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災厄な日々






 未曽有の豪雨被害に遭われた方にお見舞い申し上げます。辛いでしょうが・・何とかこらえてください。

 何と言う事態になってしもうたのかと色んな意味で非常に複雑なのねん・・。そもそも・・

「判ってたんならもっとハッキリ言わんかい!」

 ちゅうような気持ちが有るのねんな・・。ただし余り自信が無い・・。ヴィジョンの意味を取り違えてるんじゃないかっちゅう不安が付きまとうのねん。

 もう、去年のうちから、今年の7月・・もしくは8月は非常に危ない・・っちゅう予感が強かったのは、もう何度も言っとるのねんが、前のブログで、家族には去年から、

「2018年の7月~8月は気をつけにゃいかんよ・・」

と伝えておった・・と。


 でね・・この間、カミさんに、

「ね・・やっぱり・・2018年7月、危険がひじょ~に危なかっただしょ?」

と聞いてみたのねん・・いや、カミさんが自分で言い出したんだったかもしらん。

「・・あたし、そんなこと聞いてないからね!」

っちゅう訳でんねん。


「(はぁ?・・(ou(工)u)ノ)」

なのねん。


 んなもんで、いっしょに住んどる息子にも聞いてみたのねん。

「・・わし、去年から何度も2018年の7月、8月はヤバイぞ・・気を付けにゃあかんって言っとったろうが?」

 したらば・・こう返ってきたのねんよ。


「・・そ~いや、そんなこと言ってたかも・・しれんね~。」


「(・・はあ~~? (´・Д・)」)」


 ま、そんなもんかも・・しらんね。本人はしっかり何度も話した・・それはちゃんと覚えとる・・しかし、それを聞かされた方は、

「(・・また訳わからんことを言っちゅう・・)」

っちゅうような意識が有るもんで、聞いたことさえ覚えとらんのねん。


 大体、直前の6月にも言っとるのねんから覚えとらん方がおかしいのねんが、人間の記憶なんてそんなものなのかもしらんしね。


 それに、やっぱり・・これで「終わり」かどうかも判らんしね・・。・・そうそう、読者の方からメールをいただいたのねんよ。ずいぶん昔から読んでくれとるお方での・・ヤ~マダさんとか玉蔵さんとかともつながりのある女性なのねんが、こう言うとるのねん。

「そのヴィジョンの日付って、旧暦っつ~可能性は無いのかの~?」

っちゅう訳でんねん。


「ほ~~~~・・・(ほ~・・・ほ~たる来い・・♪♪)」


 そんなこつ、考えてみたことも無かったのんで、改めて想像してみたのねんな~。彼女によると、こ~なるそ~なのねん。

7月7日は旧暦だと、8月17日
7月8日は旧暦だと、8月18日
8月7日は旧暦だと、9月16日


「・・・なるほど~・・」

なのねん。

 ま、8月7日で旧暦だと9月16日っちゅうことやから、これはまんず当てはまらんかとは思う・・けんど、8月17日と8月18日は、可能性は残るのねんよ。


 そもそも、あんなヴィジョンを見て、「7月~8月がヤバイ」と自身が感じたことの意味がの・・重要だし、ダブルの7を見つつもその右のやや小さく薄い8の意味を、ど~感じたのか・・なのねんな~。

 大体にして、も~ヴィジョンの話しは止めよ~と思っとったのねんが、読者の方から「旧暦の可能性」を指摘されたもんでの・・今回、またしつこくも書いたのねん。


 それに、最近は史上最高の「気温」に日本中が沸き立ってしまって・・熊谷、多治見は41度!、熱中症での・・倒れる方が非常に多いっちゅうニュースがバンバン流れとるし、ようやくその「熱」にも陰りが見えてきたところで、

「台風」

のニュースがの・・関東近辺直撃コースで報じられとるのねん。東北方面にも向かうかもしらんと・・ね。

 っちゅうことはねん・・、やっぱりまだ・・

「災厄の期間は終わっとらんのかもしらん・・」

と・・も思うのねん。


 初動の遅れた豪雨の被害救援、インフラさえまだまだ通常に戻るのには時間が掛かりそうだし、現在じゃぁ確かに自衛隊の方々も3万人以上、頑張ってくれとる・・。ボランティアの方々もしかり・・本当にがんばってくれとる・・自然に頭が下がるのねん・・。


 でものお・・そもそもボランティア頼みっちゅうのもちとおかしな話しなのねんよ。政府はもっと・・たとえ被害が広域だとしても、もっと予算とマンパワーを集中させるべきだと・・思うのねんな~・・。宴会やっとる場合と違うのねん・・。


 さらに言ってもうたら・・ね・・。

「害が及んだ時の対応がまるで出来んのに、やりはじめてしまう!」

っちゅうことが言えるのねん。


 ま、原発もそ~・・。散々、「安全だ!」と言っておきながらの・・日本人は子々孫々の代にまで残る大きな災厄を抱え込まされたのねん。

「今だに原子力被害への対応などできてはおらん」

のは確かじゃろ?暴走してもうたら、誰にもど~にもできんのんにの・・。懲りずにまた稼働させとるのんはど~ゆ~ことなのかの・・。利用するなら廃棄物処理と原子力のコントロールが人為的に完全に出来ることが求められるはずじゃろ?・・台風の被害が東北に及んだら・・一体ど~するつもりなのねん・・。

 だいたい、お国は国民を守ってはくれんよ・・この国は・・残念ながら・・の。北朝鮮に拉致された人々も長年そのまんま・・じゃったしのお・・。今でもまだ多くの人が拉致されたまんまで、官僚さんも政治家さんも何の手も打たず、ただ国としての取引材料に確保しとるだけじゃ。だから、

「自分たちの身は自分で守らにゃいかん!」

のねん。


 今回の豪雨被害もの・・起きてしまうことは、人間が造った発電所とはちゃうのねんから、叡智を持っての・・自然に対応すべき問題と思うのねんが、

「大雨が長く降ると判っていながら・・対策とその後の対応ができとらん・・」

と思うのねん。

 救出についてだっての・・どこぞのお方がなんと、緊急を要するタイミングで友人の水上バイクを借りて100人以上も・・救出したっちゅうのねんから・・の。

 警視庁も機動隊水難救助隊の水上オートバイ部隊があるそうなのねんし、他の地域にもの・・愛好者といっしょに救助に向かう日本青バイ隊なる組織もあるそ~なのねん。7日の夜とか8日の朝とか・・何とか救助に行けんかったのかの・・。何しろ、広域にわたる被害に右往左往・・CPUが無い状況じゃぁ・・何も動かんじゃろ・・。だから現場の人間が自身の判断と責任で決死の行動を起こさにゃならんかったのねん。

「・・何やっとんねん・・政府首脳は!」

「(・・いんや、何もやっとらんかったのねん)」

っちゅうこっちゃねん。


 もし、堤防が切れたり・・いや、今回の豪雨でもあったよ~に、ダムが緊急放流をしたり・・などの緊急時に、

「放流することを通知して放流して終わり!」

にせんで、

「放流して被害に遭うことを想定されるなら、同時に直前直後の救助についても考慮対応すべき!」

じゃぁおへんのかの・・。


「ダムが決壊したらそんなものでは済まないから、緊急通報して緊急放流した」

っちゅうペーパーに書いてある通りの対応で済ます・・っちゅうお役人的な考え方・・想像力の無さ・・感じようとしない惰性の生き方が、人の命をないがしろにしとる・・とは感じられんかの・・。

「放流するのは・・仕方が無い・・かもしれん・・でも少なくともその後の対応が酷い。何も考え取らん。」

のねん。


「その放流で人が命を落とす・・とは考えられんかったのかの?」
「・・判っとったはず・・」
「ならばど~して放流後の次の手を打っておかんかったのかの?」

 一気に大量に放流したら、川が氾濫し、人々や家屋が水に流されるのは予見できておったはずなのねん。

「その後の対応は・・考えて無い」

のねん。っちゅうことは、人の命が無くなったとしても仕方が無いと思っておったっちゅうこっちゃねんで。未必の故意やろ?それこそ、先に救助隊を用意してからの・・それから放流とは・・行かんのんかの?増える水量を黙って見て居っても仕方無かろう?

