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鎌足さんは・・何人?






 なんやかやと忙しくてね~・・ブログを書く時間が取れずに、気付いたら、「1カ月更新が無いと表示される、まるで読ませたくないようにするかのカーテンのようなコマーシャル文」が表示されとったのねん。

 ま、こんな内容の薄いブログでも、それなりには文脈・文章を組み立てんとね・・さすがの厚顔無恥なファシレのおじさんでも、カーテンの陰に隠れてしまいたくなってしまうほど恥ずかしいのねんな~・・・。ま、そりゃ~嘘だけんどね~バレバレでんがな・・。

 このところ随分と歴史もの、倭人関係の内容ばかりを書いてると、以前はチラリホラリとコメントを寄せてくれた方々も、興味が薄いのかどうだか判らんけんど、全く・・音沙汰が無くなってしもうてね。このブログは沢山の方々に読んでもらう事を全く基本とはしてないのんで、何の問題も無いねんけんども、余りに反応が無いとね~、さすがの厚顔無恥なファシレのおじさんでも、カーテンの陰に隠れてしまいたくなってしまうほど寂しいのねんな~・・・。ま、それも嘘だけんどね~うにゃうにゃ。


 「倭人もの」が人気無いのも仕方が無いとも思うのねんよ。真摯に古代の歴史に向き合ってる方からすりゃ・・「さよちゃん卑弥呼」やら「宝皇女アメタリシヒコ説」なんぞ、なんの証拠も無いのねんで、おそらく信じるに足らんのねんな。

「何アホぬかしとるねん!」

で終わっちゃうのねん。・・ま、そこも重要なのねんが~!


 それに、ある意味・・・もうみんな・・気付いてるのねん・・いや、諦めてるのかもしれんね。本当のことは知りたいけんど、知ったところでどうすんの?っつう・・ことでんな。自分たちのルーツを知ったところで結局南極どうもならんし役に立たんと・・ね。


 でもね・・ま、読んでくれる人が一人もいなくなったら止めようかと思うけんど、重要な何かに繋がるキーポイントが隠されてる可能性があるのんでね・・。実際、こんな考察をやっていたお陰で判ったことも沢山あるしね・・いつか、インナー・サン・ストリーマスの完成に繋がるのかもしらんしね~・・知らん人には「なんのこっちゃ~」でしょ~?


 中臣鎌足(なかとみのかまたり)さん・・ちゅう方がその昔居られてね・・。西暦600年代の方でんな。ご存知の通り、藤原氏の祖で、あの不比等ちゃんの父親でんな。っつ~か、そういうことになってるお方でんな。

 この鎌足さんっちゅうのんは、中臣氏の出だから、神事・祭祀を司った氏でんな。一説には忌部氏(いんべし)と同族・・もしくは乗っ取った・・なんて陰口を言われてるけんどもね。でも鎌足さんは祭官にはならずに政治家になったっちゅうのんが一般的な見方でんな。そして、天智天皇から大織冠を授けられ、藤原氏を名乗ったとね~。


「でも・・それって本当~?」


 ま、彼についても突っ込みどころが余りに多過ぎるのと、その他の情報を完全に消されちゃってる・・つまり証拠隠滅されちゃってるのんで、結局は「証拠無し、予想のみ」になってしまうのねんな・・。中には、

「中臣鎌足は百済人のxx」

なんて、しっかり書いてる本さえ有る始末でね~。ま、そうかもしらんよね・・可能性は幾らでもあるのんで~。因みに大織冠をWIKIで調べるとこんな感じね~。

大織冠(だいしょくかん、だいしきかん)
は、647年から685年まで日本で用いられた冠位、またその標章たる冠をいう。冠位としては単に大織ともいう。冠位の最上位で、下には小織がある。史上藤原鎌足だけが授かった。
<中略>
 他には斉明天皇7年(662年)9月に帰国して百済の王位に就こうとする百済王子豊璋に織冠を授けたとの記事があるが、大織とも小織ともない。このことから、大織と小織は唐が高句麗・百済・新羅の王に一品相当の官を授けたことにならい、外国の王に授けることを想定した冠位だったとする説がある。
by Wiki


 つまり、織冠は外国の王に与える位だから外人だっちゅうことでんな~。ま・・そうかもしらんよね。


 だけんどね・・ファシレ理論によるとね・・その頃の列島は連合政権国家だったっちゅうことを考えればね・・。

「隣の国は外国だが、現在の日本列島にある国」

っちゅうことにもなるのねんよ。


 結局のところ、高句麗にせよ百済にせよ新羅にせよ・・ね、そしてその昔、日本にたどり着いたであろう、太公望さんの子孫や、斉や楚、魏の王族の子孫もね・・、単独で、あるいは他の種族と合同して、国を創っていたと言えるのねん。


