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チャクラって何ぞ?





<ちょっとだけ2014.11.25加筆したのねん~>

 ネットを巡回してると・・古いかなん?言い方が・・すまんの~・・おじさんだからの~・・・、チャクラとはこんなもので、詰まってしまうと最悪の場合病気になってしまうかもしれない・・とか、どこのチャクラにはどんな石(・・ま、宝石でんな~)が合うから、詰まり気味の人は使うと良いとか・・、チャクラは回転してるから止まってるといかんからヒーリングがどうのこうのとか・・

 ファシレのおじさんはそんなことは何も知らんのんで、

「そ~ゆ~もんかの~・・・じゃぁ、パワーストーンでも買ってヒーリング効果でも検証してみるか~!」

とは・・・中々ならんのねんな。

 ま、石は石で買うたらええねん・・好きなら・・ね。でも確かにチャクラと呼ばれるもの・・器官かの~?・・存在するのであれば、石の相性もあるかもしれんけんどもね~。

 でもそんなネットのページには、ハートチャクラがアストラル界と繋がっているから物質界との接点なんだとか書いてあっても、ハートチャクラがど~ゆ~ものかを物質的肉体的にちゃんと説明してはいないのねんな~。おかしいよね~?

 稀に図解入りで回転風景などを説明しているページも有るにはあるけんど・・

「ほんまか~?」

と、100%信じるのもど~かの~・・と思ってしまうのねんな~。


 かくゆ~ファシレのおじさんも、以前には脳トレとか呼吸法とかを記事にしていたけんども、ど~もね~・・やっぱり危険なんだわな~・・。信じてやってみてもらえることは嬉しい気持ちもあるけんどもね・・・間違って覚えてしまったり、途中を端折ってやってしまったりして体調でも崩されてしまうとね・・ただ事じゃぁなくなってしまうしね~。

 くだんのスピ系の方々も、

「本当は全てを知っているんだけど危険だから敢えて隠してる!」

のかも知らんね~!・・・ま、そんなこたぁ無いだろうけんどね~。



 ちょうど、まぁ、西暦700年前後頃の倭に何が起こったのか・・まだとても全部は書き切れんのねんけんども、ほぼ解明できてしまったので、とほほ・・と思っていたところ、スピ系の続きの記事でも書いておこうかなどと思ってしまったら・・やっぱり書いてしまうことになったんぽいのねんな・・。ま、歴史ファンの方々とスピ系の方々(・・・も~ほとんど居らんと思うけんどもね~・・)がマゼコゼになってる変なブログなもんで、興味なかったらスルーしてねん。


 胸にチャクラが有るのか無いのか、それがどんな形をしていて、どんな作用をするものなのかは・・・知らんよ。でも、それかもしれないとファシレのおじさんが認識している共鳴ポイントは有るのねん。ま、知らんことは知らんし、認識できることだけを知ってる・・ちゅうことでんな。勿論、間違って認識していたり、身体の中の情報を混信して処理して認識してる場合もあるのんで、試すのであれば、

「あくまで自己責任で・・」

お願いなのねん。体調不良になったとか言われても責任取れんのんでね。よろぴくね。嘘は書かんのんで・・くれぐれも言っとくけんども、間違って認識してることはあるかもよん・・。

Mune_cakra03.jpg


 胸のそれらしきものを中心に脳で感覚を取ると・・つまり周波数・・音波でんな・・、仙骨の基底にドレミファソラシの、ほぼ「ミ」が入るのねん・・そして脳幹部分にも、一オクターブ上の「ミ’」が入るのねんよ。ま、ここでは詳細は説明せんよ・・。

 でね・・そ~すっと、胸のポイントに入るのは、仙骨基底から順に、ミ、ファ、ファ#、ソ、ソ#、と来て・・「ラ」なのねん。それがこの上の図なのねんな。(一般的なラ=440hzで調律してるとすると・・音階は全体的にちいとだけフラットしとるのねんな。)

 でもね・・胸も仙骨も脳幹部分も左右が有って色が微妙に?違うでっしゃろ?・・それを説明したのが下の図なのねん・・


Mune_cakra02.jpg


 身体を上から見て、スライスした感じなのねんが、1個目が脳幹部分、2~3個目がハートチャクラじゃないかな~?違うかな~?・・みたいな部分のアップ図でんな。

<ここから加筆>
 もし自分で共鳴音の感覚が有ったなら、どこの「ラ」「ミ」が反応してるか・・だすな。それが判るとこの図は理解できるはずなのねん。でも「ラ」は「ミ」でも有り、「ミ」は「ラ」でもあるっちゅうこと・・そして、この共鳴図はあくまで、「胸を中心にして脳幹と仙骨の間を1オクターブ(実は未満)で感覚を取りに行った場合」限定なのねんよ。だから絶対値としてその共鳴周波数を音で表してるのじゃなくてねん・・相対値としてなのねん・・でもそうでも無い部分もあるのねんけんどね~。ラが中心軸から右にしか存在せず、ミが左にしかないとかね~・・。ま、それが、脳幹・仙骨に1オクターブ(未満)のミを意識した結果で、人間・・そ~ゆ~ふ~に~しか成らんっちゅう基本中の基本なのねんな~。