 ダムが有るから大丈夫・・と一般市民国民は誰もが考えてしまうやろ?・・お偉いさんたちが安全だと言っとるからの・・。

 絶対安全!・・発電所神話を作ったのは・・誰じゃろの?・・誰が何を言おうが、

「どんな地震や津波が来ても大丈夫!」

と豪語しとったじゃろ?・・お偉い学者さんをズラリと揃えての・・。万全だとの・・だから、

「感じようとすることが出来ない人々はそのまんま信じてしまう。」

のねんよ。それがお国にとっちゃぁ、ひじょ~に都合の良いことなのねん。


「・・誰も責任、取らんくせにの~」


 今さら言っても、多くの命は返っては来んけんど、大雨が長い期間、降り続くと判っておったのやから、その対応も考えておかんと・・いかんと・・思うのねん。特に自治体のお方々は、地元をよ~く観察しとらにゃいかん。

 わてらもの、自治体、政府、学者さんを頼りにせず、自身で感じて自身で動かにゃならんのねん。

「この国は国民を守ってはくれん!」

のやからの・・。首相とお友達にならんと守ってくれんのでっしゃろな~。


 今は前以て情報を得られる世の中になったのねんから、

「危険が近付いてる・・」

と感じる心と、

「危ないと思ったらさっさと逃げる!」

みたいな決断力、行動力を忘れて欲しく無いのねんな・・。


 もちろん、普段から色々と考えておらんといかんよ。さらにはその前に、色々と感じられるようにしておかにゃ・・いかん。

「・・あ、今日はいつもより空が青くみえるな~・・」

 最初はそんなんで良いのねん。感じようとしとれば段々判ってくるようになるのねん。誰か任せのまんま、何も感じよ~とせず、ただ息をしとるだけじゃぁの・・誰に何をされても、自然が突然牙を剥いても、何の対応もできんのねんよ。


 で、危険だと判断したら、前以てね・・こ~ゆ~場合はあそこに避難しよ~・・と考えちょったところに安全なルートで移動するのねん。

 安全なルートもね・・状況で変わるのねんから、普段から観察したりしとっての。

 それに、単に避難・・じゃなくても良いのねん・・親戚の家に遊びに行くんでもの・・良いのねんよ。だけんど隣の親戚の家に行くんだったら本当に安全かど~かを・・の。ちゃんと感じなきゃいかん。行先で災厄に遭ってもうたら何にもならんしの。


 まだまだ・・終わりではないかもしらん。ただし追加のヴィジョンは今のところ無い・・のねん。何か判ったらブログにアップするのんで、

「水->土->熱->水・・」

この連鎖から是非、安全に逃れて欲しいのねん。無事を祈っとる・・。んじゃまたのお・・。



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まだ警戒を解いてはいかんよ・・






 西日本豪雨で被害に遭われた方にお見舞い申し上げます。まだ見つからない人も多く、一刻も早い発見を祈ってます。

 本当に大変だの・・。残念でならないの・・。もう少しの・・ハッキリと言えておったらの・・少しは役に立てたかもしれんと思っとるのねん・・。ファシレにしても、自身のヴィジョンと、その意味の解析がしっかり出来ておらんかったもんでの・・。すまんの・・。

 何より、ヴィジョンが有った、見えたとしても、またその能力が少しは有ると自覚が有ったとしても、自信が無いのねんな・・。思いっきり外れたらどうしようとか、思ってしまうのねんよ。・・いや、そんな低レベルな予測や予言は外れて良いのだけんども、ただ世間を騒がせただけっちゅうことになってしまうとの・・ハッキリ言うのは中々難しかったのねん。

 それでも・・いや、これはもうすでに書いたけんどもねん・・昨年のブログから2018年の7~8月はヤバイよ・・何か起きるよ・・とね・・書いておったのねん・・。

 いや・・でもね・・自分のブログをもう一回戻って良く見てみるとねん・・

「昨年から書いてた・・と言うのは嘘!」

だったのねん。


 実際には2018年になってから書いた・・だったのねんな~。・・嘘書いて・・すまんかったの・・。


 ま、言い訳をさせてもらえばの・・調べたとこ、昨年はボツ記事が幾つか有っての・・その記事の中に書いておったのねんで、公開はされとらんかったのねんよ。今のファシレの意識の中だと書いたつもりやってんな・・やっぱり・・

「・・そんなことは書いたらあかん・・」

っちゅう気持ちがどこかに有ったのでっしゃろな・・。良く覚えて居らんばってん、そ~ゆ~こつかな~と。


 それでもねん・・今年になってからも、「少なくとも警告はせんといかん・・」っちゅう~よ~な気持ちが生まれて来たのでっしゃろな・・。余りハッキリは書かんかったけんども、徐々にの・・その危険な日付だけは直前のブログに入れたのねん。「きっとこれで通じる人には判るはず」っちゅうような気持ちだったのねんな~。それが 2018年7月3日の21時44分 に仕上げた記事、「天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊」なのねん。


 ファシレのおじさん的にはの、この時点では何が起こるかは判ってはおらんのねん。・・いや、想像はちゃんとしとるよ。水害が起きそうだとねん・・ただヴィジョンの分析がしきれとらん・・ちゅうこっちゃねん。何せ1年以上前に見たヴィジョンだからの・・。カラー写真を上空から見ているかのような、かなりハッキリしたヴィジョンだったのねん。見てて「そんなんじゃ何も判らんじゃろ!」と文句を付けたらそこに数字が浮かんで来たっちゅう訳なのねんな・・。

 で、あれこれと見えたヴィジョンをファシレなりに解析してね・・爆発では無さそうだと・・じゃぁ・・何なんだと・・過去なのか、近未来なのか、すごい先のことなのかなどなど・・。その上で、昨年の8月7日に何も無かったことで2018年の7月7日がビンゴなのだろうとね・・。そ~ゆ~ことだったのねん。だから、家族には言っとったよ。ハッキリとねん。

「(・・コイツ・・何言っとる・・また頭、いかれたのとちゃう?)」

と思っとったに違い無いのねん。・・ま、時折、訳判らんことを言い出しちゃぁ・・でも当たらなくも無いもんでの・・ただ、UFOと長時間にらめっこしたとか、明るかった星がいきなり「ぼわっ~~!」と燃え始めて流れてったとか、有りそうも無いことばかり聞かされとるもんで、

「(・・どうせいつものマボロシに違いないからスルーしとこ・・)」

と思っとったのでっしゃろな・・。それで結局、らしいことが起きてもうたもんでの・・文句も何も言わんかったのんと思うのねん。何も起きんかったら今頃、散々無茶苦茶言われとるでっしゃろな・・。


 でもじゃぁ、それでヴィジョンの意味がねん・・全て合っていたのか?・・と問われればの・・

「・・判らん・・」

としか言いようが無いのねんよ。まだこの先が有るかもしれんしの・・。だから、まだ警戒を解いてはいかんのねんよ。それに、まだまだ一生懸命に戦ってる方々が多くいらっしゃるのねんしね・・。


