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日本 その7






 ま、記紀をまともには読まずとも、何となく内容を知ってらっしゃる方なら、おそらく誰もが・・

「・・なんか・・なぁ・・しっくり来ないよなぁ・・」

と思うに違いないのが、天日矛(あめのひほこ)さんの件だしょ~な・・。


 だってね・・日本と言うか、倭と言うか、大和朝廷の話しなのに、

「新羅から来た王子の天日矛さん」

が活躍してるのねんから・・。


 そして、その子孫もさらに大活躍で、いつの間にか大王・天皇家に入り込んでいることを、全く隠しもせず、堂々とね・・大々的に書いてるのねんよ。

 まるで記紀が出来た当時の大王・天皇家は天日矛さんの血筋・・とさえ言いたげな書き方なのねん。

 でも、そんな風なイントネーションを知りつつも、日本人的な心情からなのか、

「・・認めたくない!」


と言うような心がね・・きっと有ると思うのねんな・・だからこそ、意図的に差し込まれたとしか考えられないような天日矛~田道間守~神功皇后さんの物語の意味を、

「そうかも・・しれない・・」

と思いつつも、見て見ないフリや考えないフリをしてしまうのねん。


 ファシレのおじさんは天邪鬼じぇけんね・・。「ひほこ」と聞けば「ひほんこ」とどこが違う?・・同じじゃん・・と思ってしまうし、天日槍は「あめのひやり」ちゃうのん?・・片や、天日矛と書く古事記と何故漢字が違うん?・・古事記は「橘氏系じゃん?」・・だから、判り易く書いてあって、日本書紀は「藤原氏・毛野氏系じゃん?」・・だから「ほこ」を「槍」に当てたんじゃねすか~?・・などと思ってしまうのねん。

 韓国語で天気のことを「日気」っちゅうなら、天日矛は日日矛・・に置き換えられると・・仮にするなら、比自㶱や非自火、非時伐とどう違うのかと・・

 新羅本記に書かれた「八年春 阿麻來服 遣元器與淨土入唐 淨土留不歸 元器還 有勅 此後禁獻女人」には、「阿麻が降伏してきた」と、唐に行かせた使いの者(高句麗から降伏した捕虜だったのねんが・・)の名はフルネームで書き、阿麻さんのことは、まるで誰でも知っているか、分かって当然のように書いて、唐の帝から女を献ずるなと勅が有ったのなら、

「じゃぁ当然・・阿麻は女人なのねん・・」

と、感じてしまうのねんな・・。因みに北朝鮮の一部じゃぁ、今でも「お婆ちゃん」のことを「アマ」と言うらしいのねんし・・


 なら、比自㶱は日自本で、「日が自ら(昇る)本(もと)」になるし、卓淳国が達句火で「タックスンバル・タックファ・タックバル」の「立花・橘花・橘」なら、

「橘は常世の国に生える非時香果を持ってきた人・・」

だから、

「卓淳国(橘)は比自㶱を連れてきた人」

と変換できるのねんし、もっと言ってしまえば・・

新羅から来た天日矛

天日矛の子孫の常世の国に橘の実を取りに行った田道間守

天日矛の子孫の神功皇后

天日矛の子孫の三宅連氏


は、橘が関連付けられていて、その後の「橘宿祢」の「縣犬養美千代」「橘諸兄」に、

 その橘は卓淳国なのねんから、


天日矛は新羅の王子ではなく卓淳国の王子で

卓淳国を平定した神功皇后(とされた方)は新羅に攻め取られた卓淳国を取り返したお方で

三宅連は卓淳国を官家として管理した神功皇后(とされた方)ゆかりの氏族で

縣犬養氏も官家絡みの神功皇后(とされた方)ゆかりの氏族で

だから、彼らが比自ホとも、大いに関係しているのねんな~・・。


 そもそもね・・昔の記事でも書いたけんども、

「伽耶諸国や百済、新羅の王は記録に残ってるが、それ以外の地域や国の王は記録が無い」


っちゅうことでんな~。

 それに、倭王武は宋の順帝から西暦478年に
「使持節都督倭・新羅・任那・加羅・秦韓慕韓六国諸軍事安東大将軍倭王」

に任じられているのに、

「秦韓・慕韓諸国の王が伝わっていないし、そもそも新羅・百済以外の秦韓・慕韓諸国が有ったことになってない」

のねんよ。ま、卓淳国王さんは一人だけ、末錦旱岐(マキムカンキ?)さんっちゅう名前が判ってるけんどもね・・。この末錦旱岐(マキムカンキ?)さんも神功皇后さん絡みで日本書紀に出て来るけんども、

