伊都国





2019.03.06 意味不明な部分、変てこな表現の部分を修正、追加しました。

 前回の記事でCSSによる地震の疑いについて書いたのねんが、

「・・やっちまったな~~・・」

みたいな感覚がの~・・有るのねんな~・・。

 玉ちゃんのブログをチェックもせんで書いた記事なもんで、

「・・あらま・・思いっきり重なっとるやん・・」


 ま・・こんな感じで同じような記事を出してしまうと、ちと深読みしてくださる読者の方は、

「・・ん?・・もしかしてこの二人、裏で繋がっとるんか~?」

みたいにね・・思ってしまわれるかもしらんばってん、実際にゃぁ何も無しなのねんで・・。ま、もしかして万が一、繋がっておったとしてもの・・

「・・だから・・何?」

っちゅう話しだし、玉ちゃんとは2~3度お会いしたことがあるけんども、軽くお話しさせていただいた程度・・なのねん。ファシレのおじさんは人見知りの引きこもり屋さん・・みたいなもんやけんね・・。玉ちゃんの方が迷惑に違いないのねんで、

「たまたま・・たまたま、ちっとタイミングが重なっただけ・・」

と思っといて欲しいのねん。たまたまなのねんで、そこんとこ、よろしくなのねん。


 CSSの方はの・・・、真実は良くは判るはずもない・・地中の奥の話しやし、その影響は広範囲に及ぶのかさえも判らんのんで、実験にせよ何にせよ、リアルタイムの中継で検証などもできんはずやしの・・。

 ただし少なくともこれだけは確かなのねん。

「CSSの実施地に大地震有り!」

 良~~~~く覚えておった方が難を避けることになるのねんで、よろしくなのねん・・。寝てる最中に地滑りなんぞが起きたら・・と考えただけでも恐ろしい・・。


 今回の記事は「倭の歴史」だけんどもの・・ま、

「徐福はんとおっしゃるお方が紀元前3世紀に来日され、その後の日本の近代化に大きな影響を与えた・・」

っちゅうのんは、事実に近い・・のんは、お判りいただけたと思うのねん。そう名乗った・・っちゅうか、出雲の大王も、九州の豪族も・・今に伝わるのは「徐福来日」っちゅうこっちゃねんな。

 そして出雲の大王(おおきみ)は数千年前にインドから一族郎党を引き連れて日出る国へと来たと・・それがクナト王で有り、幸ノ神で有り、猿田彦だと伝わるのねん。クナトは王、幸ノ神は奥方、猿田彦は息子だっちゅうことなのねんな~。出雲の大王は武力を好まず、話し合いで全てを解決した・・「言向け(ことむけ)」っちゅうことでんな・・。


 以前の記事で

「彝族(イぞく)」

について書いたのねん・・。

 イ族は中国西部の古羌の子孫である。古羌は、チベット族、納西族、羌族の先祖でもあるといわれる。イ族は南東チベットから四川を通り雲南省に移住してきており、現在では雲南に最も多く居住している。南詔王国を建国した烏蛮族が先祖だと言われている。
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 ま、結局は誰もツッコミ入れてくれんのんで、自分で突っ込まにゃ・・先に進めん。なんで、その先を今更になって書こうと思うのねんが・・

イ族は古羌の子孫、チベット族、納西(ナシ)族、羌族の先祖

っちゅうところにの・・重大なミソが有るのねん。古羌の子孫、そして今の羌族の先祖・・っちゅうことでんな・・。ま、ナシ族もイ族に近いらしいのねんが、羌族もそうなんじゃがナシ族もまた・・写真を見ると日本人、クリソツなのねん。服さえ着替えさせたら、その辺におられても全く気付かんじゃろの・・。


チャン族(羌族、ピンイン:Qiāng Zú)
 は、中華人民共和国の少数民族のひとつ。人口は約30.6万人(2000年)。主に四川省アバ・チベット族チャン族自治州内の茂(マオ)県,汶川(ウェンチュアン、ウントン)県,理(リ)県及び松潘(ソンパン、スンチュ)県、更に綿陽(ミエンヤン)市内の北川チャン族自治県に集団で住んでいる。

名称
 チャン族は
「爾瑪(アーマ)」或いは「爾羋(アーミ)」と自称する。その意味は「現地で生まれ育った人,土着の人」である。中国による支配後、統一して羌(チャン)族と称するようになった。

生活
 チャン族はおもに農業に従事し、牧畜業も兼ねる。特に井戸掘りと石造建築物の構造技術に長じる。また
伝統的な「アニミズム」が信仰されており、宗教生活におけるタブーも存在する。たとえば子供が生まれると、鬼を連れてくる恐れがあるので、面識のない人が部屋に入ることをもっとも忌む。そのために入口に赤い旗をかけて見知らぬ人の立ち入りを禁止する。

 台所の鉄の五徳を脚で踏んではならない。さもないと、
天神を怒らせることになるためである。許(シュイ:シャーマン)を招いて病人のために鬼祓いをしてもらう場合、他人は室内に入ってはならないため、その家の門前にしばしば麦わらで作った人形や馬などを目印として置いておく。
 戊の日には畑を耕してはならない戊が土に属し、耕作すれば土を犯すことになると考えられているためである。以上のように「アニミズム」の宗教がチャン族の生活に極めて重要な影響をもたらしている。

宗教 アニミズム
 チャン族は古代羌族の時代から脈々と受け継がれてきた
原始宗教である精霊・多神崇拝(アニミズム)を信仰している。彼らの精霊・多神崇拝というのはいわゆるアニミズム的観念であり、全ての人間には霊魂が宿っていて、それが外界の物事に推し及ぼし、あらゆる物,場所に精霊が存在し、行動していると考えた。

 彼らの宗教は多神教であるため、数多くの神が存在する。その中でも
彼らがもっとも崇拝してきたのは「天神(太陽神)」である。天神は万物を主宰し、人間と家畜に禍福を及ぼす神であると考えられた。この天神を主神として山の神,火の神,羊の神,水の神,土地の神と続き、全部で10数種類もの神が存在するが、「万物有霊」の考えから「着物の角」から「体の垢」、「吐息」にいたるまで、ありとあらゆる万物に霊が宿ると信じられている。

 チャン族の宗教で欠かせないのがシャーマン(巫師)である。シャーマンはチャン族の言葉で「許(シュイ)」と呼ばれ、生産にも従事している宗教職能者であり、神と通交し、悪魔とも接触するので、人々が祀る神々以外に彼自身の保護神を持っている。彼は民族の歴史や伝説に通じ、さまざまな神話物語と故実の由来などを暗誦しており、各種の記録されていない呪文を唱えることができ、神通力を発揮する法器をもっていた。そのため人々は彼が自然を自在に操る才能を備え、風雨を呼ぶことができ、家畜と作物を繁殖させ、運命の吉凶を変える能力をもっていると信じた。

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 すまんの~~、ちと判り辛いのんで、赤字の部分を書き出して解説らしものをしてみると・・?

