんかったわ~・・っちゅうところで、「その2」に続くのねん!じゃぁね~!バイビー!グッドバイバイ!

えっ!?・・徐福さんは何と~!?






「お久しぶ~り~ね~~・・あなたに会うなんて・・♪♪」

 すまんの~・・ちいっとばかりまた旅に出とったもんでの~・・にゃんこだけに・・また旅に・・今日も元気だ親父ギャグが旨いにゃ~・・


 人の読む気を一気に無くす技術はさすがファシレのおじさん・・と自認しとるけん・・フォローしてくんなくて結構だす。

 ま~・・それにしても衆議院の解散も無くなったようで参院選も単独で行われようとしとるけんが、ま~・・ど~しても憲法改正をしたい、世を戦争状態に引きずり込みたいっちゅう意図を見せたくない政権側としては、一気に勝負に出たかったはずと思うけんどもね・・。だから、

「政権を与党の圧倒的多数にしないのが愚民のささやかな抵抗」

ちゅうことを忘れちゃいかんのねんな~。忘れちゃ遺憾・・。

 まぁ、この辺りは本家の山田さんとは意見が大いに食い違うけんどもね・・。彼は選挙なんぞはど~でも良い口でんがな・・。ファシレは、ま~、いいっちゃいいけんども、やっぱりそこにしか「権利が無い」もんで、

「そんな大事な権利を手放す必要が無い」

からしっかり使うべきと・・思っとるのねんな~。

 何せ、選挙に勝ったら「国民の信頼を得た」と言って、公約にも敢えて掲げないことをおっぱじめ、負けりゃ~「国民に説明が足りなかった」と言って水面下で公約違反を続けて居座ろうとするのが政権与党でっしゃろ?・・まぁ・・昨今は全くのファッ ショ でんな~・・

 だから山田さんは「選挙なんぞ意味無し!」なのねん。ファシレのおじさんは、「与党と反対党の均衡」で緊張感を持たせて、安易な法整備に冷水をかけさせようと思うのねん・・まぁ、結局どっちでも変わらなかったりするんでっしゃろがねん~・・。


「徐福」


ちゅうお方がいらしたのねん。紀元前220年前ころ、中国を出て日本までやってきたとされてるお方でんな・・。それも3000人という凄い人数で日本を目指したとされててね・・日本全国に「徐福伝説」が残っているほどのお方なのねんよ。

 だけんども、意外にね・・日本の歴史上、重要視されていないと見えるし、研究も進んでおらんと・・思うのねんな~・・なんででっしゃろね~。

 徐福さんは、そのころの宗主である秦の始皇帝に、

「東の遠いところに不老長寿の薬草が有ると聞くので皇帝陛下に献上するためお暇させてちょ~!」

と・・・始皇帝を上手い具合に騙し、大船団を組んで朝鮮半島経由で日本に来たと・・されているのねんな~。出航地は・・WIKIにはこう書いてあるのねん。

 現在の山東省から浙江省にかけて諸説あるが、河北省秦皇島、浙江省寧波市慈渓市が有力とされる。途中、現在の韓国済州道西帰浦市(ソギポ市)や朝鮮半島の西岸に立寄り、日本に辿り着いたとされる。
by WIKI


ま、だけんども浙江省寧波市慈渓市ちゅうのんはおそらく上海あたりでね・・「秦」っちゅう国を考えるとね・・有り得んかな・・と思うのねんな~。

ZH-战国七雄地图

 上の地図は紀元前260年だから、220年に出航したっちゅう徐福さんの時とは状況が違うけんども、上海は緑色の楚の右端のさらに下辺り・・

「楚んなところじゃ~・・無いんじゃない?」

と・・単純に思うけんども・・ま~それでも良いかな~・・。


 でね・・この紀元前220年っちゅうのんがまた味噌なのねん・・。そのころは秦の力が非常に強かったのねんが、秦が滅ぶのもね・・紀元前206年と言われてるもんで、たったの

「徐福出航後、14年で秦は滅んだ!」

ねんよ・・。

 でねでね・・徐福さんは徐福と漢字で書かれてるけん・・中々気付かんのかもしれんが、本当の字は、

徐芾

で、福の字は

草カンムリに市

と書いて、読みもね・・「じょふく」 では無く、

「じょふつ」


と読むのねんな・・。

 徐を除けると

「フツ」

・・・あれ?・・「フツ」って・・あの「フツ」か~?・・と思い当たるお方も多いかもしれんね~・・。



 でも今回はそっちにはまだ行かんのねん・・。大事な話しがあるのねん・・。

 で、ここからはファシレの話しを聞いてくれ~・・俺の、言うことも含め、誰の言うことも聞くなよ・・と・・なんだ?


