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わかみたふり解析は無駄な努力??






 ま~ね~~・・、「わかみたふり・りかみたふり・わかんどほりの新解釈」なんて言ってしまえば格好良さそ~だけんど、たかがど素人の戯言に過ぎんのんで、どなたさんも「お怒り」はごもっとも!・・仕舞いにゃ非国民(・・古っ!)とまで罵りたいと思っても笑って許して欲しいのにゃ~!

 それにね~~・・、

「西暦600年の話しなのに、百済の領土の未冬夫里(みとふり・みたふり)にタリシヒコと妻、女6~700人、そして太子の為利歌が居ったっちゅうんかい!?」

「西暦607年には隋使が阿蘇山近郊まで来てタリシヒコと会ってるはず・・阿毎氏の住居が百済・・のはずが無い!!」

「名太子爲利歌彌多弗利 の 〔名 A 爲 B〕 は Aの名前 を Bと為す だから、 少なくとも【爲】 は名前じゃないんじゃおへんの~!?」

みたいな疑問から、


「・・そんなん、矛盾だらけで何の意味も無いから怒る気にもならん・・。」


っちゅうことなのかもしらんね~。・・・ま、そ~思われても仕方無いのねんけんども、一般的な知識としての「嘘で塗り固め、隠されてきた倭の真実の歴史」を導くにゃ~・・その一般的な知識を一旦横に置いて想像せんことにゃ~・・始まらんのね~。


 そ~は言ってもね・・一応、そんなどこかのガイxチさんみたいなことを書いてる以上、ファシレのおじさんにもそれなりの確証は有るのねんな~・・。ま、専門家の方々の中にも、


「・・こ、これは・・!」


と思ってらっしゃるお方もいらっしゃると思うのねんよ。




                          ・・・絶対いないと思うよ~


 例えばね・・確かに未冬夫里は百済の県、郡もしくは村なのは間違いは無いのねん。「夫里」は日本語だと「ふり」だけんども半島じゃ「プル」と読むらしいのねん。・・・で、「~原」みたいな意味も有るらしいのねんな・・・。それにね・・これはある筋の情報・・・っちゅうか、ネットで前に拾うたのねんけんども・・・なんとね・・


夫里(プル)は百済語では という意味」

 も有るらしいのねんな~。ファシレのおじさんはそれが本当かど~かは判らんよ・・でも、学者さんたちは予備知識として持っとるはずなんじゃが・・の~。


 百済で「夫里」を表わす、「城」の昔の語が、新鹿では火伐など、高句麗では「忽」などで表わされている著名な事実は、恐らく祖語は同じでも、その発音はおのずから異なっていたであろうと想像される。


 「夫里」は音読の「puri.」(原)であり、百済地名から12回も重出し、これは新羅語の「pur,par」(火、弗、伐)や高句麗語の「hor,kor」(忽)に対応される語彙である(季基文1961:37)。

<略>「火」は訓読して「伐」と対応されるものであり、
火日学                   (難林道事)
火  pirhwa(昔斗)           (訓蒙字会下F35)
新羅地名多構火、火乃弗之転 弗又伐之転(東国奥地勝覧22蔚山郡粂)
その原初的な意味は、平原・平野とされている。
坪、伐、弗、火稀平野 新羅邑用之          (大東地志)

 なお、一般に「伐」は日本語の「ハラ(原)」又は「パル」(九州地方)と一致していると言われている(金沢庄三郎)。


<略>
「末冬」を「mit」(底)と音借されたものとして見れば、「未冬夫里」は「底原」「下原」の義と解釈し得る(辛免絃1958:89)

「推古時代のオ列音表記の音仮名朝鮮漢字音の受容に関して」
藤井茂利氏 国語国文薩摩洛 第22号 より抜粋・引用




 そ~なのねん・・「~夫里」は「~県(郡・村)」でも有り、「~原」で有り、「~城(しろ)」だったのねん!だから・・・あの、

王妻號雞彌後宮有女六七百人名太子爲利歌彌多弗利無城郭内官有十二等

は、

1.王の妻は雞彌と号し
(そして)
2.後宮に女が6~700人いる
(そんな彼女等が・・)
3.爲利歌と名付けた太子
(と共にいる)
4.彌多弗利(みた・みと城)には城郭は無い
(が)
5.十二等の官位官制がある
(つまり一夫多妻の王政だが官僚制度が有って後進国では無い)


っちゅうことで、ものの見事にね・・・上手く行ったのねんな~・・・パチパチ!!拍手~!自画自賛!特許申請中!PATENT APPLIED FOR ~!あ・・でもこれじゃぁパチパチならぬパフパフなのねん・・・・ギタリスト限定受け~!・・嘘ぴょ~ん!


