男は種馬でしかなかったのねん!






 ね~!びっくりだしょ~・・。阿倍内親王さんが「孝謙天皇」さんになって、譲位して上皇に、次の「淳仁天皇」の娘さんが内親王になるときに「阿倍」を名乗って阿倍内親王さんになって斎宮に行ったけんども、阿倍内親王だった、前の天皇さんだった上皇さんが天皇を降ろしてまた「称徳天皇」さんに戻ったっちゅうことで、阿倍内親王になってた山於女王(やまのうえのじょおう)さんはまた斎宮を辞めて戻って・・・

 もう、全然訳が判らんよね~。それに~・・


八年春 阿麻來服 遣元器與淨土入唐 淨土留不歸 元器還 有勅 此後禁獻女人

 これは三国史記の新羅本紀に書かれた西暦668年の条なのねんけんど・・

「アマが来て伏した。・・<略>・・ 女は連れてくるなと唐から勅が有った。」

 っちゅうことなのねんから、もし日本書紀の天皇在位が正しいとしたら・・(ま、このときにはすでに亡くなられてることになってるけんども)斉明女帝が新羅に出頭した・・・っちゅうことになってしまうのねん。

 もっと解説しちゃうとね・・新羅政府は元器さんと淨土さんを唐に行かせたっちゅうように書かれてるのねんが、元気さんも浄土さんも・・・実は高句麗の高官だったのねんな。戦いに敗れて降伏し、新羅に居たのねんよ。元器さんは姓は「元」、名前が「器」でんな~。元さんっちゅうのは高句麗にも新羅にも多い姓のようなのねん。ま・・古代に中国から流れてきた子孫のお仲間っちゅうことでんな。淨土さんっちゅうのんは、淵浄土さんで、「えん じょうど」と読むのかなん?・・高句麗の大臣さんだったのねんな・・。で、斉明女帝であるアマ(タリシホコ)さんと3人、仲良く中国・・その時は唐なのねんが、連れてったのねん。

 ま、誰が連れてったのか、連れて行かれたのかは、ファシレのおじさんには良~くは判らんのねんけんどね~・・。ただし、ここにも重要なポイントが隠されてるのねんよ。

 ん~?・・そうそう・・、元器さんも淨土さんも・・・もとは高句麗の高貴な御血筋なるお方なのねん。アマタリシホコさんはもちろん・・・「倭(わ)」の国王っちゅう立場なのねん・・・

が・・

 ここに脈絡を見出せる気がせえへんかぁ?

 ん~~~!そうそうそう!・・高句麗人の2人と倭人のアマ1人・・。ひっじょ~に中途半端なのねん・・倭人は外しちゃって・・高句麗人が3人で宜しおへんの~?・・ま、宜しがな~。取り合えず、ひとまずは置いときまひょか~。ま、判る人には判っちゃってることなのねんかもね~。

 でね・・ここの漢文はかなり奥が深くてね~・・。

淨土留不歸 元器還

 淨土さんは(唐に)留まって帰らず 元器は(元気に?)(再び)帰ってきた・・っちゅうことでんな。なので~・・捕虜のアマタリシホコの斉明さんは唐に留まり・・留まらずを得ず・・高句麗の元大臣の淨土さんも帰らず・・もしくは帰れず・・っちゅうことなのねん。

 ま、斉明さんがその後はどうなったか、判らんけんどね・・。もしかしたら後で書けるかもしれんけんども、斉明さんが新羅に出頭したのは西暦668年2月、そんで、天智天皇さんが称制から正式に即位したのも西暦668年2月・・とされてるのねんけんど、あくまでこれは日本書紀の記述によるのねんでね・・真実かどうかね~・・。

 でねでね・・。実はちょうどこの頃、とっても大事な事件が有ったのねんな・・・。

History_of_Korea_(Goguryeo)_476_jp.png
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 この地図は西暦476年頃のものでね・・高句麗が領土を一番拡げてた頃なのねん。凄いでんな~。今の北朝鮮から、昔の満州国辺りまでが高句麗だったのねん。

 それが・・・

Largest_Area_of_Balhe.jpeg
WIKIからお借りしております~・・


 ありゃりゃのりゃ・・・あっという間に無くなっちまったのねん。怖いのねんな~。渤海(ぼっかい)っちゅう国になってしまってるのねん。

 で、高句麗が滅びたのはいつのことなのねんかな~と思うと~・・なんと!

