アメタリシヒコって、誰やのん?






 ま、こんなことを書いてよいのか・・ファシレのおじさんにはちっとも判断つかんけんども、判断つかんから書かないっちゅうよりは、色々と感じたことを書いた上でね~、

「ありゃりゃ・・違ったかいな・・そりゃ~すまん!」

と、軽~く水に流して貰おうと・・。


 そうじゃないとね・・結局思ったことも言えない状況・・「推測に過ぎんだろ!」とか「証拠を出せ!」とか「風評被害だ!」とかね・・。近くの大国の民衆の方々と、結局何も変わらんじゃないかと・・言えると思うのねんな~。

 政府が悪いと思っていても口に出してはとても言えない・・と、利害関係に影響することについては言えない・・は、結局同じじゃないかと思うけんどね~。そんなこと考えてたら何も言えん社会になってしまうがな~。


 で、アメタリシヒコの話しって、知っとるかな~?中国に対しての、聖徳太子の別名だとか、名乗りだとか、はたまたは、蘇我馬子が実は天皇でとか、いやいや、推古天皇が女性だから別の大臣クラスが代理で名乗ったとかね・・まぁ、色々な説が有って、しかもダレのことなのかまるで解決してないっちゅう・・問題でんな~。

 Wikiによると、こんな風でんがな~。

 多利思北孤は『隋書』「卷八十一 列傳第四十六 東夷 俀國」で記述される倭国王である。『隋書』では他の中国史書が「倭」としている文字を「俀」と記述している。

「開皇二十年 俀王姓阿毎 字多利思北孤 號阿輩雞彌 遣使詣闕 上令所司訪其風俗 使者言俀王以天爲兄 以日爲弟 天未明時出聽政 跏趺坐 日出便停理務 云委我弟 高祖曰 此太無義理 於是訓令改之」

開皇二十年、俀王、姓は阿毎、字は多利思北孤、阿輩雞弥と号(な)づく。使いを遣わして闕(けつ)に詣(いた)る。上、所司(しょし)をしてその風俗を問わしむ。使者言う、俀王は天を以て兄と為し、日を以て弟と為す。天未(いま)だ明けざる時、出でて政(まつりごと)を聴く跏趺(かふ)して座す。日出ずれば、すなわち理務を停(とど)めて云う、我が弟に委(ゆだ)ぬと。高祖曰く、此れ大いに義理なし。是に於て訓(おし)えて之を改めしむ。


 『隋書』「卷八十一 列傳第四十六 東夷 俀國」に記述された俀王多利思北孤による「日出處天子致書日沒處天子無恙云云」・・


 例えばね・・ 「日出處天子致書日沒處天子無恙云云」は、

「日いづる所の天子、日没する所の天子に書す。つつがなきや?」

と・・倭王から隋皇帝の煬帝に宛てて届けられたのねん。遣隋使・・でんな。第二回の607年のことと言われとるのねん。

 小国の倭の、王とは言えども、大国の天子に同格の天子として物を言ったもんでね~・・あちらの天子さんも、

「・・ざけんなよ!」

と、怒ったらしいのねんよ。


 遣隋使の小野妹子(おののいもこ)さんもさすがに困り果て、返書を無くしたことにして何とか言い訳をしたらしい~・・。ま、しょうがないよね~・・大国相手だからね~。


 じゃぁ、こんな文章を書いたのは誰だ?っちゅう話しになる訳で~・・それがかの「聖徳太子」だっちゅうことで、一応は収まってるのが現状なのかな~と。

 しかしね~・・、聖徳太子さんって言えば、推古朝の「皇太子」もしくは「摂政」として、政治を司ったとされとるのは・・知ってるよねん?

 本名は厩戸(うまやど・うまやと)であり、厩戸の前で出生したことによるとの伝説がある。また、母が実母である蘇我小姉君の実家、つまり叔父・蘇我馬子の家で出産したため、馬子屋敷が転じて厩戸と付けられたとする説や、生誕地の近辺にある厩戸という地名から名付けられたとする説もある。

 別名として豊聡耳(とよとみみ、とよさとみみ)、上宮王(かみつみやおう)とも呼ばれ、顕真が記した『聖徳太子伝私記』の中で引用されている慶雲3年(706年)頃に作られた「法起寺塔露盤銘」には上宮太子聖徳皇、『古事記』(和銅5年、712年)では上宮之厩戸豊聡耳命、『日本書紀』(養老4年、720年)では厩戸皇子のほかに豊耳聡聖徳、豊聡耳法大王、法主王、東宮聖徳と記されている。

by Wiki

 ま、そんなもんなんでね~。聖徳太子が「アメタリシヒコ(アメタリシホコ)」っちゅうことになってるのねんよ。

 でもね・・・推古朝の摂政ったってね、その頃は摂関制度なんぞは無かったのねんな。だから少なくとも摂政っつうのは・・無い。皇太子として、大王の代わりに政治をしたかもしれんけんどね。

 でもでもね・・・本当に推古朝の皇太子だったのか・・ま、つまり、大和朝廷の皇太子だったのかな~?と・・ファシレのおじさんは思うのねんよ。王では有っても大王や天皇では無いし、ましてや、大和朝廷の皇太子だったかどうかも・・ね。

 日いづる所の天子、日没する所の天子に書す。つつがなきや?