 あとは・・「ファ#」と「シとド」の関係・・(^^;; かなん?判る人には判る凄~いヒント?ポイント?かも・・そ~考えると、この図はかなり凄いのねんな~!(パチパチパチ!自画自賛!・・)いや~・・いかん!これ以上はやめとこ~。
<加筆終了>

 1個目は図に描いた通りなのねんで、読んでみてちょ~。最初の図の縦軸で下から「ミ、ラ、ミ’」と入れた場合は、胸はその共鳴部分の右前の「ラ」が・・共鳴してるのねん。でも本当のことを言うと、背骨の中にも「ミ」が有って、その倍音が「ラ」なもんで・・ココも共鳴してるのねん・・他にもラはあるのんで、図を見て感じて欲しいのねんな。

 で、この右前の「ラ」が共鳴している時、実は脳幹の右前の「ミ」が一番反応するのねん・・。で・・「ラ」が「ラ#」になると脳幹部分も同じように移動するのねんな・・。

 本当はここは深く書きたいところなのねんが、余りやりすぎると後が怖いのんでこのくらいにしとこ~か・・。

 でねでね・・2番目の図の一番下・・ちょっと興味深いかもしらん情報を書いておいたので・・判る人には判るでっしゃろ~と思うのんで・・・知りたい方は図をしっかり見つめて解読してみてねん!ま~・・これが感覚的に判る方はね・・きっとそ~ゆ~方なのねん・・。


 つ~ことで、久し振りにそっち系の記事を書いてみたのねん!が、・・っつ~ところで・・・残念ながら時間切れなのねん!!またまたその内にね~・・書くからね~!ではバイナラ~!アディオ~ス~!チャオ!またね~!


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記紀にゃ~・・そ~書いてあるねんけんどね~・・






 例えばね・・、記紀が「中国に対する言い訳の書」で有って、しかもその中においても「自分たちの立場を何とか正当化することを目的とした」ので有ればね・・ワシらがあれやらこれやら必死に考えて証拠を上げてどうもこうもせんといても、もう結果は出てると思うのねん。記紀を正史とするのには、やはりその恩恵を受けた子孫が続いた・・っちゅうことだしね・・現在もそれが続いてる可能性も有るのねんな。・・いや・・おじさんは知らんよ~何もね・・。


 ま・・・記紀くらいしかまともな古代の記録が無い状況と判断される中で、記紀の中身を精査すりゃ~するほどね・・誰がどう見ても不比等ちゃんは百済系と思えちゃうだろうしね・・。


 だから、反対側から見てみるとね・・鏡の裏っ側に回り込むようにね・・すると判り易いかと思うのねんよ。自分が百済系の皇孫だとして、唐に刃向ったことを巧妙に隠しつつ、しかし、正等な王統の後継者なのねん!と・・アピールしたのが「記紀」っちゅうワケだから、

「日本という国の古代を歴史を書いた!」

と思ったら大間違いなのねん。

 百済系の遺臣さんたちが書いたものだとしたら、

「日本という国の中に百済の歴史を織り込んで、しかもバレ無いように書いた!」

可能性が有るのねんな~。・・ま、これは前にも書いてるのねんで、そんなことはご承知かとは思うけんどね~。結局「記紀」を読んでも、精査解析しても、古代のことはほとんど判らん!っちゅうこっちゃねんな~。端っこに有る、どうしても登場させなきゃ話しにならん「倭」のお方とかを探して、「想像」して・・もしくはイタコになって降ろして・・じゃないと解明できんのねん。


 前回の「不比等ちゃんは言葉遊びがお好きなのねん!」では、百済王の昆支さんの、残りの4人の王子の誰かが継体大王じゃないの~・・・と、いや、そんなに直接は書いちゃ~いないけんども、そんなことを書いたのねん。実はね・・まんだその先が有ってね・・実はものの見事に百済の王統と、記紀に記載の皇統が被っちゃってるのねんよ。ほんっと・・凄いのねん。そしてどんどん遡ってその先を見ようとするとね・・

