日本 その4






 そろそろ本題に入らんといかん・・と思いつつ、2カ月も経ってしもうた・・申し訳無いの~・・。・・とは申せ、ひっじょ~に誰も見とらん・・に近いブログなだけに、書いたところで誰も気にせんしの~・・でも、こんなん書いちゃってほんと、だいじょ~ぶなんかの~???と、づ~~~~っと葛藤を続けていたのねん。かなりの決心がいるのねんな~・・たかが文字の羅列でしかないのねんが、時に誰かを傷つけてしまうかもしれんし、そうするとそれは何らかの形に変わってでも自分に向かってくるのは必定なのねんから。

 書かんのが良いのか書いた方が良いか・・たとえ誰かが何かを隠滅したことに気付いたとしても、そんなにも臭ったもの、臭いものにフタをして、ただただ時を過ごして生きるっちゅうことは、気付かなかったことと同じにはならんで、何かを隠滅した者と同罪だとは判っているのねんがの・・。

 昨今は何かね、

「そんなに自分が大事なん?」

と他人に対して思えるようなことがあまりに沢山有って、けっこう凹んでまんがな・・。ま、ファシレのおじさんみたいなもんは圧倒的少数派であるんは自分でも大いに判っとるけんども、じゃぁ、自分がそんな場に出くわした時に、そんなに一貫した自分を持っているのねんか~?・・と自問した場合に、

「・・ん~~~・・迷うのねんな~~」

などと思った段階でもう、自分を凹ませた誰かとさして変わらんかったことに気付くことにもまた凹むのねん・・。


 「新撰姓氏録」を見るとね・・非常に面白いのねん。

「どこ出身のどなたは(その時の)誰々っちゅう名前なのねん」

とか、

「誰々っちゅう名前の人はxxx神の子孫なのねん」

と書いて有るように読めるからねん。


 平安時代の初期の西暦815年に出来たのねんから、色んなことが有った西暦700年前後からは120年位後の成立なのねんな~。

 で、さらに面白いのはね・・

「百済・百済王、新羅・新羅王、高句麗・高句麗王、秦を始めとする中国勢、任那、伽耶出身者は出ているがそれ以外は出て来てない」

っちゅうことでんな~~。

 まぁ、伽耶ったって高霊、金官くらいしか出て来んのねん・・他にも有ったのねんよ。安羅、古寧、星山、小加羅の伽耶に、多羅、卓淳、己汶、滞沙などね~・・。

 例えば安羅(あら)っちゅう国の出身者には新井さん、荒井さんとかね・・今でもそう名乗ってる人も沢山いらっしゃる位、大挙して日本列島に移動してるのねん。関東には沢山のアライさんいらっしゃるのねんよ~・・・。でもねん、

「安羅王のダレダレのあと・・」

なんぞは全く書かれておらんのねん。有ったかどうだかを韓国とバチバチやっとる「任那」さえね・・

任那国豊貴王之後也
任那国賀羅賀室王也
任那国人都怒賀阿羅斯止也
任那国主龍主王孫佐利王也

とね・・しっかり書かれとるのねん。記紀には全くその名も載って無い、レア情報なのねん。少なくともこの西暦815年の段階では、任那は国で、何人もの国王がいたことが判る・・もしくはそのように理解されていたことが想像できるのねんな~。

 ところがそんなレア情報満載の「新撰姓氏録」でもね・・全く出て来ない国が有るのねん・・。

「それって・・だいぶおかしいと思わん?」


 以前の記事にも書いたけんど、百済の「阿麻意弥(あまおみ)」は日本に来て「取石造(とりいしのみやっこ・とろしのみやっこ)」と名前を変えていることさえ判る「新撰姓氏録」に、掲載されない倭人国家出身者って???

