スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

スーパー仙人&殺しのライセンス






 大臣を歴任した伝説の蘇我氏は出自不明・・・そんなだから、創世記の統一王朝が一体いつ出来たのかなんて、想像に想像を重ねるしか方法が無いのねんな。出自不明の理由は当然ながら、記紀が誇る

「武内宿禰」(たけうちのすくね・たけのうちの-・たけしうちの)

の記述でんな。

 彼はスーパーマンか仙人か、何と記紀を信じて生きた年齢を計算すると、

「少なくとも280歳、最大で360歳」

っちゅう、とんでもない長寿を誇るのねん。


 記紀はこのスーパーマンを作り出し、彼に祖を集中させることで系図を操作し、蘇我氏も隠し、万世一系を標榜したのねんよ。武内宿禰さんは紀氏・巨勢氏・平群氏・葛城氏・蘇我氏などの中央諸豪族の祖とされてるのねん。

 武内宿禰さんの息子さんの中にはね、これまた凄い人がいてね・・・その名は・・

by WIKI
葛城襲津彦(かつらぎ の そつひこ、曽都毘古・沙至比跪、 生没年不詳、4世紀後半~5世紀前半頃?)

は大和葛城地方の古代豪族葛城氏の祖として『記紀』に記されている。



 かの「そつひこ」さんは豪放なお方でね・・一体、あなたは誰なの?・・でもさすが、スーパー仙人の息子さんと思わせる実績の持ち主なのねん。

 これもWIKIから拾ってみると・・・

1.神功皇后の時代、新羅の人質、微叱旱岐(みしこち)の見張りとして襲津彦を新羅に使わされたが、対馬で逃げられ、蹈鞴津(たたらつ)から草羅城(くさわらのさし)を攻撃して捕虜を連れ帰った。

2.神功皇后の時代、新羅を討たせるために襲津彦を派遣したが、新羅の美女に骨抜きにされ、反対に加羅を滅ぼしてしまう。

3.応神天皇の時代、百済の弓月君(ゆつきのきみ)が民人を連れて帰化したいが新羅が邪魔をするので、襲津彦を派遣するが、三年間音沙汰無し。応神天皇は平群木菟宿禰(へぐりのつくのすくね)・的戸田宿禰(いくはのとだのすくね)を送り、やっと襲津彦は弓月氏の民を連れて帰国した。



 どうだしょ?・・・本当に素晴らしい働きをなさった襲津彦さんなのねん。新羅の美女に鼻の下を伸ばしに伸ばして、当時、任那日本府が有った加羅を討ってしまったのねんよ?


 でもね・・なんのお咎めも無かったようでね・・それどころか、襲津彦さんの娘さんや子孫は、天皇さんの后に何人もなられていらっしゃるのねん。敵国の新羅を討ちに行って、同盟国の加羅を滅ぼしちゃうなんて、

「襲津彦さんって・・なんてワイルドなお方!」

「襲津彦さんって、殺しのライセンスをお持ちなの?!」

「さすが、お父様譲り!」


 ね?・・凄いだしょ?もう、何をやっても許されちゃうし、天皇家には娘をビシバシ嫁がせちゃうし、物凄い力をお持ちだったのねんよ。


 でもね~・・ちょっと疑問じゃない?そんなダメダメな襲津彦さんなら、本当は罪に問われてもおかしくないっしょ?確かに記紀には、

「天皇に許してもらえないと悟った襲津彦は自殺した」

のような記述もあるのねん。

 しっかし、なぜかその後復活して、また懲りずに命令で半島で活動してるのねんな~。


「そ、襲津彦さんは・・ふ、復活まで・・されるのでせうか?」


 そこだけはまるで、イエスのようなお方なのねん。ま、だから記紀のいい加減さが判るし、創作だとも言われるのねんな。


 でもね・・・。襲津彦さんの葛城氏(かつらぎし)は蘇我氏の親戚、襲津彦さんとは、蘇我石川宿禰は兄弟っちゅうことになってるのねん。イエスのような襲津彦さんの、これまたス-パー仙人の武内宿禰さんの家系とされてる・・。