                         古文の時間、ずっと寝てたくせに良く言うわ~~~



 それにね・・夫里(フリ)は百済語の「城」らしいけんども、抜粋・引用させてもらったように、半島の新羅か百済か伽耶か知らんが「~原(プル)」っちゅう意味も有ってね・・・これは九州の地名に多い「何とか原(ばる)」に繋がってるのねんし・・・


 何と壱岐(島・市)の地名は、「~触(ふれ)」っちゅう、村の意味と同じ言葉が語尾に必ず付くのねんな~。最も他にも、「浦」「島」っちゅう語尾詞?も有るけんどもね・・・「ふれ」でっせ~?・・「ふり」「ぷる」・・同じでっしゃろ~?


・・例えば、

片原触(かたばるふれ)
郷ノ浦(ごうのうら)
庄触(しょうふれ)
永田触(ながたふれ)
東触(ひがしふれ)
本村触(ほんむらふれ)

 これはどっちが先かは判らんけんども、完全にね・・「夫里(ふり)」の近い親戚でんな~・・。



 ま、そんなんで、【爲】の意味も判ったかな~と・・これは動詞的なものじゃなくて、聞いた発音をそのまま移したのねんな・・。じゃないとね・・太子の名前は「リカちゃん」・・になってまうのねん・・ちと困るのねんよ~。


 これでほとんどの疑問は解消したはずなのねんけんども、まんだ、

西暦607年の未冬夫里がどこか?

は書いてなかったよねん?


 っちゅうか、「上・下タリ」が任那から百済へ、そして未冬夫里に居た者が百済から倭国へ移ったことさえ・・書いてなかったのねんな~・・すまんの~・・文章の構成力が無いのねん。何しろ思いつくままにただ書いとるだけなのねんから・・



 で、そ・・・調子こいて百済に未冬の城(・原)も熨斗つけてあげちゃったもんで、本国にお引越し・・帰ってきたのねん・・・そんでもって、前の城・土地の名前を付けたか、元々列島から百済に向かったもんで百済の土地に「未冬」と名付けたか・・だすな~。


 でも、列島に有ったとしたら、それはどこかな~・・「みた城」・・は、みたこと・・無いにゃ~。


「みと城」・・も・・ちと変だす・・。


「また城・まと城」・・股フリじゃぁ・・何やっとんのんか判らんし・・。


「・・・むっ!」



「むむむっ!」



「むむむの・・むっ!」

                                      煩い!


「むた!」


 いや~!・・牟田!・・・牟田って・・無駄じゃぁおへんのんよ・・牟田!・・牟田っちゅう地名はね~・・九州にゃぁ、あっちゃこっちゃにあるのねんよ・・。あまりに多いのんで・・ここに載せるのも気が引けるほどだすな~・・。

 でもま、隋使絡みで阿蘇山に近くて、火=伐(抜粋・引用を見てね~)から火の国近郊・・・だとするってぇとなんだ?・・何と・・、

「大牟田??」


 未冬夫里 = 「むた城(原)」がここだとすると・・・福岡から吉野ヶ里がちょうど半分位の距離すか?・・・いい感じかな?・・でも他にもあっちゃこっちゃに牟田は有るのんで~・・


 それこそね・・「牟田原(むたばる)」っちゅう地名も有るのねん・・


 結構、由来なんぞをね~・・ちらほらと調べてはみたけんども、ほぼ出て来ん・・でも百済の地から戻った阿毎氏以下は、居城のことを「夫里(フリ)」・・・フリフリ言わせてたのだっしゃろな~!