 だから、ちょっと歩けば神社に当たり・・その隣には寺があって、山も木も岩も湖も神様で、さらにちょっと行くと教会が有り、少し探せばモスクさえ有るっちゅう・・・すんごい国が生まれたのねんな~。

 だから、「鎌足さんは百済人」などと決め付けるのが良いのかどうか・・微妙では有るけんどね。

 それにね・・鎌足さんは鎌子というのが本名でね・・いつの間にか鎌足と名前を変え、死ぬ直前に中臣から藤原へと名前を変えてるのねん。ま、それが史実と言われてるものなのねん。でもね・・そんなの、後付で何とでもなっちゃったのねんな。だって・・・


「男は種馬でしかなく、女王国だったから・・」


 全然・・どうでも良かったのねんよ。


 おそらくなのねんが、中臣鎌足さんは、元々は「藤原鎌足」なのねん。それをね・・死の直前に名前を変えたことにしただけなのねん。それにきっと・・鎌足さんは養子・・なのねんな。・・ま、多分・・ね。


 で、その子がね・・不比等ちゃんなのねん。天智天皇さんの落とし子とか言われてるけど・・どうかね~。可能性は有るけんどね・・男はどうでも宜しいのねん。女が重要なのねん・・この時代はね~。


 不比等ちゃんは最初から・・藤原氏なのねん。中臣氏とは協力関係にあったのねん・・養子に入ったりしてね~。中臣氏も藤原氏も、国の主・・。そうじゃなきゃね・・鎌足さんは政治家にはなれんのよねん。一般人の子は一般人、王様の子は王様、大臣の子は大臣にしかなれんのねん・・落ちることは出来ても上には行けんのねんよ・・対象となる国が滅びなければ・・ねん。ま、今も何も変わらんよね?唐に対する言い訳の書、日本書紀だから、そんな風に書いたのねんな。その辺は判るよね~?

 藤原氏はおそらく豊前の出、物部竹古連さんから藤原恒見さんっちゅう方も出てるしね・・。けっこう探すと藤原さんは出てくるのねんよ・・鎌足さん以前にね~。

 でね・・不比等ちゃんの奥方を見るとね・・面白いことが判るのねん。

妻:蘇我娼子または媼子 - 蘇我連子の女
長男:藤原武智麻呂(680-737) - 南家祖
二男:藤原房前(681-737) - 北家祖
三男:藤原宇合(694-737) - 式家祖

妻:五百重娘 - 不比等の異母妹。もと天武天皇夫人
四男:藤原麻呂(695-737) - 京家祖

妻:賀茂比売 - 賀茂小黒麻呂の女
長女:藤原宮子(683?-754) - 文武天皇夫人、聖武天皇母

妻:県犬養三千代(橘三千代) - 県犬養東人の女
三女:藤原光明子(安宿媛、藤三娘)(701-760) - 聖武天皇皇后(光明皇后)、孝謙(称徳)天皇母
by Wiki


 そうなのねん・・大化の改心後、滅びたと言われる蘇我氏の女性が奥さんなのねんよ。蘇我娼子さんの三代前は・・あの蘇我馬子さんなのねんな~。そして、天武天皇さんの元夫人で異母妹、賀茂家、県犬養家と・・超弩級の夫人の布陣・・あ・・駄洒落っす・・すまん。

 で・・・途中で何にも無けりゃ・・今の天皇家に繋がるっちゅうことでんな~・・目出度し、目出度し!



 いんや・・そうじゃなくてね・・、不比等ちゃんは、自分自身の家系を持って、その頃の日本の血筋を一本にまとめて行った・・と言えるのねんな~。そしてそれが国をまとめることにつながり、最終的に女王国から脱皮することにね~。

 その辺はね・・あの神社の存在を良く見ると判るのねん・・あれ?それって前にも書いたかな~?・・・忘れてしもうた・・ちょっと自分のブログ、読み返すか?・・はい~っ?・・そろそろお時間ですって?・・

 っちゅうことで・・核心には入ってきたけんど、何をどう書いたら良いのか、まんだ良く判って無いファシレのおじさんでした~。とりあえず・・またね~・・バイナラー!!チャオッ!

1280px-Honden_of_Kamomioya_Jinsha_(43).jpg
Wikiから拝借しました~。
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 何でこんなに判らんことが多いのかが良く判らん!その判らんことの答えを探して旅に出たつもりが、その答えも見つからんうちにもっと判らんことの答えを探す旅に出ることになっちまったい・・・
不徳の致すところでございます♪♪またまたどちらに「おでかけ・・レソか?」今回は夫玉を探しに・・、おっと~!違った、音霊を探しにおでかけレス!

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