不比等さんもやらかした??!君 は 郡 と同じ?






 例えば何かをやらかしてしまった時、何とか隠し通そうとして、証拠隠滅を図ったり、偽証をしたり・・ということは、現在でも良くあることだよねん?後ろに手が回ることもあれば・・つまり、捕まるっちゅうことだけんど・・自分の密かな楽しみを誰にでも教えたくないとかもあるよね~。でもたった一つの「やらかし」が、全て水の泡になってしまうこともあるから怖いのねん。


 古代の日本では小さい集団が沢山有って・・、時にはお互いに手をつないで、より大きな集団に対応するけれど、ひとたびその大きな集団が崩れると、ハゲタカのように群がって、さっきまで手を繋いでいたはずの仲間だった集団と争いが始まったりするわけで・・。ま、今でもそれは変わらないのかな?・・イスラム圏での出来事を他人事のように見ちゃっててもそのように思えるし、国内でも個人や中小の小売商店やスーパーを倒産に追い込んだ末に価格破壊を言い出した巨大スーパーさんでさえ・・結局は自身を価格破壊する始末。市町村じゃ巨大小売企業がさして儲からないと踏んじゃ・・入れ物(建物ね)だけ残して抜けてしまうと、人口は減少するわ、若い人は地元を出るわ、商店は無いわ、医療や様々な行政サービスは受けられないわで、過疎化が進み、

「シャッター通り」
なんちゅう言葉が生まれてしまう状況にも、もう誰も何とも思わないのかもしれんね~。破壊する者はその対象にまで思いが至らんし、ましてや自分も失敗して対価を支払ったくらいにしか思わんのだろうね~。お互い様で暮らしてきた、ほんの少し前までの昭和的生活から、

「お客様は神様です!」

っちゅうバブリーな言葉を頭から飲み込んでしまってる、どうしようもない「勘違い人間」が、朝から晩までコールセンターにシツコク苦情電話を掛けてるそうだから・・ね。電話の向こうにも自分と同じ人間がいると・・理解できない人たち・・そんな方々はどう考えても「倭人」とは思えんけんどもね~。売る方も買う方も実はどっちもどっち、時と場合によっちゃ一瞬で立場が変わるのにね・・。


 たしかに古代の日本では、

「食べること」

がとても大変な時期だったのねんな。ま、実は今でもさして変わらんのかもしれんにしてもね。生活のレベルを落とさないと、とてもじゃないけど子供を生めない社会だからね~・・。それとも親がよっぽどお金持ちなら別なんだろうけんど、「貧乏人の子沢山」っちゅう言葉があるくらいだから、「金持ちは一人っ子」なのかもしれんね~。

 そして、食べて行くことが子孫を残すことに繋がるわけだから、寄らば大樹の陰って訳で、少しずつ、その集団が大きくなっていったんだろうことは想像が付くと思うのねんな。


 藤原不比等(ふじわらのふひと)さんの名前はもう、大抵の人が知ってるよね。何をした人なのかは知らんでも、相当大したお人なんだという理解はしてると思うのねん。(凡)人と比べること無かれっちゅう名前なのねんな~。

 彼のやったことは多岐にわたるけんども、やっぱり一番大きかったのは、


「日本書紀(日本紀)を書いた」


ちゅうことなのかな~と思うのねん。

 いや、彼が直接書いた訳じゃないけんども、不比等さんが指揮して書かせたのであって、亡くなられる年の西暦720年に、日本書紀が完成したと云われてるのねん。

 日本書紀は、神代から第41代持統天皇の御代まで・・つまり西暦700年過ぎ頃までのことを書いていてね・・古事記と合わせて、ほぼ日本の正史とされてるのねん。だけんど前回のブログ、

「え~?姫氏が倭の王だったの~?」

でも書かせてもらったとおり、都合の悪いことは書かない、省く、主語を判らなくする、(古事記と)漢字を変える、他の歴史書から拝借する、するっと混ぜ込む・・などと言うようなことをやってるようなのねんな。で、とてもお上手な仕上がりをしてるのねん。例え疑いを持っても日本書紀では完結できないようになってるし、都合の悪い本は焼き、時には村ごと移住させ、名前を変えさせたのねんな。だから完璧なはずだったのねん。不比等さんもきっと、

