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ほんまに「アメタリシヒコ」で・・ええのん?






 まぁね~・・まさか2日連続で更新があるなんて、だぁれも想像してへんと思うけんね~・・。ファシレのおじさんは天邪鬼なもんで、

「期待を裏切る!」

っつ~ことに、ちょっと何かを感じてしまっているのかもしらんね~。すまんね~!


 こんな先の見えない時代やから、取り合えず・・さっさと書いておかないといかんのかな~・・という気もするし、何もそんなに急ぐこともなかろ~に・・とも思うけんどもね。


 実はシツコクって申し訳無いのねんが、結局は~隋書の「阿毎多利思北孤・阿毎多利思比孤」の話しなのねんな~。何しろ・・記紀は全く当てにはできんのんで~。

 まぁ、誰しもが、

「姓は阿毎、名を多利思北孤と号す」

を、

「姓はアメ、名を タリシヒコ と号す」

と読むことに何の疑問も無くてね・・・

「ん?・・アメタリシヒコ・・・・天足彦に決まってんじゃん!」


と、全く信じ込んでしまってるのねんな~。・・・まぁ、別に構わんけんどね・・その方が世の中は安定するのかもしらんしね、いや、そうじゃないぞ~!と頑張ったところで、余り意味は無いとは判ってるのんで・・でもそれでも書いちゃうのんが悲しい性(サガ・・ね)なのねんな~。

 じゃぁ、隋書にはど~・・書かれてるか、もう一度見てみよっか。

開皇二十年 倭王姓阿毎 字多利思北孤 號阿輩雞彌


 ま、こんだけ・・で、今回さらには「俀王姓阿毎 字多利思北孤」だけ・・なのねん。じゃぁ・・普通に訳してみよ~っか。

 開皇二十年 俀王 (わおう・ たいおう )の姓は 阿 毎 ( あめ ) 、 字 ( あざな ) は 多利思 ( たりし ) 北孤 ( ほこ ) 、 阿輩雞彌 ( あふきみ ・おふきみ) と号す。

 ファシレのおじさん的には阿輩雞彌は「おおきみ」では無いはずと・・何度も書いてるから、今回はもう書かんのねん・・・前の記事を読んでいただければすぐに判るのねんから・・。それに 北孤 ( ほこ ) の「北」は「比」の写し間違いの可能性が有ってね、「比孤(ひこ)」かもしれん・・っちゅうことは判るよねん?

 でね、阿 毎 は取り合えず・・「あめ」にしといて良いかもしらんけんど、現代の中国語でどんな発音になるのんか、しらべてみたのねんよ。この時代の倭で使用する漢字は当て字だし、発音したものを隋の聞き取り者が文字に起こしたと考えられるのんでね~。

a-  mei duo- li` si-  bei gu-
阿 毎 多 利 思 北 孤


 これを実際の発音に近い形で日本語で書くとね・・・


あー めい とぅお りー すー びぃ くー

 「北」を「比」に変えると・・

あー めい とぅお りー すー びー くー

と、あんまりは変わらんけんどね~。


 でねでね・・。・・これが「あめたりしひこ」と言ってるかどうか・・だよねん?

 判り易くするために、伸ばしてる部分を外して比べてみると・・


あ めい とぅおり す び く


 ・・・これって、アメタリシヒコって言ってるかぁ?


 ま、ね~・・・それでも良いんだけんどね~・・それで済ましちゃうのんは、不比等ちゃんに適わんかったと・・倭人の真実が掴めんのんじゃぁないかと、残念な気持ちになってしまうのんで~・・ファシレのおじさん的には、こんな風に言っているように思うのねんな~。

「 あ め と り す び く」


 そ~!・・あめとりすびく・・なのねんな。・・でもそれじゃぁ何のことだか。さっぱり判らんよね~。だから・・今までこのブログの記事に出てきたお方から、近い発音のお方を引っ張ってくると~!


「阿倍鳥臣」(あべのとりおみ)さん


 そう・・阿倍氏なのねん。阿倍(あべ)は「あび」「あへ」「あえ」「あめ」に通じるのんし~ね・・。

 で、彼の名前は、「阿倍鳥子」(あべのとりこ) とも 伝わってるのねん。でも・・「鳥子」を「とりこ」と・・読まなくても・・良いよんねん?

 「子」は「こ」と読みはするけんども、「す」とも読むのねん。


 だから~・・


「 あ め と り す び く」 は・・「あめとりす」+「びく」だしょ?・・「阿倍鳥子」は「あべとりす」だしょ?・・プラスの「びく」が「日子ひこ」なら・・・

「あべとりすびこ」

だしょ?

 阿倍が天、もしくはアメと読まれていたとしたら・・もしくは、後々の改変で「天を阿倍」にされていたとしたら・・・濁音を好まないこのころの清音に直したとしたら・・

「 あ め と り す び く」 = 「 あ め と り す ひ こ」

 になってしまうのねん・・な~・・残念~!


