中国の都は「京」なのねん!






 前回の記事で魏志倭人伝の話しをしたのねん・・。けっこう、「さら~っ」と書いたのねんけんど、これはとっても重要な情報を含んでるのねんな~・・気付いたお方も多くいらっしゃるかとは思うけんどもね~。

 もちろんそれは、

「都」

の意味・・なのねん。

 これはね・・

「女王が都するところの邪馬台国・・」

じゃぁ・・無いのねん。

正解は・・

「女王がいるところである邪馬台国まで、全部で(全日程で)・・」

なのねんよ。



南至邪馬壹國、女王之所、都、水行十日、陸行一月。


「南に船で10日、陸を30日ほどで女王の都の邪馬台国に行ける 」

「南(行)で女王の所の邪馬台国に至る。都合、船で十日、陸を行くこと一月。」

っちゅうことでんな~。・・もし女王の都(みやこ)と表現したけりゃ、わざわざ、

南至邪馬壹國女王之所都

なんて書く必要が無いしね・・。「所都」って?・・なんじゃらほい?「女王のところのみやこ」は変だしょ?中国での都は「京」なのねんから・・

南至邪馬壹國女王之・・

とするべきなのねん・・。


 でね・・これは何を意味するかっちゅうとね・・。

「魏志倭人伝で邪馬台国と書かれた女王国は畿内には無かったことの証拠のひとつ」

なのねん。


 ま~・・邪馬台国は大和(奈良)だ・・それしか有り得ない・・とする今までの凝り固まった考え方を否定する証拠のひとつなのねん。でも、あくまで魏志倭人伝に書かれてるのんで、それが正しいとした場合・・だけんどもね~・・だけんども、

「邪馬台国・・っちゅうて女王国を呼んだのは魏志倭人伝!」

なもんで、それを否定しちゃうとど~にもならん・・っちゅうことになるのだけんどもね~・・。


 でねでね・・魏志倭人伝にはね・・その後に、こんなことも書いてあるのねん。


自郡至女王國 萬二千餘里。


 まぁ・・郡というのは帯方郡っちゅう、韓半島にあったところねんから、

帯方郡から1万2000余里で女王国に至る。

っちゅうことで、ここは何も疑問は無い・・と思うけんども・・何かあるかな~?


 いや・・有るかなん・・?・・この「里」は今の「里」とはちゃうのんで、約4キロメートル・・ちゅうことじゃぁ無いのねんな。「短里(たんり」とされててね・・一般的には1里が70メートル内外らしい・・のねん。

 でも、それも事実かどうか判らんからね・・・1里がどのくらいなのんかは、とりあえず置いとくのがよろし・・。

 で・・魏志倭人伝には、こんな風に書いてある・・ま、WIKIからそのまんまコピー、ペーストだけんどもね・・。


倭人在帶方東南大海之中 依山㠀爲國邑  舊百餘國 漢時有朝見者 今使譯所通三十國

 倭人は帯方郡の東南の大海の中に在り、山島に依って国邑とし、漢の頃から大陸への朝貢があり、記述の時点では30箇国が使者を通わせている。

從郡至倭 循海岸水行 歷韓國 乍南乍東 到其北岸狗邪韓國 七千餘里

 帯方郡から倭国に至るには、水行で海岸を循って韓国を経て南へ、東へ、7000余里で〔倭の〕北岸の狗邪韓国(くやかんこく)に到着する。

by WIKI


 そう・・ここで重要なのんは、

「倭人は郡の東南の大海の中にいる。」
「倭国に行くには・・アレコレすると・・その(倭国の)北岸のクヤ韓国に7000余里」

っちゅうことでんな。倭人と倭国を一緒くたにせんのが重要だしね・・狗邪韓國は倭国だっちゅうことが重要なのねんよ。そして、この狗邪韓國まで・・7000里もある・・っちゅうことでんな~。

 そ・・半島の端の伽耶は倭国だと・・言ってるのねん・・じゃぁ次に行ってみよ~!