「これで万事おっけ~なのねん!」
と言って亡くなったかもね~。


 でもね・・ひょんなことから、ちょっとしたことから、隠したはずの事実がばれてしまうのねんよ。例えばね・・


 継体天皇の御代に、「磐井の乱」と云う戦いが有ったのねん。WIKIには、

磐井の乱(いわいのらん)は、527年(継体21)に朝鮮半島南部へ出兵しようとした近江毛野率いるヤマト王権軍の進軍を筑紫君磐井がはばみ、翌528年(継体22)11月、物部麁鹿火によって鎮圧された反乱または王権間の戦争。この反乱・戦争の背景には、朝鮮半島南部の利権を巡る主導権争いがあったと見られている。

と書いてある。


 ちょうどね・・前のブログの「白村江の戦い」の100年ほど前の事件なのねんな。で、この北九州辺りで乱を起こしたのが、

「筑紫君磐井」(ちくしのきみいわい)さん

なのねん。

 でもね・・どうも不比等さんも気付かなかったらしいのねん。執念で書き上げたはずの日本書紀に、

「筑紫国造磐井」(ちくしのくにのみやっこいわい)さん

と書いてしまったのねんよ。

                         うわ~・・やっちまったな~!



 別に・・筑紫君でも筑紫国造でも変わらんように思えるけんどもね。古事記や他の書では「筑紫君磐井」と書いてあるのに、日本書紀は「筑紫国造磐井」と書いてしまったのねん。ここに、不比等さんたちの意思が働いているかもしれんと思うと、物凄く大きな意味を持ってくるのねんよ。


 つまり、

「君(きみ)」

は君主(くんしゅ)なのねんな。言ってみれば「大王」なのねん。でも

「国造(くにのみやっこ・こくそう)」

は、朝廷(大王・天皇)に認められた姓なのねん。ま、今で言う「県知事」を世襲制にしたようなものでんな。


 だから、ある意味では本当のことを書いてしまったのねんよ。その時には、日本書紀編纂時にはきっと「国造」だったのねん。でも、その「磐井の乱」が有った時はね・・「筑紫君」だったのねん。でも筑紫君は没落したので、ついつい「筑紫国造」と書いてしまったのねん!


 不比等さんがやらなきゃいけなかったことは、

「君」という呼称は地方の長にも使うことが有る・・・みたいなことを、それとなく・・日本書紀にしのばせた上で、「筑紫君磐井」と書かなきゃいかんかったのねん!判るよね~??


 このことでね・・何が判るかっちゅうと、

「筑紫君磐井」は「畿内大和政権」と同等、もしくはそれ以上の大王


「磐井の乱の時点で日本は統一などされてはいなかった」
っちゅうことなのねんな~。関東以北の蝦夷を除いても統一王朝と云える状況じゃなかった。たった一文字だったんだけどね~!・・残念!・・惜しかったね~!


 でね~・・あとひとつ、これもびっくりなんだけども・・「倭」という漢字、どう読むか判るかな?

「わ」

でんな。そりゃ間違いない・・「やまと」と読ませるかもしれんよね。


 でもね、「倭」っちゅうのは、大陸人が日本人たちを見て「倭」と言ったことを忘れないようにせんとね。


 で、これまたWIKIを見ると、こんな風に書いてあるのねんよ。


倭(わ、やまと、ワ、ヰ、ウェイ(中国南方音)、ゥオー(中国北方音))は、

紀元前から中国各王朝が日本列島を中心とする地域およびその住人を指す際に用いた呼称。紀元前後頃から7世紀末頃に国号を「日本」に変更するまで、日本列島の政治勢力も倭もしくは倭国(わこく)と自称した。倭の住人を倭人(わじん)という。和、俀とも記す。



 ・・・ね?・・びっくりだしょ?・・すっげ~・・でも・・えっ?・・何がびっくりか判らんぞと?

いや、つまりね・・中国南方音、隋や唐が有った辺りの発声では

「うぇい」

なのねん。「うぇい」でっせ?・・え?まだ判らん?・・じゃ、これは?