                                  ・・そりゃ~ブイブイ・・


 ま、これで

「土地の話しもせんで・・太子の名前の直後に 無城郭 のみっちゅう短いセンテンスのけったい無体な文体の魏書」

じゃぁ無かったのねんと・・証明したことにしれくれんかの~! 駄目~?・・あぁ・・無常・・なのにゃ~



 ただ、九州のその場所の断定はファシレのおじさん一人の拙い力じゃぁど~もならん・・のんで~・・そのうちに山田ファミリーのパワーを是非お借り・結集させてもろて、真贋を含め、該当地を見つけたいと・・思ってるのねんな~。いつになるか判らんけんども・・期待せず、待っとってね~・・。


                            ま~・・お力をお借りでけるかど~か判らんけんどもね~


 あ~・・良かった・・取り合えずの3回にも及ぶ、「皆さんへの言い訳の書」も終了なのねん・・。短い間にね・・こんだけ後進するのは結構大変なのねんな~!


                           ・・・後に進んでど~するねん・・けったいな韻踏みおって~

                           ・・・って自分で好きでやっとるのんと違う?
                違~わい!





 っちゅうところで今回は正常終了!!あ・・為利歌・・忘れとったばい~・・ま、この話しは大変なのんで、またでい~ね~・・い~とも~!ばいなら~・・アディオ~ス!
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アメタリシヒコの正体!?






 ま~ね~~・・。「阿麻氏は中臣氏系」なんて、すっとぼけたことをほざいとるのんは、後にも先にもファシレのおじさん位しかおらんだろ~からね~・・・。色んな筋から文句が来るかとも思ったけんども、結構静か・・・っちゅうか、波風立ってないのんが嬉しいようなね・・ま、どこかの国とは違って、まだ少しは言論に自由があることになってる国だもんで、何の責任も無い立場のもんの自由な言葉の羅列には、容赦してくれてるのかもしれんの~・・。

 そ~は言ってもね~・・勝手気ままに「無いことばかり」を「さも有るように」書いてる訳じゃぁ無いのんで・・・言い訳っちゅうか、証明っちゅうか、さらなる解明はしていかにゃならんのかな~・・とは思っとるのねん。

 阿麻さんは中臣・・・っちゅうのんは、まんだ良いにしてもね・・じゃぁ、散々言ってたあの「アメタリシヒコ」の正体は?・・とか、タリシヒコの太子の「わかみたほり」「りかみたほり」はど~なのよ?・・っちゅうようなね・・・前にもちっと書いてるからね・・ちょっとだけ言い訳してみよっか?

 アメタリシヒコが隋書倭國傳 にはね・・漢字ばかりでね・・こんな風に書いてあるのねん・・ま、ネットには写本の画像も有るから見てみると良いのねん・・

開皇二十年倭王姓阿毎字多利思比孤號阿輩雞彌遣使詣闕上令所司訪其風俗・・・

 倭王姓阿毎 字多利思比孤

 ま、つまり倭王の姓は「阿毎」であり、その名前を「多利思比孤」と言う・・・と書いてあって、何とかと号す・・とね、ある訳ねん。

 何とかと号すっちゅう部分は以前に書いたけんど、またそのうちにね・・説明せにゃならんかな~とは思うけんど、今はこの、

多利思比孤

が重要なのんでね・・・


 これってね・・実は馬韓みたいに簡単でね・・みんな元馬韓だからね~・・馬韓馬韓しくて拍子抜けするようなもんなのねんけんども~・・

名前は

多利」「の」「日子で~す!」

 と・・言ってるだけなのねんな~・・。・・ん?判らんかな~?・・んじゃぁ・・例のものを・・

kumatsu01.jpg


 実は・・行ったり来たりしてたのねんな~! にも使った地図なのねんが、この左下の赤い部分のことなのねんよ・・。

 継体天皇さんの時にね・・百済に、

「任那四県(オコシタリ・アロシタリ・サダ・ムロ)をちょ~だい!」

 って言われたもんで・・

「いいとも~!」

 って・・あげちゃったのねんな~。何せ継体天皇さんは百済昆支王の5人の子供の一人・・ま、ファシレのおじさんは前にそ~書いたけんどもね・・だからかな~・・。ま、この辺りの詳しいことはいずれ書かにゃならんとは思っとるけん・・


 でね~・・この中に、「タリ」の字が2箇所あるのねんけんども、取り合えず漢字で書いてみると・・

哆唎(オコシタリ

哆唎(アロシタリ

娑陀(サダ)

牟婁(ムロ)

の4県・・でんな・・。


 つまり、アマタリシヒコは・・

哆唎の天(君)の日子

 と名乗ったのねんな~・・。簡単だしょ~? 天 = 中 ・・だしね~・・(・・おっ、やばっ)

 オコ タリ とアロ タリ を見りゃぁ判ると思うけんども、 「上 タリ」「下 タリ」 の用法と同じでんな~・・・「タリ ヒコ」 の「」・・・
 



 で、そ~なってくると、「りかみたふり」が気になっちゃうよね~・・・。タリシヒコの太子さんだしね~・・・。

 でもね・・あれって・・前後の脈略を考えりゃ~・・・今までの学者さんたちの考え方は・・


・・変じゃね?