・チャン族は「爾瑪(アーマ)」或いは「爾羋(アーミ)」と自称
 倭も日本も・・天(あま)、海(あま)だすな・・。安曇(あづみ)・・も有るかのぉ・・

・伝統的な「アニミズム」を信仰
 後で同じようなんを書くのんでパスじゃ

・天神を怒らせることになるため
 日本の氏族も天神、天孫、地祇だすな・・それに馬韓の天君もいらっさいますな・・

・戊の日には畑を耕してはならない。
 今も日本にありますやろ?社日(しゃにち)言うて、産土神を祀り、春社と秋社言うまんねん・・。春分、秋分の時、最も近い戊の日に行うもんで・・だから、土を触れんのねんな~・・。

・原始宗教である精霊・多神崇拝(アニミズム)を信仰
 日本は正に多神教、神社の御神体は・・何でっしゃろの・・?

・彼らがもっとも崇拝してきたのは「天神(太陽神)」
 天照大神のことでっしゃろかの・・

・チャン族の宗教で欠かせないのがシャーマン(巫師)
 卑弥呼はんのことでっしゃろかの・・

 でね・・釣り竿を担いだ姿が有名な、皆はんもご存知の・・太公望はんは本名、呂尚(りょ しょう)、古代中国・周の軍師、後に斉の始祖。で、姓は、氏は呂、字は子牙もしくは牙、諱は尚とされる。斉太公、姜太公の名でも呼ばれる。

 太公望はんの斉は後に姜斉(きょうせい)と呼ばれての・・呂氏は田氏に簒奪されて田斉(でんせい)になり、秦の始皇帝はんにやられて斉の諸侯にまで貶められ、始皇帝はんが亡くなられた年に田帀(でんふつ)はんも同族に殺されたことになっちゅうのねん。

 もし田帀はんが周の祭祀を引き継いだまま倭に到着しておったら・・っちゅうこっちゃねん。

 ん?・・感じが違う・・ちゃうちゃう・・漢字が違うってかいのぉ?

族 と 斉 じゃ、ちと似てるけんども違うだろ!」

ってかいのぉ?


日本語
音読み
呉音 : コウ(カゥ)
漢音 : キョウ(キャゥ)
慣用音 : キョン
訓読み
ああ、えびす

中国語
普通話
ピンイン: qiāng (qiang1)
ウェード式: ch'iang1
広東語
イェール式: geung1


日本語
音読み
呉音 : コウ(カゥ)
漢音 : キョウ(キャゥ)
訓読み
こう、かん
中国語
ローマ字表記
普通話
ピンイン: jiāng (jiang1)
ウェード式: chiang1
広東語
イェール式: geung1
閩南語
POJ: kiong, khiong
客家語
白話字: kiông
呉語
ピンイン: cian1

 どうでっしゃろの・・音霊的にゃ・・全く同じだしょ?・・どこも違わん。・・どっちも「こう、きょう、ちゃん」なのねん。それにの・・中国語学者、中国文学者でもあった藤堂 明保先生は、

を姓とする太公望呂尚羌族に近く、遊牧民の勢力をもって周の建国に貢献したのではないか」

と申されておったのねんな・・。

 もし「姜=羌」が成立するのならの・・

古羌 → 羌 →彝(イ)

っちゅう中国に残った筋と、

古羌 → 羌 → 周(姜) → 斉 → 倭(イ)

っちゅう移動が成立するしの、羌と姜の日本語読みの呉音である、

「コウ」

が出てくるし、

「えびす、こう、かん」

もの・・・これは、蝦夷、高、神 と簡単に置換も出来るのねんよ・・。


 じゃ、もし斉の王族が紀元前に倭まで来ておったら、倭で何をどうしようとしたのかの?

「・・周を、斉を、再興したい!」


と考えても、ちっともおかしくは無いじゃろ?・・そりゃぁそうじゃろて・・。一族が滅んでしもうたら、周の祭祀を継ぐものはおらんようになってしまうのねんから、必死で脱出して、再興しようとしたのは判るはずなのねん。

 でねでね・・それが「伊都国」なのねんよ。魏志倭人伝にも、

到伊都國 官曰爾支、副曰泄謨觚柄渠觚

と書かれたのねん。ま、訳はムズイけんどもの・・

「伊都国に到着。官はニキ、副官はシマジ、ヒコジ」

みたいな感じかの・・。ニキって・・ニギハヤヒかニニギか?・・シマジはウマシマジ?・・ヒコジはアシカビヒコジ?・・まぁ・・時系列も有るし、時代も判らんよって・・よろしおす・・ってことでの・・。

 で、「到る」と書かれておるのねんから、「到着した・・」のねん。伊都国が目的地なのねんで?・・邪馬台国は連合国やのねんから、邪馬台国っちゅう国はこの頃にゃぁ占有地としては存在せんのねん。まぁ・・以前に書いたけん、もうよかろうし・・。


 でねでねでね・・斉(せい)っちゅう国の首都はどこだったかっちゅうとね・・今の中国、山東省淄博市の臨淄区(りんし-く)で、


「周王室により東海地方に封じられた太公望によって築かれる。最初營丘(えいきゅう)、のちに名をあらため臨淄(りんし)となった。 」

のねん・・な。・・日本語的に「えいきゅう」に「りんし」って読んどったら、んなもん、「えいきゅう」に判らんわぃ・・。で、ここでんな・・。

500px-China_Shandong.png

ChinaShandongZibo

 ちと横を向いとるけんど、博多湾に見立てることも出来ん訳じゃぁおへんの・・。それだと以前の記事にも出て来た、

「縄文末期に周斉廟の宝物を携えて到来した斉王一族の墓は、福岡県吉武高木遺跡である。」

の吉武高木遺跡の位置に見立てられもするかのぉ・・。


 で、音霊的?には・・



日本語
音読み
呉音 : ヨウ(ヤゥ)
漢音 : エイ(エィ)
訓読み
な-む、な-み

中国語
普通話
ピンイン: yíng (ying2) 「ying」は、日本語で「イン」
ウェード式: ying2
広東語
イェール式: ying4



日本語
音読み
呉音 : ク(表外)
漢音 : キュウ(キウ)
訓読み
おか
常用漢字表外
たかし
中国語
普通話
ピンイン: qiū (qiu1) →日本語的な発音は 「チ(ォ)ウ 」
ウェード式: ch'iu1
広東語
イェール式: yau1
閩南語
POJ: khiu
呉語
ピンイン: chieu1