「・・・倭王だった者、それに直接つながる者、もしくは倭・日本の指導者」

の可能性が高い!・・と思えるのねんがねん。


 神功皇后さんが三韓征伐をされた後のこと・・

 神功皇后49年(249年または369年)3月には神功皇后が、将軍荒田別(あらたわけ)及び鹿我別(かがわけ)卓淳国へ派遣し、新羅を襲撃しようとするが、兵の増強が進言され、百済の将軍木羅斤資と沙沙奴跪(ささなこ)と沙白(さはく)・蓋盧(かふろ)らに合流を命じて、新羅を破った。比自[火+保](ひじほ)、南加羅喙国(とくのくに)、安羅(あら)、多羅(たら)、卓淳加羅七カ国を平定した。さら西方に軍を進めて、比利(ひり)、辟中(へちゅう)、布弥支(ほむき)、半古(はんこ)の四つの邑は抵抗もなく降伏した。
by WIKI

となっとるのねん。


 ま、三韓征伐が本当に有ったのか・・神功皇后は本当に存在されたのか・・それは何年のことなのか・・とかの問題も有るけんども、その後の様子を見る限りにおいては、それに近いことは有ったと言えると思うのねん。

 だとするとね・・

「七カ国を平定」
「四つの邑は降伏」

だしょ?

 平定し、降伏させたら・・次はどうしなきゃいかんかな~?

「治める・統治する」

 これが無きゃおかしいのねん。


 ところがでんな・・記紀を見ても、三国史記の百済本記や新羅本記を見てもね・・その平定した後の指導者が・・書いて無いのねんよ。まったく伝わってないのねん。まぁ、加羅は六カ国ほど有って金官国王、高霊伽耶王のみ後世に伝わってるし、安羅王の1人はね・・ちらっとだけ伝わってはおるけんども、

「平定した直後の比自ホ、南加羅、喙国、安羅、多羅、卓淳の王が伝わってない!その後もほとんど判らん!」


ちゅうのんは、絶対におかしいのねん。ま、古爰津(こけいのつ)と忱弥多礼(とむたれ 済州島)を亡ぼして百済に賜った・・とはされとるけんね・・それだけさ・・あらっ?


 何故ってね・・あれだけ記紀に神功皇后の功績として綿々と描かれているのにも関わらず、しかも「平定」しとるのねんから、その代理の王について何も書かん方がおかしい・・だしょ?

 結局は書かんかったのでは無く、書けんかったのねんな~。そうゆ~ことだしょ?

 先のWIKIから引用させていただいた文の中の将軍さんは、毛野氏族なのねんが・・崇神天皇さんの末裔と言われておるのんで、皇族でんな~・・「新撰姓氏録」的に言うと「皇別」になるのねん。

 で、お名前を見るとね・・・ひじょ~に有名なお方で、

「荒田別(あらたわけ)さん」
「鹿我別(かがわけ)さん」

とおっしゃるのねんが・・この名前でね・・判っちゃうよねん・・ん?。。判らんかぁ??

「荒田別(あらたわけ)さん」--> の一族が -->「安羅・多羅・分け られて統治」

「鹿我別(かがわけ)さん」--> の一族が --> 「伽耶・分け られて統治」

っちゅうことだんねん。かなり安易だし、危険さも含むとしてもねん・・伽耶全部を分けてもろうた訳じゃぁ無いのは当然だしねん。

 しかし、記紀ではこのお二人は戦いの後、しっかり帰順したことになっとるのねんよ。列島に帰ってきたことになっとるのねん。


 せっかく平定してもね・・何もせんで帰ったりはせんのよねん。ちゃんと統治したのねん。それが、

「毛野一族」

なのねん。


 でね・・これにはちゃんと「オチ」が有ってね・・そう、例の筑紫君「磐井(ちくしのきみ いわい)の乱」の時でんな~・・。


 527年(継体21)6月3日、ヤマト王権の近江毛野は6万人の兵を率いて、新羅に奪われた南加羅・喙己呑を回復するため、任那へ向かって出発した(いずれも朝鮮半島南部の諸国)。この計画を知った新羅は、筑紫(九州地方北部)の有力者であった磐井(日本書紀では筑紫国造磐井)へ贈賄し、ヤマト王権軍の妨害を要請した。
by WIKI

 ・・そう・・磐井さんが本当に反乱を起こしたかどうかは別にしてもね、

「近江毛野さんが南加羅・喙己呑を奪い返すために出発」

したと・・記紀に書いて有るのねんな~・・。


 もう・・判るよね~・・判らんかぁ・・?