 田斉(でんせい)
は、中国の戦国時代、紀元前386年に田氏が姜姓呂氏の斉を滅ぼして新たに立てた国。国号は単に斉であるが、西周・春秋時代の呂氏の斉と特に区別する場合に田斉と呼ぶ。戦国時代中期には、湣王の頃に東帝を称するまでになるほど強盛を誇り、戦国七雄の一つにも数えられる。首都は姜斉の時と変わらず臨淄であった。
by WIKI


 そ・・ちょうどそのころね・・田斉(でんせい)・・まぁ「斉」っちゅう国が中国に有ったのねん。さっきの地図にも出とるよね・・略字になっとるけんど、「黄色」の部分でんがな・・。その「斉」もね・・ちょうど秦が滅んだ頃に滅んでるのねん・・

田斉は起源前386年 - 起源前221年

まで続いたとされとるけん・・・あれ?・・

「徐福は紀元前220年に出航、田斉は紀元前221年に滅んだと?」

 何か・・こりゃぁ関係が有りそうだっしょ~?

 そうなのねんよ~・・実はね・・大有りなのねん・・。田斉の王家にね・・

「フツさんが居た!」


 そ・・あのフツさん?・・が居たのねん!

田 芾(でん ふつ、? - 紀元前206年)は、
 秦末前漢初期の斉の国王。田儋の子。『史記』「田儋列伝」に記述がある。

 経歴
 秦末期の騒乱で自立して斉王となった父が、紀元前208年に魏王咎の援軍に赴いた際に章邯の秦軍に敗れて殺されると、新しい斉王に田仮(斉王建の弟)がなった。
 しかし、従父の田栄はこれを認めず、田仮を楚に追放し、従子の田芾を斉王に擁立した。秦滅亡後、項羽により諸侯王が定められた際、斉は3つに分割され、田芾は膠東王に封じられた。
 しかし項羽に恨みを持つ田栄は斉王に封じられた田都を楚に追放して田芾を再度擁立しようとしたが、田芾は項羽を恐れて封地の膠東に赴いた。これを知った田栄は激怒して田芾を追撃し、即墨で田芾は殺害された。
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 まぁね・・ ジョフツ じゃなくて デンフツ なのねんが・・ 同じ「フツ」っちゅう名前なのねん。

 でもね・・歴史的には田芾(でんふつ)さんは叔父に殺されたことになっちゅう・・。ここにね・・大きな謎があるのねんよ。


 でもねでもね・・自分の国がヤバイ時にね・・近い親族同士で延々と殺し合いをするかね~・・っちゅう疑問があってね・・田芾(でんふつ)さんは殺されたことにして、一族郎党引き連れて海外に出奔したと・・それが・・

「徐福さん」

 だったとすると・・全ての辻褄が合うのねん・・。


 でねでねでね・・・以前お話しした、元伊勢神宮の禰宜、荒木田氏に伝わる口伝・・「あたらしいこじき」・・いや、漢字にするのは怖いもんで・・だいぶ文章は削られたみたいだけんど、サイトは存続しててね・・この部分はまだ掲載されとったので、必要な部分だけ転載させていただくとするとね・・


 古文書によると「青州」から出航したとある。青州とは中国古代において九鼎が造られた九州のうちの一つである。現在では山東半島付近に当たる。

<略>

 それらを繋ぎ合わせてみると、おおよそ二千人ほどの我々の先祖は中国大陸の東岸を船で出航して、朝鮮半島の南端から対馬を経由し、九州唐津付近に辿り着いたようだ。

補) 「倭」 のよみについて: 先祖は 「イ」 であると書き残している。
   中国語の「倭遅」が語源で、もともとは 「夷」 または 「葦」 に由来し、後に 「一」 「市」 に書き換えられた。