 そうなのねん・・伊都は「いと」じゃぁ・・おへんのねん。「い(ん)ち(ぉ)う」。

 小さな国なもんで、魏志倭人伝は「伊都国」と書いたけんども・・首都なのねんな。そして国は筑紫(ちくし)。出雲の口伝によると、筑紫は秦を築くっちゅう意味で、

「築秦(ちくしん→ちくし)」

っちゅうことのようなのねんが・・本当かの~~・・。

斉秦 (チーチン)

斉 → ピンイン: qí (qi2) ウェード式: ch'i2 → 「チー」
秦 → ピンイン: qín (qin2) ウェード式: ch'in2 →「チン」

 なんで斉の人間が秦国を築かないかん?徐帀はんにせよ、田帀はんにせよ、秦王にぁ煮え湯を飲まされて来たのねん。それでも倭に渡って来た者の中には、秦人もおった・・。なので、「秦斉(チンチー)」は有り得ず、「築秦」も・・の・・。

チーチン → チーチ → チーシ → チクシ

みたいな感じやろかいの・・。


 で、倭に渡った周の祭祀を継ぐ者は、

「あーま(私) は てぃえん(天・田)。この(九州の)地に斉秦(ちーちん)を建国する。首都(王都)は營丘(いんちぉう)。」

と宣われたのでっしゃろの・・。それが訛ってか、漢字の当てはめで、「伊都国(いつこく・いちこく)」「筑紫(ちくし)」っちゅうこっちゃねんな。營丘って、いと(なみ)-おか・・だしの。荒木田の姫様も・・言っておられただしょ?・・倭の読みは「イ」で、それが「イチ」になったと。イ族だしの・・コウだし、カンだしのぉ・・。・・じゃぁの~・・。
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北海道地震ってCCSが原因なの?





2019.02.26 追記が有ります!

 北海道で先日、また大きな地震が起きたのねん・・震度6弱?・・って、とんでもない揺れの地震だったと推測されるのねんが、その割には地震の規模を表すマグニチュードは5.7と、さほどは高く無かったと言えるかの?

 ま、昨年2018年9月6日の最大震度7、M6.7 、多くの被害を出した北海道胆振東部地震に比べりゃぁ、怪我をされた方も軽度で少ないそうなのねんで、ちとだけ安心したのねん。

 何せの・・今回の地震もファシレのおじさんにゃぁ・・何も見えんし、予想も出来んかったからの~・・。いつもコメントをくださる「にゃん吉」さんは、数日前から異変が有りそうなことを速報してくれておったのだけんども・・何も出来んですまんかったの~・・。ま、ファシレのおじさんにゃぁ・・その辺りの能力は無さそうなのねん。

 だけんども、大きめの地震が起きそうな度に、

「・・あ・・地震が来そうだ・・どこだ・・?大きさは・・?・・影響はどうなる・・?」

なんてね・・もしそんな能力が有ったとしたら、生きて行けんかもしれんの~・・。きっと精神を病んでしまうに違い無いのねん。・・って、

「もう・・すでに病んでるんじゃん?」

と言われてまうかもしれんがの~・・♪♪


 それはまだ良いとしてもの・・この間の北海道の震度6弱の地震の前と後に、某元首相さんが呟いたツイッターがどうやらかなりの問題になっとるらしいのねん。

「(厚真町は)本来地震にほとんど見舞われなかった地域。苫小牧での炭酸ガスの地中貯留実験による人災と呼ばざるを得ない」

 これに対し、

「被災者を不安に陥れる。今すぐ削除すべきだ」
「震災デマだ」


などと批判が殺到したらしいのねんな~・・。

 CCSっちゅうのんは、地球温暖化を防止するためにCO2(二酸化炭素)を回収し、地中深く(1000~3000メートル)に埋め込む事業のことなのねんよ。

 でもま、確かにの・・「炭酸ガスの地中貯留実験による人災」と言い切っちゃっとる元首相さんもど~かな~~・・とは感じなくもないけんど、上の批判も、「デマだと断定」しとるけんね~。

 元首相はんは苫小牧で壮大に行われているCCSプロジェクト(炭酸ガス地中貯留実験)の性で大地震が起きたと断定しとるけんど、CCSの推進派も「デマだ!」と断定しとるのねん。

「・・・でももしどちらかが真実だったら・・一体どうするのねん?」

ちゅうこっちゃねん。

 っちゅうか、どちらかが間違いなく真実だしょ?・・その影響が大なり小なりだったとしても、もし影響が有ったので有れば元首相はんが正しいし、影響が無かったと言うので有れば、「震災デマだ!」とおっしゃる方が正しい。

 でもまだそれは、

「断定出来るはずがない!」

のねんから、

「断定しちゃぁいかんだろう?」

ちゅうことだしょ?


 実は、8年前のあの忌まわしい東北大震災の以前から、この話しは始まっとるのねんな・・。

「福島県いわき市沖でもの・・CCSは行われていたのねん!」

「震災後にいわき市沖でのCCSは中止!」

されてるのはどうやら事実。そしてその後、

「苫小牧にCO2圧入作業は移設された!」

らしいのねん・・な。


 そうなのねん・・

「CCSの実験は最初長岡で行われたが、中越地震、中越沖地震と続き長岡での実験は中止となった。その後、いわき市沖と苫小牧沖でCCSの実証実験が続けられたが、ご案内の通り東日本大地震と北海道地震が起きている。これらの巨大地震とCCS実験が無関係と言い切れるのか?」


みたいに、某元首相はんはツイートしとるのねんよ。

追記開始

 まぁ、その某首相はんのツイートを捉えて、「中止では無く予定通りの終了」と言うようなニュース解説等も有ったのねん。それは以下のようなものなのねん。

2003年07月07日 圧入開始
2004年10月23日 新潟県中越地震発生、圧入停止
2004年12月06日 圧入再開
2005年01月11日 予定の貯留量1万トン達成、圧入終了
2007年07月16日 新潟県中越沖地震発生

 予定通り終了だからデマの可能性が有る・・みたいな論調だったけんども、上の時系列を見れば・・

追記終了

 どうだしょ?・・一理あるな・・とは思わんかの・・。少なくとも政府は因果関係の調査をしてしかるべきだしの・・。稚拙に、

「デマだ。被災者を不安にさせるだけだ。」

ちゅうような論調は、いかがなものかと思うけんども・・の。以下のリンクは関係情報が掲載されとるのねんで・・でも勝手にリンクしとるのんで、もし不都合でしたらご連絡くだしゃんせ~。