 ファシレ的には、あれからこの続きと言えるような明快なヴィジョンは無いのねん。無理してヴィジョンを見ようと思えば、何かしらは見えることも有るのねんけんど、ほとんどの場合は「ぐちゃぐちゃ」だったり、瞬間的な凄く眩い光だけだったり、グルグル回転してたりで、まるっきり意味を取ることが出来んもので、ヴィジョンなどと言えるもんでは無くなってしまうしの・・それに体調にもよってるかもしれんしの・・。

 それに、大阪の地震は全く検知しとらんかったしの・・。ど~ゆ~理由で見えたり見えなかったりするのか、良く判らんのよねん。


 昔・・ブログを書き始めた頃はねん・・脳トレとか、記事を書いておったのねん。これはねん・・ちゃんとやるとある程度は効果も有るしねん・・ファシレのおじさんも、それまでは余り理解出来ないようなヴィジョンばかりだったものが、少しずつだと思うけんども、よりハッキリしたものになったのんは事実だと思うのねん。

 だけんどもね・・結果的には人には余り勧められんかと思うし、何よりも、眉間がね・・酷いことになるのねんで、辛くも有るのねんよ。それでも良いと思う人にはねん・・自己責任でど~ぞ・・っちゅうことで記事は残してあるのねん。・・ん?・・股間じゃぁおへんの!眉間だっちゅ~の!

 もっと違うアプローチは無いもんかの~・・などと思うけんども、中々のぉ・・ムズイのねん。発表できるようなレベルのものなんぞは無いのねんな~・・・。


 ただし・・これもまた、未定だからの・・。たった一つの出来事で変わってしまうかもしれんのねんで、ファシレもいつかその気持ちを変えるかもしらん。


 安穏にの・・暮らしたいの~・・それが一番じゃて。別に金持ちじゃなくても良いじゃろ~て・・・。余裕が余り無くてもの・・ちゃんと食べて行けりゃ有難いこっちゃねん。その上で大事な人を守れるよ~に、自分のスキルを高められりゃの・・言うことは無いと思うのねんな~。相手にゃかなり煙たがられると思うけんどもの~。

 だからやっぱり、感じようとして欲しいのねん。ちょっとしたことで変われるのねんから。「誰かがSOS出しとるかもしれん」と思っとるのと、見て見ぬフリをするのは全く違うのねんでの・・いや、ファシレ自身も耳が痛いけんどもの~。じゃ、頼むの~!まだ「8」の意味が別の意味を兼ねてるかもしらんのんで、警戒を解いてはいかんよ。・・次回は倭の時代に戻るのねんでの・・。
 

西日本の記録的豪雨と、感じようとすること






 未曽有の大水害に合われた方に哀悼の意を表します。この2018年7月の大災害はまた多くの魂を旅立たせてしまったね。気付く間も無く、別れの挨拶も言えず、ただ茫然とされていると思います。辛いよね。

「自分のところは大丈夫!・・だって長いこと何も起きなかったしね・・。」

 人間、同じ場所に長く住んでいるといつの間にか変な自信が生まれてしまうのねんな~・・。

「この間の大雨の被害にも合わなかったし・・」
「・・ん?水害?・・大丈夫っしょ・・」

とは考えなかったにせよ、

「少し行った裏は山、目の前は河、また少し行けば海」

っちゅうようなロケーションに住んでいると、自然は満喫できるしね・・食べ物は美味いし人も良い・・けんど、普段から自然を相手にしとるっちゅうことが普通になり過ぎてしまってね。慢心してしまうのねんな・・。


「あれだけニュースで何度も早めに避難してくださいと流されていたのに・・」

っちゅう気持ちも有るのねん。1000mmを超えるような大雨でっせ?・・子供や腰の曲がってもうたお年寄りは首まで浸かるわ・・1000mmって、1メートルぞ?・・そりゃぁさっさととっとと逃げにゃぁあかんやろ?・・そんなもん、ふつ~、小学校低学年でも判るわ。・・でも「・・うちは大丈夫・・」とか、「・・関係ないわ・・」と思ってしまうのか、結局重要な情報ですら・・スルーしてしまうのねんな・・。


「でも、どこに逃げろっちゅうのよ!」

っちゅうのんも有るわなぁ・・。これだけ広域で大被害が出るような災害だと、逃げる場所選びも大変なのねん・・。

「・・グアム島旅行でも・・行くか・・」

っちゅうような気には、中々ならんのねんな・・。本来、

「大丈夫・・ここは」

と思っとるのねんから・・。特にお年寄りは、

「何か起きてももう・・わしゃ・・どうでも良いんじゃ・・」

と思いがちなのねんが、その・・

「危険を察知しようとする気持ちを捨ててしまった意固地な念」

がね・・・結果的にゃ大切な家族や親族を巻き込んでしまうことになるのねん・・。


 そもそもはね・・2017年の前半っちゅうか・・いや2~3月頃だったかの・・・。ま、ファシレのおじさんも時折、訳の判らんヘンテコなヴィジョンを見るのねん。これまた非常~に・・中途半端なヴィジョンをね・・。明晰夢っちゅうのんかの・・?ま、その意味は知らんけんど・・。少なくとも「夢」じゃ無いのねん・・。「ぶわっ」とスクリーンが拡がって・・見えてくるのねん。

 なのねんが、その中途半端なヴィジョンは余りにリアリティが有って、ほぼオールカラーのようで、しかしかなり遠くから部分をフォーカスして見ているような感じ・・普段はそのまんますぐ消えてしまうのねん。音なんぞは全くせんよ。

 いつものように始まってね・・消えていきそうなのねんで、ついつい・・

「・・だからぁ・・それって一体どこ?・・いつのことなのねん!!過去なのか未来なのかも判らんやろ!」

と怒鳴ったのねんよ。


 したらばね・・何も聞こえはせんのんは一緒なのねんが、何故かそのヴィジョンの真ん中上辺りに数字が浮かんできたのねん。大きく・・

7

の数字が浮かんで来たのねん。これは今でもハッキリ・・覚えとる。

「・・はぁ?・・7って・・なんぞ?」

 と思った次の瞬間、その「7」の数字の右側に7よりも小さく・・

8

が浮かんで来たのねん・・。


「・・ど・・ど~ゆ~意味なのねん?・・」

と思っておったら・・良く見てみると・・7の大きな文字はダブっていて、大きな7の文字の裏に、同じ大きさで薄く「7」と書いてあるように見えるのねんよ・・。


「・・一体・・何なのねん!!」


 そうこうしとるうちにね・・それらは綺麗さっぱり・・消えてもうたのねん。


 そ~ゆ~時はね・・寝とる訳じゃぁ無くって、頭は冴えきってて起きとる状態に近いから、すぐに起き上がってど~ゆ~ことなのか、考えてみたのねん。


「見た感じは日本のどこか・・やろ?風景的には最近かの?・・ほとんど何も見えんよ~に・・何も無いよ~になっとったわ。平地だったよな?・・爆発か?・・それにしちゃ残骸が見えん。7って何だ?・・それに8って?・・今年は2017年だから2017年8月か?・・いや、7月8日?・・いや、7はダブって見えたよの?・・ど~ゆ~こっちゃねん!?」

 それからはね・・ファシレのおじさんも半信半疑で、ビビりながら2017年7月8日を迎え、結局さして何も起こらず、さらにビビッて8月7日を迎えたのねんが・・さして何も起こらず・・でもね・・気にならなくなった訳じゃぁ無くてね・・