<略>

補) 人数: 中国黄河(中原)文明とともに日本列島へ渡来した数千人の先祖のうち、斉人の数は出雲荒神遺跡から出土した銅器の数と同じである。

 すなわち、銅鐸6個は斉王とその妃。銅矛16本は王子(他1人は対馬海峡を渡る前に朝鮮半島南端で死んだので、王子は全員では17人)。

 銅鐸39個は神官。銅剣358本は従者 (他7人は朝鮮半島南端で死んだので、従者は全員では365人)。

 また、この他に兵士や工人、朝鮮半島に住んでいた東夷が大勢連れてこられた。

補) 居住地:縄文末期に周斉廟の宝物を携えて到来した斉王一族(田斉)の墓は、福岡県吉武高木遺跡である。

<略>


 ど~だしょ・・?・・紀元前220年ちゅうね・・まったくの同時期に斉王さんが・・しかも「芾(ふつ)」さんっちゅう王様がいらっしゃってね・・違う「徐福(徐芾)」さんとほとんど同じ人数でね半島経由で日本列島に来るなんちゅうね・・ことが有ると思う?

 つまり、もし荒木田氏の口伝が正しいなら、

「徐福は斉王の田市(田芾)」

ちゅうことになるのねんな~・・。


 自分の領地の「斉国」の山東半島から一族郎党で出航・・脱出したのねんからね~・・中国も徐福村が有ったと認めている正しい歴史・・とされている徐福の話とは全然違うだっしょ~?・・つまり、


 隋書東夷伝に書かれていた、

「日出づる処の天子、書を日没する処の天子に致す、恙なきや

の「倭が天子を名乗った根拠」が、ちゃんとここに有る


っちゅうこっちゃねん・・ 言っちゃえば戴いた方の日没する 処の天子さんも、そんなこたぁちゃんと知ってたのねん・・だから激怒したのねん・・だから結局、白村江の戦いになったのねん・・で、倭から日本になったのねん・・


 お~・・怖・・さぁ・・てと、ど~しよ~・・


ちゅうところで・・今回も時間切れなのねん・・またそのうち書くのねんで・・ね~・・バイナラ~・・アディオ~ス・・チャオ~!

大国主の国譲り






 今年も3月11日が来たのねん。5年前のあの日から、時が止まったままの人が沢山いらっしゃるのねん。地震だけならそれでも・・何とかね・・日本じゃぁ良くある自然災害だと諦めも付くかもしれん。地震からの大津波がね・・沢山の人を飲み込んだのは、まるで映画か海外の映像を見ているかのように・・ワシらもね~。

「・・あ、あの車、津波に飲まれそうだ・・そっちに行ったらいかん!・・山へ向かえ~!」

とかね・・。今もありありとあの光景を思い出すのねん・・


 そしてまた悪夢はまだ続き、原子力発電所の原子炉が暴走しはじめたのねん・・。今年になって東の電力会社はようやく、

「炉心溶融の基準を定めたものが有った」
「地震の2日後にはその状態にあった」

・・だったかね~。良く言うの~・・今更何を言っとるのかの~・・。誰だってあの発電所の大爆発を見たら、

「もう駄目だ!」
「炉心は逝った!」
「・・さぁ・・自分たちは大丈夫か?・・逃げるか?・・でもどこに逃げたら良いのか・・?」

 そう思ったはずなのねん。

 ファシレおじさんが知ってる外資系の会社のかなりの数が、東京から関西などに本社機能を移してたし、知り合いの外国人たちも相当数、日本を離れたのねん・・・彼らも日本に残って手助けしたい・・と思ってた部分もありつつも、本国の家族や親類に、

「何やってるんだ~!・・さっさと帰国しろ~!」

と・・言われたのねんよ。だから、勤めている会社を辞めてでも・・帰国する羽目になったのねんな~。・・そう。・・そしてそれからファシレはそれまで自分が持っていた常識では考えられん、とんでもないものを見たのねん・・。誰の常識でもそ~だろ~けんどもね~。