石田地震科学研究所

葦の葉ブログ


 少なくとも地震多発国なのねんからの~・・何も問題が無いと検証、実証しつつ、注意深く、謙虚さを失わずに物事を進めんといかんの~。自宅の前の道路に下水の本管埋めたら・・どうなるかの?・・何の問題も無い・・他には何の影響も及ぼさない・・と言えるかの?自宅の場所によっちゃぁ、結構掘るよん。少なくともちっとは、

「地震での揺れがちと大きくなった・・かも・・」

と感じる方もいらっしゃるんじゃないかとは思うがの~・・。だったら、1000~3000メートルも掘って、元から存在しないものを埋めて、周りに何も影響は無いとするなら、もしその証拠が完璧なら・・それを提示すりゃ・・の~・・それで済む話しじゃろうて・・。それを、

「某元首相は変人・宇宙人だから・・」


と話しを歪曲した方向に持って行こうとするからの・・おかしくなってしまうんじゃろうの・・。

 ま、細かい内容についてはの・・書かんけんども、ど~も昨今の日本はこんな話題ばかり。いざとなったら逃げ出すだけで責任を取らん方ばかりと見えてしもうて残念じゃの~。民主党政権時代も良かったとは言わんが、少なくともそれなりに頑張っていた、責任を全うしようとしていたお方もいらしたようには思うがの~。土壇場で国・国民・国土を捨てて現場から逃走しようとした某電力会社の社長の襟元を掴んで離さんかった某元首相(某元首相違いだが・・の・・)は、ま~確かに行動のすべてが正しかったとは言わんけんど、立派だったと思うがの~。あの時の彼のあの行動が無けりゃ、この国はもう終わっておったかも・・しれん。んでも、某官房長官の、放出された放射線・放射性物質の影響についちゃ何を聞かれても・・

「・・ただちに影響はない・・」

とのあの名言は忘れないけんども・・の。

「・・その次に起きることを言えよ!」

「・・ただちにない・・っつ~ことは、時が経てば影響は有る・・っちゅうことを含むのねんな?」

っちゅう話しなのねんからの・・。


 でも、自身は自画自賛、お友達にはご祝儀を、外交ではやってるフリを、内政では富裕層優遇、野党・官僚に責任転嫁、国会では論点すり替えのパワーゲームばかり・・の今よりはマシだったと思っとる方も多いんじゃないかの~・・。

 っちゅうことでの・・CCSも、もっと情報を公開せんと・・、もし元首相のおっしゃることが本当なら大変なことになるかもしらん!・・またの~・・。

封禅の儀?






 面白いもんで、カテゴリが「脳トレ」とか「超?能力」系の記事だとアクセスも多いし、何せ反応もそこそこなのねんが、「倭の歴史」になるととたんに反応が鈍るのねん。ま、その内容が面白くないっちゅう証拠なのねんが、実はファシレのおじさん的にゃぁ結構に「暴露」しとるつもりなのねん。

 さりとて、そんな超?能力系の記事はバカボン山田さんのようには能力不足で書けんし、何より自身が理解不能なことまでは、

「・・んなもん・・言葉にさえ出来んから・・の・・」

っちゅうことになってまうのねんよ。

 見えてることをそのまんま言ったり書いたりは出来る・・あの一件以来、姿を現さんけんど、

「目の前でいつまでもグルグル回ってるファニーな奴」

は、その後は一体どうしてるのかの~・・。もう何年も会ってない気がするがの~・・。そんな体験で良きゃぁ、有ったことをそのまんま記事に出来るのねん。

 ところが、見えてるようで・・理解してるような気がするのに、どんどん変わってしまう見たことが無い文字を幻視しているようなこととか、この間のように、「2018年の夏は滅茶ヤバイことになる!」っちゅうような感覚?のようなものは、水で満たされ土地や家屋がほぼ見えないカラー映像に数字が重なったものを見たことによって・・そしてそれを自分なりに咀嚼できたことによって、ようやく記事に差し込むことが出来たに過ぎんのねんな・・。

 不思議なこと、理解できんようなことだから、皆さんも期待して訪れてくれるのかの~・・とは思うけんど、過度に期待されてもまた困ってしまうのでの・・。

 で、「倭の歴史」カテゴリーの記事なのねん・・すまんの~・・。


 出雲の富家、財筋の方々が口を開いてくれたお陰で、まったく闇の中だった「倭の歴史」に光が差して来たのは確かなのねん。まぁ、こう言っちゃぁ何だけんど、それでも全てが真実だとは限らんし、都合によりまだ口外出来んことも有るだろうし、イントネーションの違いから間違って解釈され、世に広まってしまった内容も無いとは限らんだろうし・・の。ファシレのおじさん的感覚だと徐福はんの来日の件も中々にの・・微妙だと感じるのねんよ。

 徐福はんの本名は徐帀(じょふつ)さんと伝わるのねんが、これをそのまんま今の中国語にすると「スーザー」だから、スサノオはんとイコールっちゅうことは全くもって正しいのねん。

 でもね・・史記が語るように、徐福はんは中国から出雲へ、そしてまた中国へ戻り、さらに今度は九州へ上陸したのかのぉ?本当かのぉ?っちゅう疑問は尽きんしのぉ・・。

田斉王陵

 上のリンクをクリックするとの・・山東省に有る古の斉国の王様の陵(お墓)を見ることができるのんで、是非見て欲しいのねん。

「古墳は日本特有のもの」


 っちゅうような間違った認識が有ると思うのねんが、この写真を良く見てみるとねん・・

「まるでピラミッドのようだし、日本的な円墳と方墳にも見える」

と思うのねんよ。少なくとも古墳は日本特有のもの・・では無いのねん・・前方後円墳に限れば・・のぉ・・そう言っても良いかもしらんが、

「方墳と円墳を合わせた田斉王陵だって見方に寄っちゃ巨大な前方後円墳!」

とも見えるのねんな~・・見えるだしょ~?・・ま、日本の場合は巨大なお墓っちゅうことになっとるけんども、単にお墓っちゅうよりは、土地を開墾して余った残土を積み上げておいたところに、神上がられた王や王妃を葬られた・・ちゅうのんが正しいのかと思うけんどもの・・。何より、

「喰わねば生きていけん世の中」

だったのねんで・・今もそれは変わらん訳じゃしの。


 それにね・・徐福はんは、鹿児島県いちき串木野市と薩摩川内市の境に有る「冠岳(かんむりだけ)」で、中国皇帝だけが行うことが出来る「封禅(ほうぜん)の儀式」を行い、自らの冠(かんむり)を外して収めたっちゅう伝説が有るのねん。