 でね・・実は記紀にはさらに「オチのオチ」も・・書いて有るのねん。
 

 物部麁鹿火によって磐井の乱が平定された後、翌年の528年に、毛野はようやく任那の安羅に赴任し、新羅との間で領土交渉を行った。しかし、毛野は驕慢な振る舞いが多く、新羅・百済両国王を召し出そうとしたが、両者が応じず失敗。逆に両国から攻撃される始末であった。事態を重く見た朝廷から帰還の命令が出されたが、これを無視。530年、再び召還されて応じるも、その帰途対馬で病死した。
by WIKI


 どう?・・これって・・一体ど~ゆ~ことなのねん・・って思わん?


 まぁ、近江毛野さんは一応、「近江氏」のククリにされておるようでね・・毛野氏族とはされとらんのねん。日本書紀では「近江毛野臣」とされててね・・「波多氏」にククられとるけんども、


「毛野氏族が統治していた半島の国が新羅に奪われたので同族が助勢に行った」


のがホントだしょ。・・もしくは・・

 ま、近江毛野さんが波多氏だとしてもね・・神功皇后とは同族の息長氏族なもんでね・・大将軍の荒田別さんが崇神天皇直系で、その後に断絶が無きゃ、これも末裔に違いは無いのねん・・・いや断絶が無きゃ・・ね。

 近江毛野さんが亡くなられてね・・それが530年だけんども、532年には金官国が新羅に滅ぼされて国王が降伏(でも皇太子に食扶ちとして所領を安堵)、562年には任那諸国を新羅が滅ぼしたのねん。

 っちゅうことはねん・・少なくとも562年以降、滅ぼされた国の王や領民はそのまま新羅の配下になるか、列島(もしくは高句麗辺り)に逃げ出したか、新羅に殺されたか・・ということだしょ?

 でねでね・・ここで今回のメインイベントが始まるのねんよ・・。凄いのよん・・書いちゃって・・良いのかの~・・とは思うけんども・・。


 百済本記にはね・・

「辛亥(しんがい)の年に日本の天皇及び太子・皇子がともに死んだ」

とね・・書いてあるのねん。


 百済本記・・はね・・原本は現存もせんし、書紀などの記述を元に書かれたとされてはおるのだけんども、その日本書紀にもね・・継体天皇の崩御年を算出するために、その文章が掲載されとるのねん・・

 そう・・

「日本!」


又聞、日本天皇及太子皇子、倶崩薨。由此而言、辛亥之歳、當廿五年矣

 辛亥の歳は西暦531年と見られててね・・。でも、記紀記載の「倭(やまと)の王」「天皇」には全く該当せんのよねん。しかもしっかり「日本天皇」とね・・書いてあるのねんよ。


 日本と言う国名を元にした記述が出てきたのは、おそらくこれが初めて・・なのねんな~~。でもね・・該当する天皇さんが日本にはおらん・・っちゅうことでんねん。


 記述されたものに初めてね・・日本の文字が出たのねんからね・・いや、でも初めてかどうかは微妙でね・・「任那日本府」・・が有るからね・・・で、これは「やまとのみこともち(倭宰)」と読まなきゃいかんようでね・・めんど~なのねん。

「みまなにほんふ」

でよろしいがな~・・。誰がど~やっても「やまとのみこともち」とは読めんのねんから・・。


 もしね・・本当に「みまな の にほん ふ」、もしくはね・・任那が滅んで安羅に移動しとるもんで、「安羅日本府」も「あら にほんふ」でよろしいとするなら・・


「日本=倭ではあり得ない!」


ちゅうことにならんかの?