 これは、日の出る国にいる「天子」が、日の沈む国の「天子」に対して言った言葉なのねんよ。「天子」なのねん。

 隋の天子は・・判るよねん?・・そう、遣隋使の1回目、600年には高祖文帝であり、2回目の607年は煬帝に宛てたもの。それは誰でも調べりゃ~判るのねん。

 じゃ、日の出る国にいる「天子」って・・誰なのねんな?



 えっ?・・判らんかいな?・・「天子」なのねんよ。「天皇」でもなけりゃ「大王」でも無い・・、ましてや「太子」でも無いし「聖徳太子」でもないのねん。

 「天子」と自分で言えるのは「中国の皇帝」でんがな。もしくは、「中国の昔の皇孫」でんがな~。倭人は間違っても自分のことを「天子」なんて言わんでっしゃろ~?

 倭国にはね~・・・中国から逃げてきた昔の皇帝の血族が沢山いたのよねん。前回も書いたよね~。周やら呉、斉、楚・・そして秦・・・。大体は見当がついとるけんども、そんなに大事なところじゃ無いのんで、どこの皇孫が書いたのは言わんけんね。でもね・・

倭王(と、その頃、されていたのは)は正真正銘の天子(中国の皇孫)だった!

のねん!

 だから、倭王は聖徳太子でも推古天皇でも蘇我馬子でも無いのねんな~。


 あ、あとね~・・遊んでたら妙なことになっちゃってね~・・困ってるのねんよ。こんなことになっちゃって良いのかな~?とは思うのねんけど・・。

開皇二十年 俀王姓阿毎 字多利思北孤 號阿輩雞彌

開皇二十年、俀王、姓は阿毎、字は多利思北孤、阿輩雞弥と号(な)づく。

 これは一般的に 倭王の姓は「アメ」、あざなは「タリシヒコ」、号は「オオキミ」 とされてる文なのねんが、ファシレのおじさんにはどうしても、阿輩雞彌 が 「オホキミ」 には読めんでね~。中国語の発音のページが有ったもんでね・・ちょっと当てはめてみたのねんよ。そしたら、大変なことになってしまってね。ま、今と昔では発音が違うし、中国は地方によってまるっきり違うっちゅうものあるけんど、これは無い・・と・・ね。

(とりあえず中国語の発音の四声は無視)

阿 --> ā --> 「あ~」

輩 --> bèi -->「べぃ」

雞 --> jī --> 「ぢ~」

彌 --> mí -->「みぃゅ」


 つまり、倭王は「あべ  ぢみぃゅ」 と号す・・ちゅうのよねん?・・あれ?あべしゅしょう?・・いや、そりゃ無い・・(^^ で、調べてみるとね~、ありゃ大変!


阿倍 内麻呂(あべ の うちまろ 生年不詳 - 大化5年3月17日(649年5月3日))は、飛鳥時代の政治家。『日本書紀』で阿倍麻呂[要出典]、阿倍倉梯麻呂と記される人物と同一と考えられる。姓は臣。阿倍鳥子の子。大化の改新で左大臣に任じられた。

生涯

推古天皇32年(624年)、大臣の蘇我馬子が推古天皇に葛城県の譲渡を要求し、内麻呂と阿曇連が遣され天皇へ奏上している。推古天皇はこの要求を拒否した。

推古天皇36年(628年)、推古天皇が崩御すると田村皇子と山背大兄王が有力な皇位継承候補となった。大臣の蘇我蝦夷は内麻呂と議して自邸で群臣と皇位継承について諮った。群臣の間で意見が分かれたが内麻呂は田村皇子こそが推古天皇の意中であったと主張した。蝦夷の望みも田村皇子であり、結局、田村皇子が即位した(舒明天皇)。

皇極天皇4年・大化元年(645年)、中大兄皇子と中臣鎌子により蘇我入鹿が暗殺され、父の蝦夷は自殺して蘇我本宗家は滅亡した(乙巳の変)。皇極天皇は譲位し、孝徳天皇が即位して新政権が発足した。左大臣には内麻呂が、右大臣には蘇我倉山田石川麻呂が任じられ、各々金策を賜与されている。内麻呂は豪族を代表する重鎮として、また娘の小足媛を孝徳天皇の妃とし、有間皇子を儲けていることから新政権の中枢に加えられたと考えられる。

大化4年(648年)、内麻呂は四天王寺で仏像4体を迎えて法要をとり行った。

大化5年(649年)、死去。孝徳天皇が朱雀門まで来て哀悼し、皇極前天皇・皇太子をはじめ群臣が哀哭した。なお、その直後に、右大臣の蘇我倉山田石川麻呂は謀反の密告があり、自殺に追い込まれた。

by Wiki


 どうでっしゃろ?・・内麿の発音は、かなり近いとは言え・・同じだとは言い切れんかもしらん。でも、「阿輩」の発音は日本語的な「オホ(オオ)」ではあり得んで、「アベィ」。つまり「阿部」。

 っちゅうことは、そのころの倭王は「阿部氏」っちゅうこと?・・じゃぁ、記紀が書いてることって一体なんなのねん?・・っちゅうところで今回は終わるのねん!・・残念~!ではバイナラ~!アディオ~ス~!チャオ!またね~!

P.S.ファシレが遊んでた中国語の発音サイトはここね・・コピーペーストでやってみてちょ~♪
http://www.frelax.com/sc/service/pinyin/
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