 2017年の9月頃だったかの・・例のごとく、バカボン一家の山田さんが、

「xxxxがxxxされてど~にもならんのんで、何とかしてくれ~!」

と泣きついていらっしゃっての・・

「・・お~・・ヨチヨチ・・何とかしちゃろ~もん・・」

と、どこぞのファミレスかなんかでアレコレしとった時じゃった。ファシレも気になってたそのヴィジョンをね・・山田さんに言ってみたのねんよ。


「ファシレはね・・今年(2017年)の7月、もしくは8月に大災害が起きるのかと思っておったのねんけんど起きんかったのねん。これって、来年(2018年)の7月か、7月7日、もしくは7月8日・・・裏読みで8月7日っちゅうことかの~?」

とね。

 したらば彼は、何とビックリ、

「来年の7月・・ヤバいよね・・俺もそう感じる・・」

とあっさり言ってもうたのねん。ま、どんな根拠があるのかは知らんし聞かんかったけんどもね。何が起きるかもね・・ヴィジョンの細かな内容は言っとらせんしね・・。

 でね・・こうも聞いてみたのねん。


「・・いや、東北大震災の前はもう・・大変なことが起きるっちゅうのんで、自身の危険を知らせるカラータイマーがビッカビッカ光りまくり、警報が鳴りまくりだったのねんが、今回はそんなデンジャラス警報が無いのねんよ・・」

 したら・・

「大震災の時は集合意識が働いたから・・」

ちゅうことなのねんな・・。中途半端なヴィジョンしか見えんファシレのおじさんにゃぁ良く判らんかったけんどもね・・。


「(・・っちゅうことはやっぱ、来年の7月7日~8日、もしくは8月7日か?)」

っちゅうような自身の、余り自信のない結論が有ったのねん。・・ま~・・ヴィジョンについても、その内容自体も公表しとらんかったからの・・。そんなもん、後付けじゃろ?って言われてもね、仕方なかろ~とは判っとるのねん。


 でもそんなもんでね・・昨年以降のブログからね、時折、ちと意味深な警告を出しておったのねん。

「来年の7~8月、ヤバイよ・・」

とね。そして今年になってからも時折、

「7月からは注意せないかんよ」

とね、書いておったのねんな~。


 とは言え、何せ、

「ほぼ、ほぼほぼ誰も見とらんしょうも無いブログ」

なもんでね。見たからって、信じてもらえるよ~なものでもなかろ~しね。まして、ファシレのおじさん本人が全く自信の無い予言のようなものなもんで、

「・・何判ったよ~なことばかり書いとる!」

と、思われたのでっしゃろの~。


 でも、もしかしたら・・このブログ(P.S.7月3日の記事)を見て、

「・・あ、7月?・・危ないのは七夕の日と次の8日なの?」

と、ピンと来た方が、機転を利かせてね・・助かってくれてた、誰かを救ってくれてたとしたらば・・嬉しいのねんけんどもね・・。


 で、さっきね・・って夜中っちゅうか、8日の朝方っちゅうか、バカボンの山田さんに連絡とったのねんよ。その内容はね・・。


「去年言ってたっしょ?今年の7月の危機・・。やはりガセネタじゃ無かったのぉ。でも、これで終わりかどうかが判らんよの?」

と・・ね。


 したらばね・・朝方にこう、却って来とったのねん。


「来るっす。終わらない。」



「・・どっひゃ~!・・」


 ま、幸いね・・ファシレのおじさんも、これについての新しいヴィジョンは・・まだ無いのねん。・・いや、ファシレのおじさんの能力は、基本的に自己保存に関わる危険察知+αみたいなもんに過ぎんし、自身でも全く信用ならんしね。

 でもね・・先日のブログを見た方はお判りかもしらんけんど・・ちゃんと予告しとったのねんな~。

「関東近辺だけが雨が降らんのんは、何かを暗示しとらんかの?」


「大雨でズブズブになったところで地震なんぞ起きたら適わん!」



 そしたらの・・7月7日、夜8時23分頃になったらの・・本当に久々にファシレのスマートフォンの地震警報がの・・大音響で鳴り始め、ま~・・ビックリしても~たのねん。

「・・マジで・・来たかぁ~~!」

とね。


 も~・・思わず外に出てもうたわ・・ビビリやの~・・千葉で震度5弱、ファシレのおじさんの近辺はさして揺れんかったわ~。・・・ま、よろしおす。



 しかしね・・いつ発動するか判らんファシレのおじさんの不透明無音響ヴィジョンなんぞ、全くアテには出来んからの、ここはバカボン一家、山田さんの言葉も・・抽象的だから・・・「いつなのか」が判らんばってん、少なくとも・・

「取り合えず2018年8月末までは気をつけよう!危ないと感じたら早々にどこか適当な所に移動すべし!」

っちゅうことかの~・・。


 やっぱ、「感じること」「感じようとすること」が大事だと思うのねんな~。それにゃぁ、仮にファシレのおじさんを信用しとったとしても、自分自身で感じようとせんといかん・・っちゅうこっちゃねん。誰の性でも無いことは、自分の代わりにぁ誰も感じてくれんのじゃけの・・。特に自然を相手にした時、その肌感覚っちゅうか、空中感覚っちゅうかの・・、感じようとするのねん。そしてそれを許容し、昇華させ、行動に移すっちゅうことかの・・。

 大事な人たちを何とか守ってくんしゃい。・・そんなこたぁ言われなくとも判っとるよの・・。幸運を祈っとるのねん。

「まだ始まったばかりかもしれんのんでの!」

 ・・ヴィジョンの最新版は無いかもしれんのんで期待せんで待っとっての・・。ほんじゃまたの。


天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊






 残念なことにワールドカップはま~・・絵にかいたような逆転負けだったねんな~。ここぞと言う時の走り負けっちゅう感じはしたがの~。でも良い夢見せてくれたけん、感謝しとるよ~。

 それよりも日本は関東近辺以外はほぼ水浸し状態やけんね。日照りの関東近辺もそのうち雨は降るのでっしゃろけんど、何かを暗示してるような気もせんかの~。

 それにこれだけ水浸しのところに地震なんぞ来たら叶わんしの~。今月来月は注意して欲しいのねん・・って、いきなりやってくるもんには対処のしよ~も無いがの~。七夕・・翌日・・なんぞかの~・・。判らんの~・・。


 スサノオの真実っちゅう題で前回は書かせてもろたのねんけんど、実は・・突っ込みどころの穴を幾つか残して書いたつもりだったのねんが、やはりと言うか何ちゅうか本中華・・、見事に誰にもツッコまれへんかったのねんで、こりゃぁ・・やっぱ、自分でノリツッコミせにゃならんかなぁ・・と思っとるところなのねん。

 が、余りに早いノリツッコミを入れたんじゃぁ、誰もツッコム暇も無いかもしれんで、とりあえず先に向かうかの~・・と思っとるのねん。ちゃぶ台返しはその後になるかの~・・。


 出雲の口伝によればね・・。徐福さんが紀元前219年頃にいらしてね、ま~・・色々有ったにせよ当初は仲良くしとったのねんが、王の大名持(おおなもち)さんと副王の少名彦(すくなひこ)さんを誘拐して穴に閉じ込め殺した・・ちゅうのねんな~。ま・・少なくとも2人を殺したのんは事実でっしゃろな~。

 でもね・・。徐福さんは列島にいらして、なんと名乗られたのでっしゃろな~。

「わたしの名は徐福(じょふく)。」

と名乗ったのでっしゃろか・・


 でも斉の人で秦に仕えておったのでっしゃろ?・・したらば少なくとも中国、大陸の言葉でっしゃろな~。わざわざ日本語に置き換えてくれる訳が無いでっしゃろ~?