 まぁ、あくまで伝説だけんどもね・・。徐福展望公園に加えて伝説にちなんで1992年にぁ冠嶽園っちゅう中国風の庭園まで造られとるのねん・・。

 でもね・・あくまで伝説・・徐福はんは道教の道士だっちゅうことだしょ?・・

「封禅の儀、そして冠を頂に収めるって・・あなたは皇帝・・いんや、少なくとも王族でっか?」

「そして何故に薩摩なのねん?・・あなたは隼人はんの祖でっか?」

 封禅の儀を徐福はんが行った・・・なんちゅう伝説が、実際に行われていてその後、そのまんまが現在に伝わる・・なんてこたぁ・・絶対に無い・・と思うけんどもね。

「封禅?・・ほーぜん?・・そりゃぁ・・何じゃらほい?・・美味いのなら大盛りでいただこうかの~?」

良いとこ、そんなようなものやねんな。そんな意味の判らん言葉がそのまんま残ることは無いのねんよ。

「あの山は冠に似とるから・・冠岳と呼ぼう!」

「あの山は冠岳っちゅうのんか・・。何で冠岳っちゅうのんかの~?」

「きっと誰かが冠を置いてったんじゃろ~・・」

みたいな会話からの・・後日、史記を読んだとか、何かしらで情報を得た者が、いつの間にか、徐福はんが封禅の儀をやって冠を収めたことにしてしもた・・っちゅうことも有ると思うがの・・。なんせ、徐福はんは道士じゃから・・。

「もし徐福はんが皇祖なら、皇室に今も伝わる祭祀の意味を説明できん」

ちゅうことにならんかの?


 この封禅の儀は、徐福はんを送り出したっちゅうことになっとる秦の始皇帝はんもやってるのねん。

封禅
 第1回目の巡遊は主に東方を精力的に回った。途中の泰山にて、始皇帝は封禅の儀を行った。これは天地を祀る儀式であり、天命を受けた天子の中でも功と徳を備えた者だけが執り行う資格を持つとされ、かつて斉の桓公が行おうとして管仲が必死に止めたと伝わる。始皇帝は、自らを五徳終始思想に照らし「火」の周王朝を次いだ「水」の徳を持つ有資格者と考え、この儀式を遂行した。

 しかし管仲の言を借りれば、最後に封禅を行った天子は周の成王であり、すでに500年以上の空白があった。式次第は残されておらず、始皇帝は儒者70名ほどに問うたが、その返答はばらばらで何ら参考になるものはなかった。結局始皇帝は彼らを退け、秦で行われていた祭祀を基にした独自の形式で封禅を敢行した。頂上まで車道が敷かれ、南側から登った始皇帝は山頂に碑を建て、「封」の儀式を行った。下りは北側の道を通り、隣の梁父山で「禅」の儀式を終えた。

 この封禅の儀は、詳細が明らかにされなかった。排除された儒家たちは「始皇帝は暴風雨に遭った」など推測による誹謗を行ったが、儀礼の不具合を隠す目的があったとか、我流の形式であったため後に正しい方法がわかったときに有効性を否定されることを恐れたとも言われる。吉川忠夫は、始皇帝は泰山で自らの不老不死を祈る儀式も行ったため、全容を秘匿する必要があったのではとも述べた。

神仙への傾倒
 不死の妙薬を求めて紀元前219年に出航した徐巿の船。

 泰山で封禅の儀を行った後、始皇帝は山東半島を巡る。これを司馬遷は「求僊人羨門之屬」と書いた。僊人とは仙人のことであり、始皇帝が神仙思想に染まりつつあったことを示し、そこに取り入ったのが方士と呼ばれる者たちであった。方士とは不老不死の秘術を会得した人物を指すが、実態は「怪迂阿諛苟合之徒」と、怪しげで調子の良い(苟合)話によって権力者にこびへつらう(阿諛 – ごまをする)者たちであったという。

 その代表格が、始皇帝が瑯琊で石碑(瑯琊台刻石)を建立した後に謁見した徐巿である。斉の出身である徐巿は、東の海に伝説の蓬莱山など仙人が住む山(三神山)があり、それを探り1000歳と言われる仙人・安期生を伴って帰還するための出資を求める上奏を行った。始皇帝は第1回の巡遊で初めて海を見たと考えられ、中国一般にあった「海は晦なり」(海は暗い‐未知なる世界)で表される神秘性に魅せられ、これを許可して数千人の童子・童女を連れた探査を指示した。第2回巡遊でも琅邪を訪れた始皇帝は、風に邪魔されるという風な徐巿の弁明に疑念を持ち、他の方士らに仙人の秘術探査を命じた。言い逃れも限界に達した徐巿も海に漕ぎ出し、手ぶらで帰れば処罰されると恐れた一行は逃亡した。伝説では、日本にたどり着き、そこに定住したともいう。

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 ま、赤字の部分の「斉の桓公」っちゅうお方は、田斉の前に存在した姜斉(きょうさい)の王様だけんどもねん。同じ「斉」っちゅう国だけんど、紀元前386年に田氏がそれまでの姜姓呂氏の斉(姜斉または呂斉)を滅ぼして新たに立てた国が田斉と呼ばれておるのねん。

「斉の王は封禅の儀を行おうとしていたが出来なかった」

「秦の始皇帝はどうやったら良いのか判らないまま、封禅の儀を強行した」


っちゅうのんは、どうやら事実なのねんな・・。そんな情報がグチャグチャになって伝わり、冠岳は徐福はんの冠を収めた山になってしもたと思われるのねん。そもそも方士はんが封禅の儀を・・ちゅうのんがおかしいかの?・・これが徐福はんじゃのうて、田帀(でんふつ)はんならの・・正に斉国王だった訳だしの・・斉の祖廟を祀らんといかん訳だしの・・荒木田氏の姫が言う、

「縄文末期に周斉廟の宝物を携えて到来した斉王一族の墓は、福岡県吉武高木遺跡である。」

っちゅう言葉の重みがヒシヒシと伝わってくるんじゃがの。


 それにの・・。出雲口伝では、徐福はんの一回目の来日の時に出雲の姫を嫁に貰い、五十猛はんを儲け、彼はやがて海香語山(あめのかごやま-->そして天香具山)と名乗るようになる・・と伝わるのねんが、

「何で海(あめ・あま)なのかの~?」

 五十猛はんの子孫は海部(あまべ)氏を名乗ることになるしの・・。いつの間にか、海(あま)氏が天氏になってまうと伝わるのねんが、

「海からやってきたから・・あま」

って・・ちと単純過ぎんかの~・・。そう思わん?