 でもね、でもね・・これって意外にも、真実からそんなには遠くない記述だと言えるのねんよ。記紀は結構、ヒントをくれてたりもするのねん。古事記は滅茶苦茶一辺倒だけんども、日本書紀は筋道の立った滅茶苦茶さなのねん。それは、藤原氏系の恣意的な改変が有るからなのねんな。それに、面倒くさいのか時間が無かったのか・・素直にそのまんま書いちゃってる場合も(おそらくね・・)あるのねんな。


 でね・・蘇我氏は一体、誰なのか・・・っちゅうことを言う前に、葛城襲津彦さんの正体を暴かないといかんよね。ま、もうお判りかと思うけんど、少なくとも・・


「葛城襲津彦さんは天皇と同等の力を持った王統の王!」


 そりゃぁ、普通に考えてみりゃ当然なのねん。ヘマをしてもおっけ~、同盟国を滅ぼしてもおっけ~、仕事しないで酒池肉林・・ずっと帰国せんでも問題無し・・なのねん。

 つまり、半島には、

「征伐に出かけたのでは無く、単に国に帰っただけ」

なのねん。彼は(おそらく)加羅、任那、百済の王様、王族だったのねんよ。(もしかして・・いや、もしかしなくても新羅の王統だったかもね~。お名前を良~く分析してみると判るのねんで~。ここも今は掘らんけんど~。)加羅を滅ぼしたって言ったって、加羅はいくつもの小国の連合体なのねん。そのうちの一国くらいをきっと滅ぼしちゃったのねんな。


「自分と敵対する隣国を滅ぼしただけ。綺麗なお姉ちゃんを手に入れただけ。それで何が悪いの~?」


っちゅうのが彼の言い分。判るよね~?

 だから、列島の天皇家も同族でもあり、王でもある葛城襲津彦さんに文句ひとつ言えなかったのよ。そして、名前の通り、葛城の領主でもあったのねんな。(・・かつらぎ の地は、その頃の大和の中心地・・いや、少し南西かな・・つまり今で言うところの高級住宅地かな~。) 天皇・・大王の臣で有ったのなら、決して許されるはずがないことから、そのことは言えるのねん。


 で、ようやっと蘇我氏なんだけんども・・・ス-パー仙人の武内宿禰さんの息子が蘇我石川さんなのか、葛城襲津彦さんの息子さんが蘇我石川さんなのかは証拠が無いので判らんけんども、


「蘇我氏は葛城氏」

なのねん。襲津彦さんの孫、葛城 円(かつらぎのつぶら)大臣が、眉輪王を庇った結果、後の雄略天皇に焼き殺され滅びた・・とされてるんだけんども、少なくともその後を誰かが継いだはずなのねん。

 だって・・葛城氏は半島の一国(以上?)の主。円大臣(つぶらのおおおみ)が、如何にも葛城氏の宗家のような系図を残しているけんど、その頃はまだ加羅諸国も存在してるから、

円大臣(つぶらのおおおみ) は、葛城氏の日本担当者だった。

だけなのねん。(ここも本当は掘りたいけんども脇道にそれちゃうのんで取り合えずスル~・・)


 何しろ葛城氏は超ビッグネームで、任那が西暦562年に滅びるまで・・つまり蘇我馬子さんの時代までは、王様の氏族なのねんから・・・。記紀が隠したかったのはそこなのねんよ。300歳以上も生き、歴代の天皇に仕えたスーパー仙人、武内スクネを登場させることで、

「そつひこさんの存在を薄くした」
と言えるのねんな~。

 そして、事実上の王家を蘇我氏と呼び、武内スクネの子孫とすることで格を下げたのねん。聖徳太子も母系は親の代から蘇我氏、摂政だったっちゅうけれど、事実上の天皇さんでんな。ま、ここには大きな秘密があるようなんだけんども・・今は掘らんどこ~。