「グルッと回って振り出しに戻る!」

ように・・罠をしかけて書いてあるのねんな~。ま~・・・良くやってくれてるのねん・・さっすが不比等ちゃんなのねん・・。


 ただしね・・これが本当の日本の歴史なんだと思ってしまうとね・・さらなる罠に踏み込むことになるかな~と思うのんで~・・気を付けなきゃいかんよ~。


■第26代とされる継体大王さん

 これはさっき、そんで前のブログにも書いたとおりなのねん。継体大王が誰かっちゅうのんは、半島百済の昆支王(こんきおう)の子、5人の人質のうち、一人が東城王になったと・・

 で、残りの4人は一体どうなったのかと・・

 で、越(高志)に大臣・大連が迎えに行ったんじゃなくて、昆支王(日本語で「こんし」韓国語で「こんち」・・と読める)の息子の済むところに迎えに行った・・のが正解じゃないか・・とねん。

 つまり、

「百済の遺臣が大王じゃ、唐に言い訳できず都合が悪いと思った」

 んじゃないかと思うのねんな~。唐は髄の後継で、少なくとも「倭」は、倭王に封ぜられた立ち居地だったのねんから、倭王=日本の王=天皇の立場を取る大和朝廷とすりゃ~、そうせざるをえんのねんな~。


■継体大王の父は彦主人王

 じゃぁ、継体大王の父は誰かっちゅうとね・・彦主人王(ひこうしのおう/ひこうしのおおきみ)さん・・でんな。もしね、継体大王さんの父親が百済の昆支王(こんしおう)だとするなら、彦主人王と共通点があるはずでんな~?・・ちょっと見てみよか~。

 彦 主人(ひこ うし)と読むけんども、上宮記逸文では「汗斯王(うしのおおきみ)」みたいに漢字が振られてるのねんよ。これって・・「汗」(あせ)って、実際は「干」の下の部分がハネるので、ちっと違うけんど、結局同じで・・「かんし のおおきみ」と読めるよねん?

 つまり、「昆支 こんし」「汗斯 かんし」・・で・・ありゃりゃ・・ほとんど同じでんな~?日本人が普通にしゃべってるのを聞いてても、たぶん区別は付かんだろねん・・


■彦主人王の父は乎非王

 「乎非王」さんって、ちと読み辛いかもしれんけんど、記紀は「おいのおおきみ」と読ませてるようなのねん。・・が、昆支王の父は毘有王(ひゆうおう、生年不詳 - 455年)さんで、百済の第20代の王(在位:427年 - 455年)なのねん。現代の韓国語では、たぶん「ぴゆわん」と読めるのかなん?中国語では「ぴーようわん」・・でんな。

 乎非(おい)と毘有(ひゆう)で、ちと違うかな~・・と思いきや、非(ひ)と毘(ひ)が同じでんな。それにね・・百済の王家には姓が有ってね・・「餘(よ)」「徐」もしくは「余」なのねん。だから毘有王は徐毗と宋書に書かれてるのねんよ。で、徐の文字は中国語も韓国語も日本語も「よ」だしょ?

 「乎」の文字は現在の日本語じゃぁ 「コ(漢) オ(ヲ)(呉) [訓]か や かな」だけんど、「呼(よ)ぶ」のツクリの部分だしょ?

 だから、日本の乎非王は呼非王、百済の王様は徐毗王と呼ばれててね・・で、どちらも「よひおう」と読めるのねんな~・・・。


 ありゃりゃりゃりゃりゃ・・こんなんなっちゃいました~!・・どないしょ???


 まぁ、ついでだからもう少し遡っちゃおっか・・。


■乎非王の父は・・意富富杼(おおほど)王か?・・稚野毛二派王(わかぬけふたまたのおう)?

 記紀には乎非王(おいのおおきみ)さんの父は意富富杼(おおほど)王とされてるのねんけんど・・・これはど~かね~・・何しろ継体大王の名前が「おほど」でありんすからね・・。まぁ、間違い無いのかもしらんけんど、これは該当が無いので、さらに先代に行くと、稚野毛二派王(わかぬけふたまたのおう)さんとされてるのねん。

 この稚野毛二派王(わかぬけふたまたのおう)さんは、色んな漢字の当て方をされててねん。

      稚野毛二派-
      若沼(野)毛二俣王
 そして・・
      稚渟毛二岐皇子

 でんな。


 じゃぁ、百済の毘有王さんの父は久尓辛王(日本では 「くにしんおう」と読む)さん・・でんな。生年は不肖で427年に亡くなられた百済の第19代の王(在位:420年 - 427年)なのねん・・。おそらくだけんど中国語では「ちおあるしん」、韓国語だと「グミチュ」かな~?・・と思うけんど、微妙に違ってるかもしれんよ・・自信は・・無い!

