日本 その2.5






 尉仇台・仇台(いきゅうだい・くだい・くで etc)さんがつくった国だから、その頃の倭の国じゃ「百済」を「くだら」と訓だのは判ってもらえたかどうか判らんけんども、「百済」と言う国はどうやら幾つか有ったのねんな~。少なくとも2つ、多ければ4つ有ったとねん。

 でもこれは歴史的にみると全然不思議なことではないのねんよ。それこそ「えっ!?・・徐福さんは何と~!?」で書いた「斉」っちゅう中国の国もね・・興ったり滅んだりしてるのねん。徐芾さんが日本に来る前には滅んどるけんども、また再興されて・・滅んでを繰り返してるし、「魏」の国だってそう・・アジアの国じゃぁ全く珍しくないのねん。

 ただ、その2つ(以上)の国が時代を被って存在してるもんでね・・周りから見ると、もしくは時代が下がってから古書を読むと、

百済っちゅう一つの国のこと

と勘違いしてしまうのねんな~。だから、「くだら」と言った場合は基本、

仇台百済のこと

と分けて考えんとね・・いかんのねん。


 それにね・・今までは何とか誤魔化しつつ書いておったのねんけんども、

「倭」

は、

「い」

と読んだらしいのねん。日本語が判る日本人はどうしても「わ」と読みたくなってしまうけんども、ここは「い」と・・読まんといかんのねんな~。


 「あたらしいこじき」には、「倭」を「イ」と読み、その者たちを「イチ」と言った・・と書いてあるけんどもね・・これは、

「夷家」

「彝家」

で「イチ」・・なのねんな~。「家」は今の中国の言葉で「ちゃ」・・だから「いち」なのねん。


 だいたい、中国では北や東の方角にいる異人・異族を

夷(イ)

と読んだのねん・・。日本だと「えびす・えぶす」でんな~・・。「征大将軍」なんてのも中国から輸入された言葉なんでっしゃろな~。誠意大将軍は・・違うのねんよ~・・ふるっ!


040715云南彝族毕摩 望传统文化代代相传 from Eacast Media on Vimeo.



 ところでね・・もし上のビデオが見えんようならご面倒でも、

https://vimeo.com/124310435

をコピーペーストしてご覧いただきたいのねん。中国のビデオなのねん。

 これがね~・・結構凄くてね・・。ど~見ても日本人でね、・・・ビデオの最初のうちなんぞ、何をしゃべってるか、全く判らんのにね・・

「日本語に聞こえてくる!」

のねんよ。

 顔もね・・日本人そっくり、頭は武士のように月代(さかやき)に剃っててね・・ちょんまげを結ってるビモさんもいるみたいだし~。で、ど~もこの方は・・

「彝族(イぞく)」

の方らしいのねん。中国は福建省を中心にいるらしい・・


イ族(イぞく、彝族, 拼音: Yízú)
は中国の少数民族の一つ。2010年の第6次全国人口普査統計では人口は8,714,393人で、中国政府が公認する56の民族の中で7番目に多い。

名称
 彼ら自身は「ノス」と呼ぶ。もとは「夷族」と表記されたが、清朝時代に、自らも漢民族ではない支配階層の満州人が蛮族を意味する呼称を嫌い、同じ音に「彝」の字をあてた。彝は「祭器」転じて「道徳」などを意味する雅字。「ロロ族」という呼称もあり、かつては自称であったが現在は蔑称。「ロロ」とは、イ族自身が先祖崇拝のために持つ小さな竹編み。当て字の「玀猓」では、部首にけものへんを付け加えるなど、多分に蔑視的な要素を含んでいる。

歴史
 イ族は中国西部の古羌の子孫である。古羌は、チベット族、納西族、羌族の先祖でもあるといわれる。イ族は南東チベットから四川を通り雲南省に移住してきており、現在では雲南に最も多く居住している。南詔王国を建国した烏蛮族が先祖だと言われている。

 精霊信仰を行い、ビモという司祭が先導する。道教や仏教の影響も多く受けている。雲南省にはイスラム教を信仰するイ族の集団もある。ただしそれらは、イスラム教を信仰するイ族なのか、イ語を話しイ族の文化に属する回族なのかは、明確には分別できない。

