さよちゃん パート2






 卑弥呼(ひみこ)と一般的に認識されているお方の本当の名前は「さよ」ちゃんだと・・そして、「ひるこ」と呼ばれていたと、前回の記事で書いたのねん。

 なんでそんなことを知ることになったかっちゅうと、・・いや、単にK麦ちゃんに卑弥呼さんが降りてきたからなのねん。

 でね、すっごい不思議な連係プレイで、そんな昔のことを聞き出したのねん。ファシレのおじさんが聞きたいことを、Y田さんが間に入って、卑弥呼さんになってるK麦ちゃんに尋ね聞いてから、またファシレのおじさんにその答えを返すっちゅう・・面倒くさいことをやった訳なのねんな。


 超絶的能力のイタコさん的な降霊を自分の意に関わらずしてしまうK麦ちゃんなので、例えば外人さんがしっかり降りてきてしまうと、外国語しか話せない状態になってしまうのねんな。まして、日本人でも古代人だと言葉の発音や意味が不明瞭になってしまって、全く通じないこともあったので、それでも何とか以心伝心で理解できるY田さんに翻訳者になってもらう・・それでそんな形を取った訳なのねんよ。K麦ちゃんの変身振りたるや・・、

「あれ?・・顔が・・声が全然違う・・」
と、誰でも判るくらい・・変わってしまうのねん。


 じゃぁ、なんでファシレがそこでわざわざ質問者になったかっちゅう疑問が、読者の皆さんにはおそらく生まれてるはずでんな~。ま、ファシレが聞かなくても構わなかったのねんが、若干ながらでも日本の歴史を知ってるっちゅうことで質問を作りやすいだろうと、白羽の矢が立っただけ・・っちゅうことなのねん!


 そんな、ファシレのおじさんによる「ひみこさん独占インタヴュー」では、どんな風に解釈したら良いのかよく判らんことも多く有ったのねん。ファシレにしても、先行きがどんな展開になって行くのか読めんかったし、前もってある程度用意しておいた質問では有ったけんども、途中ではもう意味の無いものになってしまった時も有ったのねんな。・・でも、予想に反して意味深な答えも有ったのねん!そんなひとつが・・


ファシレのおじさん 「サノって名前の人、覚えてる?」

さよちゃん     「・・うっ、名前聞いただけで背筋が・・ぞぞぞっと。誰かは覚えてない。」


 サノって言うお方は、実はあの神武天皇さんの幼名?・・本名とされているのねん・・。さよちゃんはその名前を聞いて「怖い」と思ったようでんな。


 因みに伝わるところでは、邪馬台国卑弥呼女王の後に男王が立ったが諸王の信任を得られず争いが起きたので、卑弥呼の宗女、「豊、壹與」(とよ、いちよ、いよ)が女王になったとされてるのねん。でも、ここでも、

「サノ、サヨ、トヨ(イチヨ、イヨ)」

みたいな、関係性があるような文字列の名前になってるのねん。

 それにね・・、一般的な認識では、ヒミコは女王で国はほぼ戦争状態、最後は狗奴国の男王、卑弥弓呼(ひみくこ) に殺されたなどとまで言われているようなのねんが、さよちゃんが言うには、巫女では有ったが女王である認識は無かったようだし、争いもなく平和だったらしい・・。でも死因は・・本人は判らんそうで、弟、父母の名前も覚えてないそうなのねんな・・残念~!

 脱線話
狗奴国の男王の卑弥弓呼さんってさ~・・イメージだけどね・・月読尊、月弓尊、ツクヨミさんじゃないのかな~・・何も無い・・ただの勘だけどね~、いや、単に「弓」が付くからかな~・・。彼はアマテラスを激怒させて、「もう二度と会わない」と言われた男なんだよね~。ま、記紀が云うことだからな~。こっちもアテにならんしな~。



 神話の世界では、イザナギ、イザナミがアマテラス、スサノオ、ツクヨミの三貴子を産んだとされてる。でもね・・記紀は、万世一系の皇系を演出するために、本来は違う族、系統をすべて一本化してるのねん。みんな兄弟なんだと・・ね。

 でね・・ここが肝心・・実は、イザナギ、イザナミ夫婦が初めて生んだ子供なんだけんども・・その名前は知ってるかな?

 実は、その最初の子こそが・・

「ヒルコ(水蛭子、蛭子神、蛭子命)なのねん!

 しかも、水蛭子、蛭子、蛭児 と書いて、「エビス」とも読むのねんよ!


 いきなり蝦夷(エミシ・エビス)と出会ってしまってビックリしたかもしれんけんども、ま、こんな歴史ものともスピものとも掴めんブログを読んでくださってる方はすでにがってん承知、既知の情報でっしゃろうけんどもね~。

WIKIにはこんな風に書いてあるのねん。

『古事記』において国産みの際、イザナギ(伊耶那岐命)とイザナミ(伊耶那美命)との間に生まれた最初の神。しかし、子作りの際に女神であるイザナミから声をかけた事が原因で不具の子に生まれたため、葦の舟に入れられオノゴロ島から流されてしまう。次に生まれたアハシマとともに、二神の子の数には入れないと記されている。

『日本書紀』では三貴子(みはしらのうずのみこ)の前に生まれ、必ずしも最初に生まれる神ではない。不具の子に生まれるのも、後で流されるのも同じである。


 そう・・「ヒルコ(水蛭子)」は「不具」だったのねんな。三年経っても足が立たなかったらしいのねん。それで葦船に入れられで海に捨てられたのねんよ・・。そんなことしたら死んでまうがな~!子殺しでんがな~!いや~、可哀想な話しでんな~!


 でもね、東北地方のシャーマンとも言える巫女さん、イタコさんには盲目や弱視の女性が多かったらしいのねん。不具だったヒルコと共通するかもしれんし、何よりも東北のイタコ・・東北のヒルコ・・宮城のヒルコとの関連性は否定し辛いかな~と思うのねんよ。・・しっかし何で日高見の国の宮城県は「きゅうじょうけん」と書くのかの~!ほんと、不思議だの~!


 でね・・ここも実はさよちゃん=ひるこさんに「チラッ」と聞いてたんだけんどもね、実は、

「アマテラスは知ってる?」

って・・ファシレのおじさんが聞いたわけ。そしたらば、さよちゃんは・・

「良く知ってる。でも彼女より私の方が上(上手?)・・。」

ですと~!・・ひえ~!・・やっちまったな~!


 実は、この質問の後、畳み掛けられれば良かったのねんけんど、その時はもうね・・、さよちゃんはいなかったのねんよ・・。少なくとも、

アマテラスとの関係性(姉妹、姉弟とか)

を確定できるように聞いておけばな~と・・。実に残念なのねん!

 でも、スサノオさんのことは名前は知っているけれど遭ったことが無く、少し遠い関係らしいことは聞いていたので、少なくとも、


「スサノオさんはイザナギ、イザナミの子では無い」

「アマテラスと、さよちゃん卑弥呼は別人だが、お互い良く知っていて、おそらく姉妹の関係」


っちゅうことが推測出来たのねん!・・やった~!パチパチパチ!


 ま、「彼女より私の方が上(上手)」を、どう理解するかっちゅう問題は残るけんどね。ニュアンス的には、

「アマテラスよりもさよちゃんは格上、年上、そして巫女としての能力は上」

っちゅう捉え方を、その時のファシレのおじさんは受けたのねんよ。

 つまり、もし二人が姉妹なのであるならば、さよちゃん=卑弥呼は巫女として神との間を取り持ち、「オオヒルメムチ」「ヒルメ」と呼ばれたアマテラスは政治を司ったっちゅうことなのかと思うのねん。だから、さよちゃんは国の中心・・つまり、巫女として日高見の宮城にいて、女王アマテラスとは違う存在だった。卑弥呼と言う呼び名は、心無い大陸人の単なる「日皇女(ひみこ)」の蔑称・当て字で有って、特定の女性の名前を差すものでは無いっちゅうことになるのかな~と思うのねんが・・いかがでっしゃろ?女王ヒルメは九州に、祭司・巫女のヒルコは宮城にいたことになるのねん!


