前世?






 ま~・・現日本人の大半は、何パーセントかにしても藤原氏の血を受け継いでるらしいのんで、倭人の話しなのか何なのか・・・判らんようになってしまうのねんが、例えファシレのおじさんの前世が不比等ちゃんだったとしても、そんなことは全く覚えてないし、男なんぞ結局意味が無いのんで~・・男系の血の継承がどうのこうのとわめいたところでね・・空しいだけなのねんよ。

 改めて飛鳥時代から平安時代の歴代天皇さんを見れば、この国が女帝の国だったか・・、乱れれば乱れるほど・・そして隠してもこの状態だったっちゅうことが判ると思うのねんな~。

飛鳥時代
第33代 推古天皇(592-628)
第34代 舒明天皇(629-641)
第35代 皇極天皇(642-645)
第36代 孝徳天皇(645-654)
第37代 斉明天皇(655-661)
第38代 天智天皇(661-671)
第39代 弘文天皇(671?-672?)
第40代 天武天皇(673-686)
第41代 持統天皇(686-697)
第42代 文武天皇(697-707)

奈良時代
第43代 元明天皇(707-715)
第44代 元正天皇(715-724)
第45代 聖武天皇(724-749)
第46代 孝謙天皇(749-758)
第47代 淳仁天皇(758-764)
第48代 称徳天皇(764-770)
第49代 光仁天皇(770-781)

 そして倭国・倭人を考える上で7~8世紀の最大のキーマンが不比等ちゃんなのねんが~・・中々尻尾を出してくれんのんで苦労せにゃならんのねん。難しいでんな~・・ほんまに~。


250px-Kamo-wakeikazuchi-jinja18n4272.jpg
WIKIからお借りしました~。


 美しい楼門でんな~!写真の腕も良い・・きっとカメラも後世能に違いないのねん・・。因みに前回のブログの写真とは違う神社だけんど・・とっても関係が有ると思われる神社ではあるのねん。

 この写真は京都の通称「上賀茂神社」、正式には「賀茂別雷神社(かもわけいかづちじんじゃ)」というねんで~。

by WIKI
賀茂御祖神社(下鴨神社)とともに古代氏族の賀茂氏の氏神を祀る神社であり、賀茂神社(賀茂社)と総称される。賀茂神社両社の祭事である賀茂祭(通称 葵祭)で有名である。

 そう・・そんなもんで・・前回の記事の写真は通称「下鴨神社」、正式には「賀茂御祖神社(かもみおやじんじゃ)」の西本殿だったのねん。

1280px-Honden_of_Kamomioya_Jinsha_(43).jpg
これこれ~!
 何か、とっても異次元ぽい・・感じだよね~。

 でね・・・、この2つの神社・・いや、河合神社とかの摂社も含めるべきなのかもしらんけんども、上賀茂神社も下鴨神社も、元々はひとつの神社だったと伝えられてるのねん・・。事情が有って、時の権力によって分割されたらしいのねんな~。

 なんでこんな神社の話しをするかっつ~とね・・・、この神社はどうやら不比等ちゃんの事績の集大成として創られた可能性があるのねんな・・。

 まず・・下鴨神社なのねんが、東殿に玉依姫命 (たまよりひめのみこと) - 賀茂別雷命(上賀茂神社の祭神)の母、 西殿に賀茂建角身命 (かもたけつぬみのみこと) - 玉依姫命の父 が祀られてるのねん。

 そして、上賀茂神社には当然ながら賀茂別雷大神(かもわけいかづちのおおかみ)でんな。

 で、この二つの神社は元は一つだったと・・なので~・・子供の賀茂別雷さんから見ると、賀茂建角身さん(祖父)と母の玉依姫さん、そして自分と、三代に渡って祀られてる神社だと言うことが判るのねん。・・ま、ダレでもそんなことは判るのねんで、

「賀茂氏(加茂氏)の神社だよね~!」

と・・ね~。


 でもね~・・、事はそんなに単純じゃぁ無いのねんよ。そりゃぁ賀茂氏の氏神を祀ってるのは間違い無いのかもしらんけんども~・・・実は・・不比等ちゃんは「賀茂氏」・・なのねん。判るよね~?・・ん?判らん~?