 雲南北西部と四川に住むイ族の多くは複雑な奴隷制度をもっており、人は黒イ(貴族)と白イ(平民)に分けられていた。白イと他民族(主に漢民族)は奴隷として扱われたが、白イは自分の土地を耕すことを許され、自分の奴隷を所有し、時には自由を買い取ることもあった。
by Wiki



 それにね・・ビデオの中頃に出てくる「古い本」の文字をみて欲しいのねんな~。何とね・・漢字じゃなくて、


「ホツマツタエのオシテ文字かハングルか?」

 みたいなね~・・読めそうで読めない、「イ族文字」らしいのねんよ~・・。


 そしてね・・実はこのおじさんは世襲の「畢摩(びも)」っちゅう「シャーマン」なのねん!・・「ビモ」でっせ~?・・しかも「イ族」!占いや祭祀を司るようなのねんよ~・・。


 倭(イ)にもそんなお方がいらしたよね~?・・そう、


「さよちゃん卑弥呼」

でんがな~・・。

 さよちゃん卑弥呼は鬼道に仕え、衆人を惑わせたと・・言われてるのねんが、イ族の「ビモ」さんも鬼道のシャーマンなのねん!

「卑弥(呼)」 =「毕摩・畢摩」

っちゅうね~・・式が成り立つと思えんかの~・・。さらには、

「卑弥(弓呼)」=「卑弥(呼)」 =「毕摩・畢摩」

ちゅうね~・・。

 だから、「さよちゃん卑弥呼」は、「さよちゃんびもこ」と読んだのかもしらんよね~・・。


20160724.jpg


 因みに、この文字は「びも」さんにしか読めん神聖文字だったんだと・・。それも世襲でね・・各部族に居るそうでね・・。それに、

「スーニー(蘇尼)」

と呼ばれる「びも」さんに似たようなシャーマンのお方もいらしてね・・こちらは世襲じゃなくて突然変異。病気が治らんでそのまま山に籠っていると、神様の言葉を通訳できるようになるらしいのねんよ~。

 こんなビデオを見てるとね~・・・ある昔話が蘇ってくるのねん。・・そう、14代の仲哀天皇さん・・でんがな~・・

 筑紫の香椎(かしい)の宮に熊襲を討とうとね・・いたときに、天皇さんが琴を弾くと神功皇后さんが神懸かりになってね・・。

「海の向こうに新羅と言う金銀財宝がたっぷりある国があるからお前にやろう」

とお告げが有ったのねん・・・が、天皇さんは、

「・・んなもん、知らんがな~・・」

とね・・無視してしもうたのねん。

 審神者(さにわ)役の武内宿禰(たけしうちのすくね)さんがね・・

「(神の仰せですから)オオキミ、琴を弾かれませ」

と、言ったのねんが、渋々従った天皇さんはね・・突然、崩御されてしまった・・っちゅう話しでんがな~・・。まぁ、熊襲の矢に当たって亡くなられたっちゅう話しもあるけんどもね~・・。でも、「びもさん」が、日本の侍さんみたいな頭で琴を弾いて、鬼道に仕えるなんぞを見るとね~・・重なるのよねん。


 でね・・さっきのビデオもそうだしね、イ族の方々のお写真をネットで検索したりすると、ま~これがね・・

「もし日本にいたら日本人としか思わんだろねん!」

としか見えん方が実に多いのねんよ。むしろ今の日本人の方がね・・国際色豊かに思える・・。


「あ~・・この人、漢人っぽいな~・・」

とか、

「この人は南方系かな~・・」

とかね・・感じてしまう・・。


 でねでね・・先の「斉」の国からいらした斉王さんの子孫もね~・・羌族が出身なのねんで、イ族の血統らしいのねんな~・・。今の中国は漢人が中心で、他の多数の民族を支配してるけんどもね。

 だから倭の国は、元々列島に住んでいた縄文人と、大陸や南方から押し寄せた難民たちが混血して出来た国だと言えるし、

「・・そんなこと言われんでも判っとるがな~・・」

「・・だけんども、仔細がよ~判らんのよねん~」

ちゅうことなのねん。


 まぁ、それでもね・・斉王さんも列島に住む者の一員になった・・そして「倭(イ)」は「彝(イ)」と無関係じゃぁ無いっちゅことが判ると思うのねんな~。

 おひまがあったらぜひね~・・「イ族」「彝族」でネット検索してみてほしいのねん・・ちゅうところでね・・今回は「説明に終始」してしもうてすまんの~・・「」を説明するにはもう少し掛かりそうなのねん・・「あれ」を説明するには「それ」を説明せんといかんし、「それ」を言うには「これ」も言わんといかんのんで~・・パニックなのねんな~・・。