と気付くはずなのねんな~・・。

 ま、これは「勘違い」とか「早とちり」とかのレベルを超えてると思うのねんけんどもね~・・・ま~漢字ばかりだからついつい・・間違っちゃっただけ~

                                 っんな訳あるかい!




つまり、こ~ゆ~ことなのねんな~。隋書倭國傳にはこんな風に書いてあるのねん・・

王妻號雞彌後宮有女六七百人名太子爲利歌彌多弗利無城郭内官有十二等一曰大德・・・・


 判り易いようにね・・普通の理解でゆ~ところをセンテンスで色を変えたのねんな・・つまり、

1.王の妻は「雞彌」と号す。

2.後宮が有って女が6~700人いる。

3.太子を名付けて利歌彌多弗利(りかみたふり)と成す。

4.城郭は無い。

5.内に官12等級がある・・・曰く一に・・


 っちゅう訳でんがな・・・。


 でもね・・・何か変だと思わんかな~?・・ん?・・ちいとも変じゃないってかなん~?・・・そりゃぁ・・学者さんと同じレベルに達してるのねんよ~・・きっと。ファシレのおじさんにはちっと変に思えてね~・・その「違和感」が何かは最初は判らんかったのねんけんどもね~。


 実はね・・こ~ゆ~ことなのねん。




王妻號雞彌後宮有女六七百人名太子爲利歌彌多弗利無城郭内官有十二等一曰大德・・・・


 判り易いようにね・・おじさん的なセンテンスの理解で色を変えてみたのねんな・・つまり、

1.王の妻は「雞彌」と号す。

2.後宮が有って女が6~700人いる。

3.太子を爲利歌(いりか)と名付く。

4.彌多弗利(みたふり)に城郭は無い。

5.(が、その)内に官が12等級ある・・・曰く一に・・



 ・・・およよ・・


 そ~・・・地名なのねん・・地名だけに致命的だったのねん・・うにゃ~・・。センテンスが変だったのねん・・だから、「名 太子 いりか」 なのねんな~。で、その次は「ミタフリには城郭は無い」・・と訳すのねんよ。

 だってね・・いきなり

「無城郭」

 なんて・・変だしょ?

 その次にね・・・

「内官 有 十二等・・」

と、ちゃんと書いてあるのねん。

「A 有る B」

っちゅう形なのねん。だからね・・その直前もね・・

「無い B」

じゃ無いのねんよ。

「A 無い B」

なのねん。

 だから・・

彌多弗利(みたふり)に城郭は無い。

が正解なのねんな~・・。


 ん?・・ミタフリって何かって~?・・あ、それね・・・それは、ここねんな。



Map_Naju-si.png

"Map Naju-si". Licensed under CC 表示-継承 3.0 via ウィキメディア・コモンズ.

 そう・・・百済4県割譲時のね・・まぁ、哆唎のね・・今だと羅州市っちゅうところにね、古い地名で、「未冬夫里」(みたふり)っちゅうのんが有るのねん。南平っちゅう所でんな~。

 何とか夫里(フリ) っちゅうのんは百済の古い地名なのねんよ・・。「何ちゃら県」とか、「何たら村」っちゅう意味かと思うけんども、西暦660年に新羅が百済を滅ぼした後に、新羅景德王さんが改名しちゃったのねん。ま~、その記録はネットで幾らでも見つかるから、探してみてね~。因みに pikupopodemi さんのサイトには、百済の古地図が有ってね・・・有り難いでんな~・・・ほんと、ありがとう・・で、そこに当然ながら「未冬夫里」 もしっかり載ってるのねんで・・。勝手にリンクするのんは失礼なのんで・・ご覧になりたければ 下のアドレスをコピー&ペーストして、

「すんません~・・見せてください~!」

とお礼を言いつつご覧くださんせ。

www.geocities.co.jp/CollegeLife-Club/5420/image/busyu.jpeg


 ま、だから、姓はアメ、名はタリのヒコ、太子は「いりか」、タリのミタフリには城郭は無い・・・


 っちゅうことなのねんよ~・・・。判った~?・・簡単だしょ~?