中国語の「天」

普通話
ピンイン: tiān (tian1)
ウェード式: t'ien1
イェール式: tyan
注音符号: ㄊㄧㄢ
広東語
イェール式: tin1
閩南語
POJ: thian, thiân, thiⁿ
閩東語
平話字: ieng, iek
客家語
白話字: thiên
呉語
ピンイン: thie1
中古音: *then

中国語の「田」

ローマ字表記
普通話
ピンイン: tián (tian2), yāo (yao1)
ウェード式: t'ien2, yao1
注音符号: ㄊㄧㄢˊ
広東語
イェール式: tin4
閩南語
POJ: chhân, tiân
客家語
白話字: thièn
呉語
ピンイン: die1
中古音: *dhen

 そう言うことじゃろ?・・田=天・・なのねん。余りに「てん、てん」言われるもんでの・・「天・・か?」・・「天なら・・海・・かの?」っちゅうことじゃろ?

 出雲における息子はんの「五十猛」はんの「猛(たける)」の文字は、徐福はんの父親の字を頂いた・・っちゅう口伝らしいけんど、田斉にもの・・「猛」->「孟」を名乗る凄いお方が居られたのねん。

孟嘗君(もうしょうくん、拼音: Mèngcháng Jūn)こと田 文(でん ぶん、拼音: Tián Wén、 ? - 紀元前279年)
 は、中国戦国時代の公族・政治家。戦国四君の一人。姓は嬀(ぎ、女偏に爲)、氏は田、諱は文。諡号が孟嘗君である。斉の威王の孫に当たる。

田文の登場
 田文の父・田嬰は斉の宣王の異母弟で、薛(現在の山東省棗荘市滕州市)に領地を持っていた。田嬰には子が40人もおり、田文の母は身分が低かった。さらに田文が生まれたのは5月5日で、この日に生まれた子は後に親を殺すと信じられていたため、田嬰は田文を殺そうとしたが、母は密かに田文を匿って育てた(ただしこの逸話は史実かどうか意見が分かれる)。
 田文が成人した後に初めて父に引き合わされた際、田嬰は怒りの声を上げた。すると田文は殺さねばならない理由を訊いた。田嬰が「5月5日に生まれた子は門戸の高さにまで成長すると親を殺す」という言い伝えを答えると言うと、田文は「門戸の高さを高くすれば良い」と返した。これには田嬰も思うところあって田文を許し、田文は田嬰の屋敷に住むようになったが、これまでの経緯もあって冷遇されていた。

 ある日、田文は田嬰に「玄孫の孫」は何と言うか聞いた。田嬰がわからないと答えると田文は、斉の領土は増えていないにも関わらず、わが家が富を得ていること、今では続柄がよくわからないような血縁者が多いこと、そのような血縁者たちのために財産を残すのおかしいと答えた。

 そこで田嬰は食客を屋敷に招き、田文にその世話をさせることにした。すると食客の間で田文の評判が非常に高くなり、やがてそれが諸侯の間にまで知れ渡るほどまでになったので、田嬰は田文を跡継ぎに立てることにした。
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 まぁ、田帀はんの父親が誰なのかは、ハッキリせんのねんけんども、少なくとも田帀はんの祖父の世代位に、かの孟嘗君(もうしょうくん)こと田文はんはいらしたのねん。そして、田帀はんは秦の始皇帝はんが亡くなられた後も斉王から膠東王に鞍替えさせられたもののまだ生きて居ったが、秦が滅びる紀元前202年、叔父の田栄はんに殺されたことになっとるのねんな・・。

 徐帀はんだか、田帀はんなのか、ま~・・ややっこしいったらありゃせんがの~・・あ、因みにあの神武天皇はんのご兄弟とされとる稲飯命(いないのみこと)はんは、新羅王になった・・とね・・されとるのねんが・・・ま、誰も信じとりゃせんばってんが、あの新羅国の元の名前は何ちゅうか、ご存知かの?・・今までも何度も書いておるんじゃけんどもの。


徐那伐(ソナボル) もしくは 徐羅伐(ソラボル)


 ひえ~・・・

だしょ?・・ま、羅伐(ソラボル)は首都の名前・・っちゅう話しもあるけんども・・の。「徐」の字は朝鮮語では「ソ」、中国語では「ス」なのねん。


 しっかし・・ホント、面倒だの~~・・以前のファシレのおじさんなら、もうとっくに倭の歴史なんぞから逃げとるけんどもの~~・・。っちゅうことで・・またの~!

あけおめでやんす!






 早いものでもう2019年も1カ月が経とうとしとるのねん。地震や災害はちょくちょく有るけんど、致命的なっちゅうか、多数の生命を飲みこんでしまうような大きなものは・・今のところ無いのぉ・・。今日も熊本でナマズがちと暴れたようなのねんが、怪我をされた方は見当たらないっちゅうことで、不幸中の幸いでんな・・。

 2018年の夏はヤバイ・・特に7月~8月は・・注意せないかんよ・・

みたいなことは小声で言って(書いて)おったのねんが、いかんせん本人に予言めいたことを言う自信が有るのか無いのか良く判らんばってん、余り世の人のお役にゃぁ立たなかったのが残念なのねんな。

 ただ、少なくとも言えるのは、

「2018年の夏はヤバイ!」

と言っておった頃に持っていたような不安は・・まぁビジョンからくるものがほとんどなのねんが、それは今のところは「無い」のねん。ヤバイ感じがしないっちゅうのんは、

「自分がヤバイ」
「自分たちがヤバイ」

っちゅうことを含むのか含まんのんかも実はハッキリせん・・。2018年の豪雨も、関西の地震もファシレのおじさんには直接の関係や影響はほぼ無かったしの・・。9月の台風じゃ、若干被害を受けたのは事実なのねんがの・・。

 っちゅうことはの・・ファシレのおじさんが見たビジョンは・・残念ながら・・幸か不幸か・・

「自分を含むかどうかが非常に微妙」

っちゅうこっちゃねん。


 その昔、「碧い世界」っちゅうブログが公開されておっての・・ファシレのおじさんも楽しみに拝見させてもろておったのねん。今はもうブログ自体を閉じてしまったのねんで、ブログ主はんの消息すら・・判らんのねんが・・残念じゃの。

 kisa さん・・っちゅう女性じゃったかの・・。ファシレのおじさんは人見知りじゃけん、もちろんコメントなどをする勇気も無いしの・・ただただブログを拝見させてもらうだけだったのねんな・・。

 でもの・・実は彼女のブログはそれだけじゃぁ無いのねん・・。「イランカラプティー」とか幾つかのブログを同時に公開されておったしの・・。大昔には・・ブログの名前は忘れてもうたけんど、彼女は自分をの・・

「私はイシス。もしくはイシスの一部だった・・」

のような表現で、自身の遠い記憶みたいなものを書いておった・・と思うのねんな~・・ファシレのおじさんにとっても、非常に遠い記憶じゃし、もしかしたら他の誰かと混同しとるかもしれんのんで、そのまんまは信じてもろたら困るけんども。