 じゃぁまたね~!アディオ~ス!
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日本 その2






 ま~ね~・・古代の日本のことを言うっちゅうことは、その周りの国のことまで調査せんと何も言えんっちゅうことになるし、その年代にはどんな状況だったかとか、それまでのそれらの国々の歴史も理解せんといかんっちゅうことなのんで、ファシレのおじさんにはめっちゃ荷が重いどころが、

「・・んなもん、無理だっちゅ~の!」

と放っぽりだすのが正常な精神を持った正しい人間には必要で寛容なことなのねんな~。昨今は現実と非現実が良く判らんよ~になってきてるよ~な気がするのねん。ま、ファシレのおじさんだけじゃなくてね。世の人、みんな・・でんがな~。

 大体にして、何が真実だったかなんてね・・改竄しなけりゃ対面が保てんどころか、自分の国を亡ぼすことにも繋がってしまうのねんから、どっちかっちゅうと、

「嘘も方便!」

ちゅうことでね・・生き残る方法を選んだのでっしゃろな~・・。ま~・・今も変わらんのでっしゃろけんども、それに慣れてしまってね・・結局は民を裏切ることにつながって、その王たちも滅んでしまったのねんな~・・。

 倭や日本の場合は君(キミ)、臣(オミ)、民(タミ)っちゅう感じでね~・・もっと遡れば耳(ミミ)がトップだったのでっしゃろがの~・・。


 倭の歴史の中では何故か「百済」と言う国がね・・非常に関わってくるのんで、まんずはココを何とかせんとね・・日本が「にほん」「にっぽん」になったかも明らかにならんのよねん。

 そもそもね・・

「百済」と書いて「くたら」と読む

なんぞはね・・

「東京」と書いて「フランス」と読む
は違うにせよ、

「出雲郷」と書いて「あだがえ」と読む


のと同じに近いと思わへん?


 ど~やったってね~・・「くたら・くだら」とは読めんだしょ~・・。まぁね・・何度も今まで書いとるもんで、目に蛸が住み着いとるかもしらんばってんね~。

 韓国語じゃぁ「ぺくちぇ」と読むらしいし、古代のその「百済」でもそれに近い発音だったと思われるのんが、倭・日本では何故か「くたら」と読んだのねんな~。

 これはね・・「旧多羅(くたら)」・・昔の多羅っちゅうことでね・・多羅っちゅうのんは伽耶諸国の一つでね・・倭人の国だったと言われとるけん、多羅の国が百済になったっちゅうことを言いたいのでっしゃろな~・・ふ~mm~ん・・クダラね~・・本当にそ~なんかの~・・。多羅が百済になったとしたら、多羅は無くなっちゃうんじゃないのかの~・・。

 百済っちゅう国はね・・扶余人(ふよじん)がつくった国と言われててね。高句麗と祖を同じくするっちゅうことになってるのねんな~。でもね・・実はこの百済については・・

「何が本当で嘘なのか、百済についてはほぼ何も判ってない!」

のねんよ・・。

History_of_Korea_(Goguryeo)_476_jp.png

 上の図を見てもね・・高句麗の北に有った「扶余国」がね・・「百済(ぺくちぇ)」になったっちゅうのんが、一般的な理解とされとるのねんが、

「それは・・嘘!」

 ま・・全くつながりは無かったとまでは言わんけんどもね・・扶余国(北扶余)が百済になったっちゅうことは無いっちゅうことでんな・・。

 そもそもね・・百済は660年・・いや、662年には完全に滅び、高句麗も668年に滅亡しとるのんでね・・半島には新羅しか残らんかったのねん。その新羅も935年には滅んでしまうのねんな~。

 百済三書(くだらさんしょ)と言ってね・・、『百済記(くだらき)』『百済新撰(くだらしんせん)』『百済本記(くだらほんき)』っちゅう百済の歴史を書き残した書が有ったのねんけんど、今は残って無いのねん・・。これもね・・白村江の戦いで百済が滅び、日本に移住した者によって書かれたらしいのねんで・・日本書紀に引用されとる部分でしか判らんのねんな~。