西暦668年!

なのねん!


 そうなのねんよ・・。新羅と百済によって加羅(から・かや)が滅び、ついで百済が滅び、そしてアマタリシホコが新羅に出頭、唐に連行された668年にね・・・

「高句麗滅亡」

したのねん!

 ま、完全に降参したのは西暦668年9月~12月なのねんな。だから・・アメタリシホコは同年2月に出頭してるのんで高句麗とは関係無い・・・

「・・・無いかぁ?」


 実はね~・・・高句麗の最後の王さんの名前はね・・

「宝蔵王」

言うのねん。


 宝蔵王(ほうぞうおう、生年不詳 - 682年)
は、高句麗の第28代・最後の王(在位:642年 - 668年)。姓は高、諱は臧、または寶臧。先代の栄留王の弟の子で、642年に栄留王を弑逆した淵蓋蘇文によって王位に即けられた。彼を最後に高句麗は滅亡したため諡されず、諱のまま宝蔵王と呼ばれる。子には、男福(福男)・任武・徳武・安勝などの名が文献にみられる。
by WIKI


 そうなのねんな~・・宝蔵王(ほうぞうおう)なのねん・・。

 でねでねでね・・・斉明女帝さんのお名前って・・何だったかしらん?・・・そうそう・・

 宝皇女・財皇女・・そして和風諡号は天豊財重日足姫天皇(あめ とよ たから いかし ひ たらし ひめ のすめらみこと)・・

 たからこうじょさんの宝は・・宝蔵王の宝なのねん。和風諡号に至ってはね・・アメ(アマ) 「トヨ」 タカラ タラシ ヒ めのみこと・・なのねんよ。略してアメタラシヒメ・・だしょ?それに宝を「財宝の財」にスリ変えとるけんど、「財重」=「ほうじゅう」なのねん・・。「ヒ(日)」に「トヨ(豊)」まで入っちゃってるけんども・・。それに、現在の中国語でも・・「重」はchóng/zhòng と発音し、「蔵」はcáng/zàng と発音するのんで・・中国語の四声は全く同じ、cho が ca、zho がza になってるだけ・・非常に近いっちゅうかね・・日本語の発音でも近くて方言並みの変化、現中国語でも非常に近いのねん。でもま~、こんなところで許しといたろ~・・なんちって・・。

 書かないつもりが書いちったので、ま・・宜しおす。取り敢えずは高句麗ともきっと関係が有るのねん・・と思っていただけりゃ良いのねんな。

 でねでねでねでね~?・・・結局のところ、どうしても現代に生きるおじさんたちは、やっぱり自分の感覚でしか理解し辛いのねんけんども、明治時代以降の富国強兵政策で、万世一系、男子による継承が常識になっちゃって、それが邪魔をしてるのねんよ。

 日本書紀とか古事記とかっちゅうのんは、結局は対外国政策用に書かれた偽書なのねん。

「私の国は、前の政権とは関わりは有りませんよ~!」

とか、

「でも、私の国の王は数万年にも渡って一系で血を繋いでますよ~!」

と、都合の良いことを書いたのねんよ。ただそれだけなのねんから、真実をちょびっと絡めこそすれ、ほとんどは嘘八百なのねん。

 真実は・・魏志倭人伝に女王国とも記されたように・・

 倭国の邪馬台国は元々男王が治めていたが、国成立(1世紀中頃か2世紀初頭)から70-80年後、倭国全体で長期間にわたる騒乱が起きた(倭国大乱の時期は2世紀後半)。邪馬台国もその影響を逃れえず、卑弥呼という女子を王に共立することによって、ようやく混乱が収まった。弟が彼女を補佐し国を治めていた。女王は魏に使節を派遣し親魏倭王の封号を得た。248年頃、狗奴国との戦いの最中に卑弥呼が死去し、男王が後継に立てられたが混乱を抑えることができず、「壹與」(壱与)または「臺與」(台与)が女王になることで収まったという。

by WIKI


 なのねん・・。

 邪馬台国の女王による統治の歴史は、西暦700年代まで続いたねん。男はどうでも良いのねんな・・。女が大事なのねん・・・だって女王国なのねんから・・。記紀は、それを書きたくないがためにね~・・皇統をめっちゃくちゃに書いてしまったのねんな~。

