実は・・行ったり来たりしてたのねんな~!






 539年に即位したとされてる欽明天皇(きんめいてんのう)さんは別名、志帰嶋天皇(しきしまてんのう)と言われたことを前回のブログに書いたのねんが、

「島に帰ることを志した天皇さん」

っちゅう名前をお持ちだったのねんな。


 でも、

「帰るっちゅうことは一旦行かにゃならん!」

っちゅうことが言えるはずなのねん。

 日本書紀も古事記も、その辺の単純な論理は・・きっとちゃんとはしてるのねん・・・っつ~ことは、行ったこともどこかに書いてるはずだよねん?


 24代の天皇さんとされてる方に「仁賢天皇」さんがいらしてね・・Wikiから引用させてもらうと・・

仁賢天皇(にんけんてんのう、允恭天皇38年 - 仁賢天皇11年8月8日)
は、古墳時代の第24代天皇(在位:仁賢天皇元年1月5日 - 同11年8月8日)。名は億計天皇(おけのすめらみこと)・大石尊(おおしのみこと)、意祁命・意富祁王(おおけのみこ)。諱は大脚(おおし)または大為(おおす)、字は
嶋郎(しまのいらつこ)
by Wiki


 この仁賢天皇さんは23代の顕宗天皇(けんそうてんのう)さんと兄弟とされててね・・逸話もかなり芝居染みたっちゅうか、ちいっと前に見てきたようなお話しを記紀は展開してくれてるのねんけんど、そりゃぁど~でも良くってね・・。問題っちゅうのんはもりろん・・うんにゃ、勿論、「赤字」の部分の

「嶋郎(しまのいらつこ)」

だしょ~な~。

 記紀を読んでも、何で「しまのいらっこ」っちゅうお名前になったのか、全く判らんしね~。先代の弟である顕宗天皇さんは来目稚子(くめのわくご)さんっちゅって、育ての親を想像させるようなものになってるのに・・「嶋」なのねんよ。第29代の欽明さんの「志帰嶋」さんと、ちゃんと・・

「行って来い!」


 の条件を満たすようなお名前になってるっちゅうこっちゃねんな。


 でも、

「・・名前だけじゃぁね~・・せめて状況証拠でも無いとね~!」

と言われるのがオチ・・。


 ・・だけんどもね・・ちゃんと色々と調べるとね・・


「仁賢天皇さんは列島を離れて百済国に行った!」

 ・・かもしれん・・・っちゅうか、それしか考えられんようなことになってるのねんな~。


 前にも百済の武寧王さんの話しはしたと思うねんけんども・・一度書いておこうっか?


武寧王(ぶねいおう、462年 - 523年)
は、百済の第25代の王(在位:502年 - 523年)。『三国史記』百済本紀・武寧王紀によれば先代の牟大王(東城王)の第2子であり、諱を斯摩、分注では隆とする。
 『梁書』では余隆(徐隆)(余(徐)は百済王の姓)、『日本書紀』雄略天皇紀5年条では、加須利君(かすりのきし、第21代蓋鹵王)の弟の軍君昆伎王の子、名を嶋君とする。
 また、武烈天皇紀4年条では『百済新撰』の引用として、末多王(東城王)の異母兄の混支王子の子、名を斯麻王、としながらも、「末多王(東城王)の異母兄というのは不詳であり、蓋鹵王の子であろう」としている。『三国遺事』王暦では『三国史記』と同じく、諱を斯摩とする。
 旧都漢城(ソウル特別市)を高句麗に奪われ混乱した百済の安定を回復した王とされる。
by Wiki



 そう・・・武寧王さんも「嶋」さんなのねん。462年の生まれっちゅうのんは、実際に韓国で古墳と墓誌が発見されとるのんで、間違いないとされとるのねん。日本の島、カカラ島で誕生したもんで、百済に引き返したっちゅう話しが紀に書かれとるのねんな・・。

 まぁ、引き返したなら列島におらんことになってるのねんけんども、その辺が「紀の書き方」っちゅうか、ヒントっちゅうか、ワナっちゅうかね~・・。何しろ日本書紀じゃ、武寧王さんは混支王さんの父である蓋鹵王(がいろおう)さんの子っちゅうことになってるしね~。グチャグチャにしてあるのねん・・。


 仁賢天皇さんは449年の生まれ、498年9月10日に崩御されたことになっててね・・天皇在位は488年1月5日~498年8月8日とされてるのねん。

 だから、もし同一人物だとしたら、

「生まれ年が違う!」

っちゅうことになるのねんけんど、武寧王さんとはたったの13年早いだけなのねんな。


 でねでね・・498年に亡くなられたとされてるけんども、じゃぁ・・武寧王さんの即位は502年・・。先代の「末多王(東城王)」さんが悪い奴になってしまってね~・・臣下に刺されて死亡したことになってるのねん。


 つまり・・列島にいらした仁賢天皇さんは、488年から498年の11年間、天皇さんであって、その後半島に渡り、502年から523年まで百済王だった・・と読めるのねんよ。

 でねでねでね・・その、父親ともされる先代の東城王さんは昆支(徐昆支)の子とされててね・・そう、昆支さんは前にも出て来たよね~・・・継体大王のとこでね(・・そこも読んでおいてね)~・・、諱(いみな)をね・・

牟大(モデ)
摩牟(マモ)

と言われるのねん・・。


 じゃぁ、嶋郎の仁賢天皇さんの諱は?・・っつ~とね・・

大脚(おおし)
大為(おおす)


 つまり・・

「牟(むだい)の息子 ≒ 脚(おおし)」


っちゅうことになるのねんな~・・・。しかもね、武寧王さん・・ある説じゃ41歳に至るまで日本に住んでいたっちゅうことも言われてるしね~。ものの見事に・・論理的なのねんよ・・ね~・・判るよねん?