 あとはね・・「三国史記」って言うてね・・三国時代(新羅・高句麗・百済)から統一新羅末期に渡って書かれた書が有るのねんが、

「1145年に完成」

っちゅうね・・ど~もならん・・そんなに時が経ってしまえばもう忘れられてしまってたかもしれんし、情報が錯綜する中での完成やからね・・書いてあることがすべて正しいとも言えずね・・紀元前18年建国なんぞはね・・有り得んしね~・・だから、

「百済のことは何も判らん!」


のが正解なのねん。

 だから、

「何で くだら なの?」

っちゅうのんも判らんのねんな~。



「尉仇台(いきゅうだい・いきゅうたい)」

っちゅうお方が扶余国にいらしてね・・。高句麗の北の扶余でんな~。でも北扶余は西暦494年に、東扶余っちゅう国も410年頃には滅んどるのねん。でもこれは「扶余国」の話なのねんで~・・。

 一方、百済の方はね・・

 百済は4世紀中頃に国際舞台に登場する(『晋書』「慕容載記」)。それ以前の歴史は同時代資料では明らかでない。

 建国時期が書かれている『三国史記』(1143年執筆)では紀元前18年建国になっており、韓国・北朝鮮の国定教科書ではこれを引用している。歴史的な建国時期に関しては、三国史記の記述自体に対する疑いもあるため、韓国でも紀元前1世紀説から紀元後3世紀説までさまざまな説がある。またその当時に書かれた中国・倭等の文献と後年になって書かれた三国史記の内容には隔たりがある。

 通説では『三国志』に見える馬韓諸国のなかの伯済国が前身だと考えられているが詳細は不明である。
by WIKI


 ちゅうことでね・・紀元前から国は有った・・とされてるけんども、何か良く判らんと・・でも「扶余族」だと・・言うことなのねんが・・


「扶余国(王)と百済(王)は途中で入れ替わった?」

可能性が有るのねんよ。もしくはね・・伝わった情報が錯綜してしまい、扶余国と百済が混じってしまった・・もしくはね・・百済が扶余を仮冒した・・とかね~。

 百済の王様のね・・代々続いているはずなのねんが、ど~も途中で「ワヤ」になっとってね・・。兄弟なのにね・・兄の三代も後に王様になってたりするのねん。100年近く離れてしまえば、理解しろって言われてもね、そりゃぁ無理っちゅうことでんねんな~。

 でね・・

 唐会要百済伝には

「百濟者、本扶餘之別種、當馬韓之故地。其後有仇台者、為高麗所破、以百家濟海


(百済とは、本は扶余の別種で、馬韓の故地にあたる。 その後裔に仇台なる者がおり、高句麗に国を破られ、百家で海を渡った。因って百済と号する

とあり、百済の支配層は扶余族だったと見られている。百済の建国神話は系譜の上で扶余とつながりがあり、26代聖王が538年に泗沘に遷都した後に国号を「南扶余」としたこともそれは窺える。
by Wiki



 そ・・つまりは、「尉仇台」と「仇台」は同一人物かどうかはハッキリせんが・・「尉」は位の可能性が有るもんでね・・

「仇台( く たい )の国だから 仇(ク) 台(タイ) 羅(ラ)」


なのねんな~。


 ま、百家で海を渡ったとされてるけんども、高句麗を抜けるために半島の南部まで海を渡った・・とも言えるしね、もしくはね・・

「列島まで海を渡った!」

とも考えられなくは無いのねんよ・・。証拠は無いけんどもね~。でもね・・だからこそ、仇台のことを良く知っていたからこそ、

「百済=仇台羅」


「久太良(くたら)」と訓だのねん。古代の日本語は清音で濁らんけんね~。

 今でもね・・大阪にも奈良にも「百済」の名の付いた史跡は残ってるのねん・・。川も有れば寺も町もね・・有るのねん。白村江の戦いの後に出来た可能性も無くは無いけんどもね・・何せ天皇さんが・・いや、ま、それはまたその時に書こうと思うのねん。

 だから、少なくとも・・

「百済と日本はお互いのことを充分理解していた」

ので有り、だから百済が滅んだ時に国を再興しようと半島まで大群を送ったので有り、その結果として敗戦し、日本と言う国名に変更せざるを得なくなった・・と言えるのねんな~。


 大体ね、百家で海を渡ったところで、上陸すればね・・そこにも「君臣民」はいるのねんから、そこでひと悶着以上有ってしかるべきだしょ?