イシス (Isis)
 は、エジプト神話の女神。イシスはギリシア語であり、古代エジプトではアセトと呼ばれた。

 ヘリオポリス神話では、ゲブとヌトの子供でオシリスの妹であり妻、セト、ネフティスの姉(セトの妹とされることもある)で九柱神の一柱。またホルスの母。別の神話によるとラーの娘。

概要
 元々は、ナイル川デルタ地帯のブシリス北方のペル・ヘベットの女神で豊かなナイルの土壌を表す豊饒の女神 。またヌビアのフィラエ島やナイル河畔のサイスに大規模なイシス女神を祀るイシス神殿があったことで知られる。後の神話で玉座の守護神、魔術の神などの性格を得た。

 外見は、トビあるいは、背中にトビの翼を持った女性として表される。後にハトホルに代わって信仰を集めるようになると頭部に牛の角と太陽円盤を持った女性としても表されるようになる。さらに後にはデーメーテールのシンボルである松明や麦の穂を持った女性としても現されるようになった。

 名前は、「椅子」という意味で玉座(現世の王権)を神格化した女神ともされ、その場合は、頭頂に玉座を載せた姿で表される。これは、夫オシリスや息子ホルスを守る者を意味する。

 またイシスは、女神でありながら王権の守護神が持つ「権力と支配」を意味するウアス杖(普通、男神や王が持つ)と「生命」の象徴アンクを持った姿で表されることもある。

神話
 神話では、セトと対峙した際に銛を投射し、ホルスに誤射した後、セトを瀕死の重傷にしている。またセトの陰謀でオシリスが行方不明になった時、ギリシアまで彼を探し、セトに殺されバラバラにされたオシリスの遺体を集めて(ただし男根は、見つからなかった。魚に食べられたと言われる。)繋ぎ合わせトトとアヌビスの協力を得て復活させるなど生と死を操る強大な魔力を持つ。さらに息子ホルスに権力を与えるため、ラーの垂らした唾液を含んだ泥から毒蛇を作りラーの通る道に潜ませ、毒蛇に咬まれたラーを解毒する代わりに彼の魔力と支配権を得るなど陰謀を巡らす一面を持つ。
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 凄いでっしゃろ?・・いや、人違いだったら申し訳ないのねんけんど・・。自身が以前、

「誰かの分身だった」
「歴史上の誰それだった」

っとの・・言えるだけ・・凄いの~・・と思ってしまうのねんよ。


 勿論、それだけじゃぁ無かったしの・・その頃の記憶みたいなものも書かれておったと思うし、書かれておられた記事も、ま~広い視点で世を見られておったのが感じられたしの。


 碧い世界っちゅうブログでは一転、私生活や自身の生い立ちなども書かれておっての・・。子供の頃からの母親のDVとかその後の不仲、認知症になった母親をそれでも捨てられない葛藤とか・・ま、ファシレのおじさんも似た様なもんだからの・・

「あのイシスさんが・・のぉ・・」

 ある種、何でファシレのおじさんがそんな大昔から彼女のブログを読み続けていたのかっちゅうような理由がの・・判った気がしたもんじゃ・・。気付いたらブログを全て閉じられておっての・・結構にショックじゃったのねんな・・。


 ま、ファシレのおじさんは彼女のようにビシッとは何も言えん。「ファシレのおじさんはホルスだった・・」なんぞとは、言えないどころか、そんなイメージも何も無いのねんから絶対に言うはずが無いのねん。過去のことなんぞは全く判らんし、当然明日の事さえ何も想像がつかんしの・・。

 だけんどもの・・ある程度詳細なビジョンを見たり、UFOを見たり、へんてこな体験をしたり、妙な確信を持った未来がそこそこ言いたくなってしまったり・・するのねん・・。全く誰も信じてくれんけんどもの~~・・家族でさえも全く信用しとらんのんで相手にされんしの~~。

 時折のぉ・・

「・・あっ・・この人、絶対に他人じゃぁ・・ない・・いや、無かったはず・・」

っちゅうの・・変な感情が湧くことが有るのねん。出会った瞬間にそう感じることもあれば、会ってもいないのに感じることも有る・・。

 おそらくそれは大きな勘違いに過ぎんと思ってしまうのんで、そんな感情からの言葉はしっかりのぉ・・飲みこんでしまうし、ブログであってもコメント欄に書き込むことなんぞ・・することは無かったのねん。


 でものぉ・・ま、人生の半分以上は生きてしもうたと思っとるし、だからどうしようっちゅうこともないけんども、それで良かったのかの?・・っちゅう気持ちも出て来たのかもしれんの・・。だから、予言めいたこと・・何の保証も無い・・ただ自身の中に生まれた確信だけを頼りに書いてしもうたのかもしれんの・・。

 いんや、そりゃぁ・・予言めいたことは何とでも言えるのねんよ・・。

「大地震が来る!」

 そう言えば良いのねん・・。「いつ」と言わなきゃ良いのねんからのぉ・・。5W1Hを誤魔化して大きなことを言えば良いのねんから・・。

「大災害が起きる時期は終わった!」

 なんちゅう予言は・・そんな予言はフツー・・誰にも出来んでっしゃろ?・・んなもん、将来を全て見通せてなけりゃ出来ん話しなのねん・・本当は・・の。もち、外れても良く、炎上しても構わんのならの・・そうするかもしれんけんどもの。

 でものぉ・・考えてみれば・・気付かなかったのか、気付いておったのか・・自身でも判らんけんど、

「・・(夏がヤバイ・・の)終息宣言をしておった・・」

のねんよ・・。どっひゃ~!・・だしょ~~?・・改めてブログを見返しておったら、シッカリ書いておるのねんから・・

「(・・どあほ!・・外れたらど~すんのねん!)」


 ま、被災者、人的被害が大きな災害が起きてないっちゅうだけやねんけんどものぉ・・。でもだからと言って、


「これからも大きな災害は起きない!」

などとは絶対に言わんのねんよ・・。そりゃぁそう。何のビジョンも見てないし、何の大きな不安感も無い・・今のところ・・の。ただそれだけなのねんし、もしかしたら今晩、何かしらのビジョンを見るかもしれんし、これから一生、ビジョンが見えんかもしれんしのぉ。

 だからこそ彼女のように自分がイシスだったと確信して言えるようになりたいと思うのねん・・彼女のことも単に他人だとも思えんしのぉ・・生い立ちもそっくりじゃし・・。


 ファシレのおじさんのブログにコメントをくださる「にゃん吉」さんも、自身の能力と周りで起こる災害との関係について、何となく感じていらっしゃるのねんな・・。ファシレのおじさんとはだいぶ違った感覚のように思えるけんど、起きそうだと言ってる傍から近くで大きな地震が起きたりしてのぉ・・。自己防衛にも繋がるしの・・。

「自分がどうなったらそうなる」

っちゅう部分が紐解けたり、もしくはもっと簡単な形での「お告げ」みたいなものが有ったらの・・より判りやすいのかもしれんの・・。


 っちゅうことでの・・正月に記事を書けんかったもんでの・・グダグダな内容ですまんの~。ほならまたの!