 5年経った今でも、見た目だけは少しは変わってきたようだし、福島の原発近辺ではとても無理だとしても、他の地域に移れば確実に生きることだけは出来るようにはなっとるのかもしれん。

 だけんども、生まれた土地、育った土地、先祖から受け継いできた土地を離れなければならん・・それも、地震や津波の二次災害として起こった、

「絶対に起きてはいけない・・・絶対に起きない」

と言われていた、信じ込まされてきた原発の大事故に起因しているのは、日本人がこの先何百年も背負わなければならん宿命になったのねんな~。

 国会審議を見とってもね・・まぁ・・全然まともな会話のやりとりが出来んお人を頂点にしたもんだから、そんな小学生並み以下の論理からの発露としか思えん内容だしね~。そして、経済最優先なのかもしらんが、先の首相たちが決めた「原発廃止の方向性」さえ、いつの間にか「原発再稼動最優先」になっとるしね~。

 そもそも、原発のコストは誰がど~考えても他の発電方式よりも高いことは自明の理なのねんが、

「原発を動かさないと日本はつぶれる」

そうなのねんで・・

 ちょっとばかり除染するだけでもう・・

2兆円!

近くも使っておいてね・・。まだまだど~にもこ~にもならんフクイチにどんどん金をつぎ込まなきゃならんしね~・・。すべて我々の税金から出るのねんがな~・・・。

「原発のどこが経済的なのねん!」


 まぁ・・・今回の話の本質はそこでは無いのんで端折るけんどもね・・。そんなこんなで生まれ故郷を離れなきゃならん者たち、そして「美しい日本」を汚し、何百年も掛かる作業を子孫に押し付け続けること、そして、原発事故を安全に収拾できる技術さえないのに原発を動かすという論理は、一体ど~考えりゃ~・・・良いのかの~・・。今もダダモレで放射能を吐き出させながらねん。

 まぁ・・どこかの国にミサイル一発喰らえば国ごとお陀仏な状況を憂いてるのねん・・。どうぞ撃ってくださいと言ってるようなものねん。


 ところでね~・・、前回は「国津神」について書いたのねんけんども、もうちっと進んでおかんといかんかな~と・・・言うこって、

「オオクニヌシ」と「スクナヒコ(ナ)」

 についてね・・書こうと思っとるばってん、前フリが長くて書き切れるかどうか不安になってきたのねん。


 大国主さんは皆さんもご存知でっしゃろ・・。前回のブログ記事の「国津神」の代表格・・でんがな。一般には「出雲族」として知られておるし、出雲大社に鎮座されとることもご存知でっしゃろ。

 でね・・国津神(クニツカミ・クヌツカミ)で狗奴国(クヌコク・クヌツコク)と同じだっちゅう前の記事を読んでいただいたのねんな~。

 だから、大国主さんもまさにその長なのねんから・・

「大・・(大きな)」
「国主・・(クヌ・ヌシ)」

だっちゅうことも判るよね~・・。

 まぁ、この場合の国主は
「クヌヅ」
だけんどもね~・・。

 坊主は「ぼうず」と読むだしょ?・・だから「くぬず」で、「大国主=おおくぬず」なのねん。

 しかもね・・大国主の出雲族は、

「クナトの大神」

が一族を引き連れて日本に来たのねんからね~・・。

 だから、この場合の「クナト」が「クヌツ」になって「大国主=オオクヌツ」」になり、「国津神=クヌツカミ」になったことも・・結構簡単に判るよね~・・・。


 まぁ、出雲族は「クナトの大神」が首長さんなのねんから、「大国主」=「クナト大神」は当たり前なのねんが、実はね~・・色々と調べるとね・・

「大国主は個人の名前では無く役職だった」

ことが判るのねん。

 でね・・大国主は、「向家(ムケケ)」と「神門臣家(カンドノオミケ)」の二家から、その時の状況に合わせて選ばれていた・・のねんな~。まぁ、向家は富家(トミケ)とも言うのねんが~・・ここは随分昔に書いたかもしれんの~・・。ダブってたらすまんの~。