 だから、そのひと悶着が記録に残ってないか?っちゅうことが重要でんがな~・・。



 ま、もう1回くらい「百済」を説明せんといかんかな~?・・とは思うけんど、ど~しよね~・・。えらい大変なのねんが・・

で、

「㶱」

は、判ったかな~?・・

 今回はちと緩くてすまんの~・・ユルユルのダルダルでんがな~・・でもまた書くのんでね~・・お楽しみに~・・ばっはっは~い

日本 その1






ファシレのおじさんも生まれたこの国は、名前を「日本」と言うらしいのねんが、どうやらね・・

「にっぽん」

と言う発音が正式らしくてね・・でも、

「にほん」

と読んでも正解だと・・しかも、外国では、

「Japan(じゃぱん)」

と呼ばれるらしく、

「ヤーパン」
「ハーポン」

とかでも呼ばれてるっちゅう・・


「ん?~・・何じゃそりゃ~!」

と誰も思わんよ~なのが、よう判らんのねんな~。ファシレのおじさんは、まだ若い頃は不思議じゃったけん・・。それも、まだ鼻水垂らしてた子供の頃はね・・旗日(祝日)になると、近所の家もファシレの家もね・・「日の丸」の旗を立ててね・・お祝いの意を表したと思うのねんが、普段は、

「日本(にほん)」

と言ってるくせに、何かあるとね・・

「日本(にっぽん)万歳~!」

とかね・・

「ガンバレ!にっぽん!」

みたいにね・・オリンピックなんぞで声援を送ってるのが不思議じゃったのねんな~。


「・・・にほん か にっぽん か・・ハッキリせんかい~!」

てなもんや三度笠・・なのねん。

 おまけに外人さんにゃ~・・

「ジャップ!」

とか

「ヘイ!ジャパニーズ!」

とか呼ばれてね~・・。

「ジャニーズじゃね~し・・」

とは思わんかったが、

「わてはジャパニーズじゃ無くて日本人だす~!」

とね・・言いたかったのねんな~・・。ま~・・最近はそんなことさえ忘れてしまったよ~な感じでね・・。旗日に旗も出さんし、そもそも旗を立てる場所が無い!・・ま~ファシレもそ~だけんども、右でも左でも中道でも無い多くの日本人にとっちゃ~、あんまり関係無いのかもしらんね~。

 そんな中、天皇陛下も生前退位を希望されてね・・・まぁ、ど~オチを付けられるのか、楽しみでもあるけんども・・でもね・・

 昭和天皇さんが人間宣言をされたんだから・・辞めたいっちゅうもんを辞めさせないっちゅうのんは日本国憲法の精神に反するんじゃないかの~・・・

 ま~・・天皇さんは生きてる間に退位出来んことに、明治時代からなっちゃってるからの~・・でもそこんとこ、何とか~!誰だって歳は取るし、そ~なりゃ身体もガタガタになるのじゃけん・・考えてやってちょ~よ・・


 でね・・そんな日本だけんどもね・・じゃぁ、

「・・何で我が国は日本と名乗ってるのん?」

っちゅうような疑問は湧かんかの?

 まぁ、通り一遍の答えなら、小学生でも知ってるかもしれんけんども、本当の理由なんぞは中々判らんだっしゃろ?

 昔々、その昔、「倭と言う国が有って、その響きが良く無いことから、また、日の出る国だから、自ら日本と名乗った」みたいにね・・中国の古い本に書かれとるのねんで、それをそのまんま信じとるのねんな~。つまり、

「倭(わ、い、やまと)」----->「日本(やまと、にほん、にっぽん)」

 細かいことを言うとね・・もっとその中間が有ったと言われとるけんど、ま~、そんなもんで充分なのねん。ど~せ、そんなことから本当のことなんぞは判りゃ~せんのねんで~。


 ま、ただしね・・「日本」と自らが名乗った時期はね・・西暦で700年よりもちいとばかり前位の頃らしい・・のねんが、ま~・・そんなんは全てこの、

「西暦700年頃」


に集中してるのねんな~。


 そう、天武天皇さんが崩れられて、皇后だった持統さんが天皇になられて、不比等ちゃんが出っ張ってきた頃・・そう・・

「白村江の戦いの敗戦後」

のことなのねんな~。


 ま、これだけは言えるのは、

「白村江の戦いで唐に盾突いたのは倭で有って日本では無いのよん!」

ち、言いたかったのねんよ。だから、倭を「やまと」と呼び、大倭を「やまと」、日本も「やまと」と読んで「日本」に改名したのねん。言っちゃえば、

「倭を継いでるよ~で実は継いでないよ~で・・」


っちゅうテイを見せたかったのねんな~。やるわよねん!・・不比等ちゃん!

