塵輪 って・・何~?






 倭人探求の旅も佳境に入ってきた感じではあるけんども、肝心要な部分がどうもね~・・。ただ、少なくともね・・・日本っちゅう国は単一民族の和族・・っちゅうようなんは、無学なわし等が無慈悲なお上から押し付けられてきた上での、結果としての幻想に過ぎんのねんな。

 ま、今のところ判っている部分においては、最果ての地に流れ込んできた民族の集合体が「日本人」っちゅうことであって、決して単一民族ではあり得んし、皇統も万世一系とは言いづらい・・っちゅうこっちゃね。

 ただし、これは日本に民が大挙して流入してきた時期の、人類の歴史から言えばほんの短い期間の話しでね・・ま、短いったって3千年位だけんどね・・・その前のことは判らんよ。まんだそれ以前の考察にはファシレのおじさんは全然たどり着いてへんのね~。

 本ブログの本線ブログ、バカボン一家の山田さんはかなり昔の時代の記憶で、大陸を駆け抜けて(たぶん)日本でジタバタしてたときの記憶があるそうなんで、しっかり思い出して貰えるのなら、ファシレのおじさんもこんなに苦労はせんでも良いんだけんどね~・・辛いのぉ~。


 前回のブログでは、「藤原部(ふじわらべ)」っちゅう部民が允恭天皇(いんぎょうてんのう)さんの時代にすでに有って、衣通郎姫(そとおりのいらつめ)さんの話しをしたと思うのねんが、実はこのお姫さんは、

藤原琴節郎女(ふじわらのことふしのいらつめ)

と同じ方と言われてるのねんな。


 ま、そうは言ってもね、あの不比等ちゃんとそのご一党さんが絡んどることなもんでね、記紀や風土記、社記を操作して有ること無いこと差し込んだ・・・っちゅうことも考えられるけんども、実際に700年代には、藤原部は葛原部(クズハラベ)に強制で姓を変えられとるし、実際に関東で藤原部さんたちの記録が発見されとるのんで、まんずそこは嘘とは言えんのかな~と思うのねんよ。ま、なんでもクズっちゅう名前にしてしまうのねんよ・・お得意なのねん。彼らにとっては大国主さんも・・きっと大xxなのねん。

 だから、「藤原」の名前も、中臣の鎌足さんの時に、いきなり生まれたんでは無いと・・取り合えず思っていただけると良いかな~と思うのねん。


 ところでね前回だか前々回・・・阿輩臺 は「あべたいふ 」と読み、阿輩雞彌 は 「あべきみ」と読むと書いたけんどもね・・・。もし 阿輩雞彌 を 「あふきみ」「おおきみ」「おふきみ」と読むなら、それはそれで構わんけんども、じゃぁその場合に 阿輩臺は何と読むのか教えて欲しいのねんな。たぶん意味が通じなくなるはずだし、矛盾につながるはずなのねんよ。でも・・なんでそんなことになっちゃうのかね~。

 それは、記紀が都合の悪いことは全て書いてないから・・なのねん。あくまで、倭国の代表・・っちゅう立場は取ってるけんども、結局素性は近畿の小国に過ぎんのねんでね。天皇さんとして神武さんから持統さんまで贈名で書き連ねていてもね、倭連合国王たる本当の倭王のことは、関連することまでをほぼ書いて無いのねん。知ってることも書いてない・・都合が悪いからね。

 でも、書かないとどうも都合が悪くてね、書かざるを得なかった天皇さん・倭王さん、もしくはそれに通じるお方を、記紀は書いてるのねんよ。それが・・・

開化天皇さん

と呼ばれるお方でんな。



開化天皇(かいかてんのう、孝元天皇7年 - 開化天皇60年4月9日)は、
 『古事記』『日本書紀』に記される第9代天皇(在位:孝元天皇57年11月12日 - 開化天皇60年4月9日)。稚日本根子彦大日日尊(わかやまとねこひこおおびびのみこと)・若倭根子日子大毘々命(古事記)。