 イザナギ、イザナミに疎まれて海に流されたとされる「ヒルコ」の神話は、おそらく藤原氏系による卑弥呼神話の抹消を図ったものだったのねんな。ヒルコ神(水蛭子神、蛭子神、蛭子命)は、日本各地で蛭子神社・蛭児神社(エビスジンジャ・ヒルコジンジャ)に祀られているのねん。海に近い土地は言うに及ばず、山の上にもある。そして、エビス様と習合して、関西では「えべっさん」、関東以北では「七福神の戎様」、商売の神様になっちゃってるのねん。結構・・沢山あるのねんよ。


「お~い・・何か間違って無いか~い!」



 お、そうだ・・何か間違ってないか?って言われるとだすな・・、前回のブログでは、さよちゃんの追っかけ存在だったニギハヤヒさんは、スサノオさんの息子さん説が有って、そうだとすると「物部氏の祖神」だから、さよちゃんも物部氏、もしくは、その関係筋の氏族かもしれんと・・書いておったのねん。


 でもね・・アマテラス(とされるヒルメ)とさよちゃんヒルコが姉妹の関係・・だと仮定するとその構図は全く崩れるのねん。だって、さよちゃんはスサノオさんのことは良く知らないと言ってる訳だからね~。

注:ただし、実は全くは崩れないのねん・・。鋭い方はたぶんもうお判りなのねん。だから敢えてこう書いたのねんな。さすがにまだこれは言えんもんな~・・


 するってぇと、当然ながらニギハヤヒさんはスサノオさんの息子では無いっちゅうことになるのねん。スサノオさんの息子のオオトシ神がニギハヤヒさん・・ちゅうことでは無いっちゅうことでんな。


 だから、前のブログで、

「思ったよりアマテラスさん、若いじゃん・・」

っちゅうのは非常に正しいっちゅうこと・・。それに、

「神武天皇さんって4世紀位の方になっちゃうじゃん・・。」

っちゅうのもさしたる間違いじゃないっちゅうこと!


 するってぇと、

「紀元前660年」

とされた神武天皇、つまり、サノさんの即位は、少なくとも3~4世紀位にずれ込むか、全く違う人か、創作されたものと言うことになってしまうのねん!

「うわ~!・・不比等ちゃん、またやっちまったな~!」


 まさか、さよちゃんが皇統について自由に語れるようになった時代に現れるなんて可能性は考慮してなかっただろうからね~!残念~!それともまた消しにこの時代に現れるかな~?


 饒速日命(ニギハヤヒノミコト)は、神武天皇さん、つまり、サノさんが東征して畿内に入った時、奥さんの兄である長脛彦を切り、神武天皇に帰順したとされる。そして、奈良県生駒の白庭山に葬られたとされ、その薄暗く訪れる人も少ない小山には確かにニギハヤヒさんの小さな土饅頭みたいなものがあるのねん。ニギハヤヒのみこととしては、ほとんど無視されてるのねん・・

 ま、ニギハヤヒさんが実際に何をしたのかも、歴史から抹殺されてしまってるからね~。仕方が無いっちゃ無いのねん。でも、さよちゃんとともに皇統の一人で有った事は間違い無いだろうし、物部氏の始祖の可能性も高いと思えるしね~。ま、物部氏がそう言ってるだけかもしれんけんどね・・。


 因みにね・・これはまんず間違いないとは思うけんど・・物部氏は、「もののべし」と読む。つまり、「もの」の部民(べみん)の氏(うじ)っちゅうことでんな。

WIKIにはこんな風に書いてある・・

 部民制(べみんせい)とは、ヤマト王権の制度であり、王権への従属・奉仕の体制、朝廷の仕事分掌の体制をいう。関連する概念にトモ制がある。王権への従属・奉仕、朝廷の仕事分掌の体制である。名称は中国の部曲に由来するともいう。その種類は極めて多く、大きく2つのグループに分けることが出来る。1つは何らかの仕事にかかわる一団で、もう1つは王宮や豪族に所属する一団である。

前者の例としては語部・馬飼部などがある。語部は、伴造(とものみやつこ)である語造(かたりべのみやつこ)氏に率いられ、朝廷の儀式の場で詞章(かたりごと)を奏することをその職掌とした。

後者の例としては王族・額田部女王に属した額田部、豪族・蘇我臣や大伴連に属した蘇我部や大伴部などがある。ただし後述のように、朝廷に対する奉仕を媒介として設定される点では職業系の部と通底している。

 律令制の実施に伴って廃止されていく。律令制の実施後の部称は、たんに父系の血縁を表示するだけの称号であるにすぎず、所属する集団との関係を示すものではない。



 っつ~ことは、「もの」がこの氏素性の元になってるのねん。「物」でんな。「物さん」の部民が物部さんっちゅうこと・・。じゃぁ、物さんっちゅうのは誰かっちゅうことになるけんど、これがきっと、

「大物主(おおものぬし)」

なのねん。大物主は、大己貴命(オオナムチ)、大国主(オオクニヌシ)と同じとされている場合が多いけんど、それはきっと間違いねんな。それだと崇神天皇さんや不比等ちゃんの術中にはまったことになっちゅう。

 大物主は、おそらくニギハヤヒさん・・・もしくは、息子の宇摩志麻治(ウマシマジ)さんなのねん。物部氏の主っちゅうことなのねんよ。ま、ここはファシレのおじさんのしょうもない想像に過ぎんけんどもね~。


 さらにはね・・前にもちら~っと書いたけんども、

出雲国造神賀詞(いずもこくそうかむよごと)

乃ち大穴持命の申し給はく   (すなわち、おおなむちのみことが言われるには)
皇御孫命の静まり坐さむ    (ににぎのみこと様がしずまられる)
大倭國と申して己命の和魂を  (おおやまとの国と申して 自分のにぎみたまを)
八咫鏡に取り託けて       (やたのかがみにとりつけて)
倭大物主櫛厳玉命と御名を称へて(やまとおおものぬしくしみかたまとみなをたたえて)
大御和の神奈備に坐せ      (おおみわのかんなびにませ)


では、大穴持命(オオナムチ)さんが倭大物主櫛厳玉命(オオモノヌシ)と名を変えて、和魂を八咫鏡に取り付けて三輪山にこもる・・っちゅうのも、オオモノヌシがイズモ族であると摩り替える意思を見てとれるよね~。つまり、物部氏は出雲系で有って、アマテラス系の天孫、天神系では無いとすり替えて言いたいんでっしゃろな~。大神神社は、三輪山信仰そのものは大国主、大穴持命の出雲系と言えるかもしれんけんど、神社はどう見ても大国主系には見えないのねん・・。大穴持命さんを三輪山に閉じ込め、下の社に大山積神(おおやまつみのかみ)に睨みを利かしてもらってるような・・そんな感じを受けるのねん。アメノホヒさん的ダブルオーセブン能力全開でんな。いや・・ファシレの言うことは全くアテにはならんけんどね~。


 でねでね・・ここが一番肝心・・アラハバキはアメノハバキリと凄い似てるぞ・・って書いた訳なのねんが、これはかなりのモノダネでね・・。

「アラ」は「荒れる」と言う意味もあるけんども、「神」と言う意味もあるのねんで。
「アメ」は天・・これもひいては「神」を表すのねん。
「ハバ」は「蛇」や「龍」を表すのねん。オロチもそんな仲間だから、天羽々斬(アメノハバキリ)でスサノオさんがちょん切ったのねんよ。そしてなんと「はば」=羽々=「脛」・・。荒脛巾(アラハバキ)の「はば」、長脛彦の「すね」と同じなのねん。出雲族は竜蛇族と言われているのねんよ。

 で「キリ」は「斬るもの」なのねんな。山侘族(山蛇族?)のオロチを滅ぼしたっちゅうことでんがな。

 じゃぁ、「キ」にしたら何?
「キ」は色んな時が当てはめられるのねん。以前のブログの「姫(キ、イ)」もそうだし、「鬼」もそうでんな。そして、「鬼」は「おに」だけんど、実は「神」と言う意味も有るのねん。それに姫氏は呉の末裔・・いや、ここはまだ書けんの・・ちょっと置いておくのねん。


 つまり、この二対の意味は神が竜蛇族を斬って神になす・・っちゅう意味になってしまう・・。とても怖いのねん・・


 そしてね・・さらには、羽々(ハバ)なのねんけんども、竜蛇の意味も有るが・・これを言って良いのかな・・ま、いっか・・


WIKIの長脛彦の欄にはこのように書いてある・・

 長髄彦は「我らは天磐船で天より降りた天神の御子饒速日命(ニギハヤヒ)に仕えてきた。あなたは天神を名乗り土地を取ろうとされているのか?」と問うたところ、神武は「天神の子は多い。あなたの君が天神の子であるならそれを証明してみよ」と返す。長髄彦は、饒速日命の天羽羽矢と歩靫を見せる。すると神武も同じものを見せた。

 そう・・天羽羽矢(あめのハバヤ)とその入れ物をお互いに見せ合ったのねん。羽々なのねん。一応、ここは蛇では無いのねんよ。そしてこれは、阿蘇家、そして関連氏族の紋章にもなっとるのやけんど、結果的にはきっとね、

「違い鷹の羽紋」

のことなのねんよ。X型に鷹の羽を二枚重ねたものなのねん。(二枚・・いや三枚を二重にしてるようにも見えるけんどね~)

Chigai-taka-no-ha.jpg


 つまり、これを組み込んで先ほどのアメノハバキリ、アラハバキを言うとね・・ちょっと違う意味になるのねん・・

アメノハバキリ=「神が神を斬る剣」

もしくは

アラハバキ=「神神神」


 鷹の羽二枚(三枚 x 二枚)が、とんでもない意味になってしまうのねん・・。アラハバキは「神x3」なのねん!それが二つあるっちゅうことは・・!!(・・いや、ここも掘らんどこ・・)

アラハバキは「神そのもの!」を意味するのねんで!
(・・ま、ファシレ的には普通にハラフワティだとは思うけんどね・・いや、ここも今は掘らんのね。)

 そして、さよちゃんが亡くなるまで巫女をしていたのは日見(ヒたかミ)の多賀城・・多賀・・「たか」なのねん!