一海千餘里 對馬國 其大官曰卑狗 副曰卑奴母離 所居絶㠀 方可四百餘里  土地山險 多深林 道路如禽鹿徑 有千餘戸 無良田 食海物自活 乗船南北市糴

 始めて海を1000余里渡ると、対馬国に至る。大官は卑狗(ひこ)、副官は卑奴母離(ひなもり)。絶島で400余里四方の広さ。1000余戸が有る。山は険しく、道は獣道のようで、林は深く、良い田畑がなく、海産物で自活。船で南北岸の市へいく。

又南渡一海千餘里 名曰瀚海 一大國 官亦曰卑狗 副曰卑奴母離 方可三百里 多竹木叢林 有三千許家 差有田地 耕田 猶不足食 亦南北市糴

 また南に瀚海と呼ばれる海を1000余里渡ると一大国に至る。官は対馬国と同じ。300余里四方。竹、木、草むら、林が多い。3000許(ばか)りの家が有る。田畑は有るが田を耕すが食糧には足りず、南北から市へいく。

又渡一海千餘里 末廬國 有四千餘戸 濱山海居 草木茂盛 行不見前人 好捕魚鰒 水無深淺、皆沈没取之

 また海を1000余里渡ると、末廬国に至る。4000余戸が有り、山海に沿って住む。草木が茂り、前を行く人が見えない。魚やアワビを捕るのを好み、皆が潜る。

by WIKI
「度」 は「渡」 の写し間違いでっしゃろな~。


 あ~・・重要な部分は「赤く」しといたのねん。だいぶ端折るけんども・・特に「ひこ」「ひぬもり」の部分はまた別の機会にね~。

 海を1千里ほど渡って対馬へ「至る」。
 また海を1千里ほど渡って壱岐へ「至る」。
 またまた海を1千里ほど渡って松浦へ「至る」。

 っちゅうことやね~。女王国までは12000里だから、郡から伽耶までの7000里に1000里と1000里と1000里を足すから・・1万里を達成なのねん!

・・残りはたったの2000里で女王国なのねん!

 だって、郡から女王のところまでは全部で12000里 ・・だから!


 だから~・・少なくとも、さよちゃん卑弥呼の時代、邪馬台国と呼ばれた女王国は、

「大和(奈良)に存在する訳が無い!」

のねんよ。大和までは距離が全然不足してるのねん・・2000里じゃぁ畿内には行けんのねん。これが2つ目の証拠・・なのねん。


 まぁ・・難しい話をすればね・・「連続説」と「放射説」とかが有るのねんけんども、ファシレ的には完全に「放射説」で連続説の訳が無い・・のねんな~・・。


 でねでねでね・・そこで重要なのんが、魏志倭人伝の次の文・・なのねんよ~。

東南陸行五百里 伊都國 官曰爾支 副曰泄謨觚柄渠觚 有千餘戸 丗有王 皆統屬女王國 郡使往來常所駐
 
 東南へ500里陸行すると、伊都国に到着する。長官は爾支(にき)、副官は泄謨觚(せもこ)と柄渠觚(へくこ)。1000余戸が有る。世々、王が居る。皆、女王国に属する。帯方郡の使者の往来では常に駐在する所。
by WIKI

 はい・・・出ました。500里で伊都国に到着する・・と書いてあるのねん。つまり・・ここまでは10000里と500里で10500里・・なのねん。ま~こんな計算、子供でも出来まんがな~・・。

 つまり、それまでは「至」しか出てこなかったのねんが「到」が同じような意味にとれるように書かれているけんども、

「最終目的地に到着の意味の到」
なのねんよ。だって・・ここが常に駐在してる官吏の目的のところなのねんからね~。で、後は女王国に属する国の説明と、女王国の説明になってるのねん。


 じゃぁ・・残りは何里かな~?・・12000-10500=・・だから、1500里だよねん?伊都国から邪馬台国までは1500里だっちゅうことなのねん。子供でも判るから敢えて書かなかったのかもしれんね~・・。でも書かなかったもんで、多くの学者さんたちを迷わせ、きっと邪馬台国畿内説を正当化させちゃったのねんな~。

 だから、松浦から歩いて2000里(おそらく140キロくらい?)で、伊都国からは1500里(100キロくらい?)なのねんな~。だからその範囲・・に女王国は有るのねん。