 あの、アメタリシホコの隋書倭国伝にもね・・・

使者言 倭王以天為兄以日為弟 天未明時出聽政 跏趺坐 日出便停理務 云委我弟
高祖曰 此太無義理 於是訓令改之


と書かれているように・・ん・?判らんよね~・・

 使者が言うには、倭王は天を以て兄となし、日を以て弟となす、天が未だ明けぬ時、出て政を聴き、座そうしてし、日が昇れば、さっさと政務を停め、我が弟に委ねる。高祖曰く「それは道理が無いからやめるように訓ず」。

 一般的にはね~・・兄弟統治とか言われてるのねんけんど、姉弟統治の方が判り易いかも・・ね。つまり、

「女王が居て男王と役目を分けて統治していた」

のねんよ。それがず~っと・・邪馬台国を継承した王朝は西暦750年頃まで続けていたのねん。記紀はそれを書かず、大王、天皇として男王を連ねたのねん。女王も血筋のみによらず、才能によって継いで行ったのねんな。だからお婆ちゃんと孫が結婚したようになってたり、同じように読める名前の皇后さんが連なってたりするのねん・・。ま、高祖さんに、

「兄弟統治ぃ~?そんなもん・・やめんかい!」

 って言われちゃったもんで、女王国も兄弟(姉弟)統治も・・実情を言えなくなってしまったっちゅう背景はあると思うけんどもね~。


 穴穂部皇子(あなほべのみこ)さんっちゅうお方はね・・兄の敏達天皇が崩御した時に後の推古天皇さんを犯さんと欲し、殯宮に押し入ろうとしたのねん・・。そして忠臣の三輪逆さんに止められて・・・怒った穴穂部皇子さんは蘇我馬子、物部守屋に言って軍隊を派遣して三輪逆さんを殺してしまったのねん。

 ま、単純にはエロ親父のスケベ心だけの話しに見えるけんども・・ここにも女王国、姉弟統治の流れが見えるのねんよ。結局記紀は、用明天皇、崇峻天皇、推古天皇(女帝)と皇統を継いでるけんども・・敏達天皇の皇后だった額田部皇女(ぬかたべのひめみこ)さん・・穴穂部皇子に犯されそうになった後の推古天皇さんが・・

「卑弥呼以来受け継がれてきた女王国の王」

 なのねん。ずうっとか、どこかの時点で女王を継承したのねんな。男王は推古天皇さんと夫婦になったかどうかっちゅう部分は別にして、ペアを組んで統治したのねん。穴穂部皇子(あなほべのみこ)さんは兄に代わって推古天皇さん(と、記紀に書かれた)とペアになって男王になりたかったのねんな・・。その資格が自分には有ると。ところが、喪中だからやめてくだされと正論を通した三輪逆さんは不遜であるとして斬ってしまったのねん。

 わしらにゃ~エロ話としか理解できんことでも、女王が兄王でアメタリシホコで、女系でずっと皇統を継いできたと理解するとね・・・訳判らん疑問は氷解する・・と思うのねんな~。


 だから・・阿倍内親王さんは結婚もしないのに天皇さんに二度もなったように書かれたのねんな。二度なったんじゃないのねん・・女王を継承したもんで、ずっと女王のまんま・・アメタリシホコだったのねん。ま、男は種馬でど~でも良かったのねんよ。ちいとばかりは・・残念な気もするけんどね・・・だって弓削道鏡さんっちゅう種・・いんや・・っちゅうところで、この話しもタイムアップなのねん!・・すまんの~・・いつも大事なところで・・・しかも全てにおいてめちゃくちゃに中途半端!阿倍ちゃん、太子の話はまた今度~??・・・・さっすがファシレのおじさん!・・ちゅうことで、今回もウダウダ?で終わるのねんな~!・・これもひじょ~に残念~!ではバイナラ~!アディオ~ス~!チャオ!またね~!
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