「ぞぞぞっ~!」

っと来ちゃったかな~?・・でもまだこんなもんじゃ無いんだけんどな~・・。言葉遊びって言えばそれっきりだけどね~。ま、ファシレのおじさんの言うことだからアテにはならんよ~。・・じゃ、またね~、ばいなら~!アディオース!
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さよちゃん






 彼女は四国の生まれ。子供の頃の多感な時期を過ごした。

 特殊な能力を買われて、九州に連れて行かれた。そして巫女になった。

 しばらくして何故かは判らないけれど、長い距離を移動して今で言う宮城県に移動した。

 そこは、海と川と山が見える静かな土地で、周りを沢山の兵に取り囲まれた小さな屋敷で弟と暮らした。そこでは他の人と顔を合わせたことはなかった。争いなどまるで無かったし平和だったけど、結婚はしなかった。鏡は時々使った。そして死んだ。ほど近くに葬られた。

 彼女の本当の名前は「さよ」。でも「ヒルコ」と呼ばれた。長い時が流れた今でも、日本人なら彼女のことは誰でも知ってる。そしてなぜか「卑弥呼(ヒミコ)」と呼ばれている。



 何が真実なのか、本当に判らんよね~。ファシレのおじさんも初めてこの話しを聞いた時にはね・・


「え~・・本当~?・・・有り得んな~・・宮城県だけは・・」


と思ってたのねんな。(前にも書いたな・・ま、いっか)でも色々と倭人を調べて行く途中で色々判ってきてね、全くの否定は出来ないんだな~。

 まずね、宮城県っちゅうのは日高見(ひたかみ)の国と言われてたようでね。ホツマツタエによると、あのアマテラスも日高見にいたことになっちゅうのよ。ま、その後は富士に行ったようなのねんけどね~。

 宮城には多賀城と言うところが有って、どうもその辺りに「さよちゃん」は居たようなのねん。そこで何やらやってたらしいのねんけんど、多くの兵に囲まれていて外にでることはなかったようなのねんよ。

 多賀城と言えば、有名なのは多賀城国府跡、そして「城」って付いてるくらいだから、少なくとも「柵」のような防護施設があったのねん。皆さんも知ってる通り、「蝦夷(えみし)」に対する城なのねんな。


 卑弥呼さんと言えば邪馬台国(やまたいこく)の女王だったっちゅうことは、誰も否定できない事実なのねん。記紀は徹底的に痕跡を消した訳だすな。しかし・・・魏志倭人伝にしっかり書いてあってね・・。やっちまったな~!・・不比等ちゃんも・・。でもま、さよちゃんは大体だけんど西暦170年位から250年位までの生涯だったと言われてるのねんよ。

 で、「さよちゃん」が言うにはだよ・・

「ニギハヤヒは私の真似をしただけ・・今で言う追っかけみたいなもん」

 だそうだ。


 これもね・・・ファシレのおじさん的には、

「どっひゃ~!・・マジすか?」

なのねんな~。・・だって、さよちゃんの生涯が西暦170~250年位だとしたら、ニギハヤヒはその後の人っちゅうことになるじゃんね~!

 ニギハヤヒさんは、WIKIによると

ニギハヤヒノミコトは、日本神話に登場する神。『日本書紀』では饒速日命、『古事記』では邇藝速日命と表記する。『古事記』では、神武天皇の神武東征において大和地方の豪族であるナガスネヒコが奉じる神として登場する。ナガスネヒコの妹のトミヤスビメ(登美夜須毘売、日本書紀では三炊屋媛という)を妻とし、トミヤスビメとの間にウマシマジノミコト(宇摩志麻遅命)をもうけた。ウマシマジノミコトは、物部連、穂積臣、采女臣の祖としている。イワレビコ(後の神武天皇)が東征し、それに抵抗したナガスネヒコが敗れた後、イワレビコがアマテラスの子孫であることを知り、イワレビコのもとに下った。

『日本書紀』などの記述によれば、神武東征に先立ち、アマテラスから十種の神宝を授かり天磐船に乗って河内国(大阪府交野市)の河上の地に天降り、その後大和国(奈良県)に移ったとされている。


みたいになってるのねん。

 ま、饒速日命は出雲族の首長の富長脛彦と義兄弟だったが、彼を切り、東征してきた神武天皇に大和の地を譲ったとされてるのねんな。そしてニギハヤヒさんは物部氏の始祖となった・・っちゅう訳。

 卑弥呼のことは記紀は全くウヤムヤしてしまってるけんども、実はニギハヤヒのこともかなり隠してしまってるから、これも良く判らんのよねん。

 でもね・・物部氏の子孫だっちゅうことで調べてみると、

とっても有名な物部氏は、やっぱり「物部守屋(もののべのもりや)」さんだと思うのねん。彼が蘇我氏に負けて亡くなったのは西暦587年なのねん。で、物部氏の系図を調べてみると、ニギハヤヒさんから守屋さんまでちょうど15代なのねん。でね・・1世代30年で次世代へ継ぐと考えると、15x30=450年・・。守屋さんが亡くなったのは西暦587年だから、587 - 450 = 137年・・ありゃりゃ?・・だめだこりゃ。さよちゃんよりも若くなっちゃう・・

 じゃ、1世代を27年で次世代へ・・としてみるとどうかな・・? 15 x 27 = 405年。587年 - 405年=182年・・・ニギハヤヒさんの誕生年は西暦182年くらい!?

「おっ!・・いい感じじゃん!」

 そうなのねんよ。さよちゃんが言うように、

「ニギハヤヒは同族で後輩・・私の追っかけだった」


っちゅうのも、アナガチ間違いとも言い切れなくなってきたのねん!後輩のニギハヤヒ君、まんざらでも無かったのかな~・・かわいそうな「さよちゃん」。


 でもさ、ニギハヤヒさんもアマテラスさんから十種神宝を授かったって・・


「思ったよりアマテラスさん、若いじゃん・・」


 
いや・・そこじゃないんだな、今回の突っ込むポイントは・・。


 ニギハヤヒさんがトミノナガスネヒコさんと大和を治めた後に神武天皇さん、つまり「イワレビコさん」が東征して来たんなら、神武天皇さんって4世紀位の方になっちゃうじゃん・・。


 いや・・だから突っ込みポイントはそこでも無いんだってば・・。


 でも、っちゅうことは何?・・卑弥呼さんは「物部一族」・・もしくは関連支族っちゅうことになるのねん!・・こりゃ困った・・卑弥呼は邪馬台国女王と言われたけんども、天孫ニニギさんとは別の系統っちゅうことになってしまうのねん!


 卑弥呼さんに関しては、海部氏系図、尾張氏系図に名前が出てるっちゅう話しが有って、ファシレも確認しとるのねんけんど、何せ、


「ひみこ」
っちゅう個人名とは思えない「女の子(ひめみこ、ひめこ)」みたいな抽象的な名前なもんで、似たような表記が実に多いのねん。なので、系図上のその次世代あたりに


「トヨ」
が付く女の子がいるとね・・後継者の「豊」(とよ・・イヨ、イチヨと言う説も有るが)


「卑弥呼に間違いない!」
みたいになってしまうのねんな。・・ま、これも、記紀が都合の悪いことを隠したり、ごった煮にしたりした性なのねんけんどね~!