「我 叫 徐 福」

 みたいにね・・私は徐福と言います・・を今の中国語で言うと

「Wǒ jiào xú fú」

「うぉ じゃお す~ ふ~」

でっしゃろかの~・・。・・いんや、ファシレのおじさんは中国語は詳しくないもんで、どこか違ってるかもしれん。許してたもれ・・


ピンイン: xú (xu2)
ウェード式: hsü2
広東語
イェール式: cheui4


ピンイン: fú (fu2), fù (fu4)
ウェード式: fu2, fu4
広東語
イェール式: fuk1


 でもね・・本名は徐帀さんだから、

「Wǒ jiào xú zā」

「うぉ じゃお す~ ざー」

なのねんで、「徐帀」と何かに漢字を書いてね・・「す~ざー」と発音したのかもしれんね~。口伝じゃ何もそんなことは言っとりゃせんけんどもね。

 だとすりゃぁ・・徐福さんを「すざ」「すさ」と呼んでもおかしくは無い・・っちゅうことになるのねんな・・。


 でもね・・出雲の人たちはどうやって徐福さんを徐福だと認識したのかの~・・。普通だったら「すざ」さんだろ~にの~。やっぱり何かに書いて見せてもろて、

「スザさんはジョフク言うねんな~!」

となったのかの~?・・不思議やの~・・。


 でね・・最初に出雲に入ったのんは徐福さんじゃぁ無いと言うのねんよ。部下の「ホヒ」さんだっちゅうのねん。記紀だとね・・

 アメノホヒ

 は、日本神話に登場する男神。天之菩卑能命、天穂日命、天菩比神などと書かれる。

 天照大神とスサノオが誓約をしたときに生まれた五男三女神の一柱。天照大神の右のみずらに巻いた勾玉から成った。物実(ものざね:物事のタネとなるもの)の持ち主である天照大神の第二子とされ、アメノオシホミミの弟神にあたる。葦原中国平定のために出雲の大国主神の元に遣わされたが、大国主神を説得するうちに心服して地上に住み着き、3年間高天原に戻らなかった。その後、出雲にイザナミを祭る神魂神社(島根県松江市)を建て、子の建比良鳥命は出雲国造らの祖神となったとされる。

 任務を遂行しなかったというのは『古事記』や『日本書紀』による記述だが、『出雲国造神賀詞』では異なる記述になっている。これによれば、アメノホヒは地上の悪神を鎮めるために地上に遣わされ、地上の様子を天照大神にきちんと報告し、子のアメノヒナドリおよび剣の神フツヌシとともに地上を平定した、としている。すなわち、こちらでは地上を平定した偉大な神とされているが、『出雲国造神賀詞』はアメノホヒの子孫である出雲国造が書いたものであるので、そこは割り引かなければならないかもしれない。

 名前の「ホヒ」を「穂霊」の意味として稲穂の神とする説と、「火日」の意味として太陽神とする説がある。

 農業神、稲穂の神、養蚕の神、木綿の神、産業の神などとして信仰されており、能義神社(島根県安来市。出雲四大神である野城大神と呼ばれる)などの旧出雲国内だけでなく、天穂日命神社(鳥取県鳥取市福井)、鷲宮神社(埼玉県久喜市鷲宮)、桐生天満宮(群馬県桐生市)、芦屋神社(兵庫県芦屋市)、馬見岡綿向神社(滋賀県蒲生郡日野町)など全国で祀られている。六甲山山頂、六甲山カンツリーハウス敷地内にアメノホヒ=天穂日命の磐座がある。
by WIKI


 この天穂日命(アメノホヒのミコト)さんがね・・まんず出雲に入って出雲に同化、そこに徐福さんが入って出雲王の娘さんを嫁さんにしてね・・その後に前述の大名持、少名彦惨殺事件が起きたっちゅうのねん。

 でねでね・・そのホヒさんなのねんが、徐福さんの忠実な部下さんでね・・出雲に馴染んで手引きしたっちゅうのねん。それが皇室との結婚で話題になった出雲国造家のご先祖さんだっちゅうのねんな~。

 そして出雲の大王との婚姻で血を得て、列島を支配するようになったのが海部氏(あまべし)、尾張氏(おわりし)、物部氏(もののべし)だっちゅう訳でんな~・・ま、だいぶ話しを端折っとるけんどもね~。


 この、たった2千年ちょっとの時間の流れの中でね・・この日本において、天皇家の他にある程度確かな系図を残しておるのんが海部氏の『籠名神社祝部氏係図』(本系図)と『籠名神宮祝部丹波国造海部直等氏之本記』(勘注系図)なのねんな~。日本の氏族の古系図は天武天皇さんの皇后だった持統天皇さんの時代に集められて焼かれたもんでね・・ほぼ残っとらんのねんよ。残念なこっちゃの~。

 で、海部氏も尾張氏も物部氏もね・・天皇家の親戚だっちゅう訳でね・・この出雲王朝の血を分け入れた徐福さんの子孫たちだっちゅうのねんな~。・・ま、凄い話しだよね~・・。

 でもね・・この海部氏の系図にはね・・詳しくは「海部氏系図」でググってもらえば判るけん、やってみて欲しいのねんけんども、始祖さんのお名前がしっかり書いてあるのねんよ~。それがね・・

「火明命」(ほあかりのみこと)

でんな~。系図にはね・・


「始祖彦火明命」(しそひこほあかりのみこと)

と書いてあるのねん。


 同族と言われる「尾張氏」の系図・・こちらは一般的には信頼度が落ちるっちゅうことやけんども先代旧事本記巻5の天孫本記にもね・・同じように書いてあるのねんが、こちらは

「天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊」

(あまてるくにてるひこあめのほあかりくしたまにぎはやひのみこと)

とされとるのねんな~。ちょっと・・長過ぎるお名前なのねん・・失礼やけんど・・。


 ま、少なくともね・・彦天火明(ひこあめのほあかり)は全く同じ・・ま、同族だっちゅうのねんから当然かもしらんけんどもね・・。


 でもね・・中国の人であった徐福さんがいらして始まったのでっしゃろ?それに出雲の口伝だと徐福さんの列島での(最初の)名乗りが彦天火明(ひこあめのほあかり)さんだっちゅうのねんよ。

 徐福(じょふく)だと「す~ふー」、徐帀さんだと「す~ざー」なもんで、都合悪いっちゅうことなのかもしらんが、「天火明」(あめのほあかり)と名乗ったっちゅうことなのねん。


「・・ホントか~?」


 ま、ファシレのおじさんは性格がひねくれとるもんでね・・記紀に言わせりゃ「長脛彦(ながすねひこ)」さんだしょうな・・。

「性格がひねくれていたのでニギハヤヒのミコトはナガスネヒコを切って神武天皇に帰順した」

っちゅう訳やからね・・ま、出雲の口伝によると「長脛彦(ながすねひこ)」さんは「大彦(おおひこ)」さんなのねんがね~・・ま、よろしおす・・。ひねくれついでに・・中国語講座、行ってみよ!