 これだけ詳細に魏書は書いてるのに、太子の名前の直後にいきなり・・・「無城郭」は普通は無いっちゅうねんな~。ま、きっと・・隠したかったのねん・・



「・・あれ?」




 イリカって・・ねぇ・・あのエリカ様か?・・・・んなわきゃね~すな・・っつ~ことは・・

「太子の名はイルカ~!


 って・・・マジすか~?・・・


 わしゃ知らんよ~・・何も知らん・・ど~しょ~・・・


っちゅうところで今回は時間切れ!!連日の更新でね・・お疲れなのねん・・しばらく旅にでも出るかの~・・・じゃ、またね~。ばいなら~・・アディオ~ス!

「天君」の正体は??






 中臣氏は欽明天皇さんの頃に「中臣姓」を賜り、またそれ以前、仲哀天皇さんの頃に、雷臣(いかつおみ)さんが「ト部姓」(うらべ)を賜った・・・っちゅうことで、取り合えず納得させられてるのねん。・・ま~・・唐突に始まった感が否めんけんども、あんまりノンビリもしてられんけんね~。唐突と書いて「からとつ」と・・は読まんのんで・・まぁ読んでくれても、還ってその方がニュアンスは近いかもしれんけんども、いちお~「とうとつ」なのねんな~。「藤突」では無いのねんけんどもね~。・・何だかな~駄洒落の切れが今ひとつでね~・・


中臣氏(なかとみうじ)は、「中臣」を氏の名とする氏族。

古代の日本において、忌部氏とともに神事・祭祀をつかさどった中央豪族で、古くから現在の京都市山科区中臣町付近の山階を拠点としていた。天児屋命(アメノコヤネ)を祖とする。姓(かばね)は連(むらじ)、八色の姓制定後の姓(かばね)は朝臣(あそみ・あそん)。by WIKI



 姓が中臣(なかおみ)なのに、「連(むらじ)」や「臣(おみ)」の姓(かばね)を持ってるもんだもんで、

「中臣臣」
「中臣連・中臣大連」
「中臣部」

 なんてね・・・。

「・・中臣さんの姓って・・何?」

と思わざるを得んよね~・・。鎌足さんの次男の不比等ちゃんだって「史(ふひと)」っちゅう姓(かばね)と読みが同じだからね~・・。わざわざ、判らんよ~にしとるとしか考えられんのんね~。


 ところでね・・・遠い昔のことなのねんけんども、西暦1年の半島辺りっちゅうのんは、中々面白くてね~。

馬韓(ばかん)

は、紀元前2世紀末から4世紀中葉に、朝鮮半島南部に存在した部族集団である三韓の一つ。帯方郡の南、黄海に接し、東方は辰韓(後の新羅)、南方は倭に接していた。後の百済と重なる場所にあった地域である。

馬韓人は定住民であり、穀物を植え、養蚕を行っていた。それぞれの部族には酋長がおり、大きな部族の酋長を臣智(しんち)と言い、それに次ぐものを邑借(ゆうしゃく)と呼び、集落に城郭は無く、五十余国が存在した。その内の伯済国が百済になったとする説もある。

『後漢書』辰韓伝、『三国志』魏書辰韓伝によると、秦の始皇帝の労役から逃亡してきた秦の遺民がおり、馬韓人はその東の地を割いて、彼らに与え住まわせ辰韓人と名づけたという。また、『三国志』魏書弁辰伝によると、馬韓人と辰韓人は言語が異なっていたという。
by WIKI



 「そんな~・・馬韓な~・・」「いや~ん馬韓~」

みたいなね・・そんな名前の国々なのねん。

 ま、「WIKI に書いてあることが絶対に正しい」とは言えんし、今となっちゃぁ想像するしかない・・っちゅうこともあるけんどもね~。

 例えば上のWIKI の文章を見ると、

「馬韓は後の百済と重なる場所にあった地域」

と有るけんどもね~・・。でもそれは確実に間違いでね・・。少なくとも西暦1年の頃は、もっとずっと北、遼東半島の南辺りに有ったのねんな~。今の北朝鮮の西側辺りなのねんな~。