 でね・・さよちゃんのことはとりあえず置いといて、「蝦夷(えみし)」「戎(えびす)」のことなのねんけんど、前にちょっと書かせてもらったのねん。で、書き忘れたっちゅうか、書かなかったことがあるのねん・・それは、


「蝦夷(えみし)と呼んで差別対象になったのは異民族だからではない!」
のねん。

「蝦夷(えみし)は基本、朝廷の同族、同系統のことを言う!」
のねん!つまり、そのときの朝廷に楯突く同族・・反逆者、祀ろない者たちのことを言ったのねん。ま、違う族同士が同じ土地で習合もしてるし、当然ながら例外もあるけんどね。同族、同じ流れながらもお互い反目して、勝った方の体制側が、負けて逃げた反体制側の同族たちを憎しみ込めてそう言ったわけだね・・。日本神話のイザナギ、イザナミの最初の子、ヒルコが葦舟に入れられ流され、蛭子神(水蛭子、蛭子命=エビスシン)と言われた様ににね。


 言ってみれば、兄弟喧嘩の連鎖が恨み憎しみの連鎖を生んで、取った取られた、やられたから逃げた・・またやり返した・・の繰り返しなのねん。


「あれ~・・?なんだ・・今でも世界中でやってるのねん?」



 本当かどうか判らんけんどね、あの須佐乃袁尊(スサノオノミコト)さんの息子さんともされるニギハヤヒさんだから、スサノオさんのことも随分と長いこと調べたのねん。八岐大蛇(ヤマタのおろち)退治の話しは有名だよねん?・・ま、テナヅチ、アシナヅチの娘がヤマタのおろちに喰われてしまっていて、後に残った末娘の櫛名田比売(くしなだひめ)も喰われてしまうところをスサノオさんが助けて嫁に貰う話しなのねん。


 結局、酒を飲ませて酔っ払わせて、神剣の十拳剣(とくさのつるぎ)でぶった切ってヤマタノオロチを殺したのねん。そしたら十拳剣が欠けたので、良く見てみると尾から剣が出てきたのねんな。


 それが草那芸之大刀(くさなぎのたち)なのねん。アマテラスに献上されたその剣は、後々、ヤマトタケルの手になり、大活躍するのねん。・・実にうそ臭いのねん。


 でね・・ここが肝心・・。ヤマタのおろちっちゅう大蛇は本当にいたのけ??


 実はこれはね・・出雲の地にヤマタ族のオロチさんっちゅう・・とっても乱暴な奴がおったらしいのねん。ま、出雲族じゃなくて、きっと山田族って自称しとったんでっしゃろな~・・。青銅の剣から鉄剣に変わって行くことがモチーフになっとると思うけんどもね~。出雲族っちゅうのは実際には自分たちのことを出雲族とは言わんかった可能性があるっちゅうことでんな。クナトの大神の後継ではあるけんど、習合して行く途中で、大陸の北から来たオロチョン族も混じったっちゅうことなのかもしれん。

 でねでね・・ここが一番肝心・・ヤマタのおろちを切った十拳剣(とくさのつるぎ)に別名が有ってね・・それがなんと、

天羽々斬(あめのはばきり)っちゅうのねん。

天羽々斬(あめのはばきり)とは日本神話に登場する刀剣。須佐之男命がこの剣でヤマタノオロチを退治したと伝わる。「天羽々斬剣」(あめのはばきりのつるぎ)、「布都斯魂剣」(ふつしみたまのつるぎ)とも言う。別名「蛇之麁正」(おろちのあらまさ)。


 ・・・ね?・・びっくりだしょ?・・すっげ~・・でも・・えっ?・・何がびっくりか判らんぞと?

(このパターンは前のブログと同じだな~)


 だってさ、

「あめのはばきり」

でっせ?

「あめのはばきり」-->「あめはばきり」-->「あらはばきり」-->・・・「あらはばき」!!

どっひゃ~!




・・長くなったので続きはWebで!・・いや、次回!・・またね~、アディオース、チャオ~!

不比等さんもやらかした??!君 は 郡 と同じ?






 例えば何かをやらかしてしまった時、何とか隠し通そうとして、証拠隠滅を図ったり、偽証をしたり・・ということは、現在でも良くあることだよねん?後ろに手が回ることもあれば・・つまり、捕まるっちゅうことだけんど・・自分の密かな楽しみを誰にでも教えたくないとかもあるよね~。でもたった一つの「やらかし」が、全て水の泡になってしまうこともあるから怖いのねん。


 古代の日本では小さい集団が沢山有って・・、時にはお互いに手をつないで、より大きな集団に対応するけれど、ひとたびその大きな集団が崩れると、ハゲタカのように群がって、さっきまで手を繋いでいたはずの仲間だった集団と争いが始まったりするわけで・・。ま、今でもそれは変わらないのかな?・・イスラム圏での出来事を他人事のように見ちゃっててもそのように思えるし、国内でも個人や中小の小売商店やスーパーを倒産に追い込んだ末に価格破壊を言い出した巨大スーパーさんでさえ・・結局は自身を価格破壊する始末。市町村じゃ巨大小売企業がさして儲からないと踏んじゃ・・入れ物(建物ね)だけ残して抜けてしまうと、人口は減少するわ、若い人は地元を出るわ、商店は無いわ、医療や様々な行政サービスは受けられないわで、過疎化が進み、

「シャッター通り」
なんちゅう言葉が生まれてしまう状況にも、もう誰も何とも思わないのかもしれんね~。破壊する者はその対象にまで思いが至らんし、ましてや自分も失敗して対価を支払ったくらいにしか思わんのだろうね~。お互い様で暮らしてきた、ほんの少し前までの昭和的生活から、

「お客様は神様です!」

っちゅうバブリーな言葉を頭から飲み込んでしまってる、どうしようもない「勘違い人間」が、朝から晩までコールセンターにシツコク苦情電話を掛けてるそうだから・・ね。電話の向こうにも自分と同じ人間がいると・・理解できない人たち・・そんな方々はどう考えても「倭人」とは思えんけんどもね~。売る方も買う方も実はどっちもどっち、時と場合によっちゃ一瞬で立場が変わるのにね・・。


 たしかに古代の日本では、

「食べること」

がとても大変な時期だったのねんな。ま、実は今でもさして変わらんのかもしれんにしてもね。生活のレベルを落とさないと、とてもじゃないけど子供を生めない社会だからね~・・。それとも親がよっぽどお金持ちなら別なんだろうけんど、「貧乏人の子沢山」っちゅう言葉があるくらいだから、「金持ちは一人っ子」なのかもしれんね~。

 そして、食べて行くことが子孫を残すことに繋がるわけだから、寄らば大樹の陰って訳で、少しずつ、その集団が大きくなっていったんだろうことは想像が付くと思うのねんな。


 藤原不比等(ふじわらのふひと)さんの名前はもう、大抵の人が知ってるよね。何をした人なのかは知らんでも、相当大したお人なんだという理解はしてると思うのねん。(凡)人と比べること無かれっちゅう名前なのねんな~。

 彼のやったことは多岐にわたるけんども、やっぱり一番大きかったのは、


「日本書紀(日本紀)を書いた」


ちゅうことなのかな~と思うのねん。

 いや、彼が直接書いた訳じゃないけんども、不比等さんが指揮して書かせたのであって、亡くなられる年の西暦720年に、日本書紀が完成したと云われてるのねん。

 日本書紀は、神代から第41代持統天皇の御代まで・・つまり西暦700年過ぎ頃までのことを書いていてね・・古事記と合わせて、ほぼ日本の正史とされてるのねん。だけんど前回のブログ、

「え~?姫氏が倭の王だったの~?」

でも書かせてもらったとおり、都合の悪いことは書かない、省く、主語を判らなくする、(古事記と)漢字を変える、他の歴史書から拝借する、するっと混ぜ込む・・などと言うようなことをやってるようなのねんな。で、とてもお上手な仕上がりをしてるのねん。例え疑いを持っても日本書紀では完結できないようになってるし、都合の悪い本は焼き、時には村ごと移住させ、名前を変えさせたのねんな。だから完璧なはずだったのねん。不比等さんもきっと、

「これで万事おっけ~なのねん!」
と言って亡くなったかもね~。


 でもね・・ひょんなことから、ちょっとしたことから、隠したはずの事実がばれてしまうのねんよ。例えばね・・


 継体天皇の御代に、「磐井の乱」と云う戦いが有ったのねん。WIKIには、

磐井の乱(いわいのらん)は、527年(継体21)に朝鮮半島南部へ出兵しようとした近江毛野率いるヤマト王権軍の進軍を筑紫君磐井がはばみ、翌528年(継体22)11月、物部麁鹿火によって鎮圧された反乱または王権間の戦争。この反乱・戦争の背景には、朝鮮半島南部の利権を巡る主導権争いがあったと見られている。

と書いてある。


 ちょうどね・・前のブログの「白村江の戦い」の100年ほど前の事件なのねんな。で、この北九州辺りで乱を起こしたのが、

「筑紫君磐井」(ちくしのきみいわい)さん

なのねん。

 でもね・・どうも不比等さんも気付かなかったらしいのねん。執念で書き上げたはずの日本書紀に、

「筑紫国造磐井」(ちくしのくにのみやっこいわい)さん

と書いてしまったのねんよ。

                         うわ~・・やっちまったな~!