 じゃぁ、なんで日本っちゅう名前にしたのかっちゅう疑問はまんだそのまんま・・残るのねん・・。そ~でっしゃろ?・・まぁ、ここには不比等ちゃんの出自が大きく絡んで来るところなんで・・。

 でもね・・ファシレのおじさん自身はね・・間違い無いとは思っとるけんども、それを確かめようとしても、結局なんの証拠も出てこんのよん。すっげ~調べたのねん・・1年以上もねん・・でも確証が無いのねんな~。なので・・

「やっぱ、書くのや~めた!」


なんちって・・。







 昔ね・・伽耶(かや)とかね・・任那(みまな)とか言われる韓半島の地域が有ってね~・・まぁ、知っとるお方も多いだろ~けんどもね~・・そこには小さな国が沢山あったのねんな~。

 あ~・・ちなみにその中にね・・「安羅伽耶(あらかや)」ちゅう倭人の国が有ったのねんが~・・面白いのねんよ~・・

この漢字、何て読むか判るかのん?

「出雲郷」


 そう、出雲地方に有る町、「いずもご~」でんな~・・・


「んな訳、有ったかえ!?」


そ~!

「安羅伽耶」

ってね・・読むのねん。



正確には

「あだかえ」

と訛るらしいのねんが、地元の方はさらに訛って~、

「あだがえ」


と発音してるらしいのねんな~・・。ね~・・不思議だしょ~?

「東京と書いてフランスと読む・・」

みたいなもんでっしゃろの~・・。

 ま~西暦560年頃、新羅に伽耶が滅亡させられた後、日本に伽耶の倭人たちが避難して来たのねんな~。

 ずっと向こう(伽耶)にいた倭人もいれば、列島から伽耶に渡った倭人も居ったもんでね・・まぁ、出戻りでんな~・・。でも紀はね・・結構その辺はしっかり分けて書き残していたりはするのねんよ。今は関係無いので書かんけんどもね・・。


 でね・・その滅んだね・・小国の中にね・・

「日本が有った!」

のねんな。

「任那の日本県邑」

でんな・・。

 ま、お隣の韓国じゃぁ、任那(任那日本府・・みまなやまとのみこともち)の存在自体すら絶対に認めたく無いらしくてね・・ゴタゴタはしとるけんど、日本府は有ったかどうかは紀にしか残っとらんばってん、ちゃんと「任那(みまな)」に付いちゃ、中国の古書までもが残しとるのんでね・・少なくとも、

「任那自体が存在しなかったことには出来ん」

のねんな・・。諦めなはれ、韓国の方々・・。是々非々で行かんと遺憾のねん。仏像だってね、盗んだと分かったものはいったん返すのが常識。その上でね・・ちゃんと調査なり、交渉なりをするのが世の常識でんがな・・。盗人の手を借りて入手したもんをその国家や盗んだ本人のもんにしたらね・・世の人に何と思われるかは誰でも判る・・いや、他国の領域に平然と島を造っちゃって、ルールなどは問答無用の人たちもおるからの~・・先行きが心配なのねんな~。義も礼を欠きっぱなしの力技で孔子、孟子、荀子の国とは思えんよの~・・って、そんな君子たちの子孫が日本人でもあるんだけんどもね~。ま、日本人も、義も礼も欠けてきてるかもしれんの~・・。

で・・ここからが本番。


 だけんども・・時間がね~っす!・・まぁ、また次回書くのんでね・・申し訳無いのんで、ヒントだけ、出しておくのねんな~。






 こんな字、有るのねんな~・・知らんかったわ~・・っちゅうところで、「その2」に続くのねん!じゃぁね~!バイビー!グッドバイバイ!
プロフィール

NSY3

Author:NSY3
 何でこんなに判らんことが多いのかが良く判らん!その判らんことの答えを探して旅に出たつもりが、その答えも見つからんうちにもっと判らんことの答えを探す旅に出ることになっちまったい・・・
不徳の致すところでございます♪♪またまたどちらに「おでかけ・・レソか?」今回は夫玉を探しに・・、おっと~!違った、音霊を探しにおでかけレス!

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