 で、この出雲族が日本に来てからは、大国主が日本を・・いや、倭国かもしれんが、収めていたのねん・・・・それを、


「天神族・天孫族が出雲族を狗奴国と呼んだ」

っちゅうのんが、ど~やら真の歴史のようなのねんな~。

 だから、魏志倭人伝に書かれているようにね・・邪馬台国は狗奴国と争っていた・・しかも卑弥呼はその性で死んだかも~・・みたいなのは、あくまで、

「天神族・天孫族の視点である邪馬台国から見たもの」

なのねんな~。

 邪馬台国と狗奴国は何十年も争い、西暦250年頃にはさよちゃん卑弥呼が亡くなり、そしてまた荒れ、さよちゃんの宗女、トヨちゃんが立って一応落ち着いたと・・魏志倭人伝は書いたのねん。



 っつ~ことは・・ど~ゆ~ことかの~?何で落ち着いたのかの~?


 そう・・・それがね・・

「大国主の国譲り神話」

なのねんよ~。

 大国主は出雲の国を譲ったわけじゃぁ無いのねん・・その頃の影響を及ぼしていた全地域の支配権をね・・譲ったのねん。

「もう二度と口も手も出さんのんで~!」

と・・ね。

そこんとこがね・・ど~も皆さん、間違ってるようなのねんが、簡単に言うとね・・


「出雲神族のほぼ無条件降伏!」

なのねん。・・「ほぼ」と書いたのには訳があるけんども、実質は全くの「天神族・天孫族への降伏」でんな・・。この全面降伏によって、出雲神族による倭の統治は終了したのねんな~。

 まぁ・・大国主さんのことは、色々書きたいのねんけんどもね~・・このペースで書いとるとね・・とても一生では終わらんのねん。この間、本家の山田さんが、

「そろそろまた・・呼びますか~?」

と、コメントをくれたけんども、またさよちゃん卑弥呼を現世に呼べるのかな~?・・と。

 まぁ、ファシレもまた、初めてさよちゃん卑弥呼に聞き取りしたころよりは大分パワーアップはしとるけん、それは楽しみではあるのだけんども、

「何とか現在存在する証拠に繋がる情報を聞きだせるか?」

っちゅうところがポイントなのねんから、

「いかにも無駄に思えるような某大な知識が必要」

なもんでね・・・ちと自信が無いのねんな~。


 話しを戻すとね・・で、出雲神族による倭の統治は確かに終わったのねんけんどもね・・そして、その後は天神・天孫族へと引き継がれる訳だけんどもね・・実は・・・

「出雲族から天神・天孫族に移った者たちがいる!」

のねんよ~・・・。

 でね~・・・それがね・・

「少彦名」

 少名毘古那、須久那美迦微、少日子根 などとも書くらしいねんけんどもね・・まぁファシレは「スクナヒコ」だと思うけんどもね・・一般的には「スクナヒコナ」さんとされてるけんどもね~。

 そうなのねん・・・スクナヒコナさんがね・・・オオクニヌシを・・・


 って書いてしまうと違うのねん。スクナヒコナさんの影に隠れて・・・もしくは、そのように見せかけて・・、でも実際は・・


「・・・そうするしか生き残る道が無かった!」
「・・・そうするしか一族を守る方法を見つけられなかった!」


のねんな~。それほどね、天神・天孫族の攻撃は凄かったのねん・・。そしてここにも・・・誰かを守るためにそれがただ一つの道だと信じたのでっしゃろな~・・。・・いや、信じるしかなかったのかもしれんね・・。仲の良かった親族・友人には「裏切り者」と見られ罵られて、それでもね・・

「お前とお前の家族を守るためだ!」

と言う言葉を飲み込んで、生まれた故郷を離れ、それでも忘れず、影から支えることを選んだのねん・・。


 っちゅうところでね・・文字ばっかりですまんの~・・。また書くからね~・・バイナラ~!アディオ~ス!・・チャオ~!

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Author:NSY3
 何でこんなに判らんことが多いのかが良く判らん!その判らんことの答えを探して旅に出たつもりが、その答えも見つからんうちにもっと判らんことの答えを探す旅に出ることになっちまったい・・・
不徳の致すところでございます♪♪またまたどちらに「おでかけ・・レソか?」今回は夫玉を探しに・・、おっと~!違った、音霊を探しにおでかけレス!

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