 でねでね・・このお話しは西暦600年のことなのねんよ。隋のお方を倭に迎えたのねん。で、記紀によるとね・・このときの天皇さんは・・いや、まんだ天皇さんとは言わずに大王さんだったはずだけんども、

「推古天皇さん」


 あの有名な女帝さんでんな~。女帝なだけに、この西暦600年の話しに「アメタリシヒコ」が男のはずが・・っちゅうことで、未だに大混乱しとるのねん。


推古天皇(すいこてんのう、欽明天皇15年(554年) - 推古天皇36年3月7日(628年4月15日)『古事記』では戊子年3月15日)は、
 第33代天皇(在位:崇峻天皇5年12月8日(593年1月15日) - 推古天皇36年3月7日(628年4月15日)36年、『古事記』では37年)。日本初の女帝であると同時に、東アジア初の女性君主である。諱は額田部皇女(ぬかたべのひめみこ)。和風諡号は豊御食炊屋姫尊(とよみけかしきやひめのみこと、『日本書紀』による。『古事記』では豊御食炊屋比売命という)。『古事記』ではこの天皇までを記している。
by WIKI


 そう・・推古天皇さんがご存命の時は、「すいこてんのう」さんとは呼ばれんかったのねん。大抵・・「豊浦宮御宇」みたいに、宮の名前を書くことで・・済ませてたのねん。それが大王さんを敬うことだったのねんな~。

 ま、だから、額田部皇女(ぬかたべのひめみこ)さんとさえも言われもせんかったのねんで、ましてや「推古天皇さん」などとは絶対に・・言われなかったのねんよ。


 じゃぁ・・誰が「推古」さんの名前を付けたかっちゅうとね・・この人だんね。

Oumi_no_Mifune.jpg
Wikiから拝借してます~

淡海 三船(おうみ の みふね、養老6年(722年) - 延暦4年7月17日(785年8月30日))
 は、奈良時代後期の皇族・貴族・文人。はじめ御船王を名乗るが、臣籍降下し淡海真人姓となる。大友皇子の曽孫。式部卿・葛野王の孫、内匠頭・池辺王の子。官位は従四位下・刑部卿。勲等は勲三等。

 また、『釈日本紀』所引「私記」には、三船が神武天皇から元正天皇までの全天皇(弘文天皇と文武天皇を除く)の漢風諡号を一括撰進したことが記されている。
by WIKI


 っちゅうことになっとってね~・・淡海 三船さんが色々考えてね・・様々な空気を読んで~・・名前を付けさせていただいたのねんな。それで

額田部皇女さん=豊浦宮・小墾田宮=推古天皇さん

っつ~ことになったのねん。


 でねでねでね・・・「推古 すいこ」 なんて・・あんまり女帝さんらしい名前じゃぁ無いし、天皇さん・・大王さんらしくも無いよね~?

・・「古(いにしえ?)を推す(おしはかる?)」

 変だしょ~?・・


 つまりね・・「すいこ」に近い音を、600年頃の天皇さんに・・どうしても付ける必要があったのねんよ。判るよねん?・・ん・・判らん・・?そっか~?


 じゃぁ・・もう一度、さっきのを引っ張ってくるんでね・・見てみてね・・

「 あ め と り す び く」 = 「 あ め と り す ひ こ」


 判ったよね・・・そう・・最後の文字「 す ひ こ 」 ・・・を持ってきたのねん・・。でね・・阿倍鳥子日子さんの名前を 阿倍鳥 にしたのねんよ・・「子日子」の部分が・・「すひこ」なのねん。

 隋書に書かれてる西暦600年の内容を見て、

「こりゃ~まずい・・何とかせんと・・」

と、ご先祖の秘密を守りたい方々(・・・ま、誰かはもうバレバレだけんども)が、隋書をど~んな風に読んでくれても良いようにね・・・周りの環境を整えたのねん。当時の倭の大王としたのが男帝の名前なのに、女帝の名前だとしても、

「すひこ」

が入ってれば何とかなるかぁ?・・と思ったのかもしらんね~。隋書の「阿 毎 多 利 思 比 孤」の文字を見たときは皆さん・・びっくりなさったのねんな~・・きっと~!で、「思 比 孤」から「 し い こ 」 を何とかしたのねん。


 「推古」の「推」は、普通は「すい」と音読みするのかもしらんけんど

「しい」

とも読めるのねんよ。これだと全くの・・タリ「シヒコ」だんね?少なくとも・・「天テル推古」と読ませたかったのかな~と・・そりゃぁ・・そんな、何重にも罠を仕掛けてありゃ間違えるよな~ふつぅ~・・。


 でも幸いにもね・・・アメタリシヒコと読むことに、誰も疑問を持たなかったもんで~・・・っちゅうことでっか~?・・ま、阿 毎 多 利 思 北 孤 は阿 倍 鳥 推 古 っちゅうことで~!・・あ、でも・・これはファシレのおじさんの戯言(されごと)なのねんよ~。ちょっとオツムの変な人が誇大妄想しとる話しっつ~だけなのねん。何しろ推測に推測を重ねて推敲しとるだけなんで~。推古天皇さんだけに~・・。これが正史だなんて、自身でも思ってないのよ~。そこんとこは重々承知でね~。良い子は決して信じちゃいかんのよ~。判るよね~?・・・っつ~ところで・・・残念ながら時間切れなのねん!・ほんまに残念でんな~!またまたその内にね~・・書くからね~!ではバイナラ~!アディオ~ス~!チャオ!またね~!

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