「磐井」

ま、「いわい」

でんな。


 両方を順に発生してもらうと・・判るのねん。

・・そ、一緒なのねん!


「うえい」「いわい」を聞き分けられるかどうかは、おそらく発声者の且舌と、聴取者の文化によって決まるのねん。それに、「倭」は「ウワイ」と発音する・・とおっしゃってる方もいらっしゃり・・つまり、

「筑紫君磐井」



「筑紫 大王 倭」

と表現している可能性があるのねんよ!簒奪した倭の歴史・氏素性・財産他全てがバレる可能性がある・・だからこそ不比等さんは「君」を書かなかったのかもしれんのねん。・・・そして、本当は日本書記のどこかに、


「君 は 郡 と同じ」

みたいにお得意な漢字の読みで錯乱狙いを差し込むか、「君」の階級についてコネコネしてから密かにどこかに差し込むか、結果としてどのように取られても問題が起きない・・推測でしか無いように対策をするつもりだったかもしれんのねん。そして他の書、紀・記・系図は差し出させて全て焼くつもりだったのねん。でも、最初のそれをする暇が無かったか、体調不良で忘れてしまったのねんな~!本当に・・残念!惜しい!もう少しだったのに~!せっかく子孫の藤原氏も色々と画策したけんどもね~。

 945年に書かれた旧唐書の東夷伝の中には、日本列島に「倭国伝」と「日本国伝」の二つが並立していて、

日本は倭国の別種で、もともと小国であった日本が倭国を併合した・・

なんて書かれてたのを・・1060年に書かれた新唐書では「日本伝」としてひとつにまとめられてるのねんな。・・さすが不比等さん・・子孫にも抜かりなく手配させたのねん!


                    はぁ?

 もっとも、こんな考え方は九州王朝説?・・多元説の範疇になるのかな~・・でも、偽書の判子を捺された「東日流外三郡誌」のアラハバキ族だって、少しは可能性があるかとは思うけんどね~。


 ま、ほんま奇奇怪怪な日本史だけんど、ちょっとだけ「倭人の正体」に近付けたかな~と思うのねん。ただしね・・ファシレのおじさんの云うことだから、全くアテには成らんよ。そこんとこはよろぴくね~。・・そろそろ天照かな~?・・じゃ、またね~、ばいなら~!アディオース!

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No title

中国の歴史もそうですが、ここ数年本当はこうだったというのがわらわら出てくるのが驚きです!ファシレさんの読み解きもほーっという感じで読んでおります。それでチャクラも陰謀も歴史も全部総合で関係してくるんですよね。どれも無視出来ないなと思います。あと相手の立場になってという意識変換が出来ない人もすごく多いですよね。西洋人にはこうした意識の動きが出来ない人、粗さがある人が多くいますが日本人でそういう人がいるとエーッと思ってまじまじ見てしまいます。それが教育のせいなのか、血のせいなのか‥。

Re: No title

allex さん

いつもコメント、有難うございます~!

> 中国の歴史もそうですが、ここ数年本当はこうだったというのがわらわら出てくるのが驚きです!ファシレさんの読み解きもほーっという感じで読んでおります。それでチャクラも陰謀も歴史も全部総合で関係してくるんですよね。どれも無視出来ないなと思います。あと相手の立場になってという意識変換が出来ない人もすごく多いですよね。西洋人にはこうした意識の動きが出来ない人、粗さがある人が多くいますが日本人でそういう人がいるとエーッと思ってまじまじ見てしまいます。それが教育のせいなのか、血のせいなのか‥。

 そうなんですね~・・。ファシレのおじさんも何故か「倭人」を探索することになってしまって最初は頭を抱えてましたが、なるほどな・・と全てが関連しているようにも思います~。

 意識変換についてはやっぱり育った環境も有ると思うし、自己保全に重きを置くべき生命体の宿命なのかもしれませんね・・。ただ自分の親を見てると血と言うよりは魂かな~とも・・思っちゃいますね~・・うちの場合は残念ながら・・?またコメントくださいね。有難うございました~。
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 何でこんなに判らんことが多いのかが良く判らん!その判らんことの答えを探して旅に出たつもりが、その答えも見つからんうちにもっと判らんことの答えを探す旅に出ることになっちまったい・・・
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