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新羅の影はもの凄~~~い濃いぞ~・・






 倭の歴史もだいぶ佳境に入って来たのねんが、まだまだね、説明せんと成り立たん部分が沢山あってね~・・・めっちゃ大変なのねん。

 この間の中臣鎌足(なかとみかまたり)さんだってね・・・普通じゃぁ考えられんお人なのよ・・。中臣氏っちゃぁ、神儀伯の家系・・・つまり今で言う「神道」のトップの家柄だと言いつつ・・ね、長男を出家させて唐に学ばせたり、自分は中大兄皇子と一緒に、大化の改新につながる乙巳の変で、蘇我入鹿さんを殺し、蘇我宗家を滅ぼしただけ・・・で「内臣」になったとされてるのねん。

「・・でっ?」

 ・・実は、あとは何をしたのか、よ~判らんっちゅう・・お人なのねんな~。ほとんど伝わって無いのねんよ。それがあの藤原不比等ちゃんの親父さんなのねん。亡くなる時に、先の中大兄皇子、その時は天智天皇さんに「大織冠」を授けられ、「内大臣」に位されてるのねん。

 大識冠の官位は最高位でね・・・後にも先にも鎌足さんだけしかいないっちゅう

「・・本当にあったのか~?」

と思いたくなるような出来事だしね~。


 ま、それはさておきね・・。その頃の・・つまり西暦600年から700年くらいの間だけんどもね・・百済の影があっちこちに見えるような時代なのねんけんども、新羅の姿も・・物凄~~い、見えるのねんな~・・。


 これも前にも聖徳太子さんのところで話したけんどもね・・・善光寺に斑鳩厩戸勝鬘さんからの手紙が届いて、それが現存するのねん・・・っちゅうことで、

「・・西暦622年没の聖徳太子は646年に善光寺如来に手紙を書いてた!」

みたいなノリでね・・・書いてたのねんな~。


640px-Umayado_Miko.jpg

聖徳太子(しょうとくたいし、敏達天皇3年1月1日(574年2月7日) - 推古天皇30年2月22日(622年4月8日))

 ま、622年に亡くなられて、646年に手紙が届いた・・・っちゅうようなぁ・・えら~~~い気の長い話では無いのねんよ・・。


「♪しろやぎさんからおてがみついた~ くろやぎさんたら読まずに食べた~」


・・じゃなくってね・・



 勝鬘(しょうまん)っつ~のんはね・・聖徳太子が著した勝鬘経・・っちゅう話もあるのんけんどもね・・Fender のギターアンプにも Showman Reverb っちゅうもんもあるけんどね~・・全然関係無いけどね~・・


勝鬘夫人
勝鬘夫人(しょうまんぶにん、シュリーマーラー)は、古代インドの在家仏教徒。シリーマーラーとは「素晴らしい花輪」という意味で、勝鬘はそれを漢訳したもの。舎衛国(コーサラ国)の波斯匿王(はしのくおう)と彼の妃末利夫人(まりぶにん)の娘。阿踰闍(アヨーディヤー)国王の妃。by WIKI


から来とるもんで、女性やないかぁ?・・っちゅうことなのねんな~。


 ところがでんな・・・勝鬘さんっちゅう女性が何故か、この時代にいらっしゃるのねんよ・・・

Silla-monarch(22-30).png

真徳女王(しんとくじょおう、生年不詳 - 654年)

は、新羅の第28代の王(在位:647年 - 654年)であり、姓は金、諱は勝曼。『三国史記』新羅本紀に拠れば、父は第26代真平王の母方の叔父である国飯(国芬とも記される)葛文王、母は朴氏の月明夫人。また、『旧唐書』では先代の善徳女王の妹と記されている。647年1月に、善徳女王を廃して唐との和親を図ろうとした上大等の毗曇らの内乱の最中に女王が陣没し、善徳女王派の金庾信らによって勝曼が擁立された。長身で美人だったと言われている。by WIKI



 新羅の真徳女王さんは、生まれた年は不明だけんど、亡くなられたのは654年とされてるのねん。647年から亡くなられるまで・・新羅の王だったのねん・・。

 でね・・・さっきの、斑鳩厩戸勝鬘さんからの手紙はね・・・646年に黒木臣さんが善光寺に届けてるのねんな~。



御使 黒木臣

名号称揚七日巳 此斯爲報廣大恩
仰願本師彌陀尊 助我濟度常護念
命長七年丙子二月十三日
進上 本師如来寶前

       斑鳩厩戸勝鬘 上



 この命長七年っていうのんは・・・九州王朝の年号って言われててね・・・大和朝廷のものじゃぁ無いのねんよ・・。で、それが646年にね~・・


「・・あれ~?・・勝鬘なんて名前を使う可能性が有るのって・・??」


 そうなのねんよ~・・・。斑鳩っちゅうのは奈良の中心地・・でんな・・・太子がお住まいになったとか・・で厩戸っちゅうのんは普通は「うまやと」と訓ずらしいけんども、太子のお名前とされてるしね~・・・でも勝鬘っちゅうのんは、勝鬘経でもあるかもしらんけんど・・時代的には誰がど~考えても「真徳女王さん」だよね~・・?