 別に・・筑紫君でも筑紫国造でも変わらんように思えるけんどもね。古事記や他の書では「筑紫君磐井」と書いてあるのに、日本書紀は「筑紫国造磐井」と書いてしまったのねん。ここに、不比等さんたちの意思が働いているかもしれんと思うと、物凄く大きな意味を持ってくるのねんよ。


 つまり、

「君(きみ)」

は君主(くんしゅ)なのねんな。言ってみれば「大王」なのねん。でも

「国造(くにのみやっこ・こくそう)」

は、朝廷(大王・天皇)に認められた姓なのねん。ま、今で言う「県知事」を世襲制にしたようなものでんな。


 だから、ある意味では本当のことを書いてしまったのねんよ。その時には、日本書紀編纂時にはきっと「国造」だったのねん。でも、その「磐井の乱」が有った時はね・・「筑紫君」だったのねん。でも筑紫君は没落したので、ついつい「筑紫国造」と書いてしまったのねん!


 不比等さんがやらなきゃいけなかったことは、

「君」という呼称は地方の長にも使うことが有る・・・みたいなことを、それとなく・・日本書紀にしのばせた上で、「筑紫君磐井」と書かなきゃいかんかったのねん!判るよね~??


 このことでね・・何が判るかっちゅうと、

「筑紫君磐井」は「畿内大和政権」と同等、もしくはそれ以上の大王


「磐井の乱の時点で日本は統一などされてはいなかった」
っちゅうことなのねんな~。関東以北の蝦夷を除いても統一王朝と云える状況じゃなかった。たった一文字だったんだけどね~!・・残念!・・惜しかったね~!


 でね~・・あとひとつ、これもびっくりなんだけども・・「倭」という漢字、どう読むか判るかな?

「わ」

でんな。そりゃ間違いない・・「やまと」と読ませるかもしれんよね。


 でもね、「倭」っちゅうのは、大陸人が日本人たちを見て「倭」と言ったことを忘れないようにせんとね。


 で、これまたWIKIを見ると、こんな風に書いてあるのねんよ。


倭(わ、やまと、ワ、ヰ、ウェイ(中国南方音)、ゥオー(中国北方音))は、

紀元前から中国各王朝が日本列島を中心とする地域およびその住人を指す際に用いた呼称。紀元前後頃から7世紀末頃に国号を「日本」に変更するまで、日本列島の政治勢力も倭もしくは倭国(わこく)と自称した。倭の住人を倭人(わじん)という。和、俀とも記す。



 ・・・ね?・・びっくりだしょ?・・すっげ~・・でも・・えっ?・・何がびっくりか判らんぞと?

いや、つまりね・・中国南方音、隋や唐が有った辺りの発声では

「うぇい」

なのねん。「うぇい」でっせ?・・え?まだ判らん?・・じゃ、これは?

「磐井」

ま、「いわい」

でんな。


 両方を順に発生してもらうと・・判るのねん。

・・そ、一緒なのねん!


「うえい」「いわい」を聞き分けられるかどうかは、おそらく発声者の且舌と、聴取者の文化によって決まるのねん。それに、「倭」は「ウワイ」と発音する・・とおっしゃってる方もいらっしゃり・・つまり、

「筑紫君磐井」



「筑紫 大王 倭」

と表現している可能性があるのねんよ!簒奪した倭の歴史・氏素性・財産他全てがバレる可能性がある・・だからこそ不比等さんは「君」を書かなかったのかもしれんのねん。・・・そして、本当は日本書記のどこかに、


「君 は 郡 と同じ」

みたいにお得意な漢字の読みで錯乱狙いを差し込むか、「君」の階級についてコネコネしてから密かにどこかに差し込むか、結果としてどのように取られても問題が起きない・・推測でしか無いように対策をするつもりだったかもしれんのねん。そして他の書、紀・記・系図は差し出させて全て焼くつもりだったのねん。でも、最初のそれをする暇が無かったか、体調不良で忘れてしまったのねんな~!本当に・・残念!惜しい!もう少しだったのに~!せっかく子孫の藤原氏も色々と画策したけんどもね~。

 945年に書かれた旧唐書の東夷伝の中には、日本列島に「倭国伝」と「日本国伝」の二つが並立していて、

日本は倭国の別種で、もともと小国であった日本が倭国を併合した・・

なんて書かれてたのを・・1060年に書かれた新唐書では「日本伝」としてひとつにまとめられてるのねんな。・・さすが不比等さん・・子孫にも抜かりなく手配させたのねん!


                    はぁ?

 もっとも、こんな考え方は九州王朝説?・・多元説の範疇になるのかな~・・でも、偽書の判子を捺された「東日流外三郡誌」のアラハバキ族だって、少しは可能性があるかとは思うけんどね~。


 ま、ほんま奇奇怪怪な日本史だけんど、ちょっとだけ「倭人の正体」に近付けたかな~と思うのねん。ただしね・・ファシレのおじさんの云うことだから、全くアテには成らんよ。そこんとこはよろぴくね~。・・そろそろ天照かな~?・・じゃ、またね~、ばいなら~!アディオース!

え~?姫氏が倭の王だったの~?






「謎の荒覇吐族?・・倭の歴史1」の記事で、「倭の五王」について書かせてもらったのねん。何故か中国風の一文字の名前の王なのねんよ。それを偽書として非常に名高い「東日流外三郡誌」関連の和田氏文書では、

「東北アラハバキ王朝の王」

として書かれているとね~。

 因みにその倭の五王とは中国の歴史書に記述された、

讃、珍、済、興、武

であって、和田氏文書では、

讃日彦王、珍日彦王、済糠彦王、興日彦王、武波日彦王

としていたのねん。


 でも一般的な認識としては、

讃=仁徳天皇、珍=反正天皇、済=允恭天皇、興=安康天皇、武=雄略天皇

のように、歴代天皇を比定しているようなのねん(もちろん違う比定もあるよん)。


 だからファシレのおじさんとしてはね・・少なくとも歴代天皇に比定するには、

「そんな中国人みたいな名前を天皇(大王)が名乗るかいな?」

みたいな観点から、

「和田氏文書が云う方が、まだ理解し易い!」

と云ったのねん。武(ブ)はまだ判るが、珍(チン)は無いだろうとね~。


 歴史も素人なファシレのおじさんだけんども、「倭人とはなんぞや?」を探求しだしているので、ネット情報や歴史本を頼りにしているとね、なんとなく判ってくる事もあるのねんよ。あんなようにアラハバキ関連で倭の五王を書くと、色々ツッコミが有るかなとも思ったけんど無かったのねん。さすが、読んでる人が少ないブログなのねん!・・目立たなくて正解なのねん!


 でもね、さすがにファシレのおじさんも東北アラハバキ族が倭の五王だっちゅうことを信じてる訳では無いんだな・・。今最もマイブームな倭の五王はね・・

「もと中国の王族がやってきて九州に住み付いた説」

なのねん。


 日本は本当に人種のルツボだからね~。世界各地の方々が一緒に住んでる国なんだな~。それにね・・畿内とか京都とかに有る地名は、北九州には必ずあるって云っても良いほど有るよね~。福岡県京都郡とか・・ね。これって、どんな意味があるのかね~。


 その昔・・紀元前5~6世紀頃、中国大陸に「呉(ご)」と言う国が有って、「太伯」という王がいたが、その子孫が日本に落ちてきたっちゅう話しが有るのねん。そして九州の熊本に住み付いたらしいのねんな。WIKIで「太伯」を調べるとね、しっかり書いてあるのねんよ。


『新撰姓氏録』では、松野連(まつののむらじ)は呉王夫差の後とある。


 つまり、「松野」氏は、呉王の末裔であると・・しっかり書いてあるねん。その新撰姓氏録っつ~のは、

『新撰姓氏録』(しんせんしょうじろく)は、平安時代初期の815年(弘仁6年)に、嵯峨天皇の命により編纂された古代氏族名鑑。by WIKI


だから、少しは信用できると思うのねん。


 しっかしね、何で呉の国の末裔が「松野」さんになってしまうのか・・全く全然まるで判らんだっしょ?あの、とても噛み々で口が・・いや、マラソンで足が早かった松野明美さんの松野さんなのねん。


 で、ついでに早々に答えを言ってしまうとね・・


「これからは松野と名乗れ。姓(かばね)は連だ!」


と朝廷に言われたからなんだな~。「かばね」が判らんかな?