 でね・・女王国はどこだったか・・は別の機会にするとして、必ずね・・反論されるに違い無い、魏志倭人伝の続きの文も説明しとこか~。


東南至奴國百里 官曰兕馬觚 副曰卑奴母離 有二萬餘戸。
 東南に100里進むと奴国に至る。長官は兕馬觚(しまこ)、副官は卑奴母離(ひなもり)。2万余戸が有る。

東行至不彌國百里 官曰多模 副曰卑奴母離 有千餘家
 東へ100里行くと、不弥国に至る。長官は多模(たも)、副官は卑奴母離(ひなもり)。1000余の家族が有る。

南至投馬國 水行二十曰 官曰彌彌 副曰彌彌那利 可五萬餘戸
 南へ水行20日で、投馬国に至る。長官は彌彌(みみ)、副官は彌彌那利(みみなり)である。推計5万戸余。

南至邪馬壹國 女王之所都 水行十日 陸行一月 官有伊支馬 次曰彌馬升 次曰彌馬獲支 次曰奴佳鞮 可七萬餘戸
 南に水行10日と陸行1月で女王の都のある邪馬台国に至る。官に伊支馬(いきま)、弥馬升(みましょう)、弥馬獲支(みまかくき)、奴佳鞮(なかてい)があり、推計7万余戸。
by WIKI


 WIKIの訳は間違ってるのんで、最低限のレベルで直しとくのねん。
 (伊都國から)南に(1500里余り)行くと女王の所、邪馬台国に至る。官に伊支馬(いきま)、弥馬升(みましょう)、弥馬獲支(みまかくき)、奴佳鞮(なかてい)があり、推計7万余戸。
by ファシレのおじさん

 ま、伊支馬さんはじめ、他のお方のことは前回のブログを見てちょ~・・。


 連続説を取った上で「都」を「女王の都」としてしまうとね・・邪馬台国は日本には無かったことになってしまうのねんよ・・だから、

「1800年前は九州を北として本州、北海道と南に有り、徐々に回転して今の形の日本列島になった!」
と・・真面目におっしゃってらっしゃる方もいらっさいます~・・まぁ、99%以上の確率で

「そりゃぁ~・・無いわ・・」

とは言えるけんどもね~・・。


 この文の本当の意味は・・

 (到着した伊都國からは陸を行って)東南に100里で「奴国」へ行ける。

 (到着した伊都國からは陸を行って)東に100里で「不弥国」へ行ける。

 (到着した伊都國からは)南に船で20日、「投馬国」に行くことが出来る。

と女王国に属する伊都国の周辺を説明した上で、

(都)全行程のトータルとして
 南に水行10日と陸行1月で女王のところの邪馬台国に至る

と読むのが正解・・なのねん。


 何しろ・・伊都国から邪馬台国までは1500里なのねんよ~・・たった・・ね。全行程が12000里なのねんから、12.5%が残りでんな~。

 もしね・・その残り12.5%に、「水行10日と陸行1月」も掛かってね・・1500里だと言うなら、ど~ゆ~ことになるのか、かんたんに判るよね~。安易で単純な計算だけんど、12.5%が40日なら・・

「邪馬台国への全行程は320日!」


になってまうのねんよ~・・。そんなこと、ありえんだしょ~?


 ついでにね・・南に船で20日、「投馬国」っちゅうのんは・・残念ながら写本の写し間違いでね・・

X 「投」

○「殺」

なのねん・・

 そう・・「さつま」・・でんがな~ ・¥・ 伊都國からは船でグルッと回ったのでっしゃろな~・・そして、上のように説明した「奴国」「不弥国」と、船で行く「殺馬国」の間にね~・・・

「女王がいる邪馬台国がある」

と書いたのねんな~・・。ただそれだけ~・・



 っちゅうところで時間切れ~・・ま~文字だらけで読むのが辛いでっしゃろな~・・。でも魏志倭人伝は凄いでんな~・・ちゃんと読めば判りやすいのねん・・。じゃぁまたね~・・バイナラ~!・・呆けるの忘れててごめんね~!
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 何でこんなに判らんことが多いのかが良く判らん!その判らんことの答えを探して旅に出たつもりが、その答えも見つからんうちにもっと判らんことの答えを探す旅に出ることになっちまったい・・・
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