 蘇我馬子さんは葛城馬古さんだったのかな~と思うけんどもね。少なくとも葛城氏を継いだのは蘇我氏っちゅうことなのねんよ。その証拠にね・・

by WIKI

 推古天皇は頭脳明晰な人で、皇太子と大臣馬子の勢力の均衡を保ち、豪族の反感を買わぬように、巧みに王権の存続を図った。

 在位中は蘇我氏の最盛期であるが、帝は外戚で重臣の馬子に対しても、国家の利益を損じてまで譲歩したことがなかった。

 ずっと後のことではあるが、推古天皇32年(624年)、馬子が葛城県(馬子の本居(ウブスナ)とされる)の支配権を望んだ時、女帝は、

「あなたは私の叔父ではあるが、だからといって、公の土地を私人に譲ってしまっては、後世から愚かな女と評され、あなたもまた不忠だと謗られよう」

と言って、この要求を拒絶したという。



 つまりね・・馬子さんは、元々持っていた葛城の土地を推古天皇に、「返してくれ」と言ったと言う訳でんな。昔取られたから返せっちゅう訳。


 じゃぁ、取られたのはいつか?っちゅうと、さっき書いた、葛城円(かつらぎのつぶら)大臣が雄略天皇に焼き殺されたとき・・でんな。葛城円さんは、娘さんと領地を雄略天皇に差し出して許しを乞うたけんども、、


「雄略天皇は娘と領地はいただいたけんども、円大臣一家と眉輪王の命はしっかり奪った」


のねん!

 ね?怖いでっしゃろ~・・。記紀はちゃんとそこを書いているのねんよ。話はちゃんと繋がってるのねん。だから蘇我氏は葛城氏なのねん。そして、ヤマト朝廷の大臣になれる家柄で半島の国主であったはずなのねん・・。


「葛城は、かつらぎ じゃなくて かつき、もしくは、くずき」


と読ませたかったとは思うけんどもね~。


 応神天皇さんの時代にね・・葛城国造荒田彦(あらたひこ)さんっちゅう方がおられるのねんが、これもちょっと面白くてね。荒田彦さんの娘の葛比売さんは、葛城襲津彦さんの母だと言われてるのねんが・・

注:文が変なので直しました~

「もう、すべてがぐちゃぐちゃ」

なのねんよ。応神天皇さんの母はあの神功皇后さんで、神功皇后を助けて新羅を討ちに行ったと言われているのは武内宿禰さん・・・その息子さんが葛城襲津彦さんでお母さんが荒田彦さんの娘さん、お腹に産み月を過ぎても頑張って出なかった応神天皇さんの時代に荒田別(あらたわけ)さんがいて・・・


 そう・ここで面白いことも記紀には書いてあるのねん。


by WIKI

荒田別(あらたわけ)は、古墳時代の人物。荒田別命、大荒田別とも。
上毛野君の祖。神功皇后・応神天皇年間に朝鮮へ派遣されたという武将である。

『日本書紀』神功皇后49年3月条によると、鹿我別とともに将軍に任じられ新羅征討に参加した。神功皇后50年2月条、帰国した旨が記される。

 同書応神天皇15年8月条では、巫別とともに百済に派遣され、翌年王仁を連れて帰っている。この条において、荒田別・巫別は「上毛野君の祖」と記載されている。

 『続日本紀』延暦9年(790年)7月の津連真道らの上表においても、上毛野氏遠祖の荒田別の百済派遣の旨がみえる。



 そうなのねん・・時代をはさむように「かつらぎ あらた ひこ」と、「あらた わけ」 が存在してるのねん。同じ人かどうかは判らんけんど、片や任那・加羅辺りの王様で葛城の領主の葛城氏、片や新羅征伐に出かけた大将軍が、同じ「荒田」と言う名前なのねんな。

 しかも「あら」が頭に来るお名前・・。「あら」と言えば・・

「あらっ?・・アラハバキの・・あら・・だ!」


 で、「あらはばき」なんだけんども・・・・


 ありゃりゃ・・もうこんな時間・・そろそろまたの続きは次回かな?・・じゃぁまた!アディオース!チャオ~!

スポンサーサイト

居るか?居ないのか?良く判らんけんど~!