姓(カバネ、可婆根)とは、古代日本のヤマト王権において、大王(おおきみ)から有力な氏族に与えられた、王権との関係・地位を示す称号である。by WIKI

っちゅうことなのねんよ。


 じゃ、元の名前は何ていったかっちゅうのが判らんよね?・・これはどうやら・・「姫」氏なのねん。ま、ヒメと読まずにおそらくは「キ」でんな。中国には「姫氏」の国が沢山有ったのねん。列島に亡命してきて、九州の中ほどに姫の国を造ったのねん。だからかどうかは判らんが、記紀にはお姫さんのことを姫っちゅう漢字は絶対に使わんのねん・・比売と・・書くのねん。


 「東海姫氏國」っちゅう言葉があってね・・これが大陸側から見た場合の「倭人」の国だったっちゅうのがどうやら本当の話のようなのねんな。つまり、東海・・中国の東の海の中にある姫氏の国、っちゅうこと。


 例の「倭の五王」が「宋」(中国)に貢物をして、「使持節都督倭・新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓六国諸軍事安東大将軍倭王」と認められたのねんけんども、この国の中で「倭(わ)」がどこにあるか判らん・・・しかも、その王は「珍」とか「讃」とかを名乗っとる。それはやっぱり畿内の天皇家とは違う・・と考えるならば、呉の末裔である「姫氏」なのねんよね。


 もっと言ってしまえば、記紀に書かれた内容っちゅうのは、その「姫氏」もしくはその末裔が勢力を落として没落し、畿内の天皇家に吸収された後のことであって、実にその時の朝廷に都合良いように書かれたのねん。そりゃぁそうだしょ・・自分たちに都合の悪いように歴史書を書くアホはおらんからね~。つまり、

「他の国・族の歴史・名前・宝を簒奪した」
っちゅうことでんがな。それが今に伝わる正史につながっとるっちゅうことでんな。


 白村江の戦い(はくすきのえのたたかい、はくそんこうのたたかい)っちゅうのが7世紀に有ったのねんが、これが実に奇妙な戦いでね・・。



 大和朝廷が朝鮮半島の同盟国、百済を守るために合計3派、計4万7千人もの大軍を送り、唐13万・新羅5万の合計18万と戦ってコテンパンになって負けたと記紀に書いてあるのねん。そんなに軍人がいたのもビックリだが、一体どうやってそんなに船を集めたのかね~。有り得ない話しと思わん?


 それに、唐と新羅連合軍に負けた後、どうも大和朝廷にはほとんどお咎めが無かったどころか・・、当時の朝廷の権力者の中大兄皇子(後の天智天皇)たちは、ドンちゃん騒ぎの大はしゃぎだったんじゃないかっちゅう話しも有るくらいなのねんよ。戦争に負けたんでっせ?・・この間の太平洋戦争・大東亜戦争・第二次世界大戦の敗戦国たる日本がどうなったかは、戦争を直接知らん世代の我々でも判るはずだよねん?・・そう・・責任を取らされるのよ。そして、結果が酷い場合には、国自体が無くなったりもするし、戦犯として裁かれる者もいるわけでんな。


 その理由はね・・もう判るかと思うけんども・・


 「倭」とは大和朝廷側のことを言ってるのではなくて、「姫氏國」もしくは、その流れを引く「九州王朝」のことだったから・・なのねん。

少なくとも「大陸の国が言う倭の国は大和朝廷では無かった」のねん!


 だから、唐・新羅の全権大使は、九州に来て戦犯として「筑紫君」他を連行しているようなのねん。でも畿内の朝廷にも郭務宗らが2000人規模で来てはいるが、どうもこれが挨拶程度のようなのねん・・。「筑紫君」こそが倭の王っちゅう証拠に思えるよねん?


 この白村江の戦いをしたのは九州王朝の「倭国」であって、「大和朝廷はほとんど何もしなかった」のねん。もっと言ってしまえば、


「白村江の戦いは無かった!!」



 実際には倭国は661年~662年に百済を助けに行ってるのねん。そして、倭国に人質として預かっていた百済皇子も連れて行ってる。そしてそこで大敗を喫したのねん。それは中国の歴史書にも「倭国と戦った」と書いてあるのねんけんど、白村江の戦いの663年のことは書いてないのねん。大和朝廷がやったことは、戦後の後始末として百済に向かい、残存勢力と小競り合いをしつつ、百済の官僚・王族たちを連れ帰ったことだけなのねんな~。ね~・・ビックリだしょ~!

☆書き忘れたので加筆・・

 4万7千人と言うのはおそらくだけんども、百済・任那から連れ帰った亡命百済人・任那人の数だろうね~。そして、現地の都合の悪いものを破壊・焼却し、隠されていた財産・お宝を奪取、持ち帰ったのかな~。


 さらにね・・・もっともっと言ってしまえば、

「畿内の大和朝廷は九州倭国の属国だったかもしれん?」

っちゅう可能性もあることなのねんよ。だから、畿内の大和朝廷はそりゃもう大喜び!・・飲めや唄えの大騒ぎ!酒池肉林の世界だったかもしれん訳!煩い宗主国の王が負けて連れ去られたもんで、地理的に絶対安心な畿内の朝廷は、

「これで倭が・・・いや、我が天下!」
とばかりに喜んだのかもしれん訳でんな~。


 このころの大和朝廷は、蘇我入鹿が討たれた直後・・中大兄皇子と中臣鎌足が全権を握ったころなのねん。天皇は大臣である蘇我氏の言うがまんま・・の状態だったのねんけんども、それをこの二人が滅ぼしたのねんな。この、頭に「中」が付く二人も実に怪しいよね~!一応、時代の流れとしては、


蘇我氏宗家滅亡(645年)-->白村江の戦い(663年)


 だけんども、本当のところはどうなのかな~。疑問だな~・・。これ、ほぼ同時だったら・・怖いよね~。だって、もしかしたら蘇我氏は、九州倭国本国からお目付け役で来ていたのかもしれんしね~。蘇我氏の出自も良く判らないし、中臣氏も藤原不比等が系図をいじってるみたいだし、天智天皇と兄弟だっちゅう天武天皇・・だって、記紀は生年を示していないしね。ま、一癖も二癖もありそうな鎌足爺さんが亡くなったのが669年と言うから、

「してやったり!」
の生涯だったのかも・・しれんの~。


 でね、松野連姫氏系図と言うのが残されていて、実はしっかり、あの倭の五王の名前が残されているのねん。もちろん、系図の真贋、本当のところは誰にも判らんよ・・。都合の悪いものが出てくると朝廷はその都度、証拠隠滅してきたし、それは明治の時代になっても続けられたのねん。(今でもやっているように思うけどね~)でも、五王の一文字の名前と呉の王族の子孫が九州にいたっちゅう部分において、信憑性は比較的高いんじゃないかな・・と思うのねん。


呉王夫差-忌-順-恵弓-阿岐-布怒之-玖賀-支致古-宇閉-阿米-熊鹿文-厚鹿文-宇也鹿-?子-謄-讚-珍-済-興-武-哲-満-牛慈-長提-廣石-津萬
(一部、表せる漢字が無いのと、近い漢字で表記)


 この姫氏がそのまんま筑紫君なのかは判らんけんどね。欽明天皇期の540年に投下したっちゅう記録があるけんど、「(姫氏の)誰が誰に対して投下したのか?」をハッキリ書いて無いからね・・。で、おそらく、この「姫(キ)」氏が「松野連」になったり、あるいは「木」「紀」「鬼」「忌」になったり、関係していたりするじゃないのかな~。(「姫」は「イ」かもしれんけんどね。するってえと、「倭」も「イ」と読めるしね~。)

きっとね・・

「キ(姫)だから・・その辺にある松にするか~・・」

みたいなノリで朝廷も決めたのかもしれんしね~・・。もしくは、財産、お宝、呼称、歴史は分捕ったからそのお礼に、橘、藤と対応させて、松竹梅の一番上にしたのかもしれんけんどね~。この時代の連は決してもう高い位の姓ではないけどね~。


 因みに東日流外三郡誌関連では、

「熊襲が反朝して敗れ、関東の荒吐族を訊ね、景行天皇期に軍船を大挙して脱した。」

とあるけどね~。


 ま、今回は非常にお堅い・・硬い内容だけんど、読んでくれたかな~?・・興味無いか・・。ま、倭人が誰か判れば良いんだからね。大陸からの移住者の話だったのねん・・これもほんの一部なのねんよ!しかし歴史っつうのは奇奇怪怪でんな~。・・不比等は何を隠そうとしたのかな~・・だれも気付いていない、大どんでんがえしがまだあるんじゃないかな~!・・ではまた、ばいなら~、チャオ~、アディオ~ス!

