不比等ちゃんは言葉遊びがお好きなのねん!






 実際、非常に・・不思議なのねんな・・。皇大神宮(内宮)の千木(チギ)は女もの・・外宮のそれは男ものだしね・・。実際に本当かどうかは見たことが無いのんで知らんけんども、皇居内の神殿には、内宮の神さんよりも上席?にいらっしゃる神さまもいらっしゃるらしいしね~。良く判らんこっちゃね~。

 すっかり天照大御神さんは女性だと信じ込まされてるけんど、外宮の豊受大神は女性と伝わり、男ものの千木・・。ん~・・・すっかり天照さんの話しに誘導しちゃってるけんども・・何だかな・・今ひとつ、気持ちが乗らんの~。


 前回の記事で「阿毎多利思北孤はアメタリシヒコでいいのん?」と書いて、 「あ め と り す ひ こ」と読んで・・「天テル推古」とまで書いたけんども・・全く反応が無いのんで、ちょっと引かれちゃったのね~?・・と思ってるのねんが、

「余りに低いトーンの言葉で書いたもんで、良く伝わらなかったのねんか~?」

とも・・ね~。


 自分でしっかり呆けて、突っ込みも自分で・・ってことなのかな~?と思うけんど・・、ま、いいか~!

 つまりね・・


「阿毎多利思北孤はアメタリシヒコじゃなくて ア マ テ ラ ス ヒ コ 」

なのねんな・・。

 天照も天足も天帯も・・読み方が若干違うだけ・・結局は同じなのねんよ。天足・天帯よりも天照の方が佳字っちゅうことやねんな。漢字の当て方で印象は変わるけんどね・・。で、そのアマテラスヒコさんが600年頃にもいらっしゃったと・・存在したということなのねんな~。それに、テラスヒコだろ~がタラシヒコだろ~が・・どっちでも良いのねん・・。同じなのねんよ~。


 ところで、皇統が途切れずに、ず~っと続いていたことにはなってるけんども、実際はど~なのかと言うとね・・現実はかなり厳しいのかもしれんね~。もっとも日本人はそれでもず~っと続いてきたのねんから、皇統がどこかで断絶したとは・・言い切れんしね~。

 例えばね・・初代の天皇さん・・っちゅうことになってる神武天皇さんから始まって、今上天皇さんは125代・・・中国の皇帝さんも羨んだとも言われてるけんどもね・・。凄く長く続いてるのねん。

 でも、どこかでやっぱり危機は有ってね・・。「どこそこからxx天皇の5世の子孫を連れてきた」なんて記事も記紀には書かれてるのねん。取り繕ってはいるけんども、そんなことも隠そうとはしてないのねんな。

 それにね・・古代史が好きだったり、神社やお寺、スピ系の方々もそうかな?・・そんな場合はご存知だと思うけんども・・


「記紀を読んでると、日本のことを書いてあるはずなのに、いつの間にか半島人の気配がぷんぷんしてることに気付く」

っちゅうことでんな~。・・そう・・思うだっしょ?


 奈良にも大阪にもね・・「百済」と付く地名やら川やら・・沢山あるのねん。天皇さんの中には百済宮にいらした方とか、お寺さんとかね・・。そりゃぁ、どこか僻地にでもあるならね~・・例えばそのころの東国とかね・・それなら、

「あ~・・戦いに負けて列島に逃れ、入植したのねんか~?」

と思えるのねんけんども、百済王(くたらのこにきし)さんというお名前とかね・・そんなお方が不比等ちゃんの家系としっかり結びついてるしね~・・。しかも、その頃の都の近郊、もしくはそのものなのねんから・・。

 それにね・・その頃の「やまと(倭・和など)」氏とか、「あすか」が付くお名前の方々は、ほぼ全てが半島からいらした方々なのねんよ。

 一般常識じゃぁ、「やまと」とか「あすか」とかと聞けば、純粋に日本を想像してしまうと思うけんどもね~・・。これって・・ど~ゆ~ことなのかと、不思議にはならんかの~・・。


 例えばね・・継体天皇さん・・というお方がね・・いらして、どんなお方かと言うと・・


継体天皇(けいたいてんのう、正字体:繼體天皇、允恭天皇39年(450年?) - 継体天皇25年2月7日(531年3月10日?))は、日本の第26代天皇。在位は継体天皇元年2月4日(507年3月3日?) - 同25年2月7日(531年3月10日?)。