斑鳩宮(いかるがのみや)は、
 聖徳太子が現在の奈良県生駒郡斑鳩町に営んだ宮殿。

聖徳太子は、推古天皇9年(601年)に斑鳩宮を造営し、推古天皇13年(605年)に移り住んだ。また、太子の手により、斑鳩宮の西方に斑鳩伽藍群(法隆寺・中宮寺・法輪寺・法起寺)が建立された。by WIKI



 しかもね~・・聖徳太子の「聖徳」に対してね・・真徳女王の「真徳」だっしゃろ~?・・因みに先代は姉にあたる「善徳女王」だっせ~?・・・さらには「善徳」っちゅう名は、あの蘇我馬子さんの長男の名前でね・・飛鳥寺(法興寺)の初代寺司っちゅう記録オンリーの方なのねんよ~。


 でもま~・・、そんなんはまだマシなのねんな・・。実は新羅にも新羅年号っちゅうのんが有ってね~・・・これが凄いのねん・・。新羅独自の年号で、しかも最後の年号を真徳女王さんが王になった時に号したのねんが・・それがなんと・・


太和(たいわ)は新羅が用いた独自の年号のうちで最後となったもの。第28代の真徳女王の元年(647年)から4年(650年)まで用いられた。by WIKI


太和

 でっせ~?・・「たいわ」ったら・・「大倭」「大和」でっしゃろ~?・・・「大」に点・・・まぁ天じゃなくてまだ良かったけんども、付けただけでっせ~?「太」っちゅう字は、点を上に付けると「天」でっせ~?・・あれ?


 ま、字はど~でもよろしおす。でも太和って年号は大和と被りゃ~せんの~?因みに大和とはね・・


大和(やまと)

は、日本の古称・雅称。倭・日本とも表記して「やまと」と訓ずることもある。大和・大倭・大日本(おおやまと)とも呼ばれる。

ヤマト王権が大和と呼ばれる地(現在の奈良県内)に在ったことに由来する。初めは「倭」と書いたが、元明天皇の治世に国名は好字を二字で用いることが定められ、倭と同音の好字である「和」の字に「大」を冠して「大和」と表記し「やまと」と訓ずるように取り決められた。




 っつ~ことは?・・ど~ゆ~こと?・・大和の斑鳩にいらした新羅の「勝鬘」さんが、647年を前に国に戻られて真徳女王になったっちゅうこと~?

 で、大和にいて斑鳩厩戸勝鬘と名乗ってたもんで、女王になって「太和」と年号を変えた~?

 じゃぁ、「厩戸」は「うまやと」じゃなくて「やまと」なんじゃないの~?


 因みにこの時の天皇さんとされてるのんは・・・


孝徳天皇元年6月14日(645年7月12日) -(654年11月24日)」



 さ~・・ど~しよ!・・こりゃぁ困ったぁ・・・何か・・・「~徳」ばっかで、偉いお得な気持ちになってきたけんど、ただただ・・・


「・・これって・・倭の話しか新羅の話しか・・どっち~?」



 っちゅうところで時間切れ~!まだまだ新羅の影は凄いぞ~・・百済だけじゃぁ無かったのねんよ~。中臣鎌足さんて・・一体誰なの~!!・・・っちゅう疑問を晒したまんま~・・次回に続くのねん!・・ほんまに残念でんな~!またまたその内にね~・・書くからね~!ではバイナラ~!アディオ~ス~!チャオ!またね~!


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No title

うりゃ~~~~

佳境に入ったところで、又時間切れ~~~~~
消化不良状態ぜよ。(;゚Д゚)

はっ・・・ハヤク・・次の更新を・・・・・・・
(薬注の患者状態です。)

今までは、追いつくのがやっとでガンガン飛ばして読んでいたけど、追いつくと次の更新が待ち遠しい。(*´ω`)

待ってます。(-_-)/~~~ピシー!ピシー!

Re: No title

ジュリーちゃんさん・・

いつもコメント、有難う御座います~・・

> うりゃ~~~~
> 佳境に入ったところで、又時間切れ~~~~~
> 消化不良状態ぜよ。(;゚Д゚)
> はっ・・・ハヤク・・次の更新を・・・・・・・
> (薬注の患者状態です。)
> 今までは、追いつくのがやっとでガンガン飛ばして読んでいたけど、追いつくと次の更新が待ち遠しい。(*´ω`)
> 待ってます。(-_-)/~~~ピシー!ピシー!

 すみませんね~・・中々、ど~書こうかと思案のしどころでして・・なので短編でも書いてみようかと!よろしくです~!
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