「・・なんだかな~・・」

な内容なんで、ここでは触れんけんどもね~。



 卓淳国も比自㶱も、そんな秦韓の国、もしくは秦韓に引っ付いた弁韓と混在した地域の国なのねん。新羅に地理的に近く、歴史的に新羅に蹂躙されていたと思われる国なのねん。


 神功皇后さん(将軍の荒田別さんと加賀別さん)が

 比自㶱(ひじほ)、南加羅、喙国(とくのくに)、安羅(あら)、多羅(たら)、卓淳、加羅の七カ国を平定

したっちゅうのんは、


 その国々への新羅の影響力を排除し倭国連合に組み入れ、屯倉(官家)を創った・・っちゅうことでっしゃろ?天日矛さんが垂仁天皇さんのところにいらしたっちゅう古事も、

× 新羅から来た王子
〇 新羅を経由して来た比自㶱(ひじほ)の王子

なのねんな~・・。何せ、天日矛さんは「あめにちほこ」さんと読めるのねんで、

「天」=「日」じゃぁ無いとしても、

「比自㶱(公・子)」=「ひぢほこ」

でんがな~・・。「ひ」と「し」と「に」は、非常に微妙でね~・・クルクル、入れ替わってしまうのねんな~・・7時を「しちじ」と言いたくても言えず、「ひちじ」になっちゃう地域の方も多いでっしゃろ?それに「ぢ」や「じ」は簡単に「っ(小さい つ )」に変化するでっしゃろ?さらにその頃の日本の発音は「清音」だったと言われていてね・・「濁らない」から、「ぢ」や「じ」はそれぞれ「ち」や「し」になるもんで、余計に「小さい つ」=「っ」に変化しやすいはずなのねんな~。

 それにね・・「日本」は「じゃぱん、じゃぽん」でっせ~?日本=JAPANなのねんで、ま、これは大昔の中国語だと「日」を「ジャ、ヤー」と発音したのに由来するみたいだけんどもね~・・。それに邪馬臺(やまたい)は「じゃばつ」だったのかもしれんしね~。


 だから、

「日本と言う国名の発音は、にっぽん、にほん、のどちらでも良い」

のはつまり、歴史がそうさせたっちゅうことなのねん。


 さて、じゃぁ、藤原氏はどうか・・っちゅうことになるのよねん・・。これがね・・もう判っちゃってるかもしれんけんどもね~・・。何となくはもう・・書いてまんがな~・・。それに、鹿島昇氏は馬韓の不斯濆邪国は、藤原国だと・・本に書いてるしね~・・。その辺は「日本 その3」に書いてると思うのねんで確かめてみてちょ~。


 だけんどね・・不斯濆邪国は馬韓だしょ?・・馬韓っちゅうのんは、百済が制した国でっせ?・・ま、倭王武は使持節都督倭・新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓六国諸軍事安東大将軍倭王だから馬韓(慕韓)も入っとるし、ファシレのおじさん自身「日本 その3」で、「ふじふぁら」なんて書いておいて思わせ振りなのねんが、