 歴史っちゅうもんは、奢れる勝者による書き換えが、後の世の者の常識になってしまうものなのねんけんど、たった一度だけ書き換えられたのなら、まだ、

「蘇我入鹿(そがのいるか)は間違いなく存在しなかったのね~!」

と、軽~く言えるのねんけんども、一度だけじゃなくて、後世の勝者も書き換えたり書き加えたりするものぢゃから、


「・・・ん~・・たぶんだけんど・・蘇我入鹿は・・そげなもんいるか?・・だよね~?」


位にしか言えんのねんな~。・・ま、入鹿(いるか)居ないか判らんけんど、入鹿は不比等ちゃんたちの創作っちゅう風に言ってる人も結構いるよね。


 元々、蘇我氏自体、名前を変えられてるはずだからね・・。これについては後述するけんども、後の支配者たちの怨念たるや物凄いのねん!それに、性格がすっげ~悪いのねんよ!全くもってびっくりするわ~・・。


 蘇我氏さんって言えば物部氏さん、物部守屋さんと聖徳太子さんがすぐに思いつくかと思うけんども、ここも凄いでんな~。


 聖徳太子さんは父親が天皇さん、母親は天皇の娘さんで、しかも父の母は蘇我稲目さんの娘さんの堅塩媛(そが のきたしひめ)さん、母の母も蘇我稲目さんの娘さんの蘇我石寸名(そがのいしきな)さんと言われてて、


「お~い・・ちっと濃い目でないか~い?」



と言いたくなっちゃうほどのW天皇さんにW蘇我氏さん・・と言うことにされているのねんよ。天皇家さんの血が濃いこと、そして蘇我氏さんの影響下にあることを示唆してると思われ、実際のところはど~だかね~だすな。この当たりも怪しいもんぢゃ~。


 聖徳太子さんは、天皇にならずに・・いや即位せずに、初の女帝になられた推古天皇さんを補佐したと言われてるのねんな。ただし、これだってどうだか判らんよ。大体にしてね、「天皇」を名乗ったのはもっと後の代の「天武天皇」さんからだと言うのが大方の見方だしね~。


 で、仏教を日本に入れるかどうかでオオモメしてね、大臣(おおおみ)である蘇我馬子さんと摂政になる前の聖徳太子さんがペアを組んで、大連(おおむらじ)である物部守屋さんを討って、物部宗家を滅ぼした・・とされてるのが正史なのねんな~。


 そして、物凄~く強い物部守屋さんを討つために聖徳太子さんは、


白膠木(ぬるで)という木を伐って、四天王の形を作り、「もしこの戦に勝利したなら、必ずや四天王を安置する寺塔(てら)を建てる」という誓願をした。by WIKI


らしいのねん。それで目ちゃんこ強~い、軍事に長けた物部さんを滅ぼしたのねん。


 この当たりの記紀の文面は凄くてね・・。まるで目前で見てきたように書いてるのねんよ。587年7月のことでんがな・・。そして、712年に古事記が、720年に日本書紀が書かれたのねんけんど、何だかな~・・なのねんな~。


 そしてね・・聖徳天皇・・いや、聖徳太子が請願したとおりに推古天皇元年(593年)に四天王寺の造立が開始されたとされてるのねん。


 でもね・・ここも凄いのねんよ。実は・・はい、これが四天王寺だすな。

800px-Shitennoji03s3200.jpg


 物凄く大きなお寺を聖徳天皇・・いんや、聖徳太子は立てたのねんけんど、どうもこの土地はね・・


 古代大王、もしくは天皇の古墳が有ったところらしいのねんよ。その証拠にね・・、四天王寺の庭園の石橋は、古墳から掘り出した石棺の蓋を代用しているのねん。


「・・ま、まじすか~!」

でっしゃろ?


 そしてね・・関西の方はご存知でっしゃろが、この四天王寺は、山号が荒陵山(あらはかさん)、そして別名が荒陵寺(あらはかでら)、御津寺、難波大寺と言うのねんよ!・・ね?びっくりだしょ?「あらはか」でっせ?


 ま、「あらはばき」も絡んでるかもしれんし、元々が荒らされた古墳だったのかもしれんし、後世にわざわざ壊した古墳の石棺で庭園を造ったのかもしれんけんども、


「・・・全く神経疑うわ!」


 少なくともまともな神経の持ち主の仕業だとは思えんよね~?もし、墓を暴いて滅茶苦茶にして、その跡地に寺を建てたとしたら・・。ま、寺に限らず神社もね、古墳の上に小さな社が有る場合も有れば、おそらく古代の合戦場近くか虐殺された者たちの邸宅跡に、まるで隠すように建てられてる場合もあるしね・・。(大阪のどこかの神社を移転のために発掘したら、本殿の下から人骨がわんさか出てきた・・なんてことが有ったらしいし!)


