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可哀想な孝徳さん・・






 西暦700年の前後100年・・・、つまり西暦600年~800年の日本は、物凄いことになっていてね・・。ま、群雄割拠と言うか、小国が沢山存在してて、その連合でようやっとひとつの国になってたのを、やっと一歩進んで「天皇」っちゅう・・、今で言えば大統領を置けるようになった時期・・なのねんな。

 それを、さも今まで(700年ごろまで)ずっとひとつの国で有ったし、万世一系で有ったようなテイを取って書いたのが「記紀」・・・っちゅうことなのねん。大陸の大国に飲み込まれないために、自分たちを守るために、そうしなきゃならん部分は有ったにせよ・・。

 だから、「記紀」の言うことを丸呑みしとりゃ・・・真実は何も見えて来んのねんな~。判るよねん?・・ある意味、状況は今もちっとも変わってないのねんよ。少し前までは車さえまともに存在せず、自転車だらけの大都会・・・道路を車も人も自転車も無秩序に走り回り、大昔に道徳の国と尊敬された国はどこにあるのかと思わずにはいられん共産国・・。金儲けのために本国を捨てて生産拠点をそっちに移した西側がそこで利益をむさぼれば・・ね・・、当然ながら潤った共産国は節操無く強い態度に出てくるのは、ちと考えりゃ~誰にでも判るこっちゃねん。あほやの~。


 ところで、孝徳天皇さんっちゅうお方がおられたのねん。・・ん・・唐突ですまんの~・・いつも!・・そう、蘇我入鹿さんが皇極天皇さんの目の前で殺されたとされる「乙巳の変」(いっしのへん・おっしのへん)の翌日・・だったか、即位したのねんな。ま、事実だったかどうだかはね・・後で書くけんどね。


孝徳天皇(こうとくてんのう、推古天皇4年(596年) - 白雉5年10月10日(654年11月24日))は、
 日本の第36代天皇(在位:孝徳天皇元年6月14日(645年7月12日) - 白雉5年10月10日(654年11月24日))。諱は軽(かる)。和風諡号は天万豊日天皇(あめよろずとよひのすめらみこと)。その在位中には難波宮に宮廷があったことから、後世その在位時期をその政策(後世でいうところの大化改新)などを含めて難波朝(なにわちょう)という別称で称されることがあった。

by WIKI



 でもファシレのおじさんは、蘇我入鹿さんは存在せんのよ~・・と、どこかのページで書いとるけんね。だから・・

皇極天皇4年(645年) 6月12日 中大兄皇子等による蘇我入鹿暗殺
   ↓
皇極天皇4年(645年) 6月14日 皇極天皇(女帝)譲位
   ↓
同日 孝徳天皇即位

 っちゅうような順番は、あり得んのねんな~。居るか居ないか判らん人が蘇我入鹿さんなのねんから、皇極さんは天皇さんを辞める理由も何も無いのねん。孝徳さんが天皇さんになる理由もソコには無いのねん。


 とりあえず、ま、記紀の言うところに従えばねん、孝徳天皇さんは大化元年(645年) 6月19日 - 史上初めて元号を立て、大化元年とした・・っちゅうことなのねんけんど、大化と言う年号は九州年号でね、本当は大化元年は西暦695年が正解なのねん。だから60年も前にズラしてあるのねん・・。だからわし等が知っとる大化の改新は無かったのねんよ。記紀がそうしたのねん・・でも・・何で~かねん?


 孝徳天皇さんは、西暦645年から654年までの10年間、天皇さんだったのねんけんど、記紀によるとね・・、あの蘇我入鹿さんを皇極天皇さんの目の前で暗殺した中大兄皇子、つまり後の天智天皇さんに虐められてね・・死んでしまったとされてるのねんよ。そのクダリをWikiから引いてみると~・・


 孝徳天皇は難波長柄豊碕宮(大阪市中央区)を造営し、そこを都と定めた。 が、白雉4年(653年)に、皇太子は天皇に倭京に遷ることを求めた。 天皇がこれを退けると、皇太子は皇祖母尊と皇后、皇弟(=大海人皇子)を連れて倭に赴いた。 臣下の大半が皇太子に随って去った。 天皇は気を落とし、翌年病気になって亡くなった。

by Wiki



 皇太子っちゅうのんは中大兄皇子(後の天智天皇さん)で、皇祖母尊っちゅうのんは前の女帝の皇極さん、皇后さんっちゅうのんは間人皇女(はしひとのひめみこ、父は舒明天皇、母は皇極天皇)さんだすな。

 ちなみに孝徳天皇さんは皇極天皇の弟・・とされてるのねんけんど・・うそ臭いでっしゃろ~?・・どんだけ血が濃いのねん!・・ってツッコミ入れたくもなるのねんよ。・・・いんや、ツッコミ入れるところはソコでは無いのねん!アソコなのねん・・ん?・・いや・・エロでは無いのねん・・ありゃ・・なんじゃ?