 中国の正史とされる西暦945年に成立したと言われる「旧唐書(くとうじょ)」の日本国伝には、こう書いてあるのねん。

「日本國者 倭國之別種也 以其國在日邊 故以日本爲名 或曰 倭國自惡其名不雅 改爲日本 或云 日本舊小國 併倭國之地」

とあり、

日本は倭国の別種で、もともと小国であった日本が倭国を併合した。
by WIKI

 そうなのねんよ・・いや、新唐書っちゅう本には微妙に違うニュアンスにはなっとるのねんけんどもね・・

「日本=倭では無く、日本が倭を併合!」

と、旧唐書には一度書かれ、その後出された新唐書(西暦1060年成立)には、

日本乃小國 為倭所并 故冒其號

「倭は小国の日本を併合し、その名を奪って号した」

と書いててね・・

「倭>=日本」

だと・・主張してるのねんよ。


 それって絶対・・

「おかしくね~すかぁ?」

 だって・・日本が見つかりもしないのにね・・日本の名前を奪えるのかの~?・・それに、一度は「日本=倭では無い」と言っておきながら、「倭>=日本だ」なんてね~・・。

 つまり、

「日本国隠し」

が行われた・・っちゅうことでんねん!倭が日本と単純に名乗りを変えたのなら、まぁ・・判らんでも無いの~・・。でも、日本と名乗る国、もしくは地域が有って、それが倭を併合したか、それとも倭が日本と名乗る地域・国を併合してその名を奪ったか?・・と聞かれりゃぁ・・勿論のこと、前者でしかあり得んだしょ?

「併合した国の名前を名乗ることは無い」

し、

「そもそも名乗りさえ無い日本の名など奪いようが無い」

のねん!


 っつ~ことは・・あれ?・・毛野氏って、上毛野(かみつけの・上野 こうづけ)と下毛野(しもつけの 下野 しもつけ)の毛野さんだしょ?・・じゃぁ・・日本って?あれ~?


っちゅうところで、すまんの~・・時間切れじゃ・・書きたく無いの~・・じゃぁまたね~・・

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見てるのであります

にゃん吉は画面に穴が開きそうなほど見てるので、大丈夫なのです。

……ただ、中身を理解してるかどうかはまた別の話だけど。

にゃん吉はあんまし深く考え込まないので、ファシレのおじさんのようには悩まないなぁ……悩むほど賢くないし。

世の中、ダメな人ばっかしだし。
にゃん吉もダメだし。
そんなダメダメをちゃんと受け入れていけば、そのうち幸せが津波のようにやってくるですよ。


んで、本題に入るです。

にゃん吉は、歴史もサッパリわからんのねん、なのだけれども、何故『日本』と『倭』を同一にしないといけなかったのかが、さらにチンプンカンプン……。

『倭』を隠すために、本当は負けてないんだけど『日本』に負けたことにしたとか……。

『倭』と『日本』が同じじゃないってことは違和感ないけれども、『日本』の王族が亡くなってるのに、『日本』が残って『倭』が消えた?
ちょ~~~違和感なのです。

Re: 見てるのであります

にゃん吉さん
いつもコメント、有難うございます~

> にゃん吉は画面に穴が開きそうなほど見てるので、大丈夫なのです。
> ……ただ、中身を理解してるかどうかはまた別の話だけど。
> にゃん吉はあんまし深く考え込まないので、ファシレのおじさんのようには悩まないなぁ……悩むほど賢くないし。
> 世の中、ダメな人ばっかしだし。
> にゃん吉もダメだし。
> そんなダメダメをちゃんと受け入れていけば、そのうち幸せが津波のようにやってくるですよ。

 そ~ですね~・・でもまぁ結局同じなのかな~・・

> んで、本題に入るです。
> にゃん吉は、歴史もサッパリわからんのねん、なのだけれども、何故『日本』と『倭』を同一にしないといけなかったのかが、さらにチンプンカンプン……。

 同一にしなきゃならんかったのは、当時の状況(敗戦・地震などによる混乱)・・、対外的には倭を継ぎながらもの日本を前面に出すことで負けた責任を認めずに「関係無し」を装い、でも国内的には滅亡した百済・高句麗からの移民を受け入れなきゃならんし、敗戦の痛手を被った下々に対して、また抵抗勢力を抑え込むために万世一系を標榜せんといかんかったんすね~。

> 『倭』を隠すために、本当は負けてないんだけど『日本』に負けたことにしたとか……。
> 『倭』と『日本』が同じじゃないってことは違和感ないけれども、『日本』の王族が亡くなってるのに、『日本』が残って『倭』が消えた?
> ちょ~~~違和感なのです。

 え~・・そこんとこは次回以降すね~・・。何せまともな資料が残っとらんので・・。結局、三国史記・百済本記にしたって、記紀を資料にしてずっと後世に書いてるもんで・・後は古老の口伝ぐらいだしょうけど、内容を熟知している高官・貴族は唐に引っ張られた者以外は亡くなったか列島に逃げたか・・なもんで、それに勝者側で煩かった新羅も935年に滅んでもうて半島に残った者じゃぁ何もわかりゃせんのねん。三国史記は西暦1145年成立なもんで、ど~にもなりましぇん。結局、フォースを使うしかないのねんな~!・・