 実はファシレがC I Aから極秘に掴んだ情報では(うそ!)、この難波の地とアラハバキは取り合えず繋がった感じなのねんけんども、詳細が判らんし、どうにも証明できんのね~。なので、ここを深く掘るのはやめとくのねん・・そのうちに書けるようになったらよいのねんけんども・・難しいな~。


 で、仏教闘争に敗れた物部氏宗家筋は、耐えがたきを忍び、闇に紛れて、北へ東へと向かった訳でんな~。そしてその子孫がその時に持ち出したのが「物部文書」(もののべもんじょ)とされてるのねん。内容は結構、面白いけんども、東日流外三郡誌と似た内容でね・・全てを信じるのはどうかと思うような印象ではあるのねん。


 しっかしね。当時の状況を想像するとね~・・、仏教を入れるか入れないかで蘇我氏さん+聖徳太子さん と物部守屋さんが戦争したっちゅうのは、

「作り話」

でんな。まともな神経を持ってれば、嘘は見破れるはずなのねん。ここも取り合えずは掘らんけんどね。


 それにね・・ここはおそらくだけんども、蘇我氏陣営と物部守屋陣営が戦争したっていうのもね・・

「作り話」

でんな。

 前にも言ったように、蘇我入鹿さんも存在しないから、

女性天皇の目の前で中臣鎌足さんと後の天智天皇さんに騙まし討ちで首を切られた」っちゅうのも・・

「作り話」

でんな。


 外国(百済)の大使さんと皇極天皇さんが居る目の前でね・・そんなことをしたら、いかに皇極さんが母親だとしてもね~・・、後の天智天皇さんだってただじゃ済まんはずだからね~。ま、皇極さんの即位も


「作り話」


だと思うけんどもね~。


 だからその乙巳の変(おっしのへん)で、入鹿さんの父親、大臣の蘇我蝦夷(そが のえみし)さんは


「もはやこれまで!」

と自宅で天皇記、国記を焼いて自害したとされるけんど、それも、

「作り話」

でんな。


 入鹿さんがいないんだから・・「もはやこれまで」なんて考えないのねん。蝦夷さんはただ・・

「暗殺」

されたのでっしゃろな~。


 ちなみにね・・記紀で「~~の乱」と言うのは、自分たちの相手が歯向かってきた時に使うのねん。自分たちがやったときは「~~の変」・・・他、「改新」とか、綺麗な言葉なのねんな~。ま、フツーに判るよね~。


 でね~・・蘇我氏さんの出自が不明なのねんよ。判らないように・・情報を操作したのねん。不比等ちゃんとか桓武天皇さんとかだと思うけん。でもね・・

「そがのいるか~?」

みたいな親父ギャグ・・もしくは駄洒落好きな、その情報操作をした連中のやったことらしき、

「系図操作」

を発見したのねん・・。これも凄いよ~・・だから、おそらく蘇我氏はここの絡みっちゅうことなのかな~と思ってるのねん。


火で撫でられるマリ」-->・・燃えちゃうじゃん・・

蔵の門につながれた馬の手」-->・・馬の手って・・フツー脚だろ?

呉の原っぱの熊の子」-->呉って、広島かな~?・・それとも中国の?

石占いの蟻」-->なんだそりゃ!

沙汰を待ってるウサギの子」-->・・やな感じ・・

河原の鹿の子」--> 河原に鹿は・・いないよな・・

蔵の垣根に猪」--> ちょっと・・怖いね・・

畝の火で焼かれる?大人」-->大人って大神??

荒田の井戸のサル」-->・・ま~・・はまっちゃったら出られないよね~


 どうすか・・?これ、ちゃんと系図に出てるのね~。それも超有名人の系図なのねん。日本の歴史の授業では必ず出てくる・・あの大将軍!・・しかもエミシを討っちゃう!・・あの、アテルイさんもモレさんも投降したと言う!


「坂上田村麿さん」

の系図なのねん!