謎の深まるアラハバキ神?






 確かに LINE で自分宛、自分たち宛ての記事を読んだまま何も返事もしないでおくと既読の数だけが増えてゆくものだから、記事を書いた本人の気持ちを推測するなら、

「リアクションが必ず有る・・もしくはリアクションを期待して書いた」
のに、既読されてはいるものの、返事が全く無かった時のやっちまったかな感っつうか、精神的ショックは時間と比例するように増え、

「・・・なんか不味い事、言っちまったかな~・・」
と、時間と反比例するようにそのコミューンでの「モチベーションを減少させる」ことにつながるかもしれんね~。

 だけんども2~3日返事も無くて、いきなり・・

「ごめ~ん・・ちっとスマホ見られる状況じゃなくって・・」
などと、どう考えても「嘘」としか思えない理由で駄目を押されることの方が辛いのかもしれんね~。ま、若い子なら・・特にそうなのかな?・・と思っていたけんども、実際、意外にもそこまでこだわっているのは良い歳した大人の方みたいだけんどもね~!


 アラハバキと言う神様のことについては東日流外三群誌関連で前に少し書いたかもしれんけんど、漢字を当てはめてみると、荒覇吐、荒吐、荒脛巾のように書かれていることが多いようなのねん。関東から東北に掛けて、この神を祀っている神社が有るけんども、さほどの数にはならんのねんな。だけんども、あの氷川神社・・関西の方は判らんかもしれんけんど、特に武蔵一ノ宮と言われる大宮の氷川神社は、元々はそのアラハバキ神社だったと言われているのねんな。・・いや、絶対に違う!と言う方もいらっしゃるとは思うけんども、現在でも摂社か末社か判らんが、門客人神社として、アラハバキ神らしき神様も祀っているのねんよ。これは本当の話・・・ま、物凄く沢山有る氷川神社の全てがアラハバキ神社だったかどうかは判らんけんどもね。

 世の中には神社は人の数ほど有り・・・いや、そこまでは無いにせよ、物凄く沢山有るのはご存知の通りじゃけんの。そして、ついこの間、

「伊勢神宮の式年遷宮でご神体をうつす遷御(せんぎょ)の儀」

が執り行われたのねん。

 これはご存知かと思うけんど、天照大御神のご神体の八咫鏡(やたのかがみ)を新正殿に移動する儀式だったのねんな。それもご神体そのものは、大きな大きな幕のようなもので隠されてるので見えんかったし、松明だけなのかな?・・見辛くてね・・。それでもその様子がテレビに映ったんやから、時代は変わってきてるのかもしれんよね~。


 ま、ほとんどのお方が「天照のご神体」イコール「八咫鏡」であることに疑問なども持っちゃいないだろうけんどもね・・でも、

出雲国造神賀詞(いずもこくそうかむよごと)

 っちゅう、今も子孫が続いている出雲国造家が、代替わりのときに朝廷に逆らいませんよ・・っちゅう意味を込めて奉る文章があるのねんけんども、ここには、

「天照=八咫鏡」を打ち消すような文言が含まれてるのねんな。

 それも、国造家の代替わりの時には必ずやるのねんで、その都度、

「天照は伊勢にはいませんよ~」

と言ってるようなものに思えるような内容なのねんよ。


 ・・いやいや・・言いたいことは判るし、ファシレのおじさんだってね・・いや、そんなこともないかな~とも思う部分も有る・・。でもね。・・・とりあえずはその神賀詞の重要な部分を書き出してみるとね・・あ、オオナムチはオオクニヌシ・・出雲族の神様でんな。

乃ち大穴持命の申し給はく   (すなわち、おおなむちのみことが言われるには)
皇御孫命の静まり坐さむ    (ににぎのみこと様がしずまられる)
大倭國と申して己命の和魂を  (おおやまとの国と申して 自分のにぎみたまを)
八咫鏡に取り託けて       (やたのかがみにとりつけて)
倭大物主櫛厳玉命と御名を称へて(やまとおおものぬしくしみかたまとみなをたたえて)
大御和の神奈備に坐せ      (おおみわのかんなびにませ)


 昔の言葉は難しいけんども、単純にしてしまうと大穴持命(オオナムチ)は、八咫鏡に自分の和魂を取り託けて三輪山に篭ったと言うことになるのねん。ま、少し理解が足りんのかもしれんけんどもね・・。


 これを出雲の国造家が朝廷に対して言うことで、

「出雲は朝廷に絶対たてつきません、刃向かいません」

との態度を示したのねんな。


 あれ?鏡は天照大御神様のご神体じゃなかったのかな?これは一体どういうことなのかな~・・と思うねんけんど、鏡は2枚以上有ったとか、オオナムチは鏡に和魂を移せなかったとかの理由は聞いたことが無いのねんよ。ま、実際、鏡自体は数枚有ったらしいけんどもね。


 ちゃんと祀る心が有れば良い・・と云うことなのかとは思うけんど、ちょっと今ひとつ納得しきれんのよね~。


 でね・・伊勢神宮の内宮に祀られてるのは天照大御神様っちゅうことになってて、でも鏡には何故かオオナムチ、オオクニヌシが和魂を移してて良く判らんところに持ってきて、謎の神、アラハバキ神の気配もちとばかりしとるのが・・さらにちとグルグルで怖いところなんだすな~。


 皇大神宮・・・つまり伊勢神宮の内宮には、屋乃波比伎神(やのはひきのかみ)が祀られてるそうな・・。調べてみると、


屋乃波比伎神
神庭守護の神。石畳を構え石神としてまつられる。正宮石階の東側に南向きにご鎮座されるが、一般には参拝できない。


 とのことなのねん。屋乃(やの)は頭に冠されてはいるものの、内宮守護の石神として「はひきのかみ」が隠されているのねんよ。「はひき」でんねん・・。「ひ(読みはイ?)」を「は」にすると・・「ははき」なのねん。そして誰も参拝は出来んようになっとるのねんな。

 この波比伎神さん、実はあのスサノオ(素戔嗚尊)さんの息子と言われてる大歳(オオトシ)の息子さん・・つまり、スサノオのお孫さんなのねんよ!・・びっくりだしょう?ま、「はひき」=「ははき」=「ほうき」で伯耆の国・・つまり鳥取県辺りの意味も持つのかなと・・思うのねん。因みに古事記は「伯岐国(ほうきのくに)」と「岐(チマタ)」の字を使ってるし、フナト神・・つまり、出雲の大祖神とつながりも感じるのねんよ。ま、ここは今は深入りはせんけんどね。



 さらには、波比伎神さんには兄弟にね・・・阿須波神(あすはのかみ)がいらっしゃる。

 ハヒキは境界、アスハは基盤で、ともに屋敷神をさすそうなのねんが・・この二人の神様の御名を合わせて云うと・・

「アスハハヒキ」

となるのねんな・・。なんか、アラハハキにとってもニュアンスが近いのねんよ・・。しかもアスハ神の方は皇大神宮には祀られてはおらんのねん。二人一緒で屋敷神なのにね~。おかしいでしょ?しかもね、記紀では天照とスサノオは仲が悪いと印象付けられてるのにね~。アラハバキ神がスサノオさん系の神様っちゅうことすか~?


 でねでね・・このアスハ神なんだけんども・・当初はハヒキ神や他の神様と共に宮中に祀られてた・・けんども、今はどうなのか判らないらしい・・・


 でねでねでね・・外に出されたこの神様たちを祀る神社では、神に奉仕する童女、7歳以上の女子が選ばれ嫁ぐときに交代したらしいのねん。で、国造(くにのみやっこ・・と読む、ただし出雲だけは こくそう)の家の娘がそれを担ったと云われてるのねんよ。


「あれ?どっかで聞いた話し・・?あ、そうだ、伊勢神宮の斎宮!」


 お、ピンと来たね~!・・そうそう、正にその通り!