神武天皇 その1






 ま、仲哀天皇について書こうと思うての・・書いては来たのねんけんども、中々本筋に辿り着かんのねん。題名が「仲哀天皇」でも、全くの~・・出て来んのねんよ・・困ったことじゃぁ・・。

 そもそも記紀が仲哀天皇さんを実在だとしての・・神功皇后さんと九州まで来てお亡くなりになられたと書かれとるのに対し、出雲の口伝は全く正反対・・どころか、

「仲哀天皇さん?・・そう呼ばれた方は神功皇后さんに出征の声を掛けられただけで関係の無いお方す!ただの在地の豪族はんどした・・。」

ちゅうこっちゃねんな・・。

「・・はぁ~?」

てなもんやねん。


 そもそも初代の神武天皇さんにしても・・の。ファシレのおじさんは、

「神武東征は無かった」

とね・・言ってた(・・はず)のやけんども、出雲の口伝もね・・そう伝えとるのねんよ。


 大体ね・・

「神武天皇さんって・・誰?」


ってこっちゃねん。・・判らんだしょ?・・判るはずが無いのねんよ。そもそも神武天皇さんっちゅうお名前がその本人に付いたのが、も~・・ずっとずっと後のことやねんからね~。

 それも、複数人の事績を集めて一緒にしたもので脚色してね・・一人の「神武天皇」さんに見せかけた訳なのねん。

 一般的にゃぁね・・神武はんは・・

「天村雲命(あめのむらくものみこと)」

はんのこと・・だと思われるのねんな・・。


 出雲の口伝等によるとね・・徐福はんと出雲の女性との間に生まれたのんが、五十猛(いそたける・いたける)はん。五十猛はんが天香語山(あめのかごやま)はんと名乗っての・・これまた出雲の女性との間(・・ここはそのうち書くかもしれん・・)に生まれたのんが天村雲はんなのねん。

 で、出雲族の大和開墾を追いかけるように天村雲はんも大和に入って、結果・・大王(おおきみ)になられはった・・っちゅうことなのねんな~。まぁ・・そこにゃぁ小競り合い位は有ったやろうけんど、九州から大和に一族郎党で攻め上って、血を分けた兄弟全てを失って大和の大王になったっちゅうような「神武東征」みたいな

壮大な物語は無かった

と言えるのねん。創作物語・・もしくは「付け替え」だったのねんな・・。


 まぁ、記紀が言葉をたっぷり使って物語風に書いて有る部分ほど、怪しいものは無いのねんよ。


 だけんどもね・・さっきも書いたけんども、

「誰かが神武天皇を頭に思い浮かべた場合、それぞれで違う人を神武天皇にしてしまう」

っちゅうことがね・・。そもそもの間違いの発端でもあるのねんよ。


「神武天皇さん・・?・・それ・・誰?」

ってね・・なってくれりゃぁ、まだ良かったのねんけんどもね。記紀に関わったと思われる数人のお方それぞれでも、おそらくそうだったのねんよ。

 出雲族や海部、尾張、物部辺りのお方々ならね・・まだ一貫してるかも・・しれん。

 でもね・・じゃぁ、あの「宇佐神宮」の宇佐氏の伝承はどうか?っちゅうとね・・。どう考えてもね・・神武天皇さんは良いとこ、第11代天皇さんの垂仁天皇さんなのねん。

「ん?・・第10代の崇神天皇さんじゃおへんの~?」

と思われるかもしらんけんど・・ま、可能性としちゃぁ有る・・でも、少なくとも神武天皇さんから10代は後の話しになってまうのねんよ。しかも崇神天皇さんと言われているお方も「東征」はしておらんし・・ね。出雲の口伝じゃぁ、垂仁天皇さんになってしまうのねん。

 だからね・・

「話しが噛み合う訳が無い!」


のねん。


 神武天皇さんはね、佐野命(さののみこと)と言われてたらしいのねんが、ま~・・無理をすればね・・

天村雲 --> 村雲 -->そんうん --> さの

っちゅう連想は可能かと思うけんどもね・・。しかし前にも言った通り、東征はしとらん。


 じゃぁ、天村雲(あめのむらくも)はんが記紀の言う神武天皇さんだと・・してしまうとね・・これがまた酷いことになるのねんよ。だって、どこにもね・・

「村雲さんには彦五瀬さん、稲飯さん、三毛野さんの兄弟が見当たらない」

のねんから。

 そもそもね・・大和に軍勢で攻め上ることも無い訳やからねん。


 でも記紀には彦五瀬はん他、兄弟についてはしっかりね・・書いてあるのねんよ。


 しかもね・・仲哀天皇さんシリーズで書いてきたとおり、

「新羅の王として、神武天皇さんの兄弟、子供、その奥方のお名前がズラリと書かれている!」

 ・・・そして、神武天皇さんのお名前だけがね・・無いように見えるだしょ?・・奥方のお名前はしっかり有るのねんよ・・?


 おかしいと思わん?


 国書と言っても良い記紀にゃ「神武東征」でしっかり書かれとるご兄弟の方々なのに、ほぼ正確だと思われる出雲の口伝にゃぁ・・?・・だし・・、じゃぁ、記紀の創作だから存在しない方々だったのか?と思えばね・・新羅の王のお名前としてね・・しっかり書かれとるって?


「・・だから・・(*・`ω´・)ゞ 一体ど~ゆ~ことなのねんよ!?」


 出雲の口伝にはかなりの正確性を感じるのねん。間違いは少なかろう・・とねん。でも、出雲関係でアチコチに見当たる半島の影に対する答えがね・・全く無い!・・のねん。

 っちゅうところでね・・今年はもう書けんかの・・。今回はオチが無くてすまんの・・越智氏も神武はんとは関係は有るのねん・・そのオチじゃ無いっちゅうの!・・ほな・・良いお年を・・の!
プロフィール

NSY3

Author:NSY3
 何でこんなに判らんことが多いのかが良く判らん!その判らんことの答えを探して旅に出たつもりが、その答えも見つからんうちにもっと判らんことの答えを探す旅に出ることになっちまったい・・・
不徳の致すところでございます♪♪またまたどちらに「おでかけ・・レソか?」今回は夫玉を探しに・・、おっと~!違った、音霊を探しにおでかけレス!

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