 つまりね・・皇太子である中大兄皇子さんは、孝徳天皇さんの母とカミサンと腹違いの弟を連れて、倭京に帰ってしまったと・・・孝徳天皇さんを一人ぼっちにしたと・・書いてあるのねんよ。で、孝徳天皇さんは寂しくて死んでしまったと・・・。

「・・・んな訳、有るかい!!」


 ね~・・アホでっしゃろ~?小学生でも判るウソを平気で白々しく書いとるのねんな・・。・・いや、良い子の小学生たちにも失礼だし、幼稚園児的な争いなのねんよ。

 本当に万世一系、日本を支配している天皇さんなら、

「廃太子」

でもすりゃ~え~のねんよ。もしくは、誰かに命じて取り返すか、皇太子を召し取れば良いのねんな・・。・・ま、まじめに考える方がアホらしいけんどもね~。


 つまりでんな・・・、記紀に書いてあることが事実を多く含んでいるとするなら・・、

「中大兄皇子さんの謀反」

なのねんな。つまり皇祖母尊さんと皇后さん等は人質にされたっちゅうこっちゃねん。そんでね・・難波に居った孝徳天皇さんを・・

「中大兄皇子さんが攻め殺した」

のねん。


 ・・「記紀」は、これを書きたく無かったから・・、存在しない「蘇我入鹿」さんを「乙巳の変」で殺したことにしたのねん・・。大化っちゅう年号を60年も前に遡らせて、さも大化の改新を孝徳天皇さんがやって、それを皇極天皇さんが重祚(ちょうそ)して斉明天皇さんになって、その後を天智天皇(中大兄皇子)さんが引き継ぐ・・っちゅう、綺麗な形にしたかったのねんな~・・・。それに、本当に孝徳さんの前の皇極天皇さんは即位してたのかどうかさえも・・怪しいのねんよ。


「善光寺文書」

         御使 黒木臣
名号称揚七日巳 此斯爲報廣大恩
仰願本師彌陀尊 助我濟度常護念
    命長七年丙子二月十三日
進上 本師如来寶前
       斑鳩厩戸勝鬘 上



 これは善光寺に伝わる手紙でね・・斑鳩厩戸勝鬘っちゅうお方が、

「自分の健康はどうにもならん・・何とかしてくんろ」
と、黒木臣さんを使いに出したっちゅう・・内容でんな。

 で、何が問題かっちゅうとね・・この日付でんな。

 命長七年・・っちゅうのんは九州年号でね・・、実は西暦646年なんよ。孝徳天皇さんが即位した645年を記紀の言うのが正しいとすりゃ・・・その前年っちゅうこっちゃねん。

 それにね・・斑鳩厩戸勝鬘(いかるが うまやと しょうまん)・・でっせ?・・・えっ?・・「誰って言う?」

 斑鳩宮を創ったとされるのは・・聖徳太子さんでんな。厩戸皇子さんっちゅうのんは・・聖徳太子さんでんな。勝鬘(しょうまん)経を書いたとされてるのは・・・聖徳太子さん・・でんな・・。


「えっ?・・聖徳太子さんは622年に亡くなられたことになっちゅうのに~?」


 ・・・そうなんよ・・。聖徳太子さんが亡くなられたんは西暦622年では無い・・と思われるのねん。この手紙を出した後、646年中に亡くなられたと・・その後の九州年号から・・推るのねん・・。記紀は聖徳太子さんも、さっさと亡くなられたことにして、蘇我入鹿さんを皇極天皇さんの前で暗殺したことにしたのねん。


「・・・ひっで~・・・!」

・・だしょ?

640px-Umayado_Miko.jpg
聖徳太子さん


 ま、だから、聖徳太子さんはさっさと亡くなったことにしなくちゃぁ話が繋がらないのんで・・・推古天皇さんを即位させて、聖徳太子さんはその摂政っちゅう立場にしたのねんな。その後を舒明天皇さん、皇極天皇さんと繋げて乙巳の変・・でんな。で、苛めて死んじゃった孝徳さんの後を皇極天皇さんが重祚(ちょうそ)して斉明天皇さんになったっちゅうことにしたのねん。

 で、中大兄皇子さんが存在しない入鹿さんを殺し、世の中を綺麗にしたんだよ~・・・などと書いたのねん。正義の味方だったのねんよ~・・と・・ね。

 でもね・・違ったのねん。それに聖徳太子さんはね・・・・・あら!・・もう時間が無い・・すまんの~・・いつも大事なところでタイムアウト、・・・しかも全てにおいて大いに中途半端!阿倍ちゃんの話はどうなった~?・・すまん、またそのうちに・・・・さっすがファシレのおじさん!・・ちゅうことで、今回もグジョグジョで終わるのねんな~!・・これもひじょ~に残念~!ではバイナラ~!アディオ~ス~!チャオ!またね~!









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 何でこんなに判らんことが多いのかが良く判らん!その判らんことの答えを探して旅に出たつもりが、その答えも見つからんうちにもっと判らんことの答えを探す旅に出ることになっちまったい・・・
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