 崇神天皇(すじんてんのう)の御代に、宮中で祀られていた天照(ご神体の八咫鏡)は、外に追い出されてしまったのねんよ。そして、各地を転々としつつ、アチコチに元伊勢と言われる神社を残しつつ、やっと伊勢に辿りついた・・そして、そのお世話をするのが斎宮さん。天皇家の内親王(未婚の女の子)が選ばれて、その役を担ったとされるのねんよ。


「え~っ!アスハ神さんだけじゃなくて、その時、神様は宮中から全部出されちゃったの~?」


 ま、全部じゃぁ無いようなのねんけんどね・・。とにかくかなりの数の神様が宮中祭祀から外されたのは事実なのねんよ。ね・・そして千何百年も経った今、


「20年毎の式年遷宮」
を伊勢神宮は2013年に迎えてるのねん。我々はその事実を・・まず知らんのねんな~。ね・・お目出度いでっしゃろ~!実に目出度いのねんよ!

・・で、内宮って・・どなた様が祀られてるのかな~?なんで天皇家は皇祖神を外に出されたんだろ~・・ファシレには難しくて良く判らんのよ。・・じゃ、またね~アディオ~ス!バイナラ~?

cakra は回る






 息をするということ・・を休むことにしたので、多分に感じていた精神的な圧迫感から逃れられた安心感からか、反対にちょっと饒舌になってしまうかもしれんけんどお許しを・・。ま、ここんとこも「逃れれた」としないところが古い人間の証明でもあるかもしれんがの~!・・「逃れたで別にいいじゃん」っちゅうご意見も有ろうがの~!細かいところが気に成りはじめたらそれは老化の始まりかもしれんけんど、生まれたときから老化は始まっとるとも言えるしの~!

 最近は流行り歌でも「ら抜き言葉」が普通に使われるようになってきてしまってて、時折、「どんなことを伝えたいとお考えになられていらっしゃるのか正確には判らん」こともあるけんども、やたらと言葉が多すぎる歌詞と、妙に短く略した記号みたいな文字とか言葉とかが流行ってるのは一体どんな世界なんだと思わんことも無い・・。LINEで「KS」と書くと

「既読スルー」

だそうなのねん。「既読」・・つまり「読んだ」っちゅうことでんな。でも「スルー」は、「(行動を)起こす」っちゅうことじゃぁ無いのねん。「スルー」は「流す」=「through」・・英語から来とるのだそうばってん・・、既読したまんま、放って置かれた状況を言うようなのねんな~。判らなくも無いけんど、言ってみりゃ、ゆっくり目の曲調なら「君」と「守りたい」ばかり連呼しているように思えてならない和製音楽と、リズムに乗っちゃいるけんどもやたらと早口の大量の言葉を無理やり韻を踏ませて吐き出してるだけのようにも感じなくもないラップ系の曲・・。それが良いんじゃんかと言われそうだけんどね~。でもどっちも極端に短いか、極端に長いか・・とか、速いと遅い・・、ちょうど真逆の現象を一緒にしていても、別に何も深く考えることも無く生きていける訳なのがちょっと不思議では有るのねん。ロックの火はもう・・消えてしまったのやろうかの~!


 ファシレのおじさんもまだ現役バリバリだったころは、ロック系ミュージシャンなんちゅうのは喰えなくて当たり前、伸ばした髪を何とか結わくか、見た目をほとんど言われないような仕事をアルバイトにして、スタジオ代やら遠征費やらを稼いでたのねんよ。そしてここぞっちゅう時には一生懸命お洒落してね~。ま、今も事情はそんなには変わらんとは思うけんどもね。それと、昔は「カラオケ」なんちゅうものは無かったから、カラオケ代わりにバックでギターを弾いたりして、そんな費用を稼いでた訳でんな。大昔の「流し」みたいなもんやろ・・。気持ち的には今の「お笑い」の連中のようなもんかの・・。彼らの方がまだ世に出られる確率は高いかもしれんけんどの~!


 ま、喧嘩を売ってる訳じゃなく、短い<-->長い、速い<-->遅い、省略<-->増幅 みたいな、両極の世界になってきているような気がするのんで、枕を高~くして書いてみただけなんだけんどもね~。


 例えば映画とかを観ておってね・・、自分が思いっきり入り込んでしまって、とても感動してしまって・・気付くと思わず「涙していた」ことなど、どなたでも経験があるんじゃないかと思うのねん。

 で、もし、その気付いたとき・・、つまり、知らずに涙しているのに気付いた時は、きっと、「我に返った時」なのかもしれんね。でも、それじゃ遅すぎるかもしれんけんど、その映画に・・例えばその女優さんにしっかり入ってしまっていて、彼女の言葉をしっかり受け止めようとしている「自分」、その瞬間に気付いてもらって、その時、チャクラはどう動いているか、感じてみて欲しいのねんな。


「・・はぁ?・・この流れでいきなりチャクラでっか?・・」

と思うかもしれんけんど、・・・残念ながらそうなのねん・・。


 それは映画じゃなくても構わんのよ。さっきの「君」「護りたい」連呼の曲でも、言葉のめっちゃ多いリズム重視の曲でも、自分が入り込めるのなら何でもね。

 その時は、「俯瞰状態」・・つまり、自分の状況をもう一人の自分が冷静に観ているような感じ・・でんな。それでチャクラの状態を見てほしいのねん。決してその状況を壊すような見方をしてしまうと「俯瞰にならない」ので注意してね・・・。


 判りやすいのは「胸のチャクラ」だと思うけんど、別に他のチャクラでも構わへんの。額が判りやすければそうすれば良いし、お臍の下あたりがムズムズしてるのであればそれでもね・・。ま、出演者を性の対象として観てしまっていると違う結果になってるかもしらんけんどもね~!

 
 これ、判ると面白いのやけんども、自分が入り込んで、その対象を・・もしくはその言葉を受け入れようとしているとすると、

「チャクラは時計回りで回転している」
ように感じるのねんな。スピードはそんなに早く・・ビュンビュンっちゅうようにグルグルはしてないとは思うけんど・・どうやろ・・、1~3秒に一回転くらいかな~・・人によるかもしれんのんで、ハッキリとは断定できんけんどもね~。


 ところがね・・その感覚を持ちながら、普段の自分のチャクラはどの向きに回転しているかと俯瞰してみるとね・・

「普段、チャクラは反時計回りで回転している」
ように感じるはずなのねんよ。面白いでっしゃろ?・・ま、もしくは動いていない、回っていないと感じるかもしれんけんどね


 特に、今まで「脳トレ1」「脳トレ2」「息をするということ実践編」をされていらっしゃる方は、チャクラの感覚が何となくでも有るはずなのねんな。そんな方にとっては、

「チャクラの回転?・・感動してる時とか一生懸命聞こうとしてる時が時計回り?・・当たり前やん!」

と言われるかもしれんね。でも、本当に当たり前なのかどうか・・これから少しずつ明らかにしていきたいと思っとるのんでお楽しみにね~。


 それに、あくまでこれは、ファシレのおじさんの感覚のうちのひとつに過ぎんのであって、

「私は普段から時計回りなんですけど・・異常ですか?」
などと思わんで欲しいのねん。人それぞれだし、方向を計るタイミングによっては変わってしまってるかもしれんし、・・何よりチャクラはそんな単純なものじゃ無さそうだからね~


 あくまで、この回転方向については、自分の前側を自分から見た場合ね。逆にみたら逆周りになるし、背中側の感覚がある方は、それも逆になるのんで・・ね。


 胸のチャクラの位置は、これまた微妙でね・・。その方が5番の喉、6番の額のチャクラが強いと少し上にズレて感じられるかもしらんのね。反対に3番とか2番とか、身体の下に位置するチャクラが強いと、僅かに下にズレて感じられるように思う。不確実な情報だけんどもね~。一応、胸骨の下から指2~3本分の厚さ位のところだと思うよ。

 それにこの胸骨ってのが凄いんだな~・・。次の話しはここかな?・・いや、もしかしたら同じところをもう少し掘り下げるかもしらん・・。いずれにしても年末がだんだん近付いてきたのんで、ファシレのおじさんも忙しくなってしまった・・。書けるかな~?・・・じゃぁまた!落とさないですまんのねん・・アディオス~!アミ~ゴ!






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NSY3

Author:NSY3
 何でこんなに判らんことが多いのかが良く判らん!その判らんことの答えを探して旅に出たつもりが、その答えも見つからんうちにもっと判らんことの答えを探す旅に出ることになっちまったい・・・
不徳の致すところでございます♪♪またまたどちらに「おでかけ・・レソか?」今回は夫玉を探しに・・、おっと~!違った、音霊を探しにおでかけレス!

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