 ビックリしたっしょ~?「そがのいるか」と同レベルなのねん・・。じゃ、模範解答でんがな・・

火撫直鞠子
倉門直馬手    
呉原直熊子
石占直阿利
佐多直兎子    
河原直鹿子    
蔵垣直根猪    
畝火直大人    
荒田井直佐留



 これが 「劉姓 坂上氏系図」に出てくる「お名前」なのねん。「直」(あたい)は、朝廷からいただいた姓ね。田村麿さんは、東漢直駒(やまとのあやのあたいこま)さんの子孫なのねん。なので、この系図は東漢氏(やまとのあやうじ)のものでもあるのねん。ネットには有るから探してみて欲しいのねん。


 こんな名前をいただいてもね・・困っちゃうよね~。

「私は洗った井の猿です~!」

「・・はぁ~?」

「・・みどもは・・瓦の四角と申す・・」

「・・あのね~・・ふざけるのも好い加減にしてくれます~?」

みたいになっちゃうのねんよ。


 あ・・後の世だけんども、中央の有名なお役人、和気清麻呂(わけ の きよまろ)さんって方は、朝廷に苛められてね~・・階級を落とされ、大隅(九州)に流されたあげく、

「別部穢麻呂(わけべのきたなまろ)」

と改名させられたのは有名な話らしいのねんよ。ま、東漢駒さんだったら・・「駒・・困っちゃう・・」


「・・すまん・・」
・・つ、つい・・

 そんなんでね・・彼らの恨みはねちっこく、いやらしいのねん。だからこそ、殺されはしなかったにせよ、氏(うじ)そのものを抹消された方々もいらしたのねん。蘇我氏もそう・・・で、坂上氏が出た東漢氏こそ、蘇我氏と関連があるんじゃないかと睨んでるのねんな~。蘇我馬子さんは東漢直駒さんを便利に使っていたと記紀にも書かれてるしね。それに東漢直氏とは親しかったようだし・・


 で、「あらはばき」なんだけんども・・・・


 ありゃりゃ・・もうこんな時間・・そろそろ長文にも飽きただろうから続きは次回かな?・・じゃぁまた!アディオース!チャオ~!





式年遷宮2013






 2013年は伊勢神宮の式年遷宮の年に当たり、遷宮に当たっての様々な祭祀が行われているのねんな。時折、テレビやらネット報道などでも見かけるけん・・でも本来は絶対に見せないようにしていた実際の祭祀も、奉賛金を募っている関係上かは知らんけんども、見せたくないものは覆って隠しながら、衆知されるようにしているのねんな。

 ヨクヨク調べてみるとその奉賛金ちゅうんも1000円からのようで、さらには金額により普段は入れない神宮内に入って参拝できる神宮参拝証をいただけたりするようなのねん。以前は式年遷宮に掛かる費用は国家予算で全て賄えたはずねんが、昨今はそんなことは出来んっちゅうので、そんなことになってるのねんな。それでも300億円以上を国家予算から捻出しとるらしいから、何も奉賛金を出さないからって卑屈になることは全く無いのねんよ。買い物をすれば消費税、お酒を飲めば酒税、タバコを吸えばタバコ税、猫の額のような土地に家族が何とか住めるだけの自宅を持ってるだけなのに固定資産税・・のように、息をしている限りは、沢山の税金を払ってはいるのねんで。・・いや、

「死んでも相続税がありまんがな・・」


 だから、何とか税金をたっぷり絞られた上でも、さらに伊勢神宮に奉賛できる方はどんどんしたらええのねんな。宗教と政治は一緒にしないのが・・あくまでも「原則」でおじゃるから・・、まさか自分の税金から出てるとは思わない方もいらっしゃるかもしれんけんども、そのあたりは正に・・

「日本人的見て見ぬフリ・・上手くやって行く術」

の根本なのかもしれんの~!うちはクリスチャンだからと言いつつ、クリスマスを祝い、自分ちの宗派すら知らんのに除夜の鐘を聞きつつ初詣!・・きっと日本人はそれで良いのねんな~!


ise_nai_01.jpg

WIKI から拝借しました~。伊勢神宮(皇大神宮)内宮の写真です~。



 なかなかに純和風の雰囲気が、神妙な雰囲気をかもしだしてるのねん。流石なのねんな。この写真はWikiから拝借したのねんけんども、内宮の方でんな。

 ご存知なはずねんけんども、一応書いておくと、伊勢神宮は内宮と外宮からなってるのねん。勿論、その他にも別宮14、摂社43、末社24、所管社42も有ってね・・神宮125社と云われる巨大な神宮なのねんよ。