 「ヤマトネコ」という称号は7代孝霊・8代孝元・9代開化、少し離れて22代清寧の諸天皇(『古事記』)にみえ、『記・紀』の編纂が最終段階に入った7世紀末から8世紀初めに存在した持統・文武・元明・元正の諸天皇(『日本書紀』・『続日本紀』)の称号にもみえる。このことは、7,8,9代の天皇の称号を、後世の『記・紀』編纂最終段階に存在した天皇の称号に似せて造作したのではないかという疑義が提出されている。

いわゆる欠史八代の一人で実在しなかったとされる天皇であるが、実在説もある。

by WIKI



 一般的に「欠史八代」と言われる天皇さんたちには、まぁ・・ここぞとばかりにいい加減なことばかり書いて、わし等を混乱させてくれる記紀だけんども、そんないい加減な部分にこそね・・ヒントが隠されてるのねんよ。

800px-Miyajidake_shrine_2009_A.jpgクリエイティブ・コモンズ・ライセンス
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 いや~・・・すんばらしい・・立派な神社でんな~。行ったことは無いけんど・・是非一度!・・この神社は宮地嶽神社(みやじだけじんじゃ)と言ってね。福岡県福津市にあるのねん。神功皇后が主祭神で、勝村大神・勝頼大神を配祀するらしいのねん。

< 因みに、神社のあの注連縄みたいなのんは、「あらはばき」っちゅう名前で呼ぶ土地もあるのんねんで~。>


 神功皇后さんはご存知かな~?あの応神天皇さんをお腹に宿したまんま、新羅に行って喧嘩してきた女帝さんなのねん。そして、勝村大神さんと勝頼大神さんは、彼女の優秀な部下・・っちゅうことになっとるのねんよ。

「はぁ?・・どこが開化天皇さん、関係あるのねん?」

「開化さんは9代、応神さんは15代で・・つなげるのは無理じゃね?」

 と思うかもしれんけんどもね。大丈夫なのねん。安心してちょ~。


 実はね、この宮地嶽神社のご祭神は、今は神功皇后さんっちゅうことになっとるけんどもね。昭和の初期までは、なんとね・・

阿倍丞相(あべのじょうしょう)

とされていたのねんよ。ネットを探すとまだその写真が見つかるのねん。阿倍亟相 になっとるかもしれんけんどもね。きっと、「阿倍丞相じゃ駄目」と上の方から重いものを持たされたのねんな~。・・まだやってるのねん・・。コリン星書くでんな~・・・ありゃ、懲りん政客・・いや、懲りん性格・・何でも宜し!


「あれ?・・あべさんだ~!」

そうなのねんよ。この方も「あべきみ」なのねん。ありゃりゃ~のりゃ~♪なのねんな。


 で、色々と調べてくとね・・・どうやら阿倍丞相と言われたお方は、開化さんらしいのねんな。でもこの辺りは極秘事項らしくてね・・掘り切れはせんのねんけんど、開化天皇さん、神功皇后さん、応神天皇さん、の絡みはもう詮索しないのねん。だけんど、それ以外の部分が、かなり面白いのねんよ~。


 阿倍君が出てきたところで、かの宮地嶽神社の両脇で主祭神を守るように配祀されてる勝村大神・勝頼大神なんだけんどもね・・。これがまた凄いのねん。

 じつは、勝村大神 の本名とされるのが「藤高麿(ふじのたかまろ)」さん、勝頼大神が藤助麿(ふじのすけまろ)さんなのねんよ。・・・そう、藤氏(とうし)と同じなのねん。不比等ちゃんと同じ「藤」なのねん!

 こうなって来るとね・・阿倍さんと藤さんはただならぬ仲だっつうことになってしまうのねんが、ま、一応、こんな話しも伝わってるっちゅうことを書いておかんといかんかな~?