 でもそれはWIKIが悪いのんじゃぁ無いのねんな~。そう教えられて来たもんで、ただただ良~く考えずにそのよ~に書いただけなのねん。

 少なくとも言えるのんは、

その頃の馬韓はもっとずっと。今の韓国の辺りは馬韓では無くて。」

なのねん。


「ん~・・・?・・そんな・・馬韓な~!」

と思うかもしれんけんども、古書は全て馬韓の位置を「遼東半島の南」を基本に書いてあるものばかり・・。


「・・なんでこれで当初から馬韓が韓国の位置?」

っちゅうのんが、ファシレのおじさんの気持ちなのねん。よ~は、誰かの圧力なのか、歴史家のサポタージュなのかは判らんけんども、

「これも隠されてきた歴史!」

のひとつだと思うのねんな~。倭の領地はみんなが思ってるより

「ずうっ~~~~と!」

広かったのねん。嘘だと思うなら・・調べてごらんしょ~。きっと簡単に判るのねん。



 でね・・本日の本題は・・その馬韓についてね・・。魏書馬韓傳・・正確には三国志魏書の東夷伝の馬韓の項にね・・

「天君」

が出てくるのねんよ。何て読んだらいいのんかは知らんけんどもね・・日本人なら「あまぎみ」だよね~??

信鬼神、国邑各立一人主祭天神、名之天君。又諸国各有別邑。名之為蘇塗。立大木、縣鈴鼓、事鬼神。

 何となく現代訳してみると・・

 鬼神を信じていて、国村で各一人を天神の司祭に立ている、名を天君。また諸国の各々にも別村があり、これを蘇塗と言う。大木を立てて鈴や鼓を懸け、鬼神に師事する。


 そう・・天神の司祭が「天君」なのねんよ~。すっげ~だしょ?・・ここに「あまきみ」が居たのねんな~。それも各国にね~・・・54カ国有ったらしいのねんけんどもね~。

 それに、蘇塗は「そと」と読めるだっしょ?・・

「鬼は外、福は内~!」

の蘇塗。

 調べてみるとね・・大木を2本立ててね・・一方には木の鳥型を、もう一方には「へび」を模してグルグルさせたものをね・・これって、

「神社の鳥居の初期?」

みたいなもんなのねんな~。ま、今はここの辺りは拡げんけんどもね~・・。



 でね・・・「天君」が「てんくん」か「あまぎみ」「あまきみ」かは判らんけんどもね・・その存在自体が非常に中臣氏と似てないかの~?


 中臣氏は、

「天津神(あまつかみ)と皇孫(こうそん)との仲を執り持つ神祇奉斎の一族」


でっしゃろ~?そのはずだよね~・・だから 「中」「つ」「臣」とされたと言われて納得しとるのねんから・・

 で、天君は、

「馬韓の各国村に一人いた天神の司祭」


 これって・・

「同じじゃね?」


「っちゅうことは・・?」


「中臣氏は天君の子孫?」


 っちゅう疑いが誰でも浮かんでくると思うのねんな~・・・歴史家の方々以外はね~。


 それにね・・実はメッチャすっごいのねん・・これ、出しちゃって良いんかな~とは思うけんど、ま~・・普通にネットに出てる話しだから構わんのかな~・・知ってる人は知ってると思うけんどもね~・・。この一件でね・・実は、


「中臣氏系が阿麻氏」

 と言えちゃうのねん・・。・・あらっ?・・書いちゃったわん?・・ずっと引っ張るつもりだったのねんけんど・・ま、いっか~!


 実はね、あの卑弥呼さんが魏皇帝からいただいたっちゅう「親魏倭王」の金印を、中臣氏某系の荒木田氏が持ってた・・のねん!

「私ん家、持ってました~!」

と、自分のブログで公表しとるのねんよ~。


 ん?・・いんや、九州の糸島で見つかった「漢委奴國王」の金印じゃぁおへんのよねん・・「親魏倭王」なのねん。これは、まだ発見されておらんことになっとるのねんな・・。

 でもね・・・印影はいっくらでも見つかるのねんよ。勿論、贋作もあるのねん・・。でも、本物も実は有ったのねん!googleで調べてもそれが判る・・それを持っていたと公言して憚らないのが、その荒木田さんなのねん・・

 ま、その真贋はご自身で検索してみてくだしゃんせ・・だけんど、そのページの内容は物凄いのねんで・・・読んで卒倒せんよ~にね~・・そんで、その内容が正しいのか、嘘なのかをね・・