妻:蘇我娼子または媼子 - 蘇我連子の女
長男:藤原武智麻呂(680-737) - 南家祖
二男:藤原房前(681-737) - 北家祖
三男:藤原宇合(694-737) - 式家祖

妻:五百重娘 - 不比等の異母妹。もと天武天皇夫人
四男:藤原麻呂(695-737) - 京家祖

妻:賀茂比売 - 賀茂小黒麻呂の女
長女:藤原宮子(683?-754) - 文武天皇夫人、聖武天皇母

妻:県犬養三千代(橘三千代) - 県犬養東人の女
三女:藤原光明子(安宿媛、藤三娘)(701-760) - 聖武天皇皇后(光明皇后)、孝謙(称徳)天皇母
by Wiki



 これも前回の記事に記載したけんどもね・・・そう・・蘇我氏の娘さんも妻だけんども、賀茂氏の姫も妻なのねんよ。・・・つまり、不比等ちゃんが賀茂氏の出ではないとしても、賀茂氏に婿入りした形になってるのねん!だから・・少なくとも賀茂氏から見たら婿であることは間違い無いのねんな~。

 で、不比等ちゃんが氏神たる賀茂神社にどんな仕掛けをしたかっちゅうとね・・・あ、もう判ったよね~。そ~・・そうなのねんな~。

賀茂建角身さん = 不比等ちゃん(祖)
玉依姫さん = 藤原宮子さん (母)
賀茂別雷さん = 聖武天皇さん (子)

 ま~・・時の権力者の意向で分社されたとは言えね・・そうゆ~ことだったのねんな~・・・。


 でねでね・・これも良く知られたことなのねんが、天皇さんが即位の礼、大嘗祭をする時にはね・・必ず向かうのが、何と
賀茂建角身さんと玉依姫さんが祀られた下鴨神社なのねんな。決して伊勢皇大神宮では無いのねん・・。天皇さんはまんず伊勢には行かんのねん。下鴨に行くのねんよ。

 そして、最も重要な大嘗祭では、聖水沐浴、神人共食、御衾(寝所)秘儀を行うのねん。単純に言えば、沐浴して神とともに食し、一緒に寝るのねん・・・そうしないと・・いかんのねん・・

 ま、沐浴は宜しいにせよ、神人共食、御衾で一緒の神さんって・・どなたなのねん?・・

 単純に言えば・・そこに祀られてる賀茂建角身さんと玉依姫さん・・でんな・・?っつ~ことは・・判るよね~??


 それにね・・伊勢には斎宮、下鴨・上賀茂には斎院が有ったのねん。前にも書いたけんどね・・、どちらも処女の皇女さんが神さんのお世話をしてたのねん。伊勢は天照さん、賀茂は・・誰だっけ?

斎宮(さいぐう/さいくう/いつきのみや/いわいのみや)
 は古代から南北朝時代にかけて、伊勢神宮に奉仕した斎王の御所であるが、平安時代以降は賀茂神社の斎王(斎院)と区別するため、斎王のことも指した。後者は伊勢斎王や伊勢斎宮とも称する。

斎院(さいいん)
 は、平安時代から鎌倉時代にかけて賀茂御祖神社(下鴨神社)と賀茂別雷神社(上賀茂神社)の両賀茂神社に奉仕した斎王、または斎王の御所。賀茂斎王、賀茂斎院とも称する。

 賀茂神社では祭祀として賀茂祭(現在の葵祭)を行い、斎王が奉仕していた時代は斎王が祭を主宰してきた。その後も葵祭は継続されたが室町、江戸、戦後と三度祭が断絶したという。

 伊勢神宮の斎王(斎宮)に倣い、歴代の斎王は内親王あるいは女王から選出され、宮中初斎院での2年の潔斎の後、3年目の4月上旬に平安京北辺の紫野に置かれた本院(斎院御所)に参入するが(角田文衞説では、斎院御所のあった場所は現在の京都市上京区櫟谷七野神社のあたりに相当するという)、この御所は地名により紫野斎院、あるいは単に紫野院とも呼ばれた。 斎王はここで仏事や不浄を避ける清浄な生活を送りながら、賀茂神社や本院での祭祀に奉仕した。特に重要なのは四月酉の日の賀茂祭で、斎王はあらかじめ御禊の後上賀茂・下鴨両社に参向して祭祀を執り行った。この時の斎院の華麗な行列はとりわけ人気が高く、清少納言が『枕草子』で祭見物の様子を書き留めており、また紫式部も『源氏物語』「葵」の巻で名高い車争いの舞台として描いている。