800px-Iminomiya_Shrine_in_Shimonoseki.jpg


 こちらは山口県下関市にある忌宮神社(いみのみやじんじゃ)。仲哀天皇(神功皇后の夫)が熊襲平定の際に滞在した行宮である豊浦宮の跡とされてるのねんが、この地方には不思議な言い伝えがあるのねんよ。それが、

塵輪(じんりん)

伝説・・でんな~。


Iwamikagura2.jpg


 以下のサイトに石見神楽(いわみかぐら)のサイトがあるのんで、ペースト・コピーで読んでみて頂戴なのねん。なかなか・・凄いでんな~!お神楽にまでなって残ってるのねん・・いや、残したのねん・・ん?・・残っちゃった?・・もう、何でも宜し!(・・でもこんな所にも実は全然別件のヒントがあるのねんけんど・・つまり、仲哀天皇さんのお宮ね~・・わざわざ畿内から出て来たと書いてるけんどもね~・・)

http://iwamikagura.jp/modules/iwamikagura_db/content0017.html


 要約するとね、塵輪(じんりん)っちゅう新羅の空飛ぶ巨大な化け物が熊襲(くまそ)を煽動して豊浦宮に攻めて来たんだと。そして、仲哀天皇さんが何とか矢で射て勝ったのねんが、宮を守ってた阿部高麿さんと弟助麿さんが塵輪に殺されてしもうたのだと・・。


「・・・あれっ?」


 そうなのねん・・・またまた阿倍さんの出番だったのねん・・・。でも、今度は藤高麿さんじゃぁないのねん。阿部高麿さん・・なのねん、阿部助麿さんなのねん・・

「あれあれ?」

でっしゃろ?


村大神(かつむらたいじん) = 高麿(ふじのたかまろ) = 阿部高麿 (あべのたかまろ)
頼大神(かつよりたいじん) = 助麿(ふじのすけまろ) = 阿倍助麿)あべのすけまろ)

でっか~?・・・じゃぁ、阿倍丞相(あべのじょうしょう)さんとのつながりはどうなっちゃうのかな~?

 で、丞相をWIKIで調べるとね・・

 丞相(じょうしょう)は、古代中国の戦国時代、秦王朝、漢王朝において、君主を補佐した最高位の官吏を指す。今日における、元首が政務を総攬する国(大統領制の国や君主が任意に政府要職者を任命できる国)の首相に相当する。

 古代中国では、丞相が2名置かれることがしばしばあった。この場合「右丞相」「左丞相」と呼ばれ、王朝によってその上下関係に違いがある(王朝によって、右を尊ぶか左を尊ぶかが異なる)ものの、一方が正丞相、残る一方が副丞相となった。なお、宦官がこの官職に就く場合は、中人(宦官)の丞相ということで「中丞相」と呼ばれた。



 ま、丞相っつうのんは、漢の時代の総理大臣、もしくは太政大臣っちゅうことでんな。だから王じゃないのかも・・しれんね~。諸王では有っても大王では無い・・・のかもしれん。で、その大王が「倭王」・・阿倍丞相は総理大臣だから倭王ではない?・・・


 そう、だから丞相が開化天皇さんだとしても「倭王」では無い可能性が高いのねんよ。つまり、

「倭王の情報は日本には一切残ってないのねん!」

 そう・・不比等ちゃんたちが全て消し去ったのねん!残念でんな~!・・せっかく 阿倍=藤 まで来てね~・・その先までは堀り切れんとは・・。ま、でも日本に情報がなければ海外から得れば良いのさ~!・・・大丈夫~!・・かもしんない~!・あら!・・もう時間が無い・・すまんの~・・いつも大事なところでタイムアウト、・・・しかも全て大いに中途半端!・・さすがファシレのおじさん!・・ちゅうことで、今回もグダグダに終わるのねんよ~!・・これもひじょ~に残念~!ではバイナラ~!アディオ~ス~!チャオ!またね~!




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