 でね・・「久尓辛」「稚野毛二派」の共通点なんぞ、全く無さそうに思えるけんども~・・実は・・そっくりなのねん。

 稚渟毛二岐皇子さんの、最初の稚渟「わかぬ」は抜いてみるとね・・・

「毛二岐」(けにき)
「久尓辛」(くにしん)

 おまけに、「岐」っちゅう漢字は現代の中国語で「しぃ」と発音するねんで・・。つまり「けにしぃ」とも当てられるとするとね・・
「けにしぃ」
「くにしん」


・・同じだしょ・・?稚渟「わかぬ」を単に「若の」とするとね・・・もしくは「倭加(羅)の・・」かもねん・・


■稚野毛二派王の父は「応神天皇(大王)」

 これでね・・継体大王から3代遡っても、百済の王族・・王様そのものだけんど、全く同じっちゅうことが判ったのねんな。


 じゃぁ、4代遡るとどうなっちゃうかっちゅうとね・・これがそのまんまだと、百済の方は久尓辛王さんの父親が、腆支王(てんしおう、生年不詳 - 420年)第18代の王(在位:405年 - 420年)っちゅうことになってしまうのねんが・・・さすがに腆支王(てんしおう)=応神天皇(おうじんてんのう)さんっちゅうことには成らんのねん・・該当せんのねん・・残念・・・ここで行き止まりなのねん・・






 ・・と思ったら大間違い!

 ちゃんと調べて有るのねんな~!・・だしょ~?


 実はこの腆支王(てんしおう)さん、仁徳天皇さん85年、おそらく西暦397年に、人質として日本に来たことになってるのねんが、腆支王の父親の阿華王(あかおう)さんの兄弟にね・・「洪」(こう?)さんっつ~兄弟がおられるのねん。「洪水の洪」でんな~・・ま、おそらく男性だと思うけんどもね・・。

 で、この「洪」の韓国語読みが・・何と「ほん」。中国語読みも 「hong」 で「ほん」。記紀等に書かれた応神天皇さんのお名前は・・・

誉田別尊(ほむたわけのみこと)
誉田別命(ほんだわけのみこと)
和気命(おおともわけのみこと)
誉田天皇(ほむたのすめらみこと/ほんだのすめらみこと)
胎中天皇(はらのうちにましますすめらみこと)

 鞆(とも)とは、弓を射る時に左手首の内側につけて、矢を放ったあと弓の弦が腕や釧に当たるのを防ぐ道具である。古語では「ほむた・ほむだ」といい、鞆という字は国字である。
by WIKI



ほむたわけ」
ほんだわけ」


 ぬぁ~にぃ~?・・やっちまったな~!

「男は黙って~!」

「いいわけ しない!」


「・・・」






 ・・さぁてっと~・・ど~しましょっか。ま、まずは取りまとめておこうか・・。日本の方は当然ながら親子関係と書かれてるのねんよ。

ヤマト朝廷側
(ほんだ) (けにしぃ)  --------     (よひ)  (かんし)
応神大王---稚渟毛二岐皇子---(意富富杼王)---乎非王---彦主人王---継体大王=男大迹(をほど)
                                高志・越 「こ(ん)し」にお迎え・・
百済側
(ほん)  (くにしん)           (よひ) (こんし)
徐洪-------久尓辛王---------(  不明  )---毘有王----昆支王-----昆支王の人質4人の子の一人?
   甥の子                 親子    親子


 どう?・・ちょっと不比等ちゃんの気持ちが判ったかな~。全く違うように見せかけておいて、百済人、秦人、倭人の知識者を動員してね・・記紀の内容を煙幕に包みながら書いたのが判るのねんよ。滅んだ半島百済をね・・・合わせ鏡のように重ね合わせたのねんよ~!・・・それに、ま、絶対あり得ん話しじゃ~ないのねんよ・・さ~てと、・・ど~する~?


 っちゅうところでまたも時間切れ~!・・これから年末だしね~・・ちょっと間が開くかもしらんけんど、よろぴくね~・・じゃまたね~アディオ~ス!!

P.S.不明のところ・・意富富杼王(おおほどおう)はね・・大扶余王(だいふよおう)・・っと・・読めるのねん・・。これってど~ゆ~意味か・・判るよ・・ねん?
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NSY3

Author:NSY3
 何でこんなに判らんことが多いのかが良く判らん!その判らんことの答えを探して旅に出たつもりが、その答えも見つからんうちにもっと判らんことの答えを探す旅に出ることになっちまったい・・・
不徳の致すところでございます♪♪またまたどちらに「おでかけ・・レソか?」今回は夫玉を探しに・・、おっと~!違った、音霊を探しにおでかけレス!

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