 記紀は、

「百済の人質のxxx王を・・」

 みたいな書き方を延々としとるのねんけんど、

「475年に百済が滅んだが雄略天皇は任那から熊津を割譲して復興させた」

kumatsu.jpg

 熊津は赤いところだんね~!


とか、上の地図の国道15号の辺り一帯がそうなのねんけんども、前回記事のように512年の百済に対する任那4県割譲も認めてるのねん。その後にももう一度ね~・・。



kumatsu01.jpg

 赤いラインのほぼ内側全部が512年以降の割譲地域だんね。

 つまり、475年に百済は一度完全に滅んだと・・・その後に任那から熊津を分けてもらって再興したっちゅうことだけんども、割譲されたのは事実だとしても、割譲してくれたのは誰なのかね~・・。


 ま、でもつまり、475年以降の百済の領地は、一時的にせよ、ほぼ任那、加羅、南倭の割譲地域プラスアルファ程度しかなかったのねんよ・・。

「人質って~・・敵国から取るんじゃぁ無いのん!?」

って思うだしょ~?



 つまりね~・・400年代~600年代に掛けての記紀の記述は、ヤマト=百済だっちゅうことなのねんな~。大和地方に住み、かつ、百済にも住んでいた人々が記紀の言う日本だっちゅうことなのねん。

 じゃぁ・・それが本当かどうかっちゅう部分が重要なのねんけんども、後世の書き換えがかなり認められるとしてもね~・・大枠では・・っちゅうか、結果的には・・っちゅうか、桓武天皇さんの頃の真実の姿を見るなら・・合ってることになるのねん。まぁ・・まだ書ききれてないことが山ほどあるけんどね~。

 大体ね~・・大和をヤマトとは・・読めんだしょ~?百済をクダラ、クタラとはどうにも読めん・・女子高生と書いて16歳と読む・・みたいなもんだしょ~?有りえん読みなのねん。

 じゃぁ~、ど~ゆ~ことかっちゅうと、大和は大倭(だいわ、たいわ、たいい)なのねんよ。倭国(わこく・いこく)の名前でんな~。白村江の戦いの後、倭国が立ち行かなくなってヤマト朝廷・日本が出来たのねんが、倭国を継承しつつ、違う国とも見せたいもんで、大和地方(やまとちほう)に都を持つ朝廷が、倭(わ・い)を「やまと」と読み、大倭を大和に変更してまた「やまと」と読ませたのねん。そして記紀もそ~ゆ~ふ~な立場で書いたのねんな~。

 百済も結局、クダラっちゅう言葉が最初から列島に有ったのねんよ・・。それは・・狗奴国(くなこく)・・でんな~。卑弥呼さんの邪馬台国と争ってた、あの狗奴国でんがな~。

 何とか「羅(ラ)」っちゅうのんは、国とか地域っちゅうことなのねん。加羅とか多羅と同じなのねん。徐氏の住む地域のことを狗奴羅(くなら)っちゅうたのねんな~。「くなら」が「奈良(ナラ)」にも「百済(クダラ)」にもなったのねん・・。奈良は狗奴羅の頭が落ちただけ、クタラ・クダラはクナラが訛っただけなのねん・・。それに新羅語だと「ナラ」は国の意味だそうなのねん。半島に百済を建国してそっちじゃ「ぺくちぇ」と読んでも、列島にゃ列島の読み方が有っただけなのねん・・読み方・呼び方が有ったもんで地名もできたのねん。川もありゃ~・・宮の名前にした・・なもんで、列島じゃ「クナ、クナラ」が「クタラ・クダラ」に、中国は当て字して「狗奴國(クナコク)」ちゅう・・ことになったんやね~。

 っつ~ところで・・時間切れ~・・。ま~・・こうやってね・・記紀のヒントで解き明かしたところで、もう答えはわかっとるのねんで・・しかも、解いたところでそこが後世の書き換えられた部分だったら意味無いもんで・・何しろ「倭の歴史」と言いつつも、それだけは後世に全く伝わってないことだけは確かなのねん・・99%隠されてしまったのねんよ。なんか、記紀の裏解説になってしまってるのが残念なのねん。だけんどもそれでも現状はさしたる影響も無い・・大体にしてファシレのおじさんもおそらくその子孫やけんな~!・・全く以って大したことが無いのは見えてるのねん!・・じゃ~またね~・・アディオ~ス!バイナラ~!
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