 皇大神宮たる内宮の主祭神は「天照坐皇大御神」(あまてらしますすめおおみかみ) 一般には天照大御神として知られてるのねん。

豊受大神宮の外宮は 「豊受大御神」 (とようけのおおみかみ)一般には豊宇気毘売神(とようけひめしん)とされてるのねんな。ま、「ヒメ」と付くからには女性であらせられるのねん。

 ここから云えるのは、一般認識だと「アマテラスは女性」だし、「トヨウケヒメも女性」なのねん。もっとも、

「アマテラスは男神だろ!」

とおっしゃる方も多いはずなのねんよ。ホツマツタエでは確実に「男性」として描かれてるのねん。でもま、

「日本の神さんは女性が偉いのねんな~!」
と思ってた方が良さそうではあるけんどね・・。


 でも、さっきの写真を良く見て欲しいのねん。内宮のお社の屋根から突き出た物が有る。それを・・

「千木(ちぎ)」

と言うのねん。

 でね・・、その千木なんだけんどもね・・。女神と男神だと、千木の形が違うとされているのねんよ。

Chigi01.jpg


 内宮の千木は先端が「たいらで水平」・・これは内削ぎと言って、女神のお宮の造りなのねん。判るよね~。汚い絵ですまんの~。

 アマテラスはここでは女神として・・扱われているっちゅうことなのかの~・・。「穴が開いてるって?」・・いやいや、千木に穴が開いてるのは男も女も関係無いのよ・・風を抜けさせるための穴なのねん・・気にせんでね。風穴の有る千木と無い千木が神社によって有るのねん。


 で、問題はね・・外宮なのねん。こちらの千木は・・先端が尖がってて、地面に対して垂直方向に削られた外削ぎなのねん。つまり、

「外宮は男神!」

として扱われてるのねんよ。


「え~!トヨウケヒメって・・ヒメって名前なのに男なの~?」

Toyoukedaijinguu_01.jpg

こちらもWikiから拝借しました。有り難うございました~。ちょっと見辛いかもしれんけんど~!クリックしてみてね。


 そう、千木が男のように突っ立ってるのねん。これって、どんな風に取れば、納得できるのかなん???


 一般には・・
「内宮のアマテラスは女、外宮のトヨウケヒメも女」

なのに、千木の通常の解釈によると、祀られてるのは、
「内宮のアマテラスは女、外宮のトヨウケヒメは男」
となってしまう。

 因みに、内宮にあるアマテラスの荒魂を祀るとされる荒祭宮を始め、全ての社の千木は女神のもの、外宮もトヨウケヒメの荒魂を祀る多賀宮を含め、全てが男神のもの・・なのねんよ。