 諱はヲホド。『日本書紀』では男大迹王(をほどのおほきみ)、『古事記』では袁本杼命(をほどのみこと)と記される。また、『筑後国風土記』逸文に「雄大迹天皇(をほどのすめらみこと)」、『上宮記』逸文に乎富等大公王(をほどのおほきみ)とある。 なお、隅田(すだ)八幡神社(和歌山県橋本市)蔵の人物画像鏡銘に見える「孚弟王(男弟王?)」は継体天皇を指すとする説がある。別名として、『日本書紀』に彦太尊(ひこふとのみこと)とある。

 『古事記』、『日本書紀』によると継体天皇は応神天皇5世の子孫であり、父は彦主人王である。近江国高嶋郷三尾野(現在の滋賀県高島市あたり)で誕生したが、幼い時に父を亡くしたため、母の故郷である越前国高向(たかむく、現在の福井県坂井市丸岡町高椋)で育てられて、男大迹王として5世紀末の越前地方(近江地方説もある)を統治していた。

 『日本書紀』によれば、506年に武烈天皇が後嗣定めずして崩御したため、大連・大伴金村、物部麁鹿火、大臣巨勢男人らが協議した。
<略>
 越前にいた応神天皇の5世の孫の男大迹王にお迎えを出した。男大迹王は心の中で疑いを抱き、河内馬飼首荒籠(かわちのうまかいのおびとあらこ)に使いを出し、大連大臣らの本意を確かめて即位の決心をした。翌年58歳にして河内国樟葉宮(くすばのみや)において即位し、武烈天皇の姉(妹との説もある)にあたる手白香皇女を皇后とした。



Statue of Emperor Keitai

by WIKI


 つまりね・・25代の武烈天皇さんに子供や兄弟、先代も含めて天皇にふさわしい方が誰もいなくなったので、重臣たちが協議して、

「越前にいらした応神天皇の子孫を迎えた」

っちゅうことでんな。

 確かに日本書紀には「越前」と書いてあるようだけんども、まだそのころは「越前」は無いのねんな。「高志」と書いて、「越」の意味・・で「こし」・・でんな。

 ずいぶん後になってから、ご丁寧に「高志・越」を「越前(えちぜん)」と書き換えたのでっしゃろ。その方が後世の方々に判りやすいとね~。ほんと、余計なことをしてくれるものねんな。WIKI にも、

7世紀末の689年-692年(持統3-6年)頃高志国(こしのくに)が高志道前・高志道中・高志道後の3国に分割された

と書かれてるしね・・。ちょうど、日本書紀を書いてる真っ最中でんがな~。


 でねでね・・。応神天皇さんの5世のご子孫が高志国(こしのくに)にいらしてね・・、大臣・大連たちがお迎えに上がり、何とか即位を了承してもらってね・・河内だから大阪でっか~?・・ご即位されたのねん・・目出度し目出度し~!・・いつもより余計に回しております~!・・・・・・ちゃうって!


 本当に高志にいらしたのかね~?・・っちゅうことでんがな。「こし」の国にいらしたってことを日本書紀は書いてるけんど、どうもね・・信じられんのよねん。

 どこかで、半島勢力と倭の勢力が一緒にならんとね・・その後の「あすかさん」や「やまとさん」が存在しえんし、百済宮も川も地名もね・・あり得んのねんよ。

 でねでねでね・・ちら~っと・・調べてみるとね~・・。判っちゃったのねんな~。まぁ、不比等ちゃんのオツムの回路とファシレのおじさんのは似てるのかも知らんね~!



 つまりね・・「こし」は「こし」でも「こし違い」なのねん。

 なんのこっちゃ!・・でんがな。・・百済の王様にね・・こんなお方がいらしたのねん。

東城王(とうじょうおう、生年不詳 - 501年)は百済の第24代の王(在位:479年 - 501年)である。『三国史記』によれば、諱を牟大(徐牟大)、あるいは摩牟(徐摩牟)とし、第22代の文周王の弟の昆支(徐昆支)の子とする。

『三国史記』では三斤王が479年11月に死去したので王位についたとするだけであるが、『日本書紀』雄略天皇23年(479年)4月条では、「百済文斤王(三斤王)が急死したため、当時人質として日本に献上され、滞在していた昆支王の5人の子供のなかで、第2子の末多王が幼少ながら聡明だったので、天皇は筑紫の軍士500人を付けて末多王を百済に帰国させ、王位につけて東城王とした。」と記されている。
by WIKI