ローマ字表記
普通話
ピンイン: huǒ (huo3)
ウェード式: huo3
注音符号: ㄏㄨㄛˇ
広東語
イェール式: fo2
閩南語
POJ: hé, hóe, hó·ⁿ

客家語
白話字: fó
上海語
ピンイン: hu2
IPA: /hu˧˧˧˦/
中古音: xwaX
上古音: *qʷʰˁəjʔ {*[qʷʰ]ˁəjʔ}



ローマ字表記
標準中国語
ピンイン: míng (ming2)
ウェード式: ming2
広東語
イェール式: ming4
閩南語
POJ: bêng, bîn, mê

客家語
白話字: mìn, màng
閩東語
平話字: mìng
呉語
ピンイン: min1, men1
中古音: mjæng
上古音: *mraŋ

 この、青い字を見ていただくと判りやすいと思うのねんが、 前にも言った通り、閩南語(びんなんご)っちゅうのんは福建語(ふっけんご)とも言われててね・・福建省でんな。福建省ちゅうのんは判りやすく言うと「台湾の対岸」辺り・・。この辺りの訛りなのねん。

 この 閩南語(びんなんご) で 「火明」を読んでみるとね・・何と・・

火 hé, hóe, hó·ⁿ(へ~、ホエ~、ホ~

明 bêng, bîn, mê (ベン、ビン、メ~)


 げげっ!・・やっちまったか~?・・

火明命は・・ 「ホ~ビン」 → 「ほび」→「穂日」→「天穂日命」


 ・・マジすか?・・いいのか・・これで・・わしゃ知らん・・ただ中国語の読みを書いてみただけじゃぁ・・・・・


 いちお~ついでに・・ホヒさんの日本の充て漢字でもやってみよ~かの・・

天之菩卑能命、天穂日命、天菩比



ピンイン: suì (sui4)
ウェード式: sui4

*

ピンイン: pú (pu2)
ウェード式: p'u2
広東語
イェール式: pou4



ピンイン: rì (ri4)
ウェード式: jih4
注音符号: ㄖˋ
広東語
Jyutping: jat6
イェール式: yat6
閩南語
POJ: ji̍t
客家語
白話字: ngit
呉語
ピンイン: zeh4, nyih4
中古音: nyit
上古音: *C.nit {*C.ni[t]}

*

ピンイン: bǐ (bi3), bì (bi4), pí (pi2), pǐ (pi3)
ウェード式: pi3, pi4, p'i2, p'i3
広東語
イェール式: bei2
閩南語
POJ: pí, phí
客家語
白話字:



ピンイン: bēi (bei1)
ウェード式: pei1
広東語
イェール式: bei1
閩南語
POJ: pi
客家語
白話字:
呉語
ピンイン: pe1
中古音: pjie
上古音: *pe

 判るよねん?古代日本語は清音だから破裂音の「P」子音と母音で「パ、ピ、プ、ペ、ポ」と発音することは無いのんで、通常は聞いたそばから頭の中で変換されてもうてね、「パ、ピ、プ、ペ、ポ」と相手が発音したとしても「ハ~ヒフ~ヘホ~♪」になってしまうのねん・・。・・バイキンマンでんな~・・。

 それにね、厳密に言うと各地方でかなりイントネーションが違うから、実際には日本語にも似た様な感じで存在しとるのかもしらんけんど、日本語の発音には基本無いもんでね・・中国語特有の四声(1とか2とか・・字の上の ^ とか ` ね)は無視しとるばってん、中国語でも日本の充て漢字でも、読み(四声抜きの発音)は火明=菩卑、穂日、菩比 だったのねん・・。古事記は天之菩卑命、日本書紀は天穂日命・・日本書紀の充て字にぁ、かなりハッキリした意図が感じられるのぉ・・気付かれんよ~にしたのでっしゃろな~。でも今は天穂日命の方が一般的っちゅうことを考えると、日本書紀の狙い通りっちゅう訳でんな~。唐に対する「言い訳の書」である「紀」にゃぁ、

「中国語で読まれちゃバレバレだ~!」

っちゅうことが判っとったのねんな~。さすがだの~・・不比等ちゃんは~!


 出雲の口伝じゃ、アメノホヒさんは徐福さんの忠実な部下だったはず・・。だから海部氏も尾張氏も、天火明饒速日さんが始祖ってことだったはず・・出雲の口伝を信じるならね・・だいぶ違うよねん・・。

 記紀は・・「天照大神とスサノオが誓約をしたときに生まれた五男三女神の一柱」と書いとるのねん・・が、


「アメノホアカリとアメノホヒの中国語の発音は、日本人にとっては全く同じ!!」
「日本書紀の充て漢字は意図的に中国人には判らないようにしてあった!!」


少なくともそ~なっちゃうのねんな~・・。


 さぁ・・どうしたもんかの~?


 またそのうち続きを書くのねん・・

スサノオの真実






 2018/06/27 書き忘れてたもんで、また加筆しました~・・すまんの・・

 大阪北部の地震で被害に遭われた方には心よりお見舞い申し上げます。大変だったね。辛いよな。いきなり何も判らないまま、愛する人たちにお別れも言えずにね・・

 驕りだよね、人間の。あんなブロック塀は凶器にしか見えん。大人はあれで安全だとか、問題が無いと、誰かに言ってもらってお墨付きを得て責任を取った気になっとる。

 まともな心と頭脳を持ってるのなら少し見て考えりゃ、どんなに危険な存在なのかは誰にでも判るはず。悔やんでも悔やみきれない。ただこんなことを言って申し訳ない気もするが、まだこれで収束・・と言うことは言えない。


 それにね、5歳の女の子が親のDVで衰弱死した事件もね・・ファシレも子供の頃を思い出した・・他人事じゃぁ無いけんね~。彼女はとても綺麗な愛の溢れる魂の持ち主だったんだね。

「子供は親の所有物じゃない!」

「道を踏み外さないようにレールを敷いて陰でそっと見守り応援するのが親。でもそのレールを外れたからと言って酷い罰を与えるなど極悪非道の魂のなせる業。」

 ・・遭いたかったよ。


 人は欲に溺れるのねんな。色んな欲が有るけん・・でも、生き死にに関してくるともう、他人だと認識した相手に対しては、酷いことを平気でしてしまうのねん。特に「戦争」は・・。


 斉の王だった田帀(でんふつ)さんもそうだったんでっしゃろな・・。現代の日本じゃ徐福(じょふく、じょふつ)さん・・・正確には徐帀(じょふつ)さんと言うらしいけんどもね。その辺は、

えっ!?・・徐福さんは何と~!?

を読んでね~。


 斉王の田帀さんは史記の「田儋列伝(でんたんれつでん)」によると従弟の田栄さんに殺されたことになっとるけんど、一族郎党引き連れて斉から韓半島に渡り、対馬を経て倭の列島に渡ったのねんな~。その辺りが、

「伊勢神宮内宮祠官の荒木田家に伝わった」

もんでね、判るのねんよ。荒木田さんもね・・聞くも涙、語るも涙・・どころか、ま~・・怖いお話しばかりでね。今、荒木田の姫の書いたブログの内容は、だいぶね・・ソフトになっとるし、何故かヤバそうな部分は削除されとるけん、大したことは無いと思うかもしれんけんど、以前のブログの内容は凄まじかったのねん。


 で、説明がアチコチになってしまうもんで、自分のブログから引用するのねん・・



 古文書によると「青州」から出航したとある。青州とは中国古代において九鼎が造られた九州のうちの一つである。現在では山東半島付近に当たる。

<略>

 それらを繋ぎ合わせてみると、おおよそ二千人ほどの我々の先祖は中国大陸の東岸を船で出航して、朝鮮半島の南端から対馬を経由し、九州唐津付近に辿り着いたようだ。

補) 「倭」 のよみについて: 先祖は 「イ」 であると書き残している。
   中国語の「倭遅」が語源で、もともとは 「夷」 または 「葦」 に由来し、後に 「一」 「市」 に書き換えられた。