by WIKI


 ね~?・・凄いだしょ~?・・今の(もとい・・前の・・)天皇さんも下鴨神社に行かれて即位されたのねんよ~。勿論その時は斎王さんは居らんよ・・一応ね。


 でも、玉依姫さんっちゅうのんは、霊媒そのものみたいなお方で・・ま、交霊して降霊することが出来たはずなのねんな。そんな能力を秘めた名前でも有るのねん。


 斎宮、斎院の斎王さんには、そこまでの能力は無いとしてもね・・一緒に・・・おっと~、これはマズイので書いちゃいけんの~・・やめとこ・・。


 でねでねでね?・・ま、その下鴨で重要なことを儀式をして天皇さんになる訳なのねんが、一緒に食べたり寝たりする神様は・・勿論、加茂の大神・・ね。

 で、じゃぁ・・・不比等ちゃんはとりあえず脇に置いとくとして、賀茂建角身さんって、どんな方かな~?・・知ってた~?

賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと、かもたけつのみのみこと)
 は、日本神話に登場する神である。鴨建角身命とも。山城の賀茂氏(賀茂県主)の始祖であり、賀茂御祖神社(下鴨神社)の祭神として知られる。

 『新撰姓氏録』によれば、賀茂建角身命は神魂命(かみむすびのみこと)の孫である。神武東征の際、高木神・天照大神の命を受けて日向の曾の峰に天降り、大和の葛木山に至り、八咫烏に化身して神武天皇を先導した。
  『山城国風土記』(逸文)によれば、大和の葛木山から山代の岡田の賀茂(岡田鴨神社がある)に至り、葛野河(高野川)と賀茂河(鴨川)が合流する地点(下鴨神社がある)に鎮まった。

 賀茂建角身命には建玉依比古命(たけたまよりひこのみこと)と建玉依比売命(建玉依姫命、たけたまよりひめのみこと)の2柱の御子神がいる。建玉依比古命は後に賀茂県主となる。
 建玉依比売命は、丹塗矢に化身した火雷神(ほのいかづちのかみ)を床の近くに置いていたところ、賀茂別雷命(かもわけいかづちのみこと、上賀茂神社の祭神)を懐妊し出産した。
by WIKI



 なんか、WIKI 引用ばかりですまんの~・・気が引けるけんども、文章が苦手なのねんでね~・・自分で組み立てられんのねん。

 ・・そう・・賀茂建角身さんって、凄い方だったのねん・・造化三神の一柱、神皇産霊尊(かみむすび)さんのお孫さんで、しかも「八咫烏(やたがらす)」さんだったのねん!・・(そ~ゆ~ことになってるのねん・・)

 あの初代天皇さん、神武さんを先導して長脛彦を負かした「ヤタノカラス」さんが「カモタケツヌミ」さんだったのねん!

「・・・あれっ?」

「ヤタガラスさんって、神武さんを勝たせたのよね?・・でも・・さっきの話しじゃ・・」


 そうなのねん・・。賀茂建角身さん = 不比等ちゃん(祖)、玉依姫さん = 藤原宮子さん (母)、賀茂別雷さん = 聖武天皇さん (子)・・・になってるのねん。どういうこっちゃ~?・・・いや、そうゆ~ことっしょ。不比等ちゃんが西暦700年ちょいの時にやったことは・・そうゆ~ことなのねん。この事績はまるっきり歴史から無かったことにされてるのねん・・。・・ん?気付かなきゃ~良いのよ~・・別にね・・ちっとだけ難しいから・・。はっきり書いちゃうのも気が引けるしね~・・。因みに不比等ちゃんのお墓は奈良市法蓮佐保山の鴻池古墳群の一部っちゅう話しだけんど、ど~かね~・・。


 それにね・・実は・・WIKIからの引用文には、かなり重要なことが書かれてるのねん!その後の時代に繋がってくることにね~。ある生物のことなんだけんどね~!・・・っちゅうところで時間切れ~!・・すまんの~・・いつも尻切れトンボで・・。そのまんま明かして無い部分はいつか書くからね~!じゃまた~、アディオ~ス!


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 何でこんなに判らんことが多いのかが良く判らん!その判らんことの答えを探して旅に出たつもりが、その答えも見つからんうちにもっと判らんことの答えを探す旅に出ることになっちまったい・・・
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