「心の目で」


 判断して欲しいのねんな~・・。ちと怖い人や心臓が弱いお方は探さん方が良いと思うよん・・。


 でねでねでね・・・?・・もし中臣氏の子孫の、そのお方の家は実は・・あの「伊勢皇大神宮(伊勢神宮内宮)の祠官」の家柄だったのねんが・・

「卑弥呼の金印を持っていたということは?」

1.金印を誰かから盗んだ
2.金印を誰かから貰った
3.金印が空から降ってきた
4.金印をその辺で拾った
5.金印を祠官家が偽造した
6.金印を正当に継承した
7.金印を誰かから預かった


 のどれかっちゅうことでっしゃろ・・?となるとね・・かなりの確率で「6.金印を正当に継承した」可能性が高いよねん?・・だって、あの皇大神宮のトップの家柄でっしゃろ?

 っちゅうことはでんな・・・

「中臣氏のいずれかの系が卑弥呼の印を持っていた」

っちゅう・・ことになるのねん・・。言っちゃえば・・

「卑弥呼は天君で中臣・阿麻の祖!」


っちゅうことに・・ならんかの~?


 ん?・・そんなん・・信じられんと?・・その荒なんとかさんの姫さんも信頼できんと?・・・なら、こんなんはど~よ?


 「天君」を日本人なら「あまぎみ」と読めるし、それがむしろ普通・・だしょ?・・

 じゃぁ、現代の韓国の読みだと・・ど~なるかな~?

「天」= チョン

「君」 =クン or グン

 そ~。繋げて読む場合は「チョングン」と読むらしいのねん・・一生懸命・・調べたのねんから、ま~間違ったとしても遠くないと思うのねん・・。


 じゃぁ、「中臣」は日本人なら誰でも「なかとみ」と・・読むだっしょ?・・「ちゅうしん」とは読まんね~・・じゃ、韓国語だとど~なるかっちゅうとね?

「中」 = チュン・ソク・アン

「臣」 = グァン・シン

 おそらくなのねんが、つなげて読むときは濁るらしいのんで・・「チュングァン」と・・発声するはずなのねん・・違ってたらすまんけんどもねん・・


 つまり・・・

「天君」=チョングン
「中臣」=チュングァン


 あら・・・こりゃぁ・・下あごを前後に使わんで口先しか使わん発声で済む日本語に慣れて、こもってしまう日本人がしゃべったら、全く区別が付かんのじゃぁないかの~?・・っつ~か・・


「同じじゃね?」



・・・げげげっ!・・中臣氏とは・・・?





                           って・・もう・・書いてんじゃん!・・あほ



 っつ~ところで・・時間切れ~!・・いや~残念だすな~・・もっと詳細に書けるのねんけんどもね~・・・学者じゃぁ無いしね・・歴史家でも無いし~・・じゃ、またね~、ばいなら~・・アディオ~ス!


P.S. いかんいかん・・ど~も年を取ると呆けてしまってね~・・書いたと思ってたのに・・書いて無いのねん・・頭ん中・・もう少し何とかスッキリせんかの~・・

 つまりね・・現在の韓国語でも

「中」 = 「チュン・ソク・アン」

と読む・・・っつ~ことは、

「中」 =「あん」


と読む可能性も残るだしょ~?


 ・・・っつ~ことはだすな・・「中臣」は・・

「あんのおみ」

と・・ね・・。読めるのだすな~。

・・・っつ~ことはだすな・・「あんのおみ」は・・

「あん」-->「あんま」-->「あま」

と簡単に変化できるのねん・・っつ~か、してしまう可能性が高いのねん・・で・・これだとね・・

「阿麻臣」=「あまのおみ」

になってね・・・新撰姓氏録に書かれた「出自百済国人阿麻意弥也」の

阿麻意弥=阿麻臣=取石造

にもなっちゃうのねん・・・

 っつ~ことで・・ま、この先は・・またね~・・・
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NSY3

Author:NSY3
 何でこんなに判らんことが多いのかが良く判らん!その判らんことの答えを探して旅に出たつもりが、その答えも見つからんうちにもっと判らんことの答えを探す旅に出ることになっちまったい・・・
不徳の致すところでございます♪♪またまたどちらに「おでかけ・・レソか?」今回は夫玉を探しに・・、おっと~!違った、音霊を探しにおでかけレス!

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