<略>

補) 人数: 中国黄河(中原)文明とともに日本列島へ渡来した数千人の先祖のうち、斉人の数は出雲荒神遺跡から出土した銅器の数と同じである。

 すなわち、銅鐸6個は斉王とその妃。銅矛16本は王子(他1人は対馬海峡を渡る前に朝鮮半島南端で死んだので、王子は全員では17人)。

 銅鐸39個は神官。銅剣358本は従者 (他7人は朝鮮半島南端で死んだので、従者は全員では365人)。

 また、この他に兵士や工人、朝鮮半島に住んでいた東夷が大勢連れてこられた。

補) 居住地:縄文末期に周斉廟の宝物を携えて到来した斉王一族の墓は、福岡県吉武高木遺跡である。

<略>



 ま、この文章だけでもね・・もうだいぶ、色んな関連が見えるち思うのねんな~。



 でね・・本日の本題・・にようやく入ろうと思うのねんが・・


 例えば、出雲の富(向)家の口伝によるとね。そのころ出雲王が列島倭の南半分を治めていた訳だけんども、そこに徐福さんが来たっちゅうのねんな~。それも中国から3千人と言う大人数でね。そして出雲の五十武(猛)に住み着き、やがて出雲王の血筋の女性を得て子をもうけたが、いきなり攻められて王権を奪われた・・っちゅうことなのねんな。

 ま、一般的には徐福さんは一度ならずも二度倭に来て、一度目が出雲、二度目は九州上陸だったとされとるのねん。これも口伝で今まで伝わってきたけんども、世に出すのは憚られてた・・が、ついに言ってもうたのねんな~。

 ま、かなりの正確性はあるかと思える口伝なのねんで、そうゆ~こっちゃと思うのねん。で、彼らは・・

「その徐福さんがスサノオさんとして記紀や古伝に伝わった」

としてるのねんな~。


 っちゅうことはねん?・・ファシレのおじさんは、

「徐福は斉王の田帀(田芾)」

と言うとるしねん・・


「方士の徐福さんが異邦の地で戦争をやって勝てるかどうか?」

っちゅう疑惑な部分もあるだしょ?


 そして何より、出雲で大量に発見された

「Xと刻まれた銅剣や銅矛」

がね。荒木田家に伝わる口伝だと、斉王のものなのねんから・・


っちゅうことは?

「斉王=田帀=徐福=スサノオ」

っちゅうことになってしまうのねんな~。


 でねでね・・じゃぁ、なんで「スサノオ」さんは「スサノオ」って名前なのかの~?・・ま、今まででも「フツ」だ、いや、それは親でスサノオさんは「フツシ」だ・・などとは言われてきたし、いや、それはニギハヤヒだともね・・さらには「スサの王」だから「スサノオ」だっちゅうようなね・・ま、間違いじゃぁ無いにせよ、ちと説得力には欠ける訳なのねんな~。


 斉(セイ)の王だった田帀(でんふつ)さんがスサノオさんっちゅうことなのねんが、

「帀 と書いてフツと読む」

と伝わっとるのが本当ならね・・徐福=徐帀=田帀 の名前が「フツ」で同じで有り、

「漢字をそのまま素直に読んでスサノオになる」

のねんよ。日本語風にね・・じゃ、やってみよ~か・・


帀 (ソウ)

音読み:ソウ
訓読み:めぐる、 めぐらす、 めぐり
ピンイン:za1

齐 (セイ・サイ)

音読み:セイ サイ
訓読み:ととのえる・ひとしい・ものいみ
ピンイン:qí ⇒ [異読音] jì

王(ング)

音読み: 呉音 : オウ(ワウ)
  漢音 : オウ(ワウ)
訓読み: 常用漢字表外 おおきみ

中国語:
普通話
ピンイン : wáng (wang2)
ウェード式 : wang2
注音符号 : ㄨㄤˊ
広東語
イェール式 : wong4
閩南語
POJ : ńg, ông
客家語
白話字 : vòng
呉語
ピンイン : waon1
中古音 : hjwang, hjwangH
上古音 : *ɢʷaŋ, *ɢʷaŋ-s

 閩南語(びんなんご)っちゅうのんは福建語(ふっけんご)とも言われててね・・福建省でんな。福建省ちゅうのんは判りやすく言うと「台湾の対岸」辺り・・。この辺りの訛りなのねん。

 で、その閩南語(びんなんご)だと、「王」は「ング」「ヌグ」「ノグ」「オング」だすな・・これが近いかと思うけんどもね~。

 つまり、

「ソウ・セイ(サイ)・ノグ」=「スサノオ・ソサノウ」

となるしね・・帀と斉を入れ替えて、斉帀王としても、「セイソウノグ」だから、発音すりゃぁ・・スサノオに聞こえるよねん。さらにゃあ、スサノオウなら尚の事、「王」そのまんま。


 言っちゃえば、

「私は帀斉王!」

とふつ~に名乗っただけなのねんよ・・「フツ」だけに・・♪♪・・許せ・・


 因みに帀と言う字は匝と言う字の異体字らしいのねんが、匝は「そう」だよねん?・・・そうなのねん。だけんども、斉王田帀さんの正しいとされる「帀」の字は「そう」とは読まんし、徐福さんもWIKIによれば、

徐 福(じょ ふく)は、中国の秦朝(紀元前3世紀頃)の方士。斉国の琅邪郡(現在の山東省臨沂市周辺)の出身。別名は徐巿(じょふつ)。巿(ふつ)は「一」と「巾」から成り、市(いち)は「亠」+「巾」から成る別の字である。
by WIKI


と書いてあるしねん。史記にそう書いとるんだすな。

 徐福さんは徐帀、田帀さんと同じ名前で、しかも徐福さんの最初の出航が紀元前220年頃、でも秦の始皇帝さんは紀元前210年に49歳で亡くなられとるからね・・。そして紀元前206年には「秦」は滅んどるのねんから、二回目の来倭は、仮に有ったとしたらそれ以前っちゅうことになるよねん?

 ちゅうことは、二人の「フツ」さんは同じ時期に同じ「秦」「斉」の地域に生き、しかも史的には徐福さんは「斉」からご出立したと・・ゆ~ことになるの~。


 あ・・書いたと思うとったら書いとらんかったばってん、2018.6.27、加筆するのねん・・すまんの~・・

<加筆>

 もしね・・方士の徐福さんが紀元前230~210年頃に二度も日本に向け出港したのが事実だと言うのならね・・

 つまり、秦の始皇帝さんに服従せざるを得なかったが今まさに係争中の斉王の領地や領地に接した土地で、船や人や職人や少年少女を沢山集めて大船団の出航準備なんぞしたらね・・ま、相当に長い期間、掛かったでっしゃろ?・・めちゃ目立つよね~。

「ほ~・・どこにいらっしゃるん?」

「ほい、ちょいと蓬莱の地へ秦の始皇帝さんのお使いに~・・」

「(・・秦って・・て、敵やがな~・・大丈夫か~?この人・・いや、こりゃ斉の王様にご注進せなあかん!)」

ってなもんでね。でも徐福さんがそう出来たんだと言うのならね・・


「は~い、徐福さん~!蓬莱に向けてどうぞ行ってらっしゃ~いまし~!!」

と、

斉王の田帀(フツ)さんは家来や王族と共に手を振りながら、徐福(フツ)さんを涙ながらにお見送り

したっちゅうようなことになりかねんのねんな~!!

 フツさんがフツさんを手をフッてお見送り・・♪♪

「・・っどっひゃ~!・・笑わしてくれるの~!」


 ・・・有り得んだしょ?