 あ、フォースか・・阿呆っす・・・お時間がよろしいようで・・。

No title

ふぉーすを使うと富山の辺りがあやし〜よーな。。。

Re: No title

山田本家さん

いつもコメント、有難うございます~・・

> ふぉーすを使うと富山の辺りがあやし〜よーな。。。

 そ~っすね~・・大本の本家はそこでしょうね~・・。噴火・地震で移動・・そして・・v-57

・・山田本家って。。お饅頭が美味しそう・・。

言語

博学のファシレのおじさんにちょっと教えてもらいにきたです。

「邪馬台国時代の言語」と「上代日本語」と「現代日本語」は、同じ流れのものですか?
それとも別の流れのものなのかな?

もっと前は、やっぱり大陸からの流れ?

Re: 言語

にゃん吉さん

いつもコメント、有難うございます~・・

> 博学のファシレのおじさんにちょっと教えてもらいにきたです。
> 「邪馬台国時代の言語」と「上代日本語」と「現代日本語」は、同じ流れのものですか?
> それとも別の流れのものなのかな?
> もっと前は、やっぱり大陸からの流れ?

 え~・・言われる分類が、ファシレは良く理解できてないと思いますが・・でも邪馬台国時代の言語は、その土地毎に異なっていたはずなので、一緒くたには出来んと感じとります~~。ただし、そのもっとずっと前を言うと、根っこが同じ・・。大元は同じでも数百年~千年も別に暮らすと、かなり違ってしまう・・。

 言ってしまえば今の日本人は、物凄い混血を繰り返して今になっているので、言葉も大きく変わっている・・でも根っこは同じ・・みたいでしょうかね・・。

 マヤ語辞典を見てますが・・全然判らん!でも・・

日本語の「下に~」は マヤ語で カブ
「日、太陽」が「キン」
「身体」が「クイラク」
「歩く」が「ロク」
「~無い」が「ム」
「墓、埋葬」が「ムクナル」
「負かす」が「ムクツン」
「(感)おい、やあ、おや」が「オイ」
「散らす、ばらまく」が「パア」
「動く」が「ピク」
「死んだ日」が「ピク ムクナル」
「ツバ」が「ツブ」
「寝る」が「ウェネル」

と・・漫才をやってるようです~・・すみませんね・・返事になってないようで~!

マヤ語辞典…

ファシレのおじさんありがとです。

最初はひとつで、段々と細分化したってことなのか。

……とすると、自然の流れでいけば、言語は時間の経過と共に細分化していくってことなのだ。
言語は文化で意識。
だから世界は広がっていく方向。

それにしても、ファシレのおじさんはマヤ語辞典っていうのを持ってるのか。
きっとレアな辞典。

マヤ語が韻として乗ってるのはとっても面白いのだ。
もしかすると方言に良く溶け込んでいるのかもしれない。

生きてるかなぁ~~(  ・ _ ・  )ジー

まだかな、まだかな~~♪

おじさんの、更新まだかなぁ~~♪

師走は、否応なしににゃん吉も走らされている……。
きっとファシレのおじさんも走っているに違いない。o( ̄ー ̄;)ゞ

Re: 生きてるかなぁ~~(  ・ _ ・  )ジー

にゃん吉 さん

いつもコメント、有難うございます~
> まだかな、まだかな~~♪
> おじさんの、更新まだかなぁ~~♪
> 師走は、否応なしににゃん吉も走らされている……。
> きっとファシレのおじさんも走っているに違いない。o( ̄ー ̄;)ゞ

 まさにマラソンのまっ最中でして~・・何とか書き上げたいと思っとります~・・しばしお待ちを~
プロフィール

NSY3

Author:NSY3
 何でこんなに判らんことが多いのかが良く判らん!その判らんことの答えを探して旅に出たつもりが、その答えも見つからんうちにもっと判らんことの答えを探す旅に出ることになっちまったい・・・
不徳の致すところでございます♪♪またまたどちらに「おでかけ・・レソか?」今回は夫玉を探しに・・、おっと~!違った、音霊を探しにおでかけレス!

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