 そ~なのねん・・赤字のところを良~く見てもらうとね・・「当時人質だった」の当時は西暦で479年~480年でっしゃろ?
そしてね・・「昆支王の5人の子供」のうち、1人はね・・百済の王様になったのねん。

「じゃぁ・・残りの4人は?」


「継体大王さんの即位は507年3月3日だすねん!」

「昆支王さんは、こんきおう さんと読むけんど普通に読むと?・・こ(ん)しおう・・高志王!」

「継体大王さんのお名前は男大迹(をほど)、東城王さんは徐牟大(よむだ)?」
 



 ありゃりゃのりゃ・・こんなんなっちゃいますた・・兄弟は名前も似てるのですた・・・それにしても不比等ちゃんは言葉遊びがお好きであられるのですた~・・あ、いかん、どこかのふんどし締めた年寄りのフリしてたおっさんみたいになっちゃいますた・・(ごめん)。・・・っつ~ところで時間切れ~・・・何だかな~・・この調子で書かなくちゃならんのかな~?と思うとちと憂鬱なのねんが・・がんばります~・・さ~・・ど~やってアマテラスヒコさんとくっつけるか・・もとい、こっちの話し~!・・じゃまたね~!



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No title

なんだろ、同日投稿。そろそろ本格的に変えてゆきますか。

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No title

漢字の書体や読みは、北京語読みと香港や南中国で使われている読みではちょっと違いますよね。
アマテラシヒコは香港読みだと、アーメイドウレイシーヴァグウ、つまり天と地を結ぶシバ宮と読めませんか。天照大神も音読みにすると、天と地を統べるAUM神となつので、天孫降臨神話からして、アマタラシヒコは、大日如来(ビシュヌ)の孫であるシヴァのポジションだったのでは?

No title

あれれ、なんか投稿しにくいです。
コメント少ないのは、そのせいでは

No title

推古って水宮のことなら、大日如来、つまり宇宙の中心を名乗っていたのでは?

広東語読みだと、火はフォー、歌がゴー、古はクーとかグーと読めますよね。

古事記って高志記とは、、、、ならないですよね。

Re: No title

あいちゃん さん

いつもコメント、有難う御座います~・・返信を一緒にしちゃいましたがよろしくです~。

> 漢字の書体や読みは、北京語読みと香港や南中国で使われている読みではちょっと違いますよね。
> アマテラシヒコは香港読みだと、アーメイドウレイシーヴァグウ、つまり天と地を結ぶシバ宮と読めませんか。天照大神も音読みにすると、天と地を統べるAUM神となつので、天孫降臨神話からして、アマタラシヒコは、大日如来(ビシュヌ)の孫であるシヴァのポジションだったのでは?

 そうですね~・・読めないことは無いですが・・姓はアメ(マ)、名を・・と書かれてますからど~でしょうか・・。また漢字自体に意味があるのか・・、音に漢字を当てられた時期と、書き換えられた時期にも寄っちゃいますんで、難しい問題っすね~・・。その時代、外国人同士で話しをして、その音を聞いて自分たちの文字にしたはずなんで・・。中国も地方毎に言葉は違うし発音も・・それに四声もあるのんで・・。記紀に書かれていないことや創作されていることを考えると、想像を膨らまさないとど~もならんですが、ある程度は証拠が無いと・・。で、今んところは、単純に現在の発音を当てて、色んな文献の記述と合うかどうかを見てます~。これからインド、イランとも繋がってく記事を書くように繋がって行くんで・・よろしくです~。


> あれれ、なんか投稿しにくいです。
> コメント少ないのは、そのせいでは

 ?・・そうなんすか・・なんでだろ~・・どんな感じですか~?

> 推古って水宮のことなら、大日如来、つまり宇宙の中心を名乗っていたのでは?
>
> 広東語読みだと、火はフォー、歌がゴー、古はクーとかグーと読めますよね。
>
> 古事記って高志記とは、、、、ならないですよね。


 古い時代も含め日本人がそんな風に読める・・のが重要かな~と思ってます~。そしてそれが記紀以外の記事、できれば海外のものとマッチするかどうか・・?最新記事も中々の線だと・・思ってますが~・・どんなんでしょ~?

 またコメントくださいね~。有り難うございました~。

Re: No title

> なんだろ、同日投稿。そろそろ本格的に変えてゆきますか。

よろぴくです~
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 何でこんなに判らんことが多いのかが良く判らん!その判らんことの答えを探して旅に出たつもりが、その答えも見つからんうちにもっと判らんことの答えを探す旅に出ることになっちまったい・・・
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