ZH-战国七雄地图
 ↑紀元前260年頃の様子なのねんで、紀元前240年~220年頃にぁ秦はもっと大きくなっとりまんねん・・が、基本、内陸なのねんな~。
<加筆終了>


 一方の斉王、田帀さんは、WIKIにも単独ではページを持ってるけんど、ほとんど情報が無い方なのねんよ。

経歴
 秦末期の騒乱で自立して斉王となった父が、紀元前208年に魏王咎の援軍に赴いた際に章邯の秦軍に敗れて戦死を遂げると、新しい斉王に田假(斉王建の弟)がなった。しかし、従父の田栄はこれを認めず、田假を楚に追放し、従子の田帀を斉王に擁立した。秦滅亡後、項羽により諸侯王が定められた際、斉は3つに分割され、田帀は膠東王に封じられた。しかし項羽に恨みを持つ田栄は斉王に封じられた田都を楚に追放して田帀を再度擁立しようとしたが、田帀は項羽を恐れて封地の膠東に赴いた。これを知った田栄は激怒して田帀を追撃し、即墨で田帀は殺害された。
by WIKI


 っちゅう書かれ方をしとるのねんな・・。即墨っちゅうのんは、今の「青島(チンタオ)」の北に接しとる。正に徐福さんの出航地近辺だすな・・。まぁ、あの有名な「史記」に書かれたんは秦が滅びてさほど時間も経ってない時期だからの・・正確性はある程度あるとは言えるけんども、

「斉王の叔父である田栄が、強大な敵である秦や楚に囲まれて四面楚歌(四面斉歌?)っちゅう状況の中で、一人怒り狂い斉王族の親類連中をアチコチに追っかけまわして皆殺しにして結果絶滅したなんちゅうのんは余りに阿保な話し過ぎてとても信じられん」

だしょ?秦兵20万の虐殺ほかで名を馳せた楚の項羽さんを敵に回しといて、何で血族の斉王の甥っ子を領地にまで追いかけてって殺さにゃあかんのねんな。・・ま、田栄さんは斉の宰相だったのに甥っ子の田帀さんが斉王から膠東王に格下げされ、自身には何の封地も与えられなかったこと、そしてそんな条件を飲んだ斉王の田帀さんに腹を立てて、結局のところ、自身も殺され、斉そのものも潰してしもたと伝わるのねんな~。・・ま・・

 対外的にゃぁそ~ゆ~ことにして~・・、この斉の存続の危機を迎えたのねんから、斉王の血を絶やさんために田帀の一族を逃がし、殺したとうそぶいた・・・っちゅうことだしょ?


 秦の始皇帝さんにしたって、あの厳しいお方がね・・散々殺しまくって皇帝にまで昇りつめとるのねんよ?・・まだ若いのに・・亡くなられた時で49歳だからの~・・徐福さんの最初の渡倭は始皇帝さんもまだ20歳代でっしゃろ、それを二度も騙されて、大金を注ぎ込んで蓬莱の地、日本に行かせるなんぞはまんず有り得んのねんな~。

 対外的にゃぁそ~ゆ~風に言ってね・・歯向かう斉王の一族を獲り逃がしたっちゅう大恥を、

「お抱え方士の者に不老不死の霊薬を探させた」

と話しを変えて触れ回ったのでっしゃろ~?それが司馬遷の『史記』の巻百十八「淮南衡山列伝」に書かれ、それを読んだ日本の知識人たちが、

「あ、この日本の我が里に伝わる秦末期の伝説の来訪者は秦の方士の徐福だった!」

と理解して今に伝わっとるのねん。伝説もまた、時代を経て付け足され、削られ、変えられて残って行くのねんから・・。金儲けになることなら何でもする大陸のお方たちは、しっかりその徐福伝説に乗っかってね・・徐福村まで創りよる。日本から観光客が大挙して訪れるそうなん・・。ま、精々お稼ぎくださいまし~。


 司馬遷(しばせん)さんはWIKIによれば紀元前145年もしくは135年 から 紀元前87年もしくは86年まで生き、あっちゃこっちゃ旅して史記を完成させたっちゅう大先生だすな。でも、現存する史記の完本は南宋時代の1196年のものが最古だっちゅうからね・・。不比等ちゃんの魔の手が回った後のものとも言えなくも無いしの・・。


 それから荒木田さんちのあのお話し・・

「倭」 のよみについて: 先祖は 「イ」 であると書き残している。
   中国語の「倭遅」が語源で、もともとは 「夷」 または 「葦」 に由来し、後に 「一」 「市」 に書き換えられた。

 「倭」は「わ」と読まずに「い」だと。後に「一」「市」に書き換えられたと・・それって・・

「元々から 帀・・・ じゃ無かったん?」



 まあね・・伝わったものは変化してしまうからの~・・帀が市になってもね・・後の者は誰も気付かんよの~。「一」は中国語で、「イ~、アル、サン、スー(一、二、三、四)」の「イ~」。

 市に至っては中国じゃあ「シー」としか古代から今まで発音せんから、荒木田さんの言う「一や市に変えられたのは日本において」っちゅうことになるのお・・。あ・・これを拡げると元の木阿弥になってまうのんでやめとこ・・。ただし、

「芾」->「帀」

もしくは

「帀」->「芾」

っちゅう変換がどこかのタイミングで起きた、もしくは誰かが入れ替えたと思うのねんな~。出雲の口伝も徐福さんがスサノオさんで略奪者だと言うとるけんね~。

<書き忘れたもんで・・2018.06.25追加したのねん>

 それにね・・こんな漢字の混乱はね・・

●六国文字(りっこくもじ)

ちゅうてね・・。この春秋戦国時代の各国独自の漢字・もしくは使用法や読みが有ったらしいのねんな~。それが原因とも言えるかもねん・・。これ、ほとんど判っとらへんのねんけんど、その文字のひとつの楚文字は1950年以降、続々と見つかっとるらしい・・でも正確な解読が困難なんだと~。んなもんで、「帀」なのに「芾」と書く、もしくはその逆も・・みたいなのんがまかり通ったのかもしらんね~・・。

・六国文字のひとつ、楚文字について

 六国すなわち斉・楚・燕・韓・魏・趙の六国文字(zh:六国文字、他の小国含めて戦国文字とも)の一つで、古代中国の春秋戦国時代に使われ、秦による中国統一に伴う文字統一に伴い、駆逐される形で使用減少し、後に消滅したと推測されている。
by WIKI


<補足終了>

 つまりね・・。列島の南半分を支配していた出雲の大王(おおきみ)がいらしたが、そこへ大陸を脱出して来た斉の王族がいらして、最初のうちはそれなりに仲良くして習合しつつ有ったのねんが、スサノオ・スサノウを名乗った斉王が牙を剥いた・・・それが記紀や旧事本紀などには神話として全く姿を変えて書かれた・・っちゅうことやねんな~。でもたかだか2200年前のお話しなのねんな・・。

 っちゅうことでね・・この辺もちゃんと書かんといかんのねんけんど、広げ過ぎると寿命を迎える前には書き切れんしの~。取り合えず今日は終幕だす・・・悲しいの~・・。
プロフィール

NSY3

Author:NSY3
 何でこんなに判らんことが多いのかが良く判らん!その判らんことの答えを探して旅に出たつもりが、その答えも見つからんうちにもっと判らんことの答えを探す旅に出ることになっちまったい・・・
不徳の致すところでございます♪♪またまたどちらに「おでかけ・・レソか?」今回は夫玉を探しに・・、おっと~!違った、音霊を探しにおでかけレス!

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