「ど~なっちゃってるのかな~!?」
「ちゃんと説明してくれないかな~!?」

 何か判るかな~と思ってさらにWikiを見てみると、次のように書いてあるのねんな。


豊受大神宮 歴史

延暦23年(804年)に編纂された社伝『止由気宮儀式帳』によれば、雄略天皇22年、天皇の夢に天照大御神(内宮祭神)が現れ、

「自分一人では食事が安らかにできないので、丹波国の等由気大神(とようけのおおかみ)を近くに呼び寄せるように」

と神託したので、同年7月7日、内宮に近い山田の地に豊受大御神を迎えて祀ったのに始まる。延喜式神名帳には「度会宮 四座」と記載され、大社に列している。



 つまり、アマテラスさん・・いや、内宮の正式なお名前の「天照坐皇大御神」(あまてらしますすめおおみかみ)様は、

「食事が出来ないほど寂しい・・トヨケを呼んで!」
と言われたのねんよ。
 
「トヨケが傍に居てくれないなら・・xxってやる~!」
と言ったかどうかは知らんけんども、

「女神の扱いである天照坐皇大御神が女神の豊受大神に傍にいてくれと言った」
とされることになってしまうのねん。



 ま、千木に関して言えば、左右で男女になってるお宮も有ればね・・・、


「そんな面倒なしきたりなんぞ知ったことかい!」
っちゅうような大きなお宮も有るのねん。あの春日大社さんは・・千木はなんと斜めなのねん。

 ただし、神社なので基本はやっぱり守られてて、まっすぐ垂直にカットしてあれば「男神」なのねんよ!少なくとも「外宮」をどう考えるかが問題になってしまうのねん。


 でね・・その外宮には・・さっきも書いたけんども、トヨケ・・つまり豊受大神の荒魂を祀るお宮が有ってね、それを「多賀宮」(たかのみや)と言うのねん。


「・・・あれ?多賀って・・多賀城の多賀だすな?」


 いや~・・まさか~!そんなはずは無いのねん。山の頂上にあるから「高宮」と言ったらしい・・それを縁起の良い字を使ったとされてるのよ・・。


「・・・でもさぁ・・さよちゃんって・・弟にご飯を運んでもらったりして、世話してもらってたんだよね?」


 あちゃちゃちゃちゃ・・・こりゃぁ困ったから・・もう一回だけ、Wiki に助けてもらおうかな~・・


トヨウケビメは、日本神話に登場する神である。

 豊受大神宮(伊勢神宮外宮)に奉祀される豊受大神として知られている。『古事記』では豊宇気毘売神と表記される。『日本書紀』には登場しない。別称、豊受気媛神、登由宇気神、大物忌神、豊岡姫、等由気太神、止与宇可乃売神、とよひるめ、等々。

『古事記』では伊弉冉尊(いざなみ)の尿から生まれた稚産霊(わくむすび)の子とし、天孫降臨の後、外宮の度相(わたらい)に鎮座したと記されている。

 神名の「ウケ」は食物のことで、食物・穀物を司る女神である。後に、他の食物神の大気都比売(おほげつひめ)・保食神(うけもち)などと同様に、稲荷神(倉稲魂命)(うかのみたま)と習合し、同一視されるようになった。


 あちゃちゃちゃちゃちゃちゃ・・・こりゃ、どうにも全く収拾がつかんのねん。外宮様は内宮様のお食事も管理されるお方なのねん。しかも、千木は男を指してるのねん。


「えっ?・・じゃぁ・・内宮に祀られてるのは XXちゃん??」



 知らんよ~。ファシレのおじさんは何にも知らん・・。内宮には鏡が二枚有ったなんてことも知らん・・。どうやらそれは白いのと銅色(赤)だったなんてことも知らん・・。その名残りが末社の鏡宮神社(かがみのみやじんじゃ)だなんてことも全く知らんし・・そのうちの一枚は大物主のニギハヤヒさんだなんてことも知らん・・とにかく何にも知らんのよ~・・さ~ぁ、困った困った~!



 つまりは、内宮に祀られている天照坐皇大御神はファシレたちが知ってる天照大御神では無いのかもしれんの~。天照は大日孁貴神(おおひるめのむちのかみ)、荒魂は撞榊厳魂天疎向津姫命(つきさかきいつみたまあまさかるむかつひめ)とされる瀬織津姫(せおりつひめ)だ・・なんて思っていても、それさえも全く違うっちゅうことでんがな?天照大神の荒魂であられる撞賢木厳之御魂天疎向津媛命は広田神社におられると思ってたが・・

「ん?字がちょっとだけ違うぞ?」

で済ますつもりなのかな~・・?


 それに天照を男神とするにしても、今度は外宮と内宮が真逆になってしまうのねんよ~・・。


「・・誰がこんなにぐちゃぐちゃにしたのねん!・・」


 どうにもこうにも判らんことが多過ぎるのねんな~。そんなもんで、もう少し判るようにお勉強するのねん!今度伊勢神宮の内宮に言ったらxxちゃんに挨拶せにゃ~・・。

「・・お元気ですかぁ~?・・XXちゃん・新居の具合はどう?・・最近は固定資産税も高くって大変だよね~。」
って!

 ・・ぢゃまた~!アディオー~ス!ばいなら~!チャオ~!

プロフィール

NSY3

Author:NSY3
 何でこんなに判らんことが多いのかが良く判らん!その判らんことの答えを探して旅に出たつもりが、その答えも見つからんうちにもっと判らんことの答えを探す旅に出ることになっちまったい・・・
不徳の致すところでございます♪♪またまたどちらに「おでかけ・・レソか?」今回は夫玉を探しに・・、おっと~!違った、音霊を探しにおでかけレス!

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
ブロとも一覧

aquarians

アギタの神が住む鎮守の森

山田貢司のどこに行くのか?バカボン一家
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。