「不斯濆邪」=「不斯火」

で、「比自火」と非常に似た発音になることを思うと、関連無しとも思えんのねん。


 ただし、不斯濆邪国についちゃぁ、記紀からはまるで読み取れんのねん。上のように「不斯濆邪」は「ふしふんや」だから、「比自火」の「ひじふぁ」と似た発音なら、

「弁韓に有った不斯濆邪国が秦韓に移動して比自㶱・非時火になった」

もしくは、

「弁韓と秦韓は混在していたので、百済と新羅の争いでその境界が移動した」

っちゅうような可能性はあると思うのねん・・この辺は余り良く見えんのんで、自信は無いけんどもね・・。国は移動せず、その境界が微妙で、百済が強い時は弁韓に、新羅が影響力を発揮していた時は秦韓に・・ちゅうことかもしれんね~。その場合は、「不斯濆邪国=比自㶱=非時火=非自伐」っちゅうことになってしまうのねんよ・・。


 するってぇと、比自㶱・非時火は比自伐とも書くのんで「ひじばる」でっしゃろ~?・・「伐」は国とか地域っちゅう意味の新羅的な当て字で、現代日本語だと「原」(ばる・はら・ゲン)だし、「不」から「非」への転換が可能なら、比自㶱も「ふじはら」と同じ意味になってまうのねん。

「どっひゃ~!」

・・でっしゃろ~?


 でもね・・これを忘れてないかなん?

「橘」は常世の国に生える「非時香果」を持ってきた人・・


 非時香果は「比自㶱国」で有り、「藤原」だよねん?・・だから・・

「橘」は「比自㶱国」の「藤原」を連れて来た人・・

とは読めんかなん・・?


 それにね・・不比等ちゃんの中臣氏のご先祖さんに、有名な

「中臣烏賊津使主(なかとみのいかつおみ)さん」

 がいらっしゃるのは・・ご存知かもしれんね~。


 記紀によると彼は神功皇后さんの取り巻きで、武内宿祢さんに次ぐナンバー3の座にいた方でんな~。仲哀天皇さんが亡くなられた後、神功皇后さんの審神者(さにわ)として対馬から呼ばれたとされてるのねん。


 でね・・その烏賊津使主(雷臣)さんはその後、百済の女と娶って一男を生んだと・・されているのねんが、対馬の霹靂神社(いかづちじんじゃ)の明細帳に

「神功皇后の時、雷大臣・安曇磯武良を新羅に遣わし、雷大臣彼地で女を娶り一男を産む。名を日本大臣と云う。」

と書かれていたのねん・・。


「何?・・日本大臣?」


 ま、日本と言う地名はどこにも無いけんども、その名前を持ったその時代の方が一人だけ居ったのねん・・。「日本大臣」の読みは全く判らんけんどもね・・少なくとも、

「中臣--日本--藤原」

とキーワードを繋げることが出来るのねん。


 ま、続日本紀だと日本大臣じゃなくて、二人の子で大本臣さんと小本臣さんを生んだ・・と書かれてるけんどもね・・これは記紀の暗号と言うよりは、おそらく「罠(わな)」の類に過ぎんと思うけんどもね~・・允恭天皇さんの時、烏賊津使主さんは天皇さんの命令で現皇后の妹の衣通姫(そとおりひめ、そとおしひめ、そとおしのいらつめ)さんを迎える使者になり、 姫を后にしたのねんけんども、姉さんの皇后さんの怒りを受けて、

「藤原に屋敷をつくり、そこに衣通姫さんを住まわせた」

とされてるのねん。


 ま~・・14代仲哀天皇の皇后である神功皇后さんから、19代允恭天皇さんのお后さんまで手配するなんて・・

「・・何て長命なスケベ爺!」

って思っちゃうけんどもね~・・。長命過ぎて、


「第何代の烏賊津使主さん?・・日本大臣って名前の息子さんの立場はどうなん?」

だよね~・・。


 ま、この辺はやっぱりF原氏のお手盛り事件帖だしょ~・・。


 っちゅうところでお時間のよ~です。じゃ、またね~・・。
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 何でこんなに判らんことが多いのかが良く判らん!その判らんことの答えを探して旅に出たつもりが、その答えも見つからんうちにもっと判らんことの答えを探す旅に出ることになっちまったい・・・
不徳の致すところでございます♪♪またまたどちらに「おでかけ・・レソか?」今回は夫玉を探しに・・、おっと~!